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不味いと思ったカンタは頭をふって暗黒の儀式に逃げこむのを踏みとどまった。何はともあれ事態を整理してみようと意識を集中させた。だがそんなことをしなくても、先ほど目撃した光景は一目瞭然で、言い訳の余地を残さないものであった。カンタの頬には汗が伝い、雫となって床を汚した。暖房が利きすぎているのだ、と無意識にエアコンのリモコンを探していたが、そもそも廊下にエアコンはついていない。どうやら自分はおかしくなっているらしい。ホメオスタシスがまともに機能していないのだ。これは明らかに不味い兆候だった。打開策は、とその場にドカッと胡坐をかき、トンチ坊主よろしく、両のこめかみに人差し指をあてて考えてみたが、何も浮かばなかった。寝室は相変わらず静かなものである。カンタは眠り姫となった妻に一抹どころか束となった憎悪を感じたが、それもすぐにどこかへ消えた。やっぱり、カンタは彼女を愛しているのだ。だからこそ認めたくなかった。何かの間違いであってほしかった。その時、カンタに逃げの一手が思い浮かんだ。何も見なかったことにして、この場を去ればいいのではないか。適当なビジネスホテルで一夜を明かし、明日、何も知らない顔をして家へ戻ってくればいい。なんだ、簡単な話じゃないかとカンタは小さく乾いた笑いをあげた。だがすぐに新たな問題にぶち当たる。愛する妻のこんな痴態を知った今となっては、はたしてこの先夫婦生活を耐えられるのだろうかと。考えるまでもない、無理である。そこまで独占欲は強くはないと自称しているカンタではあるが、愛する妻の体を誰か他の男が触れていると考えるだけで心はズキンと痛んだ。そして、今、この扉の向こうでは、痛むだけじゃ足らないことが繰り広げられているのだ。カンタは大きく咳ばらいをした。これで気づいて、扉の向こうが慌ただしくなればザマア見ろといったところだが、相変わらず静かときている。ヘッヘッヘとカンタは奇妙な笑いをうかべ、こうなったからには、荒療治しかないと考えた。これからも彼女とやっていくために、すべてを見て、すべてを受け入れるしかない。今のカンタにはそれ以外の選択肢はないように思えた。余計な物など無いよね、と昔流行った歌を口ずさみ、再度寝室への突撃を決めた。それでも間違いであってくれと願ってみたが、ライトに照らされた妻の隣にはやっぱり余計なものがいた。余計なものがもそっと動くと、それは具体化され、余計な顔となった。カンタは抜き足差し足忍び足でベッドへ近寄り、なるほどね、とその男の顔をマジマジと眺めた。