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空から落ちてきた皇帝を助けたら近衛騎士&偽装恋人に任命されました~元辺境伯令嬢の男装騎士ですが、女嫌いの獣人皇帝から無自覚に迫られ大変です~  作者: 甘酒ぬぬ
第4章 嘘

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4-7 近衛騎士の適格

「安静に」と言われても、特に自覚する不自由さがなければ動き回ってしまうのが人の性だ。


 ビリーはいそいそと浴槽に湯を張った。ビリーに宛がわれた部屋には、洗面所と浴室がついている。


 おそらくフィオナが清拭せいしきをしてくれていたため、ほとんど体臭はない。だが頭皮が息苦しく詰まっている感じがあった。

 新しい制服に袖を通すなら、やはり全身を洗い清めてからだろう――とビリーは自身の行為を正当化する。


 身体と髪を洗ったビリーは浴槽の縁に腰かけ、足先だけを湯につけた。温度に慣らすようにゆっくりと身体を沈めていく。


 帝都流の入浴の仕方にももう慣れた。年間を通して湿潤な気候で汗をかきやすいせいなのか、それとも単なる風習なのか。帝都では季節を問わず浴槽に湯を張って浸かるのが一般的だ。


 帝都に比べて寒冷なクベリア辺境州では、蒸し風呂がほとんどだった。時々懐かしく思うが、こちらには蒸気浴の設備がないため入ることができない。


(これからどうなるんだろう)


 上体を倒して身体をやや仰向け、首のあたりまで湯船につかる。ふーっと息が自然に漏れた。


 短い間に色々な事が起こりすぎた。

 皇帝の落下事件。

 近衛騎士と偽装恋人。

 何者かによる襲撃と副団長ジーン・フリンの凶行。


 そして、自分がウィリアム・ビリー・グレイではない、ということが露呈ろていした――いや、していた。


 帝国騎士団の末席としてのらりくらりと生活していた頃とは密度が段違いだ。


(傷が綺麗に消えてる)


 ビリーは数日前に毒針を受けた箇所を撫でた。返しが付いた針を力任せに引き抜いたため、患部はずたずたになっていたはずだ。今は髪の毛筋ほどの痕跡も見当たらない。


「……アズール様」


 ビリーの呟きは、途中からため息になった。


 落下事件の犯人が誰であるのか、先の襲撃の目的はなんであったのか、ジーンへの査問はどうなっているのか――考えなければいけないこと、解決しなければいけないことは山ほどあるのに、アズールの面影ばかりがビリーの心を占める。


 皇帝を第一に考えるのは近衛騎士として当然のことだ。それが、純粋な忠義心からくるものであれば。


(私はちゃんと近衛騎士でいられるだろうか)


 ビリーは浴槽の中で身体を縮こめ、膝を抱えた。


 フィオナの前で宣言した「アズールの助けになりたい。そばにいたい」という気持ちに偽りはない。

 だがそれ以外にも、形にしてはいけない感情が自分の内にある。ふたをして鍵をかけて、底に沈めておかなければならない感情だ。


 厳格な定めがあるわけではないが、慣例として皇帝の伴侶は獣人から選ばれる。皇后はもちろん側室に至るまで一人の例外もない。


 人間の身では、最初から隣に立つ資格がない。


(何を望んでいるんだろうな、私は)


 ビリーは勢いよく頭のてっぺんまで湯船に潜った。

 どぼんと飛沫が上がり、視界が泡で埋めつくされる。肌や浴槽の壁についていた小さな気泡が一気に立ちのぼった。


(本当に兄上《男》だったら楽だったのに)


「大丈夫か。大きな物音がしたようだが」


 ノックの一つもなしに浴室の扉が開いた。

 呼吸がもたず、ビリーが水面から顔を出したのとほとんど同時のことだった。

 扉の隙間からアズールが顔を覗かせている。


 ビリーは、浴室の扉に鍵をかけ忘れた過去の自分を殴ってやりたくなった。うっかりにもほどがある。安静にしていろ、という人の忠告は素直に聞いておくべきだった。


「……あの」

「わあああああああああっ!! すまない! そういうつもりじゃない! そういうというかどういうというか、つもりも何もなくてとにかく違う! 間違えた!」


 水面が波立つほどの大声を上げ、アズールは思いっきり扉を閉めた。扉の建てつけが悪くなりそうな音がする。


 ビリーは飛ぶようにしてドアノブに取りついた。慌てる手先でどうにか内鍵を閉める。

 備え付けのスタンドにかけておいたタオルを頭にかぶり、ビリーはようやく息をつくことができた。


(首から下はお湯に浸かってたし、別に見られたところで性別はもうバレてるし、たいしたことじゃない……んだけど)


 ビリーはタオルを擦りつけるようにして荒々しく頭をく。今になって顔にかーっと血がのぼってきた。


(これは湯のせいでぼせたんだ。のぼせだ。そうに違いない)


 自己暗示をかけるように何度も自分に言い聞かせる。

 ビリーはタオルをきつく身体に巻き付け、扉を叩いた。いつまでもここにいたのでは、今度は湯冷めをしてしまう。


「アズール様、まだそこにいるんですか」

「いる。いや。そうか。すまない。本当に悪い。今すぐ消える。消える。去る。邪魔した。ああ。ああああああ……」


 扉越しに、わけのわからないうめき声が聞こえてきた。ばたばたどたどたと騒がしい音がし、数秒後、静寂が訪れた。


(どんな情緒?)


 ビリーは念のため、扉に耳を当てて確かめる。人の気配はない。足早に浴室から出た。


 疑ってはいなかったが、洗面所にアズールの姿はない。安堵あんどのため息が勝手にこぼれる。


 ビリーは風を起こして髪を乾かしながら、手早く衣服を身にまとう。ルヌルムが持ってきてくれた近衛騎士の制服に袖を通す。


 落ち着いた色合いの制服は、採寸してあつらえたかのようにビリーの身体にぴったりと馴染んだ。

 羽飾りのあしらわれた肩章と、若緑の肩掛けの外套がいとうを身につけ、姿見で全体を確認する。自画自賛したくなるくらいに似合っていた。


 特別職である近衛騎士の制服に決まった形はない。その時々の世相や皇帝の好みなどによってデザインが変わる。

 自分の肌や髪、瞳の色に合わせてくれたのだと一目でわかった。近衛騎士ウィルマ・ビリー・グレイのためだけに作られたものだ。


(浮ついてる場合じゃない。早く行かないと。アズール様は何か用があって来たんだよね)


 ビリーは胸に手を当て、沸き立つ心を抑える。深呼吸をしてから部屋へと戻った。

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