5.殺しの手順
ここは警視庁の食堂。高千穂と松実は向かい合って昼食を摂っている。
「えぇ!? 梶谷さんが犯人だっておっしゃるんですか!?」
「うん。それは間違いないと思うんだけど、決定的な証拠がね」
高千穂はレバニラ定食を、松実はカツ丼を食べている。
「頭を強打して血が出てるような状態で撲殺したってことですか!?」
「……普通に考えて撲殺してから偽装のために自身の頭を打ったんじゃないの」
「あ、そっちかぁ」
あまりに相談相手として役に立たない松実に、高千穂はガックリうなだれる。
「それを証明できれば犯人は彼女だと言うのに十分な証拠になる。外から入ってきた犯人が客席の人をスルーして厨房に押し入るわけはないし、何より彼女の証言が事実の順番と食い違って嘘だとはっきりするからね」
「防犯カメラとかに映ってたら順番分かるんですけどね」
「順番どころか犯人が映ってるよ」
このトンチキ、と高千穂が口の中で呟いていると、
「バランスよく食べてるかぁ」
「もちろんです!」
声だけで松実を条件反射させる存在、咲良がお盆を手に通り掛かった。
「あぁ!? オメェカツ丼単品じゃねぇか! これのどこがバランスいいんだ言ってみろおおん!?」
「ひいいいぃぃ!!」
「サラダの小鉢取ってこい!」
「はいただいまぁ!!」
松実がすっ飛んでいくと、声を掛けたついで、という感じで咲良も同じテーブルに着いた。あんなこと言っといて彼女のメニューはタヌキ蕎麦である。
「進んでる?」
「あと一歩、されど一歩、かなぁ」
「苦労してるねぇ」
咲良は白衣の底が深いポケットから、細長いタッパーを取り出した。
「おや。それ、野菜スティック?」
「うん。定食のサラダは量が少ないんだよね」
「その定食ネギしか載ってないもんね」
「あ、それ美味しそうですね」
松実がサラダの小鉢を三つ持って戻ってくると、咲良は人参を一本彼に差し出す。
「お前も食え。野菜を食え」
「よく噛んで食べます!」
短気で恐ろしいのか気遣いができるのか、上下が激しい人物である。
「千中さんもどうぞ。味噌とマヨネーズあるよ」
「ありがと」
高千穂は野菜スティックをタバコみたいに咥えながら、天井を仰ぎ見る。
「んー、梶谷さんが巴さんを殺害した証拠、言い換えれば梶谷さんが自分より先に巴さんを殴った証拠かぁ……」
「あ! こらテメェ! やめろや!!」
「ヒィ!?」
急に咲良の怒号が響いたので、高千穂は視線をそちらに戻す。
「もう、喧嘩しないの。どうしたの二人とも」
「こいつ味噌をディップした野菜をそのままマヨネーズに突っ込んだぞ!?」
「別にいいじゃないですかそれくらい!」
「混ざるじゃねぇか! 味噌とマヨネーズが! 味噌マヨネーズ!」
「細かい!」
「あ、そうか」
「はい?」
急に高千穂が気の抜けたような声を出したので二人がそちらを見ると、彼女は淑女が驚いた時にするかのように、口元を両手で覆っている。が、指の隙間から見える口元はいつもの余裕ぶったニヤ付きを備えている。
「うふふ、お手柄だよ二人とも」
「え?」
「は?」
高千穂は口元から手を離した。
「鹿賀先生。大至急調べて欲しいことがあるんだけど」
「はいな」
「千中さん、何か分かったんですか?」
松実の問い掛けに高千穂は胸を張る。
「もちろんだとも。なんたって私は……
焼肉はタン塩とカルビどっちスタートかって言われたら、ホルモンを先に焼いておく人間だからね」
「まったく意味が分かりません」
「だね」
お昼どきの病室。弥子の目の前にはほどほどに突かれた病院食が構えている。そこに看護師さんが現れた。
「あまり食べれてませんね」
「うーん」
「頭痛で食欲が湧かない、気持ち悪い、とかありますか?」
「いやいや、そんなんじゃないです」
口に合わない、とはなかなか言えない。決して調理師の腕が悪いのではないだろうが、健康を気遣った病院食はどこか味付けが物足りない。あらためていろはが作る、健康より酒が進むことを重視した料理は美味かったのだと思い返す弥子であった。
「下げましょうか?」
「いやいや、食べるよ、食べる」
美味しくなくても食べなければお腹が空いてしまう。安静を言い渡されている弥子はホイホイ売店にお菓子を買いに行くこともできないので、ここで腹を満たしておかなければならないのだ。
「じゃあ後でまた見に来ますね」
看護師さんは巡回に行ってしまった。美味しくもない病院食を一人、もそもそ食べる弥子。
「あーあ、こんな時家族がいてくれたらなぁ……」
夫や子供がいれば話し相手になってくれたりお菓子をたくさん用意してくれるのに。そもそもお見舞い自体、担当編集さんが忙しい合間に一度来たきり。
あぁ、茨城の父さん母さん早く来ないかなぁ。家族じゃなくても、誰か来ないかなぁ。
……私、いろはちゃんがいないと、友達すらいなかったんだなぁ。学生時代の「ちゃん」付けが、四十になって痛い響きになっても取れないほど深い付き合いの親友を、私は自ら失ってしまったんだなぁ。
そんな弥子の孤独を解き放つように、
「どぉもぉ」
「……お前だけは呼んでない」
「はいぃ?」
病室に現れた高千穂は、さすがに言われている意味が分からなかったようだ。しかしそれでもキョトンとするどころかニヤニヤ笑っているのは大したものか、真顔がそれなのか。
「親友を亡くして不安定になってる人を犯人呼ばわりで怒らせといて、よくもまぁ、のこのこと顔を出せたもんだね。それで、なんの用?」
高千穂はチラリと椅子を見たが、結局腰掛けずに弥子の方へ向き直った。そして人差し指で彼女の額の傷の辺りを指差す。
しかし高千穂はいつものようなニヤニヤ顔ながら、その指が傷の具合に対するご機嫌伺いでないことが弥子には分かる。
「それはですね、うふふ。梶谷さん、あなたを逮捕します」
弥子は一周回って叫んだりする気は起こさなかった。
「まだ私が犯人だって言うつもりなの?」
その感情を抑えた分だけ冷えた目線を、代わりに高千穂へ投げ付ける。
しかし、それでびくともしないのがこの女なのだ。
「はい。今度は証拠も持ってきました」
「どうだか」
高千穂は弥子を指していた指を立てると、ゆっくり歩きながら語り始める。
「梶谷さん、あなたがなさった犯行はこうです。まず単純に被害者の元へ赴き、被害者が厨房に入ったタイミングで後ろから撲殺。次にそれを押し入った何者かの犯行に見せかけるため、そして不審者に気づかず後頭部を殴られたのは料理に集中していたからと見せかけるために味噌汁を作り、被害者がその味見をしていたと偽装します。仕上げにあなたは容疑者から外れるために自分自身の頭を打った。以上です。本来ならいい頃合いで自ら通報するつもりだったのかもしれませんが、あなたは失神してしまい、思いがけず朝からいらした農家さんに通報される運びとなりました」
弥子は思わず唾を飲んだが、それすらも動揺を見透かされるきっかけになりそうで、少し後悔した。
「……普通人が失神するほど強く自分の頭を打てるものかな?」
「可能か不可能かで言えば、意志の強さによるでしょうか?」
「話にならない物言いだね」
「そこが人の意識として可能かどうかは置いておきましょう。あなたが犯人である確固たる証拠が出れば同じですから」
つまり、それがあるということか。弥子自身真実自体は知っているだけに、出せる態度は虚勢でしかない。
「それで? 問題はその証拠だよね?」
「はい。今回の事件、あなたの『自分が殴られてから被害者が殺害された』という証言が嘘である、つまりは『あなたが先に被害者を殺害してから頭を打った』ことが証明できれば解決です。発見された時あなたは気絶していたわけですから、それだけ自身を強打した後で被害者を撲殺することは不可能なので」
「それはそうだね。さっきからその証拠はあるんだろうねって言ってるんだ」
「ございます」
高千穂の返事には自信たっぷりの間がある。弥子にはもう先を促す余裕もなかった。
「……」
「うふふ。こちら、なんだか分かりますか?」
高千穂は不意に、懐からチャック付きビニール袋を取り出した。もちろんビニール袋自体について聞かれているのではない。その中に入っているのは
「それは……、いろはちゃんの三角巾?」
弥子も見慣れた青いチェック柄の布が入っている。
「おっしゃる通りです。こちら、被害者が殺害された時に頭に巻いていた三角巾です。ほら、ここに被害者の血液が」
高千穂が赤黒くシミになった部分を指差す。
「それがなんだって言うの。そこから私の指紋か何かでも検出されたって言うの!?」
ジワジワ追い詰められているのにまた回り道のような話題、弥子は耐えられなくなって大声を出した。傷に響く。
しかし高千穂の方は余裕そうに首を左右へ振る。
「いいえ、その逆。被害者の血液以外何も検出されませんでした」
「それが一体……!」
「お分かりにならない?」
高千穂はまた弥子の額を指差す。
「凶器の金属バットには被害者とあなたの血液が付着していました。それもほぼ同じ箇所に。しかし? この三角巾にはあなたの血液が付いていない。よろしいですか? もしあなたの証言通り犯人が先にあなたを殴ったのであれば、金属バットには先にあなたの血液が付着し、その後殴られた被害者の三角巾にもそれが付くはずなんです! なのに実際は付いていない! これがあなたの証言とは違う順番で犯行が行われた何よりの証拠なんです! さて梶谷さん、あなたが事実と異なる証言をした理由はなんですか!?」
「……っ!」
初めてかもしれない高千穂の力強い目に、弥子は思わず拳を握り
「……ちくしょう」
ゆっくりと開いた。
「それは自白と考えてよろしいですか?」
「しょうがないね」
「はぁい、どぉもぉ」
高千穂はようやく椅子に腰を落ち着けた。
「梶谷さんあなた、実際の犯行か証言、どちらかの順番を遵守すべきでした」
弥子は天井を仰ぎ見て、全身の空気を抜くようにため息をついた。
「ふー、そうだね。そう言えばさ」
「なんでしょう」
「どうしてあの味噌汁、私が作ったって分かったの?」
弥子の疑問で高千穂はいつものニヤ付きに戻った。
「それは、うふふ。最初に現場を訪れた時味噌汁が作ってあったにも関わらず、古いタイプの手動で開けるガスの元栓が閉まっていました。現場には他にもたくさんの調理器具や食材がありましたから、おそらくまだ仕込みの最中、ガスの元栓を閉めるタイミングではありません。つまり最初から元栓は開いていなかった、味噌汁を作っていたはずなのに火を起こしていない証拠です」
「なるほど」
「なのであの味噌汁は被害者が料理として作ったものではなく、他の誰か、おそらく犯人がなんらかの目的で火も起こさず急拵えしたものだと分かったんです。そして最初にお会いした時にあなた、被害者が作っていない、まだ存在しないはずの味噌汁を『味見しに行った』とおっしゃいました。それであなたが味噌汁を作った人物、犯人だと分かったんです」
「元栓は気がつかなかったなぁ」
弥子が自重気味に笑うと、高千穂も少し同情するように笑った。
「あなたみたいな料理ができない人はまぁ、見落としがちでしょう」
弥子は驚いて目を見開いた。
「どうして私が料理できないって?」
高千穂はニヤニヤと違い、初めてニッコリと笑った。
「あなたが作った味噌汁いただいたんですが、煮干しがそのまま入っていました。『煮干しが決め手』っていうのは出汁を採るという話です。出汁採ったら煮干は取り出してください」
弥子は笑いそうになって視線を落とした。するとちょうどそこに、味が薄く美味しくない、そのうえ冷めてしまった病院食の味噌汁がある。
「……次はちゃんとした味噌汁飲ませてあげるよ」
「うふふ。楽しみにしています」
──殺しの手順 完──
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