1.【それは、鮮烈だった】
主演:ミカミ・アキト
ヒロイン:???他
掲載:小説家になろう
文字:事故口帝
月界:対個人を例外なく消し去る威力を持つ技術。又は、それに匹敵する力を持った武器。一定の基準を超えたものは、自動的に判定され、月界目録へと記録。以後、発動に必要なエネルギーを統一し、その運用を容易にする。
世界:Fiction
作品:その最弱は力を求める
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並ぶ本。ざっと数えて3000冊。白く塗られた本棚に敷き詰められている背表紙の数は、そのくらい。ただ、それでもライトノベルや小説といった類の物のみ。漫画まで合わせれば、あと1000ぐらいの数字は稼げるだろう。約6年でよくもこれまで集められたな、と自分自身で感心し、高さ180センチに並べられたライトノベルの背表紙をなぞる。それは、この3000冊の最初の1冊。そして、その始まりの本。
自分を、オタクというものへと引きずり込んだ忌まわしき、愛おしき、最愛の作品である。
未だ完結の兆しが見えないそのシリーズを超えるものは、きっと後にも先にも現れないだろう。
どん底に沈み込んでいた心が、少しだけ元気を取り戻した気がした。息がつまるほどに思い悩みながらも、こうしてふとした瞬間に落ち着けるのなら、まだマシなのかと自嘲してみる。
「早く準備するか。」
本棚から目線を引き剥がし、視線はそのまま背後へと向けられる。広がっているのは、茶色いダンボールに彩られる室内。まだ開封された跡のないそれらには、皿、服、といった風にペンで中身を示した文字が走っており、数日前の苦労を物語っている。
そう、今日は紛れもなく、ミカミ・アキトの記念すべき、独り暮らしの1日目だった。
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そう、独り暮らし1日目のはずだった。
暖かな木漏れ日。夏のように煩わしいほどの日差しではなく、かといって冬の枯れきった空気とも違う。そう、それは春のような。暖かくなにもかもを包み込んでくれるような、そんな抱擁にも似た温もりだった。もしもここが公園で、休日の昼下がりだったなら、ほんの少しの仮眠と、ほんの少しのサンドウィッチなんかで心を休めたいくらいに、素晴らしい気候。
しかし、そんな楽観的な思考には、圧倒的楽観思考を有する彼ですらなれなかった。理由は、単純明快。
「ど、ど……」
なぜなら。
「どこだ、ここぉーーー!?」
そこは、少年の住む都会の喧騒ではなかったから。
まるでバオバブの如き幹の太さ、そう簡単にお目にかかれないその巨大さに、思わず目を剥いてしまう。視線を上げれば、そこには意外にも多くの枝と葉をつけており、森を一層閉塞的に見せる。普段だったなら木漏れ日に好印象を抱けたかもしれない。しかし、こんな突然の異常事態では、そんな些細なことでさえも気にかかる。
少年を囲む木々のほとんどはその巨木であり、それこそ森を包む深緑のほぼ全てであった。
誰かに手入れをされている様子も見られず、草は生え放題、腐りきってボロボロになった木は倒れたまま放置され、中身だけが腐ってなくなったのだろう、樹皮だけになっている木も数多く見られる。地面の様子はほぼ見ることができず、かろうじてひび割れたレンガの道が苔と雑草の隙間から見えていた。道幅は広く、露出した地面があることから、多少の交通はあるのだろう。しかし、そんなあるかもわからない人を待つこともできず、そもそも、そんな考えを導き出せるはずもなく、少年は無様に天を仰いだ。
「嘘だろ!?召喚もの読みすぎてとうとうおかしくなったか!?いや大して読んでねーよ!」
困惑を通り越して狂乱に陥り始めた少年は、酷く頼り無さ気だった。
顔立ちが整っているわけでも、溢れるオーラがあるわけでもない。かといって、とてつもなく不潔かと問われればそうでもない。端的に言えば中の中ぐらいと称されるであろう顔面偏差値。身長は180に届くか届かないかを彷徨っているくらい。黒髪黒瞳の姿は、少年が人生の大半を過ごした世界、国で一番一般的なもの。平凡の模範的な姿。
それを彩る服装は、引越し準備に追われていることを示すかの様な純粋無垢なジャージ姿。非現実的な巨大樹林とレンガ道には到底似つかわしくない、近代的、というか庶民的な様相。
そんな平凡少年も、自問自答を繰り返して喉を枯らしながら叫ぶ姿を見れば、色々な意味で平凡という肩書きをつけるのは躊躇われる。
「本当に、どうすりゃいいんだ!?警察?そもそも、人居ねえじゃねえか……!」
周りを見渡すも、視界の端から奥に至るまで、全ては巨大樹の深緑に埋め尽くされている。街どころか、建物、人すら見つけることができない。本当のパニック状態。フィクション世界の住人の落ち着き具合がおかしいだけで、半狂乱の少年はそこまで状況適応能力をもってはいない。一般人にあそこまでの落ち着きを求められても、一般人以下の少年にそれを強要されても、そのまま切り替えられるはずがないのだ。
視界がグラグラと揺れる感覚、背筋を濡らす冷や汗と、不安に脈動を強める心臓。息が切れる。
徐々に世界が暗くなり始める。視界に少しずつ増えていく黒い粒子の数々。それは、点から面へと姿を変え、とてつもない速度で少年の五感から視力というものを奪い去っていく。まるで何かに吸い取られるように消えていく己のその現象。しかしそれは、ストレス耐性のない彼にとっては当たり前の、ただの貧血の症状だ。
ろくにまっすぐに歩けない。そんな酷く弱り果てた姿で、必死になにか支えになりそうなものを探す。既に何かを見つけられるほどの余裕は、彼にはない。草木を踏みしめ枯葉を潰し、木漏れ日が猛暑のように感じられる中を、ひたすら支えを探して彷徨う。
「くっそ……まじ、意味わかんねぇ……!」
そして、そんな悪態を最後に、少年の体は立っているための力を失った。
頰を撫でる風、心臓を鷲掴みにする浮遊感、脳で予測される衝撃。少年の体は、糸の切れた操り人形のようにぐったりと倒れ、その顔面を地面へと叩きつけた。ぐちゃり、とグロテスクな音を立てて倒れ込んだ割には、草木のカーペットによって痛みは大したものにはならないだろう。
口の中に侵入してきた落ち葉と苦い土の味に顔をしかめ、混ざり合った唾液とともに吐き出す。しかし、貧血症状によって弱った体では満足に動けず、唾液が泡となって口の端から流れ落ちるだけだった。地面へと落ちて蠢くそれを見て、なにもかもの思考を放棄しようと、少年は目を閉じる。
全ては遠く。
ほんの少しだけ聞こえる、ノイズ混じりの樹林の音。平和な音だった。
「とんだ期待ハズレだったな。まったく、召喚されただけでこれとは、先が思いやられる。」
意識を、切り離してしまいたかった。なにも考えないように、なにも考えられないように、暗い、暗い、なにも考えられない、易しくて、甘くて、それでいて底の見えない世界に、沈んでしまいたかった。その声は、早すぎた。まだ少年は、意識を切り離せてはいなかった。
脳内で小さな羽虫が暴れているかのような頭痛に襲われながら、土と枯葉に塗れた顔をぐらりと揺らす。視界を急激に照らす空からの光。何もかもが黒い中を、白い光が焼く。闇夜を駆ける星のように、鮮烈なまでの明るさで、少年を焼く。
その声は、低い美声だった。男の声として聞いても低いと思えるような低音。しかし、大多数の音を切り裂いて、空間を静寂へと誘う、そんな声だった。感情の読み取れない無機質な声なのにも関わらず、何故か心の奥底にまで響いてきそうな声。そんな声の持ち主へと、虚ろな瞳を向ける。
端整な顔立ちの青年が、そこには居た。アキトとの身長差はおそらく10センチほど。190センチをおそらく越すであろう長身の体は引き締まっており、服の上から見ても筋肉が付いていることが分かるくらいだ。そんな美丈夫の大部分は羽織ったローブによって隠されており、よくよく見れば茶髪の前髪が見え隠れしていることが分かる。そして、そのローブの下には白を基調とした服と、それをぐるりと巻くように取り付けられたベルトがある。コスプレイヤーのような風貌の男。いや、もっと適切な表現にするのなら、中世時代の西洋人、とでも言うのだろうか。なぜなら、彼の腰にはあった。
確実に命を切り裂くのであろうものが、ベルトに固定されていた。ローブの下から覗く鋭い先端は、黒いカバーに覆われ丸く仕上げられており、高級感と重量感の共存する業物であるのが分かる。
それは、剣であった。
「っ……ぁっ!!」
咄嗟に叫ぼうとしたのは、助けを呼ぼうとしたのか、それとも、無様に命乞いをするためか、はたまた、ただ恐怖に耐えられなかっただけか。いずれにしても、敵意すら見せていない相手に対しては過剰すぎる反応だろう。その証拠に、男は怪訝そうな表情で地面に這いつくばる少年を見下ろしている。
「なに、そう恐れることはない。殺しはしない。というか、出来ないからな。」
「は……!?」
アキトの脳髄で繰り返される数々の嫌な想像。剣に向けられていたその全ての思考力が、一瞬で削ぎ落とされる。
まるで刃物に突き刺されたかのような感触が、右手の甲に現れた。突然の痛みに声をあげようにも、引きつって動かない喉では声を生み出せない。
わけのわからない痛みに呼吸が乱れ、脳が酸素を渇望し始める。求めているのは情報だ。どうしてここまで痛いのか、なにが己の手に危害を及ぼしたのか。今重要なのはそれを理解することであり、そのために情報を集めることだった。
震える体を必死に動かして、とてつもないプレッシャーの中で視線を動かす。眼球を掴み取り、無理やりにでも視線を合わせてやりたい。そんな事を思ってしまうほどに、彼は冷静さを欠いていた。
「少しの殺意でその反応か……貴様はこれまで、相当なぬるま湯に浸かっていたようだな。」
「なに……言って……誰……?」
「まぁ、いい。」
隠しきれない落胆をその端正な顔立ちに滲ませて、剣を携えた男はため息を吐く。
フッと消失した右手の痛みに疑問符を浮かべ、視線をはるか上の男の顔に向けた。
「俺はグレン。貴様の覚醒を任された。」
「か、かくせい……?」
少年の視線を底冷えする視線で迎え撃ち、己の名前を口にした。グレン。
グレンの口にした単語に意味を見出すことができず、ひたすらにその言葉を口の中で反芻する。しかし、それが脳に吸収されて理解される事はない。脳は処理すべき情報ではなく、少年の心に湧き上がる恐怖だけを、ウイルスとして取り込んだだけ。自我すら危ういほどのアキトに、グレンは更に負の感情を増幅させた。
キッとアキトを睨みながら、その鍛え抜かれた偉丈夫を一歩、また一歩と距離を詰める。
「これまでの12人。覚醒因子を出すのに1番効率的だったのは、過度なストレスだったそうだ。」
永久凍土を連想させる、黒く、暗く、冷たい言葉は、少年の体の震えを大きくするだけ。
低音の美声で検証結果を語るグレンは、ズボンのポケットから黒い手袋を取り出して、その大きな手に装着する。
黒を基調とした革細工には、紋章のような意匠が凝らされており、徽章を連想させる。手の甲に当たる部分にあしらわれたその紋章は、グレンの携えた腰の剣にも同じ印がある。
拳を握り固めて感触を確認し、グレンの視線が再びアキトを射抜く。
「ひ……!!」
「異世界人の覚醒は貴様が初めてだが、安心しろ。貴様も、あの化け物たちのように覚醒できるはずだ。」
アキトの情けない声に更に視線を険しくし、歩みを止める。
そして、視認することすら叶わない疾風の如き烈打が、全ての感覚をそぎ落とすほどの威力で持ってアキトを貫いた。痛みすら追いつかない一撃は、ただの蹴りだった。脳髄を痺れさせ、判断能力の全てを削ぎ落とし消し炭にするほどの衝撃。その力に抗おうとする思考すら浮かばず、嘘のように少年の体が吹き飛ぶ。衝撃波の輪が広がり、微かにグレンの前髪を揺らす。
その爆撃とも聞き紛うほどの音に弾かれた、吹き飛ばされた少年は、広がる樹林の木々に体の端々を滅多打ちにされ、一際大きな木に叩きつけられて無様に地面に叩き落される。
肺がしぼむような感覚に陥りながら、浅く不規則な呼吸を繰り返す。衝撃と動揺の中で吸えたのは、微かな酸素と豊潤な草の香り。そして、一握りの土の味。今までの十余年の中で味わったことのない、とてつもない、途方も無い痛み。痛みと熱さはよく似ていると聞くが、今の状況はまさにその通りで、ズキズキと悲鳴を発信し続ける左頬は、熱かった。しかし、それもそのはず。
「……ぁぇ、ち、血……!?」
あまりの痛みに這いつくばりながら左頬に手を伸ばした少年は、頰に触れた己の指を見て掠れた息を吐き出した。スッと意識が遠のいていくような感覚。しかし、身体中から運ばれてくる感触が消える事はない。あまりの不安に存在を主張し始める腹痛と、文字通り吹き飛ばされた思考力を探し続ける脳。痛覚の全てを総動員して異常を伝えてくる左頬、多大な出血によって濡れる指と首筋の濡れた感触に、乾き始める血液の気持ち悪い感触。早くなり始める呼吸によって喉が掠れ、冷たい痛みが喉元を這いずり回る。
「驚いたな。まだ因子が一粒も出ていない。」
「……っ!!」
呆れや嫌疑、軽蔑、それら諸々を通り越して感心すらしているグレンは、しかし、依然冷たい口調で言い放つ。
「貴様は、本当のクズらしいな。」
そして、2発目の蹴りが少年を打つ。再び吹き飛ぶも、今度は1回目の木への激突によってはたき落とされ、再び地面を舐めることになる。顎をかち割るような衝撃に喘ぎながら、必死に酸素を吸おうと口を開く。しかし、己の影と貧血による視界の闇に阻まれて世界が認識できない。光を求めて空を仰げば、引き締まった右足から放たれる超硬度の蹴りが少年を更に叱咤する。反り返りながら咳き込む少年の胴体にもう一撃。
酸素を求めて喘げば流血すら容易い蹴りに蹂躙され、命乞いの言葉は発する事すら出来ずに腹の中で空気とともに蹴り竦められる。
呼吸をする事すら出来ず、無酸素で蹴りを叩き込まれ続ける。気付けば、鼻からの流血が着ていたジャージに赤のアクセントを加え、唾液と血液の混ざり合った泥水が、顔面をこれでもかというほどに汚し尽くす。終いには、零れ落ちた涙が数々の擦り傷を舐り、全身を掻き毟りたくなるような微弱な痛みを己へと課す。しかし、それに悶える暇すら与えられずに、次の豪脚が顔面にめり込む。
「ごめ、な、ざ……おぇ、…………!」
滂沱に流血、吐瀉物の気配すら覗かせる醜悪な面には、既に困惑の表情すらなく、恐怖すらもなりを潜めている。そこにあったのは、相手の下手に出て機嫌をとる。ようはグレンの1番嫌う、命乞いの形だった。
必死に口角を上げ、額を地面に擦り付け、これ以上ないというほどに自分のプライドをすり潰して体を丸める。
つい数分前まで、ぬるま湯と称された世界に居た少年に突然の意識改革を求めるのは酷であるようにも思える。しかし、実際に少年はそれを成し遂げてみせた。己の延命のためにプライドを叩きつける、簡単に言えば、悪手だった。
「ごぶッ!!」
これまでの暴力の数々の中で、間違いなく1番の威力の蹴りが、少年の顔面を真正面から突き穿った。
鼻腔のひしゃげる痛みと唇の切れる微かな痛み、鼻筋の骨と靴底にすり潰される皮膚の痛み、肌を蹂躙する衝撃波の痛み、もとい熱さ。それらが一瞬のうちに襲いかかり、少年をまるで矢のように弾きだす。
あまりの衝撃に反り返り、その勢いのまま後頭部を地面に激突させながら、尚とどまることを知らない蹴りの威力に、少年は為すすべなく地面を転がり、跳ねまわり、大樹に激突する。しかし、それだけでは飽き足らず、重厚な樹皮を叩き潰して幹にめり込むほどの勢いで頭突き。痛みと困惑と不安が再び溢れかえり、キャパシティをオーバーした体は、嗚咽の勢いを強め、咳き込みながら転がる少年はとうとう吐瀉物を緑にぶちまける。光に照らされてキラキラと輝く美しい芝生に、場違いな汚物を吐き出すのは、少々背徳的にも思えたが、そんな余裕が少年にあるかと問われれば、頷くことはできない。
鼻血と口内を切ったことによる流血、顔面の切り傷、それら血液も凄惨に地面を飾り付け、その真ん中で浅い呼吸を繰り返す瀕死の少年が際立つ。
そして、やっとのことで微かな意識のかけらを掴み取った少年は、やっと逃げるという回避行動に至る。ガクガクと震える足を無理やり地面に突き刺して、血液や汗、涙に吐瀉物でヌルヌルと滑る地面を、半ば転びながら駆け出す。しかし、体から出るであろうほとんどの物を出し終えた少年がまともに走れるはずもなく、走れたところでグレンに勝てるはずもなく。
視界が、暗くなる。それは、絶望の影だった。背後できっとグレンは足を振り上げている。再び、暴虐が訪れる。首筋をジリジリと焦がす焦燥と恐怖に耐えきれなくなり、とうとう足が折れた時。何かが、少年の後ろに躍り出た。グレンではない。
それは、なんだっただろうか。
それは、鮮烈だった。
金の絹糸のような長い髪をなびかせて、少女は言った。
「だいじょうぶ?」
それは、鮮烈だった。
容易に少年の脳裏に焼きつくほどに。