4-5 白い小鳥と亜麻の乙女
「ルルちゃんと……フィオナ!?」
意外な人物の訪問にビリーは目を見開く。
こうしてフィオナとちゃんと顔を合わせるのはどれくらいぶりだろう。婚約していたジーン・フリンのもとに嫁いでから、まだ一年は経っていない。髪や肌の色つやが良く、屋敷にいた頃よりも元気そうに見える。
「ご無沙汰しております、お姉様」
フィオナは花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「ご挨拶が遅れまして申し訳ございません、皇帝陛下。姉を気にかけていただき、ありがとうございます」
アズールの方を向き、フィオナは杖を支えに上体を軽く前傾させて挨拶をした。緩く波打つ亜麻色の髪が揺れる。
四年前の火事で、フィオナは足を負傷していた。補助がなくとも歩くことはできるが、主に転倒防止のために杖を使っている。
「堅苦しい挨拶はいらん。きょうだいで過ごすのに俺がいては無粋だろう」
アズールは立ち上がり去ろうとしたが、その前に、放たれた矢のような勢いでルヌルムがビリーの胸に飛び込んだ。
「良かったー! 目が覚めたんですねビリーさんっ! 浅はかな若のせいでご迷惑をおかけしてホントすみませんー」
ルヌルムは黒目がちな瞳を潤ませ、ビリーを見上げる。
(やっぱり可愛いなぁ)
ビリーはルヌルムの愛くるしさをしみじみと噛みしめ、小さな身体をぎゅっと抱きしめた。
「……はー、お綺麗な方だとは思ってましたけどー、本当に女の人なんですねー」
「離れろルヌルム」
アズールは口元を引きつらせ、握った拳をルヌルムの脳天に振り下ろした。
「いったぁっ! なんですかいきなりー! 暴力はんたーい!」
「どうして殴られたか自分が一番よくわかっているだろう」
アズールはルヌルムの首根っこを掴み、恐ろしい剣幕で詰め寄る。
「全然わかりませーん」
九割の人が無条件で許してしまいそうな笑顔でルヌルムはとぼけた。
「その羽、根こそぎむしって吊るすぞ」
アズールはさらに凶悪に目と眉を吊り上げ、ルヌルムの翼を自身の鋭い爪でつまむ。
「どうしたんですか急に。小さい子相手にそんなに怒らなくても」
ビリーは慌てて仲裁に入った。ビリー視点では、アズールが理不尽にルヌルムを虐げているように見える。
「若やましーい! むっつり犬!」
一瞬の隙をついてルヌルムはアズールの手から逃れた。ビリーの背中に隠れ、子供らしいやかましさで煽る。
「お前は本当に昔から……!」
アズールは尻尾を逆立て、全身をわなわなと震わせる。
「そうそうビリーさんビリーさん、近衛騎士の制服ができたので持ってきましたよー。テーブルに置いたので、良かったら後で着てみてくださーい。たぶん大丈夫だとは思うんですけど、もしサイズ合わなかったら遠慮なく言ってくださいねー」
怒っているアズールを尻目に、ルヌルムはビリーに耳打ちをした。
ビリーがテーブルの方に目を向けると、水の入ったグラスと散剤の乗ったトレイと、包みが置いてあった。
「ありがとう、ルルちゃん」
ビリーは微笑み、ルヌルムのふわふわな頭を撫でる。
「いい加減行くぞ、ルヌルム。お前には話がある」
アズールは有無を言わさずルヌルムを脇に抱え、大きな足音を響かせて部屋から出て行った。
「とても賑やかですね」
足音が遠ざかってから、フィオナは口元に手を当ててくすくすと笑う。視線は部屋の扉に向けられている。
フィオナは母親譲りの優美な顔立ちであるため、凛々しく怜悧なビリーとはあまり似ていない。唯一血のつながりを感じさせるのは瞳の色だけだ。
「フィオナ、どうしてここに」
「お姉様、いったいどういうことなのか、お聞かせいただけますよね?」
フィオナはかぶせ気味に尋ね、ビリーの手を取った。
氷のような冷たさに、ビリーは一瞬びくっとしてしまう。昔からフィオナは心配になるくらい手が冷たかった。
「どうって、何が?」
ビリーは腕をさすりながら、視線をさまよわせる。
いまさら気付いたが、ビリーが寝ているのは城内に用意してもらった部屋だった。ベッドにテーブル、クローゼットや書棚など生活に必要な最低限の家具が小奇麗に配置されている。どれも普段使っているものより質が良い。
「単刀直入にお聞きします。皇帝陛下とお付き合いなさっているのですか!」
「ばか声が大きいっ」
ビリーは身を乗り出してフィオナの口を押さえる。
「違うんだ、色々」
「何も違いません。騎士が毒で倒れたくらいで皇帝陛下が一時間毎に様子を見に来られますか? 目を覚ましたらあんな抱擁しますか? 聞いた話によれば、城内のあちこちで、その、いわゆる、性……的な、行為を繰り返しているそうで――ああもうっ、実の姉に対してこんなこと言いたくなかったです!」
フィオナは手を引きはがし、より大きな声でまくし立てた。
「結構前から盗み見てたのね……。とりあえず落ち着いて。噂に関しては確実に尾ひれがついてる」
ビリーはフィオナの肩を抱いてなだめる。
フィオナにどの程度いまの状況を話すかが問題だ。万が一、情報がフィオナからジーンに漏れても困る。
偽装恋人については打ち明けてもいいだろう。アズールが女避けしたがっているのは本当だ。
「そもそも恋人関係自体が偽装なんだ。あまりにアズール様に言い寄るご婦人が多くて、その対策として『銀の君』とか呼ばれている私に白羽の矢が立った。それだけだよ。だからフィオナが耳にしたようなことは実際にはしてない」
「……じゃあどうして抱き合ったり見つめ合ったりしていたのですか」
ビリー自身も答えが出せないことをフィオナは突いてくる。
「ほら、その、アズール様は色々独特な人だから。癒しの手のせいで、人に触れることに対して抵抗がないんだよきっと。人間と獣人ではボディランゲージも違うみたいだし。ね?」
ビリーは意味のない手振りをしながら適当なことを並べ立てる。自分の嘘やごまかしの下手さ加減にビリーは眩暈がした。
「わたくしは決して責めているわけではないのですよ」
フィオナは小さく息を吐き、ビリーと目を合わせた。瞳だけはきょうだい全員同じ若葉色をしている。
「こんなことはもうやめて、自分として生きてほしい。そう願っているだけです」
「それは」
「お姉様は、お母様が死ぬまでウィリアム・ビリー・グレイでいるおつもりですか」
「母上が正気に戻らない限りは、ね」
「正気に戻ったところで、娘が自分の人生を犠牲にしていたと知ればまた気を病むでしょう。結局のところ、お母様を追いつめているのはお姉様です」
フィオナの声は淡々としており、それがかえってビリーの心を刺した。
「ごめんなさい、きつい言い方をしてしまって。ですが、お母様もこんな状態を望んでいるわけではないと思うのです」
フィオナは肌が雪のように白くなるほど自分の手を握りしめた。
「もう、みんなでクベリアに帰りましょう、お姉様」




