5-5 ウサギのお茶会
「お声掛けいただき恐悦至極に存じます、プリム様」
ビリーは利き手を胸に当てて頭を下げる。プライベートな場でおこなわれる略式のあいさつだ。
(うわ絶対断りたい)
という本心はおくびにも出さず、ビリーは紳士的な微笑みを作った。
(アズール様といいプリム様といい、どうして帝都じゃ貴人を一人でふらつかせるわけ?)
プリムに気付かれないよう、ビリーは周囲を確認する。プリムの供らしき者もいなければ、人の行き来もない。空中庭園に乗り込んできた時もプリムは一人だった。
「いくら顔が良くても私はだまされないんですからね! 早く、あなたの部屋に案内なさい!」
プリムは頬を紅潮させ、手本になるくらい見事な傲慢さで指図する。
「私の部屋、ですか」
ビリーはつい顔をしかめてしまった。
どうせ話すのであれば、開けていて人目につく場所の方が良い。個室に二人きりはデメリットがありすぎる。
「そうよ。この私を立たせたまま話をする気?」
プリムは爪の先でぴん、と廊下の柱を弾いた。道具で削ったように柱が小さく半円にえぐれる。
石材の柱に対してこの威力なら、人の頭を砕くなどたやすいだろう。
(やり口が完全に蛮族)
ビリーは承諾せざるを得なかった。こちらから手が出せない分、先日の襲撃者よりもよほど性質が悪い。
どうにか逃げる方法はないかと、ビリーはわざと遠回りをして自室へと向かう。
「……まだ着かないの」
プリムは不機嫌さを前面に押し出した声をあげる。
あまり時間稼ぎはできなかった。
アズールを頼るのがもっとも穏便だが、先ほどの件のせいで顔を合わせづらい。
風の車輪で滑走して逃げる、というのも考えたが、問題の先送りにしかならないだろう。
「申し訳ありません。こちらに住まわせていただくようになってから日が浅いもので」
ビリーは心ない謝罪をし、仕方なく部屋へと向かう通路に足を向けた。
◇
ティーカップに明るい琥珀色の液体が注がれ、湯気と共に花や果物の甘い香りが立ちのぼる。
プリム嬢のご所望により、ビリーはフレーバーティーの用意をさせられていた。小さな拳から繰り出される洒落にならない破壊力を目の当たりにしたため、無碍にはできない。
「おいし……ふん、お茶を入れるのは上手ね」
ティーカップに口をつけたプリムは、浮かんだ微笑みを打ち消すように高飛車に言い放つ。
「ありがとうございます」
なるべく早く立ち去ってもらいたいビリーは、徹底的におもねることにした。可愛らしいものを頭に思い浮かべて笑顔を作る。
「本来であればあなたのような非獣人と関わることはないのだけれど、わざわざこちらから出向いてあげたのよ。感謝なさい」
「はい。ありがとうございます。僭越ながら、お越しいただいたご用向きはなんでしょう?」
まわりくどいな、さっさと本題に入ってほしい――という本音をビリーは飲み込んで噛み砕き、極力丁寧な物言いに変換した。挑発的な態度でこられると、うっかり荒っぽい部分が出てしまいそうになる。
「また陛下が倒れたそうね」
プリムは呆れたように息を吐いた。
(思ったより元気そうだったけど)
原因不明な喧嘩をしたアズールの姿をビリーは思い出す。いまだに何がいけなかったのかわからない。
「以前にも倒れたことが?」
「最近は少なくなったけれどね。元々は小柄で身体も弱かったのよ。今は馬鹿みたいにでかいけど」
昔を懐かしむプリムの物言いに、ビリーは鈍い痛みを覚えた。
プリムは、自分の知らないアズールを知っている。たったそれだけのことで心が揺らぐ。
(私、性格が悪くなったのかも)
ビリーは胸元を押さえ、唇を引き結んだ。
「あなた、陛下のことをどう思っているの?」
プリムは紅茶を飲み干してから尋ねた。
紅茶の飲み過ぎでお手洗いに行きたくなってくれないかと淡い期待をいだきながら、ビリーはすかさず空のカップにおかわりを注ぐ。
「臣下としてお慕いしております」
ビリーは当たり障りのない答えを選んだ。
可及的速やかにプリムに退出してもらうのが今の最優先事項だ。波風を立ててはならない。
「ならば私を手伝いなさい。あなたも庭園で聞いていたでしょう。私が皇后になればガルシア家の後ろ盾が得られる。アズールが癒しの手を酷使して倒れることもなくなるのよ」
(やっぱり身体に負担がかかるんだ)
ビリーは無意識のうちに自分の腕をさすった。
アズールの命を救うために負った傷だったとはいえ、二度も癒しの手を使わせてしまっている。本人は「たまに酷く疲れることがある」と言っていたが、ビリーを心配させまいとしたアズールの強がりだろう。
プリムが皇后になることに利があるのはわかったが、ビリーは首を縦にも横に振れなかった。
「自分の立場をわきまえなさい、ウィリアム・ビリー・グレイ。あなたは男性であり、ましてや非獣人。多少顔は綺麗かもしれないけれど、どう足掻いたところでアズールと交わりはしないわ」
答えあぐねるビリーに、プリムは追い討ちをかける。
(そんなのもう知ってる)
人間である以上、可能性がない。ビリー自身が一番身に染みてわかっている。
「……お言葉ですが、アズール様はプリム様との婚姻を望んでおられません。たとえアズール様に利があることであっても、アズール様が望まないことは致しかねます」
ビリーは腹を据え、きっぱりと拒否した。
最初の方針はとっくにどこかに投げ捨てた。まどろっこしいのは性に合わない。
「さっきから気安く御名を口にして……おこがましいのよ!」
ダンッとプリムはサンダルの踵を床に叩きつけた。一度だけでなく何度も踏み鳴らし威嚇音を立てる。
獣人はそれぞれ足の形が大きく異なるため、フォーマルでも足をあまり包まない形状の履物を着用することが多い。
「名で呼ぶよう指図したのはアズール様です」
火に油を注いでいること自覚しつつ、ビリーは言い返す。
「アズール様のためにどうのこうのと仰っていますが、要するにプリム様は私を排除したいだけですよね。ですが私がいなくなったところで、現状は変わらないと思います。失礼を承知で申し上げますが、あんなにもアズール様が拒むのには、おそらくプリム様自身にも原因があるからでしょう。相手に理由を問いただすだけではなく、自分で心当たりについて考えてみたことはありますか? プリム様が対話すべきは私でもアズール様でもなく、自分自身なのではないかと思います」
ビリーは言い終えてからティーカップを手に取った。香りが褪せ、冷めたフレーバーティーを飲む。
(余計なこと言った気がする)
ビリーの心の中に、後悔と反省が押し寄せた。
非獣人と見下す相手に、こんなことを指摘されたくはなかっただろう。正否に関わらず、腹が立つに決まっている。プリムの言動は目に余るが、かといって争いたいわけではない。
プリムは長いウサギ耳をぶるぶると震わせる。
「……最初から対等な話し合いをにしきたわけではないわ。どのみち、あなたは邪魔だもの」
ダンッ! と庭園で聞いた時以上の音と振動が響く。
プリムはひときわ大きく踵を踏み鳴らすと、ドレスの裾を翻しビリー目がけて飛びかかった。
 




