4-4 新たな勅命
「そうか、良い名だ。ずっとお前の口から聞きたかった」
アズールはまぶしそうに目を細めた。尻尾がゆったりと揺れる。
(なんか恥ずかしい)
ビリーはぎゅっとを襟ぐりを握りしめた。
(でも『ずっと聞きたかった』ってどういうことだろう)
些細なことだが、ビリーは引っかかりを感じた。言動に癖のあるアズールのことだ。単なる言葉のあやかもしれない。
「では改めて、ちゃんとはっきりとさせておこう」
アズールは急に表情を引き締めた。
ビリーは考え事を隅に追いやり、居住まいを正す。
「俺は、お前の素性をおおやけにするつもりはない。今まで通り、皇帝直属の近衛騎士ウィリアム・ビリー・グレイとして過ごせ」
人の胸裏にまで響き渡る声でアズールは命じた。
こういうところを見ると、やはり人の上に立つ者なのだとビリーは実感する。
「だが」
アズールはベッドに手を置き、ぐいっと身を乗り出した。
ビリーはまばたきをしたくなるのを懸命に堪える。
(この人男女関係なく距離近いなぁ。――いや、私が女だと知ってた上で距離が近かったわけだから、実は女嫌いじゃない? あれ、獣人の女性が嫌いなだけだっけ?)
気を紛らわすために取り留めのないことをビリーが考えていると、アズールの手がを伸ばした。ビリーの耳際の髪をひと房すくい取る。
アズールの指が耳と頬をかすめた。
びくっとビリーの身体と肌が反応する。
それを見てアズールは薄く笑い、
「俺の前では女でいろ」
皇帝のものでもなければ普段のアズールとも違う、身体の奥底を揺さぶるような深い声で命じた。
「――は……い?」
理解の追い付かない事態に、ビリーの口から困惑がこぼれ出る。
(女でいろってどういうこと? 女性の必要条件って何? 具体的にどうしろと? 言葉遣いはあまり変わらないし、所作も元々はしたないとか男っぽいって言われてたし。淑女のたしなみはまるでダメ。『人には向き不向きがあって、できないことも個性だから』とかみんなに慰められる始末。あとは、うーん――)
ビリーは熟考した結果、ある一つの結論を導き出した。
「……つまり、私に女装をしろ、ということでしょうか。しかし万が一誰かに目撃された場合、『アズール皇帝は男の恋人に女装をさせる特殊性癖』という極めて不名誉な噂が立つ、非常にリスクの高い行為であると思うのですが」
ビリーはいたって真面目に提言する。
「どこをどう解釈したらそうなるんだ……」
アズールは頭を支えるように両手で髪をかき上げた。
「はぁ……わかりにくい冗談を言って悪かった」
謝ってはいるが、アズールの表情は拗ねた子供のようだった。
ビリーは取り繕うための言葉を探す。
「えっと、冗談、だったんですか。察しが悪くてすみません。ちなみにどのあたりが笑いどころ――」
「もういい追及するな! 俺の前では気を張る必要はないと言いたかっただけだ!」
大きく身振り手振りをしながら、アズールはやけくそ気味に言い放つ。
「……本当に、良いのですか?」
アズールが落ち着くのを待ってから、ビリーは尋ねた。
「俺が必要としているのは他でもないお前だ、ウィルマ・ビリー・グレイ。詐称については、お前を欺いていた俺も同罪。それで相殺とする」
ずるい、とビリーは口に出しそうになった。
普段突拍子のない言動をしていても、さすがは君主だ。人をその気にさせるのが上手い。
アズールに想い人がいるのだとわかっていても、首を垂れ、尽くしたくなる。この人の役に立つのなら見返りなどなくても構わないと、思ってしまう。
(……変なの。私は臣下なのだから、想い人云々は関係ない、はずだ。臣下が見返りを求めること自体、どうかしている)
今はさらしを巻いていないのに、胸が苦しい。
「顔色が悪いな。少し熱もあるようだ。病み上がりだというのに長々話して悪かった、ウィルマ」
不意に名前を呼ばれ、ビリーはくすぐったさを覚えた。
アズールの声に乗せると、自分の名前が特別な意味を持ったもののように聞こえてくる。
(なんか感情が乱高下してるな。毒の影響かも)
ビリーは余計なものを追い出そうと頭を振った。
「大丈夫です。寝すぎただけでしょう」
ビリーは気持ち声のトーンを上げ、不調などないことをアピールする。
笑顔でその場を取りつくろうのは、兄が得意なことだった。アズールにはああ言われたが、素直に自分をさらけ出すわけにはいかない。
「それよりも、今の状況を教えてください。襲撃されてからどれくらい時間が経ったのか。ジーン・フリンは、どうなったのか」
ビリーは意識的に話題を変える。一番最初に確認しておくべきだったことに、ようやくたどり着いた。
「二日半だ」
「……はい?」
「ふ・つ・か・は・ん」
アズールは指を二本立てて見せる。
「……長くありません?」
ビリーの口から素直な感想が出てしまう。
窓から入る光の加減から考えて、今の時間帯は朝か、遅くとも昼。襲撃されたのが夜だったので、せいぜい半日くらいだと思っていた。
「そうだ。長い。心配した。疲れた。詫びろ」
アズールは眉根を寄せてむくれてみせる。
「いや普通に謝りますけど、アズール様が疲れることはないでしょう……」
「公務の合間をぬって、いつ目覚めるかと頻繁に様子を見に来られていたのですから、とてもお疲れだと思いますよ」
部屋の扉が開くのと同時に、柔らかく透明感のある声が聞こえてきた。
羽ばたきの音と、足音。それに、かつん、かつん……という床を叩く硬質な音。
部屋に入ってきたのは、アズールの従者である有翼種のルヌルムと、ビリーよりも年下で杖をついた女性。
「お姉様」
久しぶりに見る亜麻色の長い髪は相変わらず綺麗で、花のように可憐な妹――フィオナによく似合っていた。




