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捜査一課のアイルトン・セナ  作者: 辺理可付加
さよならロックスター
31/47

5.走れマツミシロー

 ここは『Musica-polis』の舞台袖。コンサートは開かれておらず、スタッフの一人もいない空間にヘルメット女と小男がポツリ。


「よーい」

「……」


高千穂が腕時計を見ながら呟くと、松実はいろいろ()()()()()クラウチングスタートの構えを取る。彼に陸上部の経歴はない。


「よーい」

「……」

「……」

「……まだですか?」

「うるさいな集中しなさいよそんなんじゃ()()って時に出遅れスタート」

「えっ? あ、うおおおお!」


松実はスーツに革靴とかいうスタイルで廊下に駆け出していった。



「た、ただいま戻りました……。何分?」


ややあって戻ってきた松実は、膝に手を突き肩で息をしている。


「何そのザマ。警察官で若い男のくせに体力ないな」

「そ、そんなっ、ふぅっ、イヤミより、タイムは!?」


しかし高千穂は腕時計を見もしない。そのまま肩を竦める。


「測ってないよ」

「はぁ!? ゲホッ! なんで!?」


高千穂はドアから首だけ出して廊下を見る。


「松実ちゃんはここから控え室までのルートをしっかり覚えてないし、走ったこともないでしょ? だからこんなの遅れに遅れて参考記録にもなりません。今のは練習です」

「そ、そんな!」

「今のでルート覚えたね? はいよーい」

「ちょっと!」


松実の抗議を言論弾圧するかのように高千穂は腕時計を構える。


「スタート」

「ああああああ!」



「ヒィー、ヒィー……」


床に手をつく松実。対する高千穂はどこから持ってきたのかパイプ椅子を置き、余裕のうえ退屈そうに腕時計を確認する。


「四分オーバー。彼女が休憩から戻ってくるまで五分かからなかった。行って帰ってはこられたとして、本当に着替えたかどうかは逆光で見えないから嘘を吐いたと仮定しても、さすがに殺人をしている余裕はないね」

「しんどい、しんどい……」


未だに立ち上がれない松実の様子を気遣うこともなく、高千穂は椅子から立ち上がり、つま先で彼の脹脛(ふくらはぎ)(つつ)く。


「はい次、最寄りのトイレ。よーい」

「ちょっ……、まっ……」

「スタート」

「ぬうううううう!」



「コヒューッ、コヒューッ……」

「タイムは二分ちょっと。でもまぁ、控え室にはそこよりもっと近いトイレがあるから、わざわざ舞台の最寄りに来ることはないよね」

「じゃあなんで走らせ、ガッハ!」


今度は完全に床を舐め埃を噛むかのように突っ伏す松実。虫の息で呟く。


「千中さん。そもそもこんなことするって、MUGI.さんを疑っているんですか……?」

「うふふ」

「あの人には無理ですよ。だってライブしてたんですよ?」


松実がうつ伏せのまま顔だけ上げて高千穂を見た。彼女の顔は非常に淡々としている。


「だからできないってことを今確認した」

「僕を使ってね! 底意地悪い! せめて無感情やめて! もっと悪人みたいな顔して!」

「なんだこいつマゾかよ」


松実の要求には答えないどころか、必要ない言葉の刃できっちり一刺ししてから高千穂は思考に戻る。


「やっぱり殺したのは控え室でもトイレでもない」

「それは前から推理してたことじゃないですか! よくも走らせたな! ちなみに鑑識によると、やっぱりトイレに殺人があった形跡はないそうです」


松実はうつ伏せのままモゾモゾとメモ帳を取り出す。それを聞いた高千穂は得心したように大きく頷く。


「ということはやっぱり、彼女は被害者の方をこっち、舞台袖に来させたということになる」

「待ってください! どうしてMUGI.さんを疑っているんですかっ……、カハッ!」

「あ、死んだ」






 ここは都内のスタジオ。昼間の時間帯を()()()()で行うハードな収録も、もう三分の二を終えた辺り。

途中曲を流して休憩する時間があったにしても、ややスタミナが尽き始めたMUGI.は、ラストスパートのスイッチを入れるべく相談のお便りにガッツリ答えている最中である。


『いい、ペンネーム「たしゅけて」さん? イギリスにこんな(ことわざ)があるの。「恋と戦争では手段を選ばない」。分かる? つまり恋イコール戦争なんだよ。じゃあ恋ってどんな戦い? 電撃戦だと思う? そんなわけないよ、持久戦だよ。だって結婚とかしたら百年戦争なんだから。局所局所では様々な戦術があっても、結局は長い忍耐が戦争には必要なんです。だから焦ってはいけない。これぐらいの期間も耐え凌げないようでは結局将来うまくいかない』


MUGI.が一息入れたタイミングでなんとなくサブの方を見ると、


『……』


高千穂がガラスの向こうから手を振っている。


まさか日に、しかも放送中に二度も来るなんて。こいつヤバいな……。もうちょっと徐行して捜査しろよ。体内時計アイルトン・セナかよ。そんなに生き急いでると早く老けるよ?

……あ、アイルトン・セナは三十四才だったか。じゃあ老ける前だからいいのか。


MUGI.が思考を脇道に逸らしていると、それでトークが止まっているいることが気になったのだろう、ちょっと戸惑うような顔をしている牡丹先輩(MUGI.にとっては後輩だが)と目が合った。

彼女は慌ててマイクに向かう。


『というわけで「たしゅけて」さんは辛抱強く頑張ってください。気が(はや)る彼女に一曲お贈りしよう。坂本九(さかもときゅう)で’’明日があるさ’’』


曲が流れ始めたのを確認したMUGI.が放送用マイクを切り連絡用マイクのスイッチを入れると、


「どぉも」


まだ「どうぞ」などとは言っていないのに、高千穂は勝手に話を切り出すつもりのようだ。


『今度は何?』


自分を犯人だとロックオンしているに違いない刑事が、日に二回も押し掛けてくる。

抑えられない緊張と恐怖、それを上塗りするための意思の強さが重なって、MUGI.の返事は自分でもびっくりするほど険のある声になった。

あまりよくない印象を与えてはいけないので、慌てて彼女は咳払いをしてお茶を飲む。


これもわざとらしかったかな?


MUGI.はチラッと高千穂の方を見たが、向こうはどうやら気にしていないようだ。それより自分の話したいことが喉まで()り上がっているらしい。


「うふふ。やっぱり桃田さん、殺されたのは楽屋でもトイレでもありませんでした」

『そうですかぁ。他所で殺された形跡でも出ました?』


努めてあまり気にしていないような声を出すMUGI.だが、内心はドギマギである。舞台袖に痕跡を残さないよう細心の注意を払ったし、それはできた自信もある。だとしてもこれは、どうにも触れてほしくない話題に決まっている。

それを知ってか知らずか、いや、こいつなら知っているんじゃないか、そんな疑心暗鬼に陥るニヤニヤで高千穂は首を左右へ振る。


「いえ? 結局両方で形跡が出なかったので」

『犯人が消しただけかもしれませんよ』

「いえ? 実は犯人の目星がついているんですが、そこから推察するとやっぱり別の場所で殺したと考えるしかないんです」

『!』


犯人の目星!


この一言がどれだけMUGI.の心胆を寒からしめることか。もし放送マイクが切られていなければ、全国に彼女の唾を飲む音が流されていたことだろう。

そんな心の揺れを隠そうと思うと、どうしても声が低くなる。


『そうですか。となると、どこで』

「やはり舞台のすぐ近くでしょうか。もしかすると舞台袖とか」

『舞台袖……』


今までは遠巻きにネチネチと攻めてくるようなスタイルの高千穂だったが、今回のこれはMUGI.にとって決定的とも言える一撃だった。

事実を見透かされていること以上に、


『……犯人の目星って、私のことでしょうか?』

「どういうことですか?」

(とぼ)けないでください。以前はこうおっしゃってましたよね。「透子ちゃんが私と勘違いされて殺されるとしたら、歌っていない休憩時間中で舞台の近く」って』

「はい」

『そのうえで今、舞台袖っておっしゃいました。ライブの休憩中に舞台袖。そこで殺人が出来る人物だなんて、まさにその場で着替えていた私しかいないでしょう? そう言いたいんですよね?』

「いやまさかそんな」


高千穂は大仰に手と首を左右へ振るが、だからこそMUGI.には分かる。これは確実に嘘だ、と。なんたって、つい先ほどの自分自身が、嘘を隠すためリアクションが過剰になっていたのだから。


白々(しらじら)しい。それ以外になんだっていうんです』

「えー、んー、うふふ」


高千穂は肩を竦めて「参ったなぁ」なんて顔をしている。それすらも本当に思っているかは怪しいものだが。

なのでMUGI.はさらに一歩踏み込んで牽制しに掛かる。


『確かにライブをしていた私があの子を殺すとしたら、そこしかないですけど、それは私が犯人という結論ありきの仮説です。そのうえあの子が殺されたのは控え室じゃない『かもしれない』ように、舞台袖にあの子が来ていたことも証拠もない。仮定の上に仮定を重ねた暴論、()()()()です』

「おっしゃるとおりです」


相手が一々大仰なら……。


MUGI.も腕を大きく回してストップウォッチを顔の前へ持ってくる。


『曲も終わります。私はまだまだ放送があるのでお帰りください』

「うふふ、また来ます」

『……』


高千穂はニヤニヤを崩さないまま立ち去っていった。

ヘルメット女もいなくなったことだし放送に集中したいMUGI.だったが、前回より喉元へ()()()()()()()感覚がそれを許さない。それに、自分自身が「私が犯人だと疑っているんじゃないか」と言い出したせいもあってスタッフたちが不安を溜め込んだ瞳で見てくる。

正直ラジオどころではない。MUGI.は曲が終わると同時に、サブへ目配せしてから予定を変えた。


『えっと、せっかくだから「たしゅけて」さんにもう一曲プレゼントしようかな? 福山雅治で’’幸福論’’』


本来は別の場面で使う予定だったが、トークできないんだから仕方ない。曲が始まったのを確認して、MUGI.はサブに伝える。


『ちょっと外します。曲が終わるまでには戻るから』


こんな狭いブースにいられない。息が詰まって仕方ないのだ。

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