<<05 シュゼリーの家>>
シュゼリーの言う通りで、彼女の家は徒歩十分のところに建立していた。
それはもう、立派としか言いようがない大きな家だった。
シュゼリーは大家の令嬢なのかもしれないと脳内の俺がやかましい。
どう考えても場違いでしかない俺は必死にここから逃げようと企んだが、どうやら彼女に見透かされているようだ。
「こら、逃げちゃダメでしょ?早く消毒しないといけないんだからさ」
「いや、だけど・・・」
「もう、そんなに謙遜しなくても大丈夫だよ?ママもパパもみんな優しいから!」
シュゼリーは簡単に言うが、現実はそう簡単なものではない。
憶測でしかないが、彼女は令嬢で俺は貧民。
いくら優しいご両親だからと言って、貧民がこの綺麗な家の中に足を踏み入れたらどう思われるか。
非難され、追い出される未来しか俺の頭には思い浮かばなかった。
そんな俺の気も知らないシュゼリーは、強引に俺を家の中へと招き入れた。
「ただいまー」
「お、おじゃまします・・・」
「あら、お帰りなさい」
子は親に似るというのは、本当の事なのだろうと俺はこの時確信を得た。
シュゼリーの帰りにすぐさま反応を見せたのは、間違いなく母と断言できる女性だった。
シュゼリーと同等の輝く金髪に、涼しさを求めたお洒落な格好をしている。
どう見ても女神にしか見えなかった。
見惚れている俺の視界の先を遮るようにシュゼリーは手を振った。
「もしもーし?大丈夫?意識ある?」
「――あ、ああ。問題ないよ」
「シュゼリー?この子はお友達?」
「友達じゃないけど、私が困っていたところを助けてくれたの」
女性は俺の全身を隈なく調べるように、目先を滑らせる。
言うまでもなく、俺の身なりが原因だろう。
いかにも日陰民を代表とするボロボロの服装。
俺はその美しい女性の容姿から、決して誹謗中傷の言葉を耳にしたくなかったが、しょうがない話だ。
そして俺はビクビクさせながら身を小さくしていると、女性の手が俺の肩に触れた。
「あらあら、シュゼリーを助けてくれてありがとうね?この子無茶ばっかする子だから助けるの大変だったでしょう?お詫びにクッキー焼くから食べて行って!」
「あ、あの・・・!」
クッキーを作るために、その場から離れようとする女性を俺は呼び止めた。
呼び止める理由など一つしなかった。
緊張のあまり、手汗がびっしょりだったが意を決して言葉にした。
「――なんで、なんでそんなに優しいんですか?俺、見ての通り貧乏人ですよ?こんな立派な家にいて嫌な気分にならないんですか・・・?」
「ちょっとヘルゼア?急に何言って・・・」
「シュゼリー」
シュゼリーが最後まで言う前に、割り込み女性。
女性は震える俺に天使のような笑顔で告げた。
「いい?娘を助けてくれた恩人に、貧乏とか金持ちとか関係ないの。大事な娘を助けてくれたあなたはそれ以上の価値があると私は思うな?だってシュゼリーは私の大事な娘ですもの。あなたには感謝しても仕切れないわ」
「ちょっとママ、恥ずかしいこと言わないでよ!早くクッキーを作ってきて!」
「あらあら、ママは正直に言っただけなんだけどな?」
「いいから早く!」
すると女性は俺に一言『ごゆっくり~』とだけ残し、俺の前から姿を消した。
横を見るシュゼリーの顔は真っ赤に紅潮していた。
まるで、秋を象徴するあの植物のように。
「もう!恥ずかしいこと言わないでよー」
「でも、優しいね?シュゼリーのお母さん」
「でしょー!自慢のママなんだ!」
はにかんで笑うシュゼリーも天使のように見えるが、シュゼリー・ママはそれ以上に美しかった。
シュゼリーを天使だとするなら、シュゼリー・ママは大天使のようだった。
シュゼリー・ママの容姿を思い出していると、シュゼリーは俺が考えていることを悟ったようで、
「ママはパパと結婚してるから無理だよ?」
「いや、そんなことわかってるけど・・・」
「――まあ、私ならフリーだけど・・・」
「え、今何て言った?」
「なんでもないよ!それより、ヘルゼアの消毒を済ませちゃおう?」
「あ、うん・・・」
そして俺はある一室へと招かれたのだが、どうにも納得がいかなかった。
普通、消毒するならリビングとか玄関先で済ませるものだろうが、そこはリビングでもなければ玄関でもない。
招かれたのは――――
「ようこそ、私の基地へ!」
「あの、消毒するだけだよね?なんでわざわざシュゼリーの部屋に?」
「もう、細かいことを気にしてると女の子に嫌われるぞ?」
――――と、まともに話し合ってくれない。
今日初めて会ったばかりの男を、普通部屋に招き入れたりするか?
いくら何でも警戒心がなさすぎる。
「ねえ、本当に消毒だけだよね?」
「そうだってば、確か消毒液はこの辺に・・・」
木造でできた、高そうなタンスから消毒液を探すシュゼリー。
俺はと言うと、足を踏み入れていいのかわからずに入り口で立ち尽くしている。
そんな俺を気遣ってかシュゼリーは、
「立ってないで、適当に座りなよ?」
「あ、うん・・・」
とはいっても、俺は一体どこに座ればいいんだ?
よその家に上がり込んだこともない俺の初めての経験が、金持ちの一室だとは。
あまりにもレベルが高すぎる。
迷いに迷った俺は、とりあえず入り口付近に座り込んだ。
何かあれば彼女の方からアクションがあると思ったから。
だが、その甘い考えが後に自分を追い込むとは思いもしなかった。
「あ、あったあった!」
ようやく消毒液を見つけたシュゼリーはさっそく俺につけようと振り向いたところ、俺との距離感につっこまずにはいられなかったようだ。
「なんでそこに座ってるの?入り口付近が好きなの?」
「えっと、どこに座っていいかわからなくて、迷いに迷った行き先がここだったというか・・・」
「そんなに気にしなくていいのに」
鼻を鳴らして笑う彼女に、少しばかりドキッとしてしまう。
シュゼリーの部屋にいるせいでドキッとしてしまったのだろうか。
それとも、笑いながらこちらに近づいてくるせいだろうか。
俺にはこの気持ちがわからなかった。
わからないがまま、俺は動くことができずに壁に追い込まれてしまい、シュゼリーは俺のすぐそばで上品に座り込んだ。
「――あ、あの・・・」
「ん?どうしたの?早く消毒?」
「いや、そうじゃなくて・・・」
「ん?」
下を向く俺の視界に彼女は入ってきた。
「どうしたの?大丈夫?早く消毒しちゃうね?」
「あ、ちょっと・・・」
シュゼリーは俺の頬を両手で掴んで無理やり上を向かせた。
その距離感に心臓の鼓動が鳴りやまない。
そう、俺がシュゼリーに言いたかったのは、二人の距離感だ。
明らかに今日知り合ったとは思えないほどの距離感。
俺は必死に距離を取ろうとしたが、壁が俺の行く末を阻んでいる。
そして、抵抗虚しくシュゼリーの消毒を俺は受けることに――――恐れていた事件が起こってしまった。
「ちょ!シュゼリーさん!?何して!?」
「え、消毒だけど・・・」
「なんでそのまま消毒液をかけてくるんだ!?普通布とかにしみ込ませて使うだろ!」
「え?そうなの?」
「そうだよ!――――っうー!しみる!かなりしみる!」
傷口は浅いとはいえ、血が流れ出るほどの怪我だ。
消毒液をそのまま掛けられたら、身が千切れるほどの痛みが襲ってくるのは当然だった。
恐らく、シュゼリーは本来の消毒の仕方を知らない。
でなければ、こんな悲惨なことにはならなかったのだから。
痛みに耐えるように転がり回る俺を目にしたシュゼリーは、
「ごめん!大丈夫!?――布!布はどこー!?」
少しでも消毒液を拭き取ろうと、シュゼリーは布を探した。
しかし急いでいるほど、求めているものは見つからないもので――――
「しょうがない!こうなったら!」
「え、ちょ!?」
なんとシュゼリーがいきなり抱きしめてきたのだ。
消毒液を拭おうとしたのだろうが、これはなんでもやりすぎだった。
彼女の服にはシミが残りそうな程に、俺の血が深く付着する。
「シュゼリー、もう大丈夫だから!大丈夫だから離してくれるかな!?」
「あー、よかったー」
シュゼリーの抱きしめ地獄から解放されると、改めて彼女の服を汚してしまったことに申し訳なさを感じる。
「ごめん、その服・・・」
「あ、大丈夫だよ、気にしなくて。この程度の汚れならすぐに落ちるから」
「――へ?どういう・・・」
「まあ、見ててみ?」
そういう彼女の手から不思議な液体が飛び出し、その液体は血塗られた服へと一直線に飛んでいった。
すると、服についた俺の血が一瞬にして消えたのだ。
驚きを隠せずにはいられなかった。
「え、今何を・・・?」
「浄化魔法を使ったんだよ?」
「浄化魔法?」
「そう、汚れたものを浄化する、魔法なんだよ?」
「へえ、凄い便利だね?」
「そうなんだよ!浄化魔法は家事にも便利だし、とっても役立つんだよ!」
「うん、なんか使い方が違うような気がするけど、役立つのは分かったよ」
――――魔法か。
少年少女が一度は夢見る魔法。
そんな魔法を間近で見せられては、俺の年頃の少年――――使いたくもなってしまう。
「一ついいかな?」
「ん?何?」
「魔法を使えるようにするにはどうしたらいいの?」
「ヘルゼアは魔法を使えるようになりたいの?」
「まあ、一応?」
「そっかー、そしたら私のパパが何とかしてくれるかも!今は出かけてて家にいないけど、パパは一流の竜人だから教えるのが上手なんだよ?パパに相談してみるね?」
「え、いいの?そこまでしてもらって・・・」
正直迷惑ではないだろうかと考えた。
こんな貧民に時間を取らせてしまうのだから。
だが、シュゼリー自身はそこまで迷惑そうではなかった。
寧ろ、どこか嬉しそうな――――
「気にしないの。これも助けてくれたお礼だから」
「そっか、ありがとう」
「どういたしまして!それより、私お風呂入ってきていい?汚れちゃってるから」
その美しさのせいで気が付かなかったが、シュゼリーは砂埃で体全体が汚れていた。
当然、彼女がお風呂に行っていいかどうかの権利は俺にはない。
シュゼリーがお風呂に入るのならちょうどいい。
「それじゃあ、俺はこれで失礼するよ。ありがとね?」
「え、ママがクッキー作ってるのに?ヘルゼアのために?クッキーを?作ってるのに?」
胸が痛い。
シュゼリーは、わざと俺の良心を痛めるような言い方をしていた。
確かに、シュゼリー・ママがわざわざ手作りクッキーを作ってくれているのに帰るのは礼儀知らずだ。
「わかった、シュゼリーがお風呂から出てくるまでは外で待ってるから、終わったら呼びに来てくれない?」
「え、なんでそんな手間を。ここにいればいいじゃない」
「え、シュゼリー?本気で言ってる?」
「本気も本気。チョー本気。それとも、ここにいるの嫌なの?」
「嫌じゃないけど・・・」
そんな捨てられた子犬のような顔をされては、言いたいことも言えなくなってしまう。
「それじゃあ、ここで待っててね!すぐ戻ってくるから!」
そう言い残し、シュゼリーは部屋を出て行った。
シュゼリーの部屋に一人取り残された俺は姿勢を正して、彼女の帰りを待つことに。
すると数分後に、扉がノックされると同時にシュゼリーの部屋の扉が開けられ、現れたのは――――
「あら?シュゼリーは?」
「あ、お風呂に行くって言ってました」
「あら、そう。ならちょうどいいな。ちょっとついてきてくれる?」
「あ、はい。一体どこへ?」
「ふふ、それは後からのお楽しみ~」
それ以上の事は告げられずに、俺はシュゼリー・ママの後について行った。
最後まで読んでいただきありがとございます!
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