5-7 反獣人主義者
術?
反獣人主義?
母のためにと薬学を修める優しいフィオナが、他人を傷付けるはずがない。
だいいちフィオナは亜麻色の髪だ。銀の髪と共に受け継がれる風術を扱えるわけがない。
それにフィオナがやったとわかっているのに、どうして放置しているのか。
色目や付きまといの件もそうだ。本当は確たる証拠などなく、感情論で難癖をつけているだけではないのか?
頭の中で疑問と反論が巡るばかりで唇を動かすことができないビリーに対し、さらにプリムは語気を強める。
「どうせあなたも反獣人主義者なのでしょう! 表面上は敬っているように見せて、内心では私たちを獣だと見下している。あなたからは卑しさと偽りが透けて見えるわ!」
ビリーは「偽り」という単語に一瞬動揺したが、すぐに湧きあがる怒りによって押し流された。
言いがかりもはなはだしい。二度ほど顔を合わせただけの相手にここまで悪しざまに言われなければならないのか。
こんなことを言えてしまうプリムの神経も疑う。元は嫉妬からきているのだろうが、完全なる被害妄想だ。
「皇帝陛下に誓って、私は反獣人主義者ではありません。が、根拠もなく妹の尊厳を傷付けたあなたには嫌悪感を覚えています。ご婦人に手荒な真似をするつもりはありませんが、どうか速やかにお引き取りください。アズール様に報告はいたしませんのでご安心を」
胸倉を掴むプリムの手を引きはがし、ビリーは努めて冷静に対応した。
本音を言えば、横っ面を引っ叩いてでも無礼を謝らせたい。血管が何本か切れているのではないかというくらい苛々する。
だが男性としてここにいる以上、どんなにはらわたが煮えくり返ろうとも女性相手に腕力を恃みにした方法は取れない。
「この期におよんで、まだアズールの威光を笠に着るつもり? 妹と一緒で殿方を籠絡するのが得意なのね。汚らわしい」
プリムの手の甲が、ビリーの頬を強く打ち据えた。
痛みと衝撃で横を向いた顔が戻らない。頬がぴりぴりと熱く痛み、膨れていくような感じがする。
怒りが抑えきれなくなってきたビリーはぐっと拳を握りこむ。
(……そろそろ、一発くらい殴ってもいいんじゃないか?)
汚名を被る覚悟を決めたビリーは勢いよく顔を正面に戻した。
すると信じられないものを目にする。
プリムが自らの服の襟を掴み、胸元あたりまで破いていた。繊維のちぎれる嫌な音がする。
「何して――」
「悪者はあなたよ。部屋から出た私を見た人はみんな、そう思うわ」
ビリーをしっかりと指さし、プリムは高らかにあざ笑った。
腕力一辺倒で人の話を聞かないわがままお嬢様かと思いきや搦め手も使えるらしい。
さっきほんの少しとはいえ、プリムに触れたのはまずかった。
今この場に目撃者がいない以上、手に触れたという事実と引き裂かれた服だけで、ビリーの罪が捏造されてしまう。この国の司法は必ずしも平等・公平ではない。
「ごきげんよう、騎士ウィリアム・ビリー・グレイ」
プリムは胸元を押さえ、扉に向かって走る。
考えるよりも先に、ビリーの身体が動いた。
逃げるプリムの腕を掴み、ベッドに引き倒した。逃げられないように馬乗りになる。
プリムの顔が青ざめ、恐怖に引きつった。
「このような、はしたない手段でしか身の潔白を証明する方法がなく、申し訳ありません」
ビリーは制服を脱ぎ捨て、シャツの前をはだける。さらしで押さえた胸があらわになった。
プリムの表情に困惑が混じる。
(もっとわかりやすくしないと伝わらないのか)
ビリーは髪をかきむしり、腰に帯びたナイフでさらしを切った。プリムの手を取り、ビリーの胸に当てさせる。
「私は男ではありません。アズール様もご存じです。ゆえに、あのようなことをしてもプリム様の品位をいたずらに貶めるだけです」
理解が追い付かないのか、プリムは首を傾け、ぺたぺたとビリーの胸を遠慮なしに触る。
「何これおっきい」
「……あの、あまり何度も、触らないでいただけますか」
ビリーはなんとなく恥ずかしくなり、頭を押さえる。
「あなた、女だったのね」
呆れたとでも言いたげに、プリムは息を吐いた。
「わざわざ私に正体を明かさなくても、アズールに泣きつけば済む話じゃない。馬鹿なの?」
「もしもこのまま部屋から出してしまっては、『傷物にされた令嬢』という悪評がプリム様に付きまといます。それに、不貞者を騎士に任じたアズール様にも責任が生じる。先のプリム様の行為が、私を追い落とすためだけのものであれば、どうぞこの真実を査問会へとお告げください。素性を詐称し、帝国騎士団へと入団した罪で私は罰せられるでしょう」
ビリーが一番守りたいのはアズールの名誉だ。それと比べれば、己の処遇などどうでもいい。
母やナーディヤ、グレイ本家の叔父には悪いが、ビリーの中で優先順位は定まってしまった。
「そんなことしたって、余計にアズールから嫌われるだけだわ」
プリムは顔をそむけ、自分の肩を抱く。
その姿と台詞がいじらしく思え、ビリーは心が痛んだ。
「けれど、人間との結婚が反対されるからって男としてそばに置くなんて、アズールもダサいことするわね」
(アズール様が私利私欲のために私を男装させたみたいな勘違いされてる気がする……)
これもアズールに対する名誉毀損にあたるが、こちらに関してはフォローしなくてもいいかなとビリーは苦笑して聞き流した。
「あなた、この先もずっと男装の近衛騎士のままでいるの?」
プリムの目元が険しくなる。
嫌味ではなく、純粋な疑問としてプリムは尋ねているようだった。
ビリーはうつむき、押し黙る。
一番向き合いたくないことだった。
「……私の一存で、決められることではありません」
ビリーはうめくように、言葉を絞り出す。
「見上げた忠心ね。感心を通り越して呆れるわ。よく未来がない関係のままでいられるわね」
プリムの唇に嘲笑が浮かんだ。
「っ……好きなだけでは、どうしようもないことだってあるじゃないですか! 私はただの人間で、アズール様には他に想いを寄せる方がいて――」
「ビリー・グレイ、大丈夫か。入るぞ」
外から声がかけられ、ビリーの返事を待つことなく部屋の扉が開かれた。
浴室の時もそうだったが、声の主――アズールはいまひとつ配慮に欠ける。
「……は?」
部屋の中の光景を目の当たりにしたアズールは、両手で目蓋を擦った。目を見開き、もう一度部屋の中を見る。
「えぇ……」
アズールの首が大きくかたむいた。
服の襟元が破れたプリムの上に、胸をさらけ出したビリーが馬乗りになっている。
これらの情報から、真実にたどり着ける者などいるはずがない。
 




