林田甚右衛門
左門の家に一人の男が訪ねて来た。左門はその人を知っていた。名前は知らないけれど、何度か会ったことがある人だった。男は武士であった。その武士の名は林田甚右衛門と言った。かつて織田信長に仕えたことのある武将であり、信長の死後、秀吉に仕え、関ヶ原の戦いでは西軍に属して敗れた人でもあった。その後は浪人となり、各地を放浪していた人である。
「おう、ここに居たか。探したぞ」
「何でしょうか?」
「ああ、申し遅れた。わしは林田甚右衛門と言う者なのだ」
「ほう。そうでしたか。私は林田左門と申す者でございます」
「うん。知っているよ」
「私のことを知っておいでなのですか?」
「そりゃあ、知ってるさ。だって、わしは何度も会っているじゃないか」
「はい?」
「ほら、覚えていないかなぁ……。以前、お前さんの家の前を通りかかったことがあったろう。あの時、わしも一緒に歩いていて、お前さんと一緒に店に入っていったことがあるではないか」
「あっ! 思い出しました。確かにそういうことがありましたね」
「あったろ。だから、わしのことをよく知っているはずであろう」
「はい。存じておりますとも」
「実はな……」
甚右衛門は、自分のことを左門に話し始めた。自分はかつて織田信長に仕えていたことがあること。今は浪人の身であること。諸国を旅する途中でここに立ち寄ったことなどを話した。
「そうだったんですか」
「そうなんだ」
「それで、私に何か御用でもありますか?」
「うむ。実はな……」
「はい」
「わしはな……」
「はい」
「お前さんに頼みごとがあるのだ」
「はあ。どのような内容でしょう」
「それはな……」
「はあ」
「この家にある物を譲って欲しいのだよ」
「えっ? どういうことでしょう?」
「つまりだね、わしは今、金を持っていないんだよ。だから、金を貸して欲しいというわけなんだ」
「お金ですか?」
「そうだよ」
「しかし、ここには大したものは何もありませんけど」
「そんなことはないだろう。何でもいいからあるはずだ。ただ、出す場所が違うだけなんだ」
「出すところが違うだけですと?」
「そうだよ」
「ふーん。すると、どうすればよろしいのですかね?」
「簡単だよ。金を出せばいいだけだ」
「はい?」
「だから、金を出せと言っているのだ」
「まあ、ないこともないですけど……」
「じゃあ、それをくれ」
「はい。分かりました」
左門は言われるままに金を出した。甚右衛門はそれを受け取って懐に入れた。そして、「ありがとう」と言って帰って行った。




