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その最弱は力を求める  作者: コトユエロテイ
第1章【とある異世界における生存戦術】
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4.【泣けど喚けど】

メガホンとの距離をほぼ数メートルとしていたリディアには、その衝撃の正体がなんなのか、理解できなかった。確かにグレンにぶち当たり、その長身を地面に叩きつけたのはメガホンだったはずだ。しかし、彼がどうやってそれを成したのか、彼は何を事象化したのか、彼が何者なのか。ただのひとつも、理解できなかった。

しかし、散々リディア達を苦しめた強敵、グレンはそれくらいの事では行動不能だと判断しない。地面に亀裂、瞬間クレーターを作り出した衝撃でバウンド。飛び上がった勢いで『鉄骨』を抜き、静かにメガホンの前に着地した。その距離は、ギリギリグレンの間合いに入らない位置。


「グレンさん、もう、あんなのに従うのやめましょうよ。そんなの、あの人は望んでないっすよ。」


メガホンが終始出し続けていた軽薄な雰囲気は、人懐っこさを残してはいるものの真剣で、それでいて何かに憂いているような、そんな表情だった。それは、グレンとメガホンの事情を知らないリディアにさえも伝わるほど、顕著だった。

メガホンのそんな声を無視して、一切の感情を消し去ったグレンが、『鉄骨』を握る手に力を込める。それに悲しそうな表情で見るメガホンも、赤いリストバンドに触れて応戦の意思を見せる。


「俺に向かって使える魔装があるのか?」

「これは『言えなかった思いを伝えるための一戦』っすからね。特殊魔装『少年』が当てはまりますよ。」

「嘘をつけ。メガホンの魔装の使用条件は、俺が把握している。あまりハッタリで喋らないことだ。足元をすくわれるぞ?」

「ッ……!そうっすね」


メガホンは歯を剥き出しにして笑みを浮かべる。感情を全て剥き出しにして、笑みを浮かべる。

グレンはその口角をピクリとも動かさずに、感情をピクリとも揺らさずに、冷酷な視線で突き刺す。


お互いのそれは偽りだった。



「息、脈拍。あるわね……。少し揺れるけど、我慢して。」

「ぁ……ぇ?」


グレンとメガホンの火花散る戦いに一切の興味を示さず、リディアはこれ幸いとアキトの回収に向かった。乱立する大樹に匹敵する大きさの岩塊は、正面から見れば崖と言われても疑えないほどの巨大さ。そんな場所から少女がアキトを運ぶには、何かと難しいのではないかと思案するのも束の間、リディアがアキトの首元を掴んで、()()()()()

洞窟の入り口から岩塊の突き刺さる地面まではなかなかの傾斜と距離がある。しかし、アキトはそれを飛び越えてぶん投げられた。


「は……?」


心臓に、胃に、小腸に、大腸に、肝臓に、その他諸々名前も知らない臓器たちを、大量のムカデが這っていくような不快感。思わず吐き気すら催す浮遊感と落下への不安に、頭痛が大きく増していく。それに拍車をかけるように、首元や両腕、全身を打つ風の冷たさが、どうにもならない痛みをもたらし続ける。徐々に回転する体が、顔面を下にした時。地面は、ほんの少しの空間を残して己に迫っていた。

思わず目を瞑る。暗闇に閉ざされる視界に、なぜか不安はなかった。何故か、金がちらついた。


「もういいわよ。」

「え?」


ドサッと地面に降ろされた衝撃で目を覚ます。痛みに不安、不快感がごちゃ混ぜになった体に、地面からダイレクトに伝わってきた痛みが再び追加されて、内臓を掻き乱されるような感覚に思わず呻き声を出した。

必死にそれを堪えて金麗の声音に顔を上げると、その景色は一変していた。

アキトの囚われていた岩塊の洞窟は既になく、グレンとメガホンの姿すらない。その上、どうしようもないほどの閉塞感でもって精神を蝕んでいた木々も晴れていた。しかしそれだけでは飽き足らず、ご丁寧に地面にレンガ道まで敷かれている始末。草に埋もれかけているのを見れば樹林の性かと苦笑を禁じ得ない。


「あ!あの、ありがとう……ございます……」


だが、そんな事を考えている場合ではないと思い出し、掠れる声を焼き潰す勢いで礼を述べた。

恐ろしい暴虐から救い出してくれた少女に向くのは、ただただ感謝だった。暗く、闇に閉ざされた世界で、自分がまだ生きていると確認することができる方法は痛覚だけだった。痛みが、苦しみが嫌で生存を確認したいのに、痛みと苦しみでしかそれを判断できない。随分とよくできたアイロニーだとは思うが、その悪趣味な状況には2度と遭遇したくない。

だからこそ、その感謝には少年の気持ち全てが入っていた。


「いいわ。善行にお金はかからないもの。」


崩れぬ無表情でアキトを見て、いつか自分がされたようにポーションを取り出す。もちろん、カーミフスの高級品である。

ボロボロのアキトには、ラベルを剥ぐ作業さえ苦になるだろうと気を遣ったのか、自分の手でラベルを剥がして飲み口を回転。アキトの口に無理やり流し込む。

最初は「んぐっ!?」と驚いたように目を白黒させたアキトだったが、やがてその甘美な甘みと癒されていく体に安心したのか、おとなしくごくごくとポーションを飲む。


(何だか……変なものに目覚めそうだわ……)


無表情の美貌で微かに頰を赤くしたリディアが容器から手を離した事でそれは終わり、己の口から零れ落ちたメチルカ管を慌ててアキトが掴み取る。


「あれ……?」


そして、己の行動に必ずと言っていいほど付き纏っていた痛みが無いことに、声が漏れ出るほど驚いた。

グレンに刻まれた切り傷が、グレンに叩き込まれた打撲痕が、グレンに強制された関節の不調が、一瞬のうちに完治した。なんと形容すればいいのだろうか、貧乏ゆすりをしてしまう癖が、気付いた時には何故か治っていた。そんな感覚に近い。痛みが無いことに違和感を抱くほどにまでなってしまっていた自分に嫌気が差しつつも、その好調な体に思わず笑みがこぼれる。

手を地面についても痛くない。呼吸をしても喉元を痛みが這い回らない。拳を握っても筋肉が軋まない。心臓の鼓動に乗ってやってくる痛みが、一切ない。

瞬間、涙が零れ落ちた。

突然だった。

視界に広がる樹林の不可解さに頭を悩ませていれば、気付いた時には暴虐の嵐。希望の光が一度は失われ、再びそれが自分を照らした。

精神的にも視覚的にも広がっていた闇が、一瞬で晴れたかのような錯覚。そのことに、思わず涙が溢れた。

グレンに与えられた涙ではない。あの滂沱には、なにも含まれていなかった。痛みを感知した体が、勝手にボロボロと零し始めた、いわば預かり知らぬ涙。けれど、今は違う。何もかもを詰め込まれたミカミ・アキトが、それらを吐き出せるようにするために起こった涙。

グレンへの恐怖が、グレンからの痛みが、グレンの鋭い視線が、グレンの叱責の嵐が、己を満たしていたどす黒い何かが、決壊したダムのように、いや、氾濫した川のように、堰を切って流れ出した。


「ぐずっ、あぁ、こわ……がっだ……やっと……おれは……」


四肢から力が抜け仰向けに転がった。雄大な空から降り注ぐ輝きから目を守るため、という建前で顔を覆った。ジャージで涙を掬い取る。途中までは我慢できていた鼻水も、唾液も、安心感から全てが溢れて漏れ出した。

赤子のように泣き叫ぶ。叫ぶというには喉が潰れてしまっていてか弱かったけれど、情けない姿を晒して泣いた。ジャージに覆われて、まぶたに覆われて。視界が真っ黒だった。たとえそうでなくても、涙にぼやける視界ではろくに何かを見ることなんてできないだろうから関係はないけれど。

あの恐怖の暗闇とは違う。けれど、ひとつだけ、同じところがあるとするのなら、その闇に金の髪が、たなびいているように感じたことくらいだろうか。


満足のいくまで、泣き続けた。握られたリディアの手を握りしめて、泣き続けた。その時だけは、彼は純粋だった。



「っ!」


ガバッ、と中々の勢いで布団を跳ね飛ばした少年は、激しく呼吸を繰り返す己の胸に手を当てた。

訳もわからずに焦燥感と危機感に曝されながら、必死に呼吸を落ち着かせる。目の前に広がる景色には、見覚えがない。

丁寧に張られた床板は、その綺麗な茶色で室内の雰囲気を落ち着いたものに仕上げ、少年の視線の先で口を開ける窓は、暖かな光をぼんやりと浮かび上がらせる。それ以外には大した特徴はない。あるのは、ほんの申し訳程度に置かれた机と椅子の類と、そこに取り付けられた黒い板。それだけがどこか現代風に見えて、中世感溢れる服装、内装に似合わないな、と凡庸な感想を抱いた。

思えば、突然どこかも分からない場所に転移、誰かも知らない人物にボコボコにされ、何かも分からない力に慄いた。凡庸な人物が辿る道のりにしては過酷すぎる、と静かに頭を抱えた。

しかし、幸いにも痛みはほとんどなく、心臓の鼓動から脈動へ、脈動から全身へと届けられる衝撃は消え去っており、右手の甲に残る妙な違和感以外は完治していた。


「あら、起きたのね。」


そして、そんな少年に声をかける美少女が1人。

金麗の瞳を揺らし、絹糸のようなロングヘヤーが窓からこぼれる光に照らされて美しい。

たった今部屋に入ってきたのだろう。引き戸を開けた状態で止まる少女の姿は、ただそれだけで絵になっていた。

そんな思春期真っ只中、性欲が人生で1番の時期と言われている少年でも、さすがに優先順位が美少女より先にくる己の事を問う。


「あ、あの……俺、どれくらいここで……?」

「安心していいわよ、君が眠っていたのは精々半日くらい。むしろ、昼食時の今起きたのは幸運だと思っていいわよ。」


大した時間を寝ていたわけではない。つまり、それは自分に大した異常がないという事だ。己の生命活動の存続が容易だと聞いて安心する傍ら、リディアがその後に言った言葉も気にかかる。皮肉にも聞こえるような言い草だったが、たった数瞬言葉を交わしただけでわかるほどクールな少女は、余計な感情を他人に感じさせない。それが嫌味じゃないことくらい、理解できた。

何かを掴むように空で足掻く腕を下ろして、やっと整ってきた息から酸素を取り込む。まるでマスクを着けているかのような息苦しさ。思わず口元を覆うも、チカチカと点滅する視界に変化はなかった。


「それで、話しても?」

「え……?あ、はい……!」


依然体調は優れないものの、鈍痛に全身を蝕まれていた先ほどよりはマシ。対話を可能にするくらいは造作ない事だった。

恩義に報いたいと思う気持ちが前に出ようと躍起になって、少々食い気味に答えてしまったが、そんな事を気にした様子もなくリディアは腰に差した包帯を手に取る。包帯に巻かれた()()を手に取る。


「忘れなさい。」

「え?」

「……気乗りしないけれど、力ずくで……」

「忘れます!!」


沈黙が長引けば長引くほどリディアのどこかがバイオレンスな方向に進もうとするため、再び食い気味に答える。

包帯に巻かれた武装。グレン曰く、量産魔法杖(イニシエスト)量産刀剣魔装(アルザージエスト)の効果を一対として持つ特殊武装。その特異さ、戦闘力の片鱗は、アキトもしっかりと目撃していた。だからこそ、その特殊武装『プロキオン・クルーガー』を指差して無表情を貫き通すリディアの言葉に、頷くことができた。


「あまり、人に見られたくない物なのよ。」

「…………」


そんなアキトの言葉に満足そうに武装を収めれば、新たに産み落とされたのは哀愁漂う悲しげな表情と、暗く淀んだ声。出会って数十分と経っていないアキトには、その真意も理由もわかりはしない。しかし、そこに踏み込んで行こうとする勇気も、気概も、ましてや思いやりすらも、彼にはない。

そんな雰囲気を一蹴するように、リディアが椅子から立ち上がる。もとよりこんな空気を生み出そうとは思っていなかったのだろう。その無表情の仮面にも、若干の歪みが見えた。それを好機にと、椅子がたてた木の軋む音に言葉を重ねる。


「あ、あの、助けてもらって、ありがとうございました!本当に!おれ、」

「やめなさい。」


そして、吐き出された言葉を、確固とした意志でリディアが拒絶した。その瞳には軽蔑すら浮かんでおり、突然感謝を遮られたアキトとしては疑問符に支配される脳を酷使するのが精一杯。そのリディアのただでさえ読みにくい表情を読むことはできなかった。

言うか言わないか、そんな逡巡だったのだろうか、一度は閉じた口を再び開け、悪くなった空気にさらに鉛の重圧を加える。


「その感謝に、あなたの気持ちはないわ。」

「いや……ぉれ……」

「思ってもない感謝に刺されるよりは、多少の罪悪感で作られた謝罪の方がまだ良いわ。」

「っ……」

「あなたは何かを恐れていた。そこから救われたことに安堵して、私にその安堵を伝えているに過ぎない。」


息が詰まる。声が出ない。あれほど喧しかった心臓が、既に鼓動の音を潜めていた。前後不覚という表現に1番当てはまるのは、今の己なのだろうという確信だけが、非日常の最中で冷え切った脳内に響き渡る。

それは、図星を突かれたからだろうか?それは、悪戯を見つけられた子供のように、あどけない感情だったか?

違う。それはきっと、聞かれたくない事を聞かれる、己を壊されてしまうような、喉が震える、嫌だ、絶叫で塗りつぶしてしまいたい、耳を引きちぎってしまいたいほどの、それは、きっと。


「あなたは一体、なにを恐れているの?」


恐怖、だった。


蹴り上げられた椅子が壁に激突し、さらに床で転がって停止した。

ベッドから降りたアキトが、裸足であるのにも気にせずに椅子を蹴った。ひ弱だった少年からは想像できない所業に一瞬表情を曇らせるも、再び無表情に戻りアキトの双眸に視線を合わせる。脆弱で貧弱な少年のメンタルならば、合わせられた視線にたじろいで勢いを削がれたはずだろう。しかし、その質問に対してだけは違う。それは、アキトにとって1番聞かれたくない。聞かれてはならない事。

命の恩人に敵意を向けるほどに、精神的な急所。


突然の行動は精神の反射的な防衛本能。それによって突き動かされた体は満身創痍の直後。再び乱れた息は、身体の影響だけではなかっただろう。


「俺は何も、恐れてねぇ……」


殺意すら滲ませるその表情は鬼の如く、豹変した態度はオドオドしていた少年の姿とは重ならない。


「やっと視線を合わせてくれたわね。おまけに本性まで剥き出しにして。」


歯根が砕けそうなほどに歯を食いしばり、ただでさえ悪い目つきを更に凶悪なものへと変化させた。脳内を駆け巡る記憶が、脳髄に刻まれた声が、今でも鮮明に思い出せるあの時の記憶が、アキトを一瞬で蝕んだ。

普段は回転の遅い使えない脳味噌が、その言葉でスーパーコンピュータほどの回転を始める。思い出される記憶。

雨が、降っていた。

きっとあの頃は今より純粋で、今ほど捻くれていなかった。むしろ好印象とされるほどで、人当たりも良かった。あの頃は。

雨に濡れて独特の匂いを醸し出すアスファルト。そこを跳ねる雫たちと、それに混ざり合う深紅の雫。煌めいた銀閃は酷く輝いて見えて、既に命の雫を世界にバラ撒き散らしたその瞳は、酷く虚ろに見えた。

そして、そんな残された少ない時間で、命で、言葉で、そいつは言った。


◾️◾️◾️◾️。


その時のアスファルトの匂いが、鮮やかな色が、絶叫の調べが、冷え切った体温が、乾ききった口内が、全てが鮮明に思い出せる。けれど、その言葉だけはどうしても思い出せなかった。思い出したくなかった。思い出さないようにした。


「う……ぉが」


すっとこみ上げてきた吐瀉物が喉元に差し掛かり、口元を慌てて押さえた。よろけて壁に激突し、情けなくうずくまる。体内を血液とともに循環し続ける気色悪い感覚はとどまる事を知らず、むしろ増え続けるそれに思わず喉元がひくついた。さすれば、そこで燻っていた吐瀉物達が大合唱を始め、開ききった瞳に涙が滲んだ。思わず瞳を閉じる。

視界を完全に封じられることの恐怖を知っている。己を包み込む暗闇の恐怖を知っている。だから、暗闇よりも、まぶたを閉じる恐怖へと逃げ込む。

入ってくるな、触れるな、見つけてくれるな、何もかもにそう怒鳴り散らして、いつものように待ち続ける。無様に、か弱く、みっともなく。しかし、今回に至ってそうはならなかった。


まぶたを閉じれば訪れるその静寂と恐怖の暗黒に、金の絹糸が割り込んだ。


「ッ!!」


その鮮烈さに思わず仰け反り、目を見開いてリディアを見やる。恐る恐る立ち上がってリディアから距離をとった。

そして、吐き気の消失に気付いた。恐怖の根絶に気付いた。その金に救われたことに気付いた。皮肉なことに。


「一体、何に苦しんでいたのかは知らないけれど、治ったようでなによりだわ。」

「っ、てめえ……誰のせいで!」


依然変わらぬ無表情で腕を組むリディアに、湧き上がった怒りのまま拳を振り上げた。視界が真っ赤に染まったかと錯覚するほどの怒りは、いっそ心地いいほどのアドレナリンを放出させ、平均より少し高い身長であるアキトの突貫は、十分脅威だった。

なぜならば、対するリディアの身長はアキトより低く、その容姿も相まって華奢に見える。武装を取り出す暇はない。

アキトの有利は明白だった。だった。

視界が反転する、とはよく言ったものだが、実際に体験したら反転どころの騒ぎではない。反転したことに気付かぬまま背中を地面に叩きつけられる衝撃に呻き、目を白黒させるだけに留まる。


「この際だから言わせてもらうわ。あなたは『死』という概念を怖がっている。」

「ッゲホッ、おえ……!!」

「それで死から遠ざかろうとするのは必然よ。人間の正常な反応とも言えるわ。だけれど、」

「……」


虫のように無様に転がり、尚痛みに顔をしかめるアキトに告げる。


「その遠ざかり方は異常……本当に、クズだとしか思えないわ。」


リディアが部屋を出て言った後も、アキトは動けなかった。



「私の下着を覗き見ようとしてそこに無様に転がっていたのでしたら、本当に軽蔑に値しますが、真偽を伺ってもよろしいですか?お客様。」


既に暗くなり始めた外の景色を眺めて、呆然としていたアキトは冷たい声を聞いた。

ローアングル、それも反転した視界の中ですら分かる。それは、美少女だった。

今現在、といっても数十分前だが、違う美少女に片手でのされたアキトにとって、美少女との遭遇はあまり良いことではなかったが、そのあまりの美貌には、おもわずため息をついてしまった。

水色の髪は夜色に染まる窓の色に映えていて、照明に反射する輝きが美しい天使の輪を作り出していた。ほんの少しの身じろぎで分かるほどにサラサラな髪は肩にかかるくらいまで伸ばされており、美少女のショートカットの破壊力を物の見事に表している。同様に、パッチリとした瞳も水色で、なぜだかとてもカラフルに見える。それはまるで宝石のようだった。そして、リディアに匹敵する、超えるかもしれないほどに突き詰められた肉体の起伏。しかし、胸から脇腹にかけての曲線に趣のあるリディアと同じように、その太ももの滑らかな曲線美は、どんな現代アートにも負けない。膝ほどの長さのスカートで隠されていたが、ローアングルから見ているアキトにはわかった。そのむっちりとした美しさが、ニーソから溢れでる魅惑の柔らかさが。ついでにパンツも見えないかと視線を動かすも、さすがにそこまではできなかった。


「あの、いつまでもそうされていると困るのですが……」


そして、そんな美貌で嫌悪感を必死に隠しながら、アキトに言った。


ハッと正気を取り戻し、急いで立ち上がる。しっかりと相対すれば、その水色の少女は意外にも華奢で、リディアよりもいくらか小さく、とても可愛らしかった。片手で大の男を投げ飛ばす美少女とは大違いである。

ローアングルからでは視認できなかった服装は、まるで町娘のように親近感を覚え、悪くいうなら質素、チープな雰囲気。肩を露出させた大胆なリディアの服装とは違い、本当の一般人というような服だった。異世界ファンタジーとは思えない露出度の低さである。

しかし、それによって美貌が隠せるはずもなく、残念ながら清楚さに磨きがかかるだけでしかない。


見惚れるのもほどほどに、弁明の口をようやく開く。


「すみません!そういうつもりじゃなかったんですけど、ちょっと気分が優れなくて……誤解させてすみません……」


全身全霊の謝罪。土下座の姿勢に入ってはいないものの、とてつもなく腰の低いアキトの姿勢にしっかりと謝罪の意を汲み取ってくれたのか、少女は「頭を上げてください」と声音を和らげる。それに従って頭をあげれば、逆に申し訳なさそうにしている少女の顔が見えた。


「私の方こそ申し訳ありません。体調が優れない方にあらぬ誤解を……」

「い、いえ……」


あわよくば下着を覗こうとしていたアキトは、その純真無垢な表情にやられて顔を歪め、気まずそうに少女をたしなめた。あながち間違いではなかった少女の初対面台詞に戦慄しながら、ベッドに腰掛けた。


「申し遅れました。レリィ・ルミネルカといいます。今日からリディア様が滞在する期間、あなたの世話係をさせていただきます。よろしくお願いします。」

「俺の……世話係?」


レリィと名乗った少女の口から放たれた不可解な言葉に疑問符を浮かべると、その少女は優しく教えてくれる。


「リディア様から、少し容体が悪いので回復するまで見ていてほしい、と頼まれましたので、私がそれを遂行することになりました。」


先ほど無礼どころか拳を振り上げ、挙句逆にブレイクされるという失態を犯したアキトである。そのリディアへのなんともし難いもやもやとした感情はあるものの、最終的にはお人好しへの苛立ちに帰着する。再燃してきた怒りを表情に出さないように気をつけつつ、窓の外を見やる。

夜と言って差し支えないであろう暗さにまで光度を落とした風景から、リディアが機嫌を悪くしてアキトを追い出そうとする可能性は低くなったといえる。こんな時間になってもアキトがここにいれるのなら、これからもいていいということなのだろう。そうじゃなければ、きっと今頃アキトは夜闇を彷徨っている。

ホッとするのもつかの間、自分が何もわからない状況であるのを思い出す。無知とはすなわち愚かであり、恐怖の根源ともいえる。それを解消しないことにはどうにもならないと、目の前で礼儀正しく立つレリィに問いかけた。


「あの、ここってどこですか?」

「?カーミフス村、詳しくいうとウドガラド随一の高性能ポーションを生産する村です。」


そこで思い出されるのが、アキトがリディアに飲まされたあの甘美な味わい。なるほど、道理で身体中の傷を一瞬で直してしまったわけだ。が、納得とともに湯水のように湧き出てくる疑問を、この時間で払拭できるとも思えず、アキトは己の命運を握る少女のことを問うた。

己の未来を、問うた。


「リディアは一体、何者なんですか?」


微かな驚き。きっと、己の中で爆発するように溢れでた驚きを、精一杯押さえつけたのだろう。それでも漏れてしまったということは、アキトは相当アホな質問を投げかけてしまったのだろうか。それでも、レリィは表情には出さずに応えようとする。


「リディア様は……そうですね、竜を下した立役者、救世主(サルヴァトス)でしょうか。」

「……」

「その実力を買われて、この村に確認された脅威を下しにここに赴かれました。」

「脅威?」


リディアの戦闘というものへの能力の高さは、紅蓮から放たれる魔力を身を以て体験したアキトからすれば理解しすぎるほどにしていた。

グレンに刃を向けた少女の姿は、まさしく救世主。それだけは、否定など絶対に許されない決定事項。必然だった。

しかし、そんなリディアが戦わなければならないほどの脅威とはなんなのか?それだけが、アキトにはわからなかった。

考えてみれば簡単なことだった。


「……数日前から、怪しい剣士の姿が見えているんです。」


その脅威を、リディアの強さと同じくらい、アキトは知っていたのだから。


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