2-4 極彩色の庭
歴代の皇帝や帝国のために身命を賭した英霊たちが祀られた廟堂は、いかにも厳かな外観をしていた。白を基調とした左右対称の建物は訪問者に静謐であることを要求してくる。
旧式建築であるため入り口に扉はなく、そのかわり三方を壁で囲んだアーチ状の通路があった。そこを抜けると参拝用の棺と墓石が安置されたホールへとたどり着く。
植物を模した装飾が施された墓石を一瞥すると、アズールは脇にひっそりとある階段をさっさと昇ってしまった。
ビリーは置いていかれないように小走りで着いていく。歩幅が違うためか、アズールは歩くのが速かった。
「誰もいないんですね、中」
ビリーはきょろきょろとあたりを見回す。
立ち入りが禁止されていないとはいえ、神祇官や警備兵くらいは常駐していると思っていた。これでは当時の目撃者など望めないだろう。
「確か六人の執政官が持ち回りで管理していたはずだ。今は誰だったか……。どこかの家の者が定期的に掃除をしているのは間違いない。会ったことはないがな。避けられているだけかもしれんが。ここが賑わうのは皇帝か英雄が死んだときだけだ」
返答しずらい内容にビリーは押し黙る。
アズールがどのようなスタンスで皇帝という地位にいるのかわからない。少なくとも意欲的ではなさそうだ。
いつ終わるのかわからない螺旋状の階段を黙々とのぼっていると、急に視界が開けた。階段の終点で、アズールが扉を開けたようだった。
扉を越え、ビリーの口から思わずほう、とため息が出る。
無彩色で構成された廟堂とは真逆の、生命力に満ちあふれた極彩色の空間だった。
絵具を好き勝手にばらまいたように、さまざまな種類の花が無秩序に咲き誇っている。色鮮やかで主張の激しい花が多く、どこに視線を向けるべきか迷ってしまう。果樹の実った低木などもあり、庭園と呼ぶにはいささか野性味にあふれている。
「昔は、故人を偲んで花の種を植えるという風習があってな。皆が好き好きに種を持ってくるせいでこうなったそうだ」
アズールは中央に設置された噴水に向かってゆったりと歩く。噴水は絶えず薄い水の膜を噴き出している。
「ここにはよく来られるんですか?」
「特別なことがなければ、執務室かここのどちらかにいることがほとんどだ」
「おひとりで?」
「神に歯向かう者はいない、はずだからな」
アズールは立ち止まり、自分の耳をそっと撫でた。
皇帝は「この世に人の形をして顕現した神」――現人神とされている。皇帝直轄領や上四州において、皇帝は本当に神として信仰の対象となっていた。
辺境州に住む者にとっては馴染まない考え方だ。辺境伯のほうが直接の影響力が大きいことと、異国からの移民や武力制圧した土地の民をルーツに持つ者が多いため、「縁遠い統治者」くらいにしか思っていない。
ビリー自身もそうだった。皇帝は仕える主ではあるが、崇めるべき神ではない。
そもそも祈る神など持っていなかった。もしも神が存在するなら、四年前に、父と兄と、母の心を奪わなかったはずだ。
「俺が落とされたのはおそらくこっちだ。ご丁寧に花壇が荒らされていた。落下地点から考えても、現場である可能性が高い」
アズールは再び歩き出した。
噴水を中心として四方向に、赤茶色のタイルで舗装された小道が伸びている。ひときわ色彩豊かな花々が咲いている方向へと足を向けた。
庭園の端まで行くと、落下防止と装飾を兼ねた手すりがあった。手すりは庭園全体を囲むように続いている。
アズールの言う通り、手すり近くの花壇が執拗に掘り返されていた。見ているだけでビリーの心にざわざわとしたものが湧き上がる。
「……心ないことをしますね」
ビリーは花壇のそばにしゃがみ込み、花びらや葉が混じった土をすくい上げた。
人の命を奪おうとする者にとって、植物の命も軽いものなのだろう。ここにも誰かの思いが込められた花が咲いていたというのに。
「ちなみに、ここにはどんな花が植えられていたんですか?」
「他と変わらないな。色々なものが雑多に咲いている」
アズールは頭飾りをいじりながら答えた。何かを思い出すときの癖なのかもしれない。
「それなら庭師のお爺さんにも話を聞いてみましょうか。次はいつ来られるのかわかりますか」
「爺はしばらく来ないな。歳のせいで階段の上り下りがきついらしく、腰を痛めたらしい。治してやろうとしたら『皇帝だろうと野郎に触られたくない』と断られた。面白い爺だ。帝都のどこかしらには住んでいると思うが」
(腰を痛めた庭師のお爺さん……っていう情報だけで見つかるかな。『爺』って呼んでるってことは、たぶんアズール様、名前知らないだろうし)
花壇と庭師については、今は頭の隅に置いておくことにした。考えても埒があかない。
他に何か手掛かりになるようなものが残っていないかと、ビリーは手すりの方へと近付く。
手すりの高さはビリーの腰のあたりまである。ここから意識のない者を落とすとなると、やはり腕力は必要だ。実行犯は男か、二人以上の女だろう。
「しかし、どうしてわざわざこんな所から突き落としたんでしょうね。場当たり的な犯行、あるいは、少し苦しいですが事故に見せかけるため、でしょうか」
「もっと突拍子もない理由かもしれん。俺とビリー・グレイを同時に殺したかった、とか。あとは俺たちを無理にでも引き合わせたかった――なんてな」
「犯人はサイコパスか何かなんですか。もっと別に楽な方法があるでしょう。っていうかそんなことを思いつくアズール様にも素質ありますよ」
アズールはとかく言動が突飛だ。ビリーは呆れるほかない。
身を乗り出して下を覗いてみると落下現場が見えた。ちょうど廟堂の裏手側にあたる。ビリーがいつもサボっている場所の一つもこの近くだ。
(この高さから落ちたら確実にぐちゃぐちゃになるだろうな)
潰れたトマトのような死体が脳裏にぱっと浮かんでしまい、ビリーは軽い吐き気を覚えた。手で口元を押さえた拍子にバランスを崩し、身体が前方へと倒れる。
「何をやっている!」
怒声が聞こえた次の瞬間、ぐっと首元が締まった。今度は後方へと身体がかたむき、力強い腕に抱きとめられた。
眉間に皴を寄せたアズールと目が合う。
「っ、すみません大丈夫ですありがとうございます大丈夫です本当に大丈夫です!」
ビリーは弾かれたように離れ、へこへこと頭を下げる。
同性に抱きとめられた時の男性の反応は何が正解なのだろう。想像してみてもわからない。少なくとも今の自分のように顔を赤らめたりはしないはずだ。
(耐性がなさすぎるな、私は……)
ビリーは両手で頬を押さえた。
アズールと一緒にいると、何故か情緒が安定しない。目を奪われるようなアズールの顔立ちのせいか、皇帝に対する緊張感か。ボロが出る前に慣れなくては。
「ならいいが。気分が悪いなら休んでいろ。俺は水をやらなければならん。爺が来ないからな」
アズールは特に気にした風もなく小道を戻っていった。
「大丈夫です、お手伝いしますよ」
ビリーは慌てて駆け足で追いかける。
花壇が荒らされている他に、これといって怪しげなものもなかった。赤茶色のタイルのせいで足跡もほとんど判別がつかない。当てもなく捜索していても、証拠を見つけるのは難しいだろう。
追いついた時にはすでに、アズールは噴水に手桶を突っ込んで豪快に水を汲んでいた。服が濡れるのも気にしていない。
「全部に水をまくんですか?」
空中庭園は廟堂の一階部分とほぼ同じ広さがある。手桶と杓子で水をまいていては何時間かかるかわからない。
「いや、一区画だけだ。水を与え過ぎると根腐れを起こすからな。今の季節は土の状態を見て、毎日一区画ずつローテーションでやるのがちょうどいい」
アズールは今日水をやるべき区画を杓子で指し示した。執務室で書類と向き合っている時よりも生き生きとしている。
(そういえば兄上が風を使ってやってたなぁ)
何歳の時だったかは正確に覚えていないが、兄が風術で水を躍らせて飛沫を飛ばし、虹を見せてくれたことを思い出す。
ビリーはおぼろげな記憶を頼りに、手のひらの上に渦巻く風を発生させた。風圧で髪がわずかにはためく。
(えーっと、風の渦で水を吸いあげて――)
失敗した。
風の渦を噴水に投げ込んだ途端、水が風を受けて無軌道に飛び散った。術を使って横着しようとした罰を与えるようにビリーの顔に思いっきりかかる。
「遊んでるのか?」
少し離れたところにいたため被害を免れたアズールは呆れたように笑っている。
「その、兄が風を使って水まきをしていたのを思い出して」
「……兄?」
聞き返されてビリーははっと気付いた。全身を流れる血がさっと冷える。




