5-6 癇癪ウサギの投げた爆弾
「え、まっ……やめてください、プリム様! お気は確かですか!?」
ビリーは避けようとして椅子から転げ落ちた。打ちつけた臀部が鈍く痛む。きっと青あざになるだろう。
「正気じゃいられないからこんなことしてるんじゃない! なんなのよ、非獣人の男が恋人って! そんなに私が嫌なわけ!?」
プリムは丸く愛らしい瞳をうるうると潤ませ、床板を凹ませる勢いで地団駄を踏んだ。
保護欲をそそる外見と相まって、行動自体は可愛らしいが、威力はまったく可愛くない。部屋中の調度品が振動でがたがたと揺れている。
(どうすればいいのよこんなの!)
ビリーは泣きたくなった。
囮や女避けとしてアズールの恋人役を演じている以上、多少の修羅場は覚悟している――つもりだった。こんなにも物理的かつ感情的にぶつかってくるのは予想外だ。
上級貴族の令嬢は、もっと陰湿で取り澄ましているものだと思っていた。こんな状況・関係性でなければ、プリムの直情径行型な性格自体は好感が持てる。
(単身で真正面から向かってくるってことは、この前の襲撃者はやっぱりプリム様の差し金ではないんだろうな)
あまりにやり口が違い過ぎる。
仮にプリムの差し金だったとしても、失敗に業を煮やして自ら出てくるなどあまりにお粗末だ。
「嫌っていうか、とりあえず男女関係なしに、理由もなく急に癇癪を起こされるのはちょっと……」
ビリーは相手を刺激しないよう、座り込んだ状態のまま少しずつ後退った。
令嬢相手に手荒な真似はできない。しかしこのまま置いて逃げて部屋を荒らされても困る。
「確かにおじい様の目があったから、ちゃんと仲良くはできなかったかもしれないけど、それでも私なりに頑張って接してたのよ? なのに急に何も言わずにクベリアなんかに行っちゃって。四年前にふらっと戻ってきたと思ったら前皇帝に指名されたとかでなんか皇帝になっちゃうし。おかげで今まで見向きもしなかった子たちが競って言い寄り始めるし……」
よほどストレスが溜まっていたのか、プリムは聞いてもいないことをぺらぺらと喋り出す。
早急にメンタルケアのできる者、もしくは適度に相槌を打って延々と話を聞き続けられる人物の手配が必要だ。
「あの、ですから、私にではなく信頼できる誰かに相談を……」
「誰も私の話なんて聞いてくれないんだもん!」
ついにプリムは泣き出してしまった。肩を上下させ、大声でしゃくりあげる。
ビリーは頭を抱えるほかなかった。
涙を見せられると、全面的にこちらが悪かったような気になってしまう。
(えぇ……どうしよう)
できればプリムには落ち着いた状態で部屋を出て行ってもらいたい。
ディーシ伯令嬢が泣きはらした顔で、この部屋から出るところを目撃されるのは非常にまずい。尾ひれだけでなく、角や翼まで生えて拡散されるだろう。
(偽装恋人だってバラせば、少なくともこの場は穏便に収まるかな。でもプリム様は口が固そうには見えないし。アズール様に恨まれるのも困る。このまま時間経過で頭を冷やしてくれれば一番いいけど……楽観が過ぎるか)
ビリーは頭を悩ませながら立ち上がった。服を払い、ほこりを落とす。
プリムはまだわんわん泣きわめいている。
アズールの幼少期から関わりがあるということは、ビリーともさほど年齢は変わらないはずだ。愛くるしい容姿と恵まれた生家によってわがままが許されてきたのか、妙に子供っぽい。
「プリム様、ひとまずお掛けください。濡れたハンカチをお持ちしますので目元を冷やしましょう。そのままでは腫れてしまいます」
ビリーは椅子とテーブルを整え、手振りで着席を促す。
「ぅ……非獣人ごときが私に指図しないで! きょうだいそろって忌々しいわね!」
プリムは強く目を擦り、細い肩を怒らせた。
プリムが人間に対してきつい物言いしかできない人物だということは、ビリーもすでに理解している。「はいはい申し訳ございません」と流すつもりだったが、どうしても後半部分が強く引っかかった。
――「きょうだい」そろって?
「……私の妹、フィオナが何かしましたか?」
『ある獣人族のご令嬢が、わたくしのことが少し気に入らなかったご様子で』
ビリーは、フィオナの涙声を思い出す。
誰かから危害を加えられたことをフィオナはほのめかしていた。姉に心配をかけまいと具体的な名前を出さなかったのではなく、身分の高い人物だから不用意に名前を言えなかったのではないか。
「何かじゃないわ最低よ! 兄が兄なら妹も妹よ! 既婚者のくせにアズールに色目を使って!」
プリムは急に威勢を取り戻した。両手でビリーの胸倉を掴みあげる。
(アズール様に、色目?)
思いがけない単語がプリムの口から飛び出し、ビリーは理解が追いつかない。
「私への言葉は、どのようなものでも受け入れます。しかし妹に対する侮辱は、いかにプリム様であろうと捨ておけません。妹がアズール様に色目など、何かの間違いでしょう」
強硬手段をもちいてでも洗いざらい吐かせたい――そんな荒ぶる気持ちを抑え、ビリーは尋ねた。
「私、知ってるんだから。あんたの妹が廟堂の掃除にかこつけて、アズールに付きまとってたのを!」
ビリーの胸倉を掴むプリムの手にぐっと力が入る。
「でもそれだけじゃないわ。あの女、グレイ家お得意の野蛮な術を使って、アズールに言い寄ってた子たちに怪我させたのよ! みんな私の話を聞いてくれないし、アズールは私がやったと思い込んでるみたいだけど……」
次々ともたらされる情報に、ビリーはきりきりと頭を締め付けられた。一度に処理できる量を超えている。
目を見開くビリーを見て、プリムは調子づいたように続けた。
「だいたい、騎士団のジーン・フリンがおかしくなったのだって、あの亜麻色の髪の非獣人を娶ってからよ! あの女こそ罰すべき反獣人主義者なのだわ!」




