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maヰking-メヰキング-  作者: 井口 由良
青い春と書いてセイシュンと呼ぶ
2/2

 束の間のゴールデンウィークだった。今日から7月1日の工藝祭までは気が抜けない日が続く。

 連休だったとはいえ、ほとんどのクラスメイトとは顔を合わせていたせいか、久しぶりという感覚はない。

 伽螺舍は眠気で重たい目が(すぼ)んでいくのを、無理矢理こじ開けながら、自分の教室を目指した。

 生徒らの教室は全学年2階。

 こんな山奥の学校だからか、1年生28人、2年生32人、3年生30人の全校生徒の人数は合わせて90人。各学年教室は1組ずつあれば十分だ。


 県外からも通っている生徒や海外からの留学生もちらほら見受けられる。そういう生徒の為にも寮や民宿などを完備している。待遇は良い方なのだ。

 だが、実業高校という、工業や農業などの産業を専門的に学ぶ場所で、10代の青春を送るような時代には適していないようにも思える。実際立地条件もあまりよくはない。周りを見渡す限り緑が広がっている。八女市の特産物の茶畑と山々の緑。

 伽螺舍はそれが好きだった。加えて、超弩級(ちょうどきゅう)の機械オタク。恐らく他の生徒も、そういう類の人間が多い。実家が星野の周辺だったり農家だったり。先日会った先輩の雪平もそうだった。工場を継ぐか定かではないにしろ、家業と実家の場所という条件は満たしている。


 こんなに良い場所なのにとは思うけれど、一般的な思春期の学生たちははそうじゃないのかと。

 伽螺舍の実家はここより栄えてはいるが、抵抗はなかった。寧ろ星実業高等学校(ここ)に行くことは前々から決めていたことだ。

 1番の決め手は、実習棟の工場。ありとあらゆる工具や専用機器が取り揃えられており、中にはニッチなものまで。機械オタクな彼女とって、そこはまるで神聖な教会のように感じた。それらはパンフレットのみの情報だ。確実に進学しようと決意した決め手が、中学3年の体験入学。

工業科の1日体験で、とある在校生の青年の姿に見入ってしまった。無駄のない洗練された1つ1つの動き。効率の良さと正確性を重視しながら製品の品質を保つ。まさにそれこそ、ものづくりする人間の完成された姿。真っ直ぐ真剣な眼差しに憧れを抱いた。自分も、ああなりたい、と。


実業校というだけで、全てが専門の授業というわけではない。あくまで高等学校という名目上、一般教科ももちろん学ばなければならない。そして今日は朝イチで体育の授業がある。これは苦行だ。


始業のチャイムが校舎に響き渡る。伽羅舍は少し急ぎ足で教室に入り、軽くクラスメイトに挨拶をしながら自分の席に着いた。教室に入るのも予鈴と同じになることが常でルーティンだ。朝が弱いから仕方がない。

 ホームルームで担任が目で喋っているが、聞き流しす。これからのことが憂鬱で仕方がないからだ。体育の授業が上級生との合同授業であり、今回は3年生との合同だった。人数が少ないのだから、効率よく授業を行うためには仕方のないことだろう。

 入学して1か月。伽螺舍はクラスメイトの女子とはなんとなく打ち解けていた。だが実業高校というものは女子生徒が極めて少ない。ほぼ男子校に近い。実際、伽螺舍のクラスも女子は自身を含めて8人だ。2、3年もだいたいそのくらいだった。


 コミュニケーション能力が皆無な伽螺舍は、女子と喋るのが精一杯だった。8人中2人は同じ中学でもあったためなんとかなったのだ。

それなのに合同授業などハードルが高すぎるのではないだろうか。緊張するとかそんなものではなく、あの独特な年上の雰囲気が苦手だった。雪平のような穏やかな人が多ければ良いけど、なんて考えていた。そんな都合のいいことなんてないだろうけれど。


 朝のホームルームを終えて男女とも更衣室へと向かった。更衣室はそれぞれの学年毎の男女で分けられている。教室を改装して、ゆったり使える大きめのロッカーや、換気扇などがついている。なかなかの機能性を持った更衣室だ。また最近改修工事があったらしく、床も蛍光灯の明かりに照らされて、ピカピカと綺麗に保たれている。

 こういうことができるのも、有り余った校舎の有効活用というものだ。敷地面積は広いけれども生徒数はそれに余る。

 本館以外にも各学科の実習棟が点々と建っている。

 黙々と皆が着替え始める。女子だけだからか、誰ひとりとして恥じらいを持つ様子はない。伽羅舍は誰よりも早々と着替えを終え端っこの椅子に腰掛ける。


「伽羅舍と骨牌(かるた)は、いつにも増して眠そうですわね」


 上品な令嬢のような口調で話すのは、中学からの友人、睡蓮(すいれん)だ。そして彼女は本物の令嬢だ。茶道の家元だとか。だが、伽羅舍が予想するに、おそらく友人たちの中で1番に口が悪い。性格にも少し難がある。

 骨牌と呼ばれた少女も中学からの友人だ。彼女は耳が聞こえない。片耳は辛うじて微量な音を拾えはするのだが、酷使し過ぎると、両方とも完全な聾状態になってしまうため、聞こえる右耳にも耳栓を、左には補聴器をつけている。だがコミュニケーションにはそこまで困っている様子はない。骨牌は生まれつきの難聴者だったので、よく口の形を見て会話をしていた。彼女の聞き取りは非常に正確だった。

 その睡蓮の発言を読み取った骨牌がすかさず反論した。


「省エネ」

「それが、的確」


 伽羅舍も骨牌の意見に賛同した。


「いや、省エネやなくて無気力と違う?」

「言えてはるなぁ」


 関西弁で訂正するのは双子の(しき)(むぎ)姉妹。一卵性の双子らしく全く顔面は同じだが、決定的に見分ける方法が2つある。1つ目は肌の色。式の方は透き通った白い肌だが、麦の方は健康的な褐色だ。名が体を表すというのはこういうことなのだろうと、伽羅舍は麦の名前を聞いたときに納得した。まさに小麦色の肌。

 双子の訂正に伽羅舍と骨牌以外の全員がうんうん、と首を縦に振った。


 与一と光世は着替え終えると、準備当番だから、と言って先に更衣室を出て行った。まだ時間には余裕がある伽羅舍たちはしばらくそこで駄弁っていた。


「そう言えば、シアは?」


 麦がふとそうこぼした。シアとはアナスタシアのことだ。女子の友人らはシア、とそう呼ぶ。愛称というものだ。


「わたくし、は存じ上げませんわ。与一(よいち)光世(みつせ)はご存知ですか?」

「いや、知らんな」

「わ、私もです。でも、多分、とういうか……どうせ、農場じゃないですか」

「嗚呼、そこで決まりやなぁ」


 与一の言葉に再び一斉に首を縦に振り納得の意を示す。


「わたくし、彼女に新しく改良した朝顔のタネ渡したのですが、きっとそのせいですわね」

「うわぁ、そりゃあ時間忘れて遅刻するわなぁ」


 麦が睡蓮の発言に苦笑した。


「改良って、変な、もの?」


 口っ足らずの骨牌が、睡蓮を怪しげに見やる。


「怪しいものではありませんの。ただ白い朝顔が咲くようにしただけですわ。白い朝顔って結構珍しいものですのよ」


 睡蓮の話に聞き耳を立てた。面白そうな話ではないか。

 工業の分野なら伽羅舍の方が知識が上だ。だが、興行にしか興味がないわけではない。自分の知らない知識がこの校舎には多くあるのだ、と思うと、伽羅舍の中の好奇心が煽られる。

 知っていて損なんてものはないと、伽羅舍の口癖であり、それが信念でもあった。知らない知識は吸収しておくべきだと。

 何よりこの会話がたまらなく好きだった。専門的な知識が多い人間がたくさんいる学校だからこそできる会話というやつだ。日常会話で口下手でも、専門分野では饒舌になったりする。それがオタクというものではないだろうか。


 そして農業科の麦が続け様に、


「確かに、珍しいよなぁ。トランスポゾン、ってやつやったけ?遺伝子の配列変えるやつ」

「そうですわ、わたくしの家の子会社というか、兄様が経営している研究所なんですけれども、そこで色々と研究してまして、まぁ今回は試作の段階なのでどうなるかは分かりませんが」

「でも、朝顔は、突然変異体。核の中の遺伝子が、全ての決定権を持ってる。一般的な遺伝子が、正常に機能しないと、突然変異で色、形、が変わる、わけ」


 骨牌の補足説明になるほど、と深く頷いた。

 加えて式が、


「工場みたいやな。生産過程でどこかに不備があったら、止まってしまうやろ。遺伝子も同じやない」


 その発言に知識の深い3人も伽羅舍も納得した。分かりやすい例えだ。

 一通りの論理を話し終えると、授業開始、10分前の予鈴が鳴った。そろそろ体育館へ向かおうとした時。施錠していた更衣室にかけられた南京錠のガチャっという金属音。直後ガラッと勢いよく扉が開けられた。


「セーフ」


 少しばかり息を切らして、アナスタシアが入ってきた。


「いいえ、outですわね」

「out」

「ホームルーム遅刻している時点でoutやないの」

「しーちゃんの言う通りoutやわ」


 正論にぐうの音も出ないアナスタシアだった。伽羅舍が流暢な発音で最後に、「don't mind」とグッと親指を立てた。


「最後のいらないだけど。グッてなにさ。しかも、流暢な英語でさ。腹たつ。ワタシ、ニホンゴペラペラ、ネ。ワカルヨ、バカニシテルネ」


 とわざとふざけて、片言で話し始めた。彼女のノリの良さに思わず更衣室に笑い声が響いた。


「ホームルームは仕方なかったべさ」


 彼女は農業用帽子を脱いで汗を拭う。身に纏っているのも制服ではなく作業着だ。農家のおばちゃんやおじちゃんのような格好だった。


「なんか、顔がいいせいで作業着やっても、おしゃれに見えはるんは、ワタシダケ?」


 最後だけ言葉がカタコトになった麦は首を傾げながら同意を求めてきた。


「気のせいやないと思う」

「同感ですわ」


 その場にいた全員が賛同した。するとアナスタシアが、


「当たり前でしょ。あたしなんだから」


 そう言って彼女は、悪戯(いたずら)っぽい笑みを浮かべて胸を張る。自信家な彼女らしい発言だ。


「顔面の、無駄遣い」

「失礼ね……てか、アンタたちまで遅れるんじゃない?私遅れたら、せんせーに言っといてー」


 邪魔だとでも言いたげに、伽羅舍たちに先に行けと手で払う。

 更衣室から、体育館までそう遠くはないので、走れば余裕で間に合うだろう。それになぜか、実業系の高校に行く学生は運動神経がいいというジンクスというのか。そういうステータス持ちが多い。産業界で働くのなら、特に農業や工業を志望するのなら、体力はあった方がいいに決まっている。

 アナスタシアもそれに該当する。伽羅舍も悪くはない。が本気を出して汗をかきたくない、というのが本心だ。


 定刻通り、授業が開始された。男女別だがネットの仕切りを挟んでいるだけなので、すぐそこに男子がバスケをしている。女子はバレーだ。激しい攻防を繰り広げるバスケとは違いネットを挟んでいるので、接触は少ない。それが救いだ。

 コートには6人しか入れないので伽羅舍は得点板係をやりつつ待機していた。まだ一度も参加していないにもかかわらず、ため息を溢す。

 工具を握りたい。実習棟のオイルと鉄臭い匂いと、ぶつかり合う金属音が既に恋しい。

 その想いは、普通の女子高校生が先輩や同級生に恋をするものと相違ない。舞台と場面が違うだけ。そう、中を舞うボールを目で追いながら集中しているようで、全く別のことを考えていた。

 どうやって授業をさぼろうかと、思考を回していた。


 だから周りが何か慌てた様子にも気づかなかった。気づいた時には全てがスローモーションに見えていた。隣で同じ得点板の係をやっていたアナスタシアも慌てていた。

 ____変な顔だ。


 そう思ってコートの方を向いた瞬間。顔が黒い闇に覆われた。鈍い音がして、たったコンマ何秒という一瞬だけの静寂。そしてすぐにどよめく体育館。


 一方、伽羅舍何が起こっているのか瞬時に理解できなかった。周りの喧騒も聞こえていない。ぼーっとしゃがんで俯いたまま。

 スローモーションの上映はは既に終わっていて、顔全体が熱を持ち始めた。ジンジンと火照る顔。それはだんだんと痛みに変わってくる。頭はグラグラして視界が安定しない。星のような斑点がチラチラと見えている。


「しゃ……、伽羅舍!ちょっと、聞こえてる?」


 ようやく音も鮮明に聞き取れた。聴覚も視界もぼやけていたが、アナスタシアの声で一気に晴れた。余計に痛みも鋭くなり思いっきり顔をしかめる。

 大丈夫、と苦し紛れに伝える。


「あ、生きてる」

「失礼な……」


 ボールが打つかったぐらいで死ぬか、と反論しようと口を開いたが出来なかった。何故かあの、独特の鉄くささが口に拡がったからだ。

 口の辺りを指で拭うと、案の定赤い液体が付着している。けれど口を切ったのではない。おそらく、これは鼻血だ。いまだに熱を持った顔の中心部。ドクドクと血の流れる音を感じる。


「……さいあく」


 本日一番の失態だ。つぶやいた言葉は儚く消えていった。これからの体育は真面目にやろうと心に決めた瞬間だった。

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