4-3 ウィルマ・ビリー・グレイ
「は……」
ビリーはぽかんと口を開ける。アズールの言っていることが一割も理解できなかった。
「だから、俺はお前が女だと知っていた。最初からだ。長時間抱いていて、わからないわけがないだろう」
アズールは簡潔に言い含め、自分の耳に触れた。
「は……!?」
ビリーは目の前が真っ白になるのを感じた。
最初から女だとバレていた?
ならば何故その時に言わなかったのか。
どうして嘘に付き合ってくれたのか。
女である自分を近衛騎士兼偽装恋人になどしたのか――
ビリーの中で次から次へと疑問が湧く。
「――それじゃあ、アズール様は私の性別を承知の上で、べたべたべたべた気軽に触れたりしていらっしゃったわけですか?」
ビリーはにっこりと威圧感のある笑顔を作り、アズールに詰め寄った。
男同士なのだから必要以上に騒いだり反応したりするのもおかしいだろうと耐えていたが、異性だとわかっていてやっていたとなると話は変わってくる。
「ちょっ、待て! 一番最初に気にするところじゃないだろ!」
「気にします! そもそも女嫌いじゃなかったんですか!」
「いや、まぁ、その、それについてはだな、うん、色々、そう、複雑な事情があって……」
アズールは顔を背け、ビリーの気迫に押されるようにして後退った。尻尾がくたりと垂れ、おびえたように足に巻き付いている。
「――すみません、冗談です」
ビリーはアズールを安心させるように相好を崩した。
わざと茶化して時間を稼がなければ、みっともなく取り乱し、自分を保てなくなりそうだった。
「どうして、黙っていてくれたのですか」
ビリーは自分の肩を抱いた。まだ自分としてアズールと向き合う覚悟はない。
「お前が隠そうとしていたからだ。ひとが隠そうとしているものを無理に暴き立てる趣味はない」
アズールはスツールに腰をかけ、事もなげに言った。
「……それ、だけ?」
ビリーは唖然とし、思わず砕けた物言いになってしまう。
「ああ」
「ああ、じゃありません! もしも私が悪意をもって素性や目的を秘匿し、アズール様の地位や生命をおびやかすような輩だったらどうするんですか! そんなに簡単に人を信じないでください! お人好しがすぎます!」
「そうなのか」
アズールは終始平然としている。
「……心配です」
ビリーはずきずきと痛む頭を押さえた。
前々から思っていたが、どうにもこの皇帝には危機感が足りない。
「だったら俺の騎士としてちゃんと見張っていろ」
アズールは尊大に言い放ち、ビリーの額を指でつついた。
「……はい? 私は、解雇もしくは詐欺罪で投獄されるのではないのですか」
ビリーはきょとんとし、首を傾げる。
「一言でも俺がそんなことを言ったか」
「でも、私はアズール様を欺いて……」
「お前が俺を欺いたことで、俺が何か不利益をこうむったか? というか、最初から知っていたのだから欺けてすらいないだろう」
アズールは腕組みをし、形の良い眉を吊り上げた。
「はぁ」
ビリーは曖昧な返事をする。
アズールの言い分はわかるが、どうにも腑に落ちない。
「では、女だと知っていながら、私を近衛騎士兼偽装恋人に望んだのは何故ですか」
「愚問だな」
アズールはふっと鼻で笑った。
「俺を命がけで救ったお前の行動に、性別が関係あるのか。信用に足ると思ったから、そばにいてほしかった」
アズールの言葉は率直で飾りのないものだったが、ビリーの頬を赤くさせるのには充分すぎた。
(この人はなんで軽々しくこういうことを言うかな……!)
いっそすべて計算尽くの言動であってほしい、とビリーは願わずにいられなかった。意図もなくこんなことをされては堪ったものではない。
「とはいえ、何故お前が性別を偽ってまで騎士となったかは正直気になるところだ。差支えなければ理由を聞かせてもらいたい」
アズールはビリーの目を見据えて言った。
(いまさら隠すようなことでもない、か)
ビリーは目蓋を伏せて深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。言葉と感情が揺れてしまわないように、頭の中で予行演習をする。
息を吐ききり、ビリーは静かにアズールの瞳を見返した。
「騎士になることが目的だった、というわけではなく、兄でいるために騎士になりました。帝国騎士となることが、兄の夢だったので」
ビリーはできるだけ平淡な声で、淀まないよう慎重に言葉を紡いだ。
「四年前の火災で亡くなったのは、本当は私の兄のウィリアムでした。ですが母はショックのあまりそのことを受け入れられず、私のことを兄だと思い込んでいます。だから私は、兄としての人生を歩むことを選びました」
「お前はそれでいいのか」
アズールの質問は想定内のものだった。事情を知る叔父やナーディヤ、フィオナから同じことを散々言われ続けている。
「構いません。私などより、兄が生きていた方が母は喜びます。母にとって必要なのは、私ではなく跡取りの兄なのですから」
ビリーは口元に微笑みを貼り付けた。自分なら大丈夫、という意思表示と、自分自身に言い聞かせるために。
「それはお前から見た母の話だろう。我が子の重荷になることを良しとする親はいまい」
アズールの眼差しが鋭くなる。
「兄の死を受け入れられていないのは、お前の方ではないのか」
ひゅっと冷たい針がビリーの心臓の真ん中を通り抜けていった。
ビリーの表情が微笑みのまま凍り付く。
――そんなの言われなくてもわかってる!
「すまない。部外者が憶測で余計なことを言った」
ビリーが感情を暴発させる前に、アズールが頭を下げた。
ビリーの中で急激に熱が冷え、ぴきぴきとヒビが入る音がした。
最低だ。不機嫌さを滲ませ、言外に気を遣うことを強要してしまった。
「いいえ、アズール様の言う通りです。ですが、浅はかな私には、他に方法が思いつきません」
ビリーはアズールの顔を上げさせ、うな垂れた。
「興味本位で立ち入ることではなかった。この話はしまいにしよう」
アズールは、落ち着かせるようにビリーの背中をさする。
「もう一つだけ、聞いてもいいか」
無言のまま数分が経った後、アズールが遠慮がちに尋ねた。
ビリーは返事の代わりに顔を上げる。
「お前の本当の名はなんという」
アズールの問いはビリーにとって意外なものだった。
そんなことを聞いてなんになるのか。ビリーには見当もつかない。
「名前、ですか?」
「ウィリアムは兄の名前だろう。お前の名が知りたい」
「あの、別に、たいした名前ではありませんが……」
ビリーは口ごもった。四年近く人前で名乗っていないというだけなのだが、いざ請われると変に緊張してしまう。
「皇帝自ら『知りたい』と言っているのに、それを拒むのか」
アズールはビリーの顎下を指の腹で押し上げた。湖水色の瞳には意地悪な光がちらついている。
皇帝扱いされることを嫌うくせに、強権を行使しようとするとは二重規範もはなはだしい。
ビリーは喉をさすり、自分でも再確認するように名を唇に乗せた。
「……ウィルマ。ウィルマ・ビリー・グレイ、です」




