5-1 厨房にて
「準備できたぞ!」
薄手の手袋をつけ、邪魔にならないよう髪を一つにまとめたアズールは、胸を張って腰に手を当てた。尻尾が高く持ち上がり、威勢よく揺れている。
「自制できるものかどうなのか私にはわかりませんが、できればあまり尻尾をぱたぱたしないでくださいアズール様」
ビリーは手に持った野菜で口元を隠しながら進言する。
愛玩動物扱いをする意図はないが、感情に応じて動く尻尾は可愛らしいとビリーは思ってしまう。
「尻尾や耳の動きを自制できる獣人など聞いたことがないな。まぁ、長毛種は毛が抜けづらいし、事前にブラッシングもしてきたから多分おそらくきっと大丈夫だ!」
アズールは自信たっぷりに言い放つ。尻尾の勢いは止まらない。
(楽しそうだからいっか)
ビリーは苦笑し、調理台に並んだ数々の食材へと視線を向ける。
ビリーとアズールは城内の厨房にいた。「一緒に料理をする」という先日の口約束をしっかり覚えていたアズールの命令――もとい提案による。
ビリーとしては、いまだほとんど進捗がない転落事件の調査を進めたかった。だが、アズールから数日の外出禁止令を言い渡されている。ビリーの体調が気にかかるらしい。アズールは意外に心配性だ。
皇帝の一声で貸し切りにしているため、二人の他に厨房に人はいない。が、廊下にはたくさんのギャラリーの姿がある。そのほとんどが女性。彼女らの目当てはもちろん皇帝と銀の君だ。
ビリーが危惧していたよりも、「皇帝の恋人」の存在は城内で受け入れられている。主に女性の使用人や、玉の輿レースに乗れない人間の令嬢、中流以下の獣人令嬢たちからの支持が熱かった。
タイプの違う美青年が並んでいるのは、それだけで目の保養になるらしい。ビリーがそばにいる時はアズールが犬神の仮面をつけていない、というのも女性たちを喜ばせる一因だった。
皇后の座を狙う名家の獣人令嬢からは「所詮は子を成すことのできない男」ということで目こぼしをされている。
あきらかな敵意を向けてきたのは、今のところディーシ伯令嬢のプリム・ガルシアだけだ。
(んー、何作ろう)
ビリーは目についた食材を手に取っては戻し――というのを繰り返す。商業地区の市場よりも食材の種類が豊富で目移りしてしまう。
(でも今日は特に暑いしな……)
帝国北部に位置するクベリアは冷涼な気候のため、身体を温める料理や、燻製や塩漬けといった保存を目的とした調理をするものが多い。乳製品やナッツなどの脂肪分の多い食材やスパイスをよく使用する。主食はクベリアの名産でもある小麦とイモだ。
暑い時にクベリア料理を食べたいかというと、出身のビリー自身も首を横に振る。
「アズール様の好きなものと嫌いなものってなんでしたっけ?」
「好きなのは肉だな。特に鳥の肉が良い。あとは果物や菓子とか甘いものも好きだぞ。辛いのと苦いのはあまり得意じゃない」
言いながら、アズールは果物を手前に、苦みのある野菜を端の方に寄せた。
「子供みたいですね」
ビリーが笑みと正直な感想を漏らすと、突然脳裏に声が響く。
『メインは鳥を使った料理で、あとなんかデザートもつけて。味付けは……確か辛いのと苦いのはダメだからその二つは避けること。――こら、面倒くさいとか言わない。とにかくウィルマが作ってよ。絶対だから!』
兄の声だった。
今度うちに学校の友人を招くから、お前が料理を作れ、と言われた時のことだ。あの時の兄は奇妙なくらい執拗だった。どうしてそこまで作らせたかったのか、知るすべはない。
「そういうお前は何が好きなんだ?」
子供みたいと言われたことを気にしているのか、アズールはややむくれた顔で尋ねる。
「ええ? うーん、肉料理や甘いものは私も好きですよ」
ビリーはぱっと具体的な好物が浮かばず、追従のような物言いになってしまった。
「なんだ同じではないか」
アズールは表情をやわらげ、生でそのまま食べられる野菜と柑橘をいくつか手に取る。
「何か作るんですか?」
「サラダと副菜を何かもう一つ。メインは任せた」
「あ、えらい。ちゃんと野菜も食べるんですね」
「人をなんだと思っているんだ」
「冗談ですって」
ビリーは慌てて顔の前で手を振った。
「アズール様が料理できるのが意外で。そういえばお茶を淹れるのも手馴れてましたよね」
「三年前までは『ただの人』だったからな。一応皇帝筋の家系ではあったが、さほど裕福ではなかったし。地方で官吏になるのがせいぜいだと思っていたよ」
淡々と他人事のようにアズールは語る。軽快な音を立てて野菜が切られていく。
「地方官吏だったら、こうして一緒に料理をできてませんでしたね。皇帝陛下と一緒に料理するっていう今の状況の方がレアケースですけど」
ビリーは鳥を使った料理のレシピをいくつか頭に思い浮かべながら、肉の下ごしらえを始めた。筋を切り、余分な脂を取り除く。
「皇帝になって良かったと唯一思えたのは、お前に会えたことだ」
鶏肉がぶつ切りになった。
(本当にこの人はいったいどんな意図があってこんな言葉を無造作に投げてくるのか。逆に意図がないから思わせぶりなことをしている自覚もないのか。それとも実はものすごくナンパな野郎で、経験不足な私をからかっているだけ? いやでも女嫌いだし――)
鶏肉がどんどん細切れになっていく。
「……大丈夫か? ずいぶんと豪快な音をさせているようだが」
声をかけられ、ビリーははっと我に返った。
鶏肉は荒めのミンチになっている。作る料理を変更しなくてはならない。
「大丈夫です。すみません。大丈夫です」
ビリーは自分を落ち着かせるために手を洗い、丁寧に布巾で水滴をぬぐう。
よほど大きな音だったのか、廊下にいたギャラリーの女性たちが怖々と中を覗き込んでいた。
好奇心が爛々《らんらん》と灯った瞳たちと、ビリーは目が合ってしまう。
ビリーはとっさに自分の中に兄の行動パターンを降ろした。理想的な角度に口角を持ちあげ、ひとつまみの憂いを忍ばせた微笑みを集団に向ける。
外面の良い兄がよく使っていた手だ。本人曰く、自分の容姿を加味するとこれくらいの塩梅が良いらしい。よほど相手の感情が昂っていなければ、八割の確率でうやむやにできるそうだ。
女性たちは黄色い声を上げた後、「私に微笑みかけてくださった」「いや貴女じゃなくて私よ」などと内輪揉めを始める。
「さすが銀の君だな」
アズールは揶揄をたっぷりと込めて目を細めた。
「やめてください。ですが、できるだけ女性は敵に回さない――欲をいえば味方につけておくべきだと思いますよ」
これは使用人のナーディヤからの受け売りだった。
どちらかといえば女性の方が細かな変化に敏感だ。偽りをつき通すつもりなら、女性には特に気を付けろ、と。
「……苦手だ」
アズールは心底嫌そうに口を歪める。
「別に愛想良く笑いかけろとは言っていません。時折、自分が相手のことを気にかけていると、言葉や態度で示せば良いのです。ほんの少しでも皇帝陛下から気にかけてもらえているとわかれば、心が浮き立ちます」
外見や声の良さはそれだけで武器になる。そこに皇帝という身分や、現人神と称されるほどの異能も加われば、人心掌握などたやすいことだろう。
「俺はいつでも気にかけている」
アズールは、ビリーの若葉色の瞳としっかり目を合わせた。




