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1-6 不安にくもる窓

「いちゃいちゃしちゃってー。恋人の振りはもうバッチリじゃないですかー」


 ルヌルムがにやにやしながらビリーの背中に飛びついてきた。赤さの残る頬を小さな指でつんつんとつつく。


「これならプリム様もぶちギレること間違いなしですねー。今度は何を壊したり引きちぎったりするんでしょー」


 きゃっきゃとはしゃぐルヌルムの姿は可愛らしいが、何やらずいぶんと物騒なことを言っている。まるでプリムが猛獣であるかのような口ぶりだ。


「キレさせてどうするんですか……。先ほど容疑者として名前を挙げられたプリム嬢も、色目を使うご令嬢のうちのおひとりなのですか?」

「ああ。あれをはね付けてからというもの、俺の周囲でおかしなことが起こるようになってな」


 アズールは自分の顎に手を当て、考え込むように視線を下げた。

 暗殺を疑うくらいだ。よほどのことが起きているのだろう。


「つまり私は、恋人という名のおとりなのですね」

「お前が襲われれば現行犯で押さえられる。騎士ならば多少のことが起きても対処できるだろう。万が一、怪我を負った場合は責任を持って俺が治すし、もちろんその分の補償も出す」


「……わかりました。プリム嬢が犯人でないことを祈りますよ」


 ビリーはため息を漏らし、肩をすくめた。

 仮にプリムが犯人でなかったとしても、確実に痴情のもつれには巻きこまれることになりそうだ。


「最後に一つ、ジーン・フリン副団長を疑う理由を聞かせてください」


 ビリーは背筋を伸ばし、もっとも確かめておかなければならないことを尋ねた。

 薄情かもしれないが、ジーンの進退はどうでもいい。問題は妹のフィオナだ。ジーンに何か企むところがあるならば、早急に保護しなくてはならない。


「反獣人主義」


 アズールの答えは端的かつ明確だった。


 カダル帝国はこの大陸の中で唯一、獣人が統治し、獣人と人間が共存共栄している国だ。他国では差別されることの多い獣人にとって理想郷だと言われている。


 しかし現実はそのように美しいものではない。


 近年では獣人偏重が行き過ぎ、人間への迫害や差別主義が広がりつつある。

 それに対するカウンターが反獣人主義だ。「獣人は『獣』と同程度の存在にすぎず、人間が正しく管理・使役すべきだ」という思想を持つ者が若年層を中心に増えてきている。


「フリン副団長がそうであると?」

「獣人に対してのみ苛烈な取り締まりをしているとの報告が複数上がってきている。が、確たる証拠があるわけではない」


(『ウィルマ』だとバレても困るから意図的に避けていたけど、一度ジーンに探りを入れたほうがいいかな。それとも先にフィオナにそれとなく聞くべきか。仮にプリム嬢が犯人だったとしても、ジーンが反獣人主義かどうかははっきりさせておかないと)


 やらなければならないことがビリーの肩に重くのしかかる。今日は心が疲弊したおかげでよくうなされそうだ。


「おおむね理解しました。私はアズール様の恋人の振りをしつつ、皇帝直属の近衛騎士という特別職の職権を振りかざして強行捜査をすればいいんですね」

「そうだ。俺も捜査には同行するがな」


 ビリーが話を終わらせる空気を出しているにもかからわず、アズールはとんでもないことを口にした。


「なんでですか! 皇帝としての職務は!?」

「俺を手伝え、と言ったろう。お前だけに任せるような薄情なことはしない」

「薄情で構いません。おとなしくしていてください。あとご自身の職務はどうするんですか」

「なに遠慮するな。変装には自信がある」

「アズール様にうろちょろされるほうが迷惑だって言ってるんです! あと職務についてスルーしないでください!」

「意外なところで意外な形で役に立つかもしれないぞ。職務についても問題ない。お前が思っているより皇帝というのは暇を持て余しているものだ」


(まがりなりにも国家元首がこんなんでいいのかな。そもそもなんでこの人皇帝になったんだろう……)


 アズールが即位したのは三年前。先代皇帝とは直接の血縁ではなく、二代前の皇妹こうまいの血筋なのだという。御手に癒しの奇跡を宿した救世の王――ビリーが現皇帝について知っているのはそんなところだ。


(アズール様の機嫌を損ねてもあれだし、近衛騎士が皇帝のそばにいないというのもおかしな話か。っていうか面倒だからもういいや)

「……アズール様。決して一人で行動せず、どこかへ行く場合は必ず私を供に付けることを厳守してください。いいですね?」


 投げやりな胸裏を悟られないよう真面目な顔を作り、ビリーはアズールに詰め寄った。

 アズールは大きく頷くと、屈託のない笑顔で尻尾を振る。


(よくわからない人だな)


 最初の印象は冷たさのある美貌の皇帝だった。だが今は、不遜ふそんでいけ好かない奴に見える時も、ちょっと間の抜けた大型犬に見える時もある。しかしそのどちらも本質ではないのでは、と思わせるような表情をする瞬間もあった。


「ではビリー・グレイ。改めてよろしく頼む」


 年齢相応の落ち着いた笑みを浮かべ、アズールは手を差し出す。

 ビリーの頭の中に再び先ほどのキスシーンがよぎり、手を取るのがためらわれた。


 察したアズールはもう片方の手で自分の口元を隠す。


「もう断りなくはしないさ」

「断りを入れてもしないでください」

「安心しろ。万が一したときはちゃんと責任は取ってやる」

「万が一でもしないでください。責任について期待はしませんが念のため覚えてはおきます」


 ビリーは気持ち強めにアズールの手を握った。


「俺の騎士はつれないな」


 アズールは柔らかく握り返す。

 それで話は終わりとなった。



 部屋を退出したビリーは、ほとんど走るような速さでその場から立ち去る。

 今すぐにでも叫び散らしてしまいたかったが、すれ違う侍女の視線がそれを防いだ。


 ビリーは一度立ち止まり、意識して深呼吸をした。窓に映る自分の姿を見る。


 乱れた銀の髪に触れた。昔よりも短く切った髪は、鈍く光を照り返している。以前はもっと内側から発光するような艶があった。


 頬を撫で、唇をなぞる。騎士になってから、兄の名をかたるようになってから、だいぶ頬がこけた。薄い唇はややかさついている。


(アズール様の近侍きんじであるなら、恋人として振る舞うのであるならば、せめてもう少し綺麗にしておかないと)


 吐いたため息で窓がくもった。


 われた側ではあるが、見目の整ったアズールの隣に立つのに不相応ではないかと不安になる。胸の鼓動もずっと落ち着きがない。


 もう一度ため息が漏れる。くもる。

 窓に映っているのが誰の顔かわからなくなった。

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