アマチュアリスムのすすめ
歴史的に「アマチュア」ということばが使われ始めたのはけっして古い時代ではなく、近代のスポーツ界が最初らしいですが、ここでいうアマチュアはそういう用語としてのことではなく、活動の根底にある精神的なものを指して使っています。「アマチュアリスム」も同様に。
さて、だべだべ(駄弁)しますか。創作関連のお話です。
突然ですが、プロフェッショナルとアマチュアの違いって、なんだと思います? 食うか食われるか、じゃないんですよ。
創作を「一枚のトーストを食べる行為」にたとえると、プロにとってのそれは日々のゴハンです。彼らの血と肉はそれによって成り立っているのですから、「食べる」ことが目的なわけです。対して、アマチュアの血肉はそれによって成り立っているわけじゃないから、アマチュアがトーストを食する目的はそれを「味わう」ことになります。(ここで勘違いしちゃいけないのが、食べるものがあくまでもおなじトーストということです。こんがりバタートーストと生焼けトーストじゃなくて、あくまでも「おなじ」トーストなんですよ。そして、どちらかの舌がもう一方よりも優れているというわけでもないということ。つまり、プロだって味わおうと思えば味わえるけれど、それが第一の目的じゃないよ、ってことですね。)
で、食べることを目的としてトーストを食する行為を、「生活していく」という意味で「食っていく」といい、これを表明している立場の人たちを「プロフェッショナル」と呼ぶわけです。
対して、食べることよりも味わうことを目的としている人たちは、つまり「愛好家」ということになります。で、この人たちを「アマチュア」と呼ぶんですよ。
で、ですね。
だれでも簡単に小説家になれるのが魅力の小説投稿サイトって、これ、理念的にアマチュアなわけじゃないですか。もちろん、プロを排しているわけではなく、投稿された作品から商業作品に生まれ変わるものだってあるわけですが……、前提として、アマチュア文化なわけですね。ふだんプロとして活動している作家であっても、ここではアマチュア活動をしているわけで。
ところがですよ。
積極的選択にせよ消極的選択にせよ、少なくとも自分の意志で選んでこのアマチュア文化の世界へと飛びこんだはずの人たちに、私はアマチュアとしての気概、純粋な「愛好家」としての精神をですね、なかなか感じられないのです……。
プロの人は言います、「俺たちゃプロだ」と。
「素人と一緒にするな」「遊びでやってるんじゃないんだ」
で、アマチュアは言います、「プロってすげえよな」と。そして言いかえしません、「俺たちゃ遊びでやってるんだ」と。
もっとひどいのは、「アマチュア」であることを自虐する人たち。あるいは、言い訳にする人たち。
「アマチュアなんで」「しがないアマチュアですから」「アマチュアだから下手でいいだろ」
……プロが言うならいいのですよ。彼らがアマチュアをけなすことを言っても、それは彼らのプロとしての誇りからきているものだから。でも、アマチュアが自分から言っちゃダメだろうと。
プロの言ってることが間違いっていうんじゃないのです。それに疑問を持たない素直すぎるアマチュアのほうが間違いなんです。なんというか、プロに対しての反骨精神というか……、ライバル視というか、そういうものが、いまのアマチュアには足りない。
もちろん、創作をやってる者同士、お互いへの尊敬というのは必要なんだと思います。相手の立派さを誉めたたえ、時には謙遜するのもいいと思います。
でもね、まず前提として、プライドって大切だと思うのですよ。
そう、プライド。アマチュアには、アマチュアとしての矜持が足りないと思うのですよ。
現状でいえば、技術や知名度、作品の完成度などの点で、アマチュアははるかにプロに劣る部分があります。それは考えなくちゃならない課題ですが、環境的に不利であり、変えるのが難しい部分もかなりあります。
しかし、理論的に見れば、アマチュアはけっしてプロに劣る存在ではない。やろうと思えば、プロにはなかなかできないことだってできるはずなんです。それは、資金や技術の問題ではない、表面的な作品の質や受けの問題ではない、創作の根源の追求のようなもので……、うまくいえませんが、プロにある「食べてかなきゃならん」という枷がない以上、その分のメリットというか、別の可能性を有しているはずで……。
ここまで書いてふと思ったのは、プロに気概や矜持があるのは、彼らこそアマチュア的精神を忘れていないからなんじゃないか……ということ。逆説的ですけどね。
キリスト教でいえば、バイブルがあって、従来の信仰や文化の形態があって、そのうえでプロテスタントが生まれたわけでしょう。創作もおなじで、創作したいって精神、アマチュア的な精神があってはじめて創作行為がなされるわけで、そんななかから、「俺は創作で食ってくぜ」と主張する人たちが出てくる。というわけだから、彼らプロフェッショナルは、周囲との差別化を前提として「食ってくぜ」宣言をしているわけです。と考えると、彼らが優れているのは当然なわけで。
(歴史的に「アマチュア」ということばが使われ始めたのはけっして古い時代ではなく、近代のスポーツ界が最初らしいですが、ここでいうアマチュアはそういう用語としてのことではなく、活動の根底にある精神的なものを指して使っています。いずれにせよ、プロフェッショナルは「プロ」というくらいだから、周囲に対して自分は違うんだぞと主張することから生まれたはずなんじゃないかしら。)
要は、プロって強敵なんですよ。
だからほら、アマチュアとしては、プロの言うことを真に受けたり、卑屈になったりして、「アマチュアだから」なんて言い訳してる場合じゃないんだってことですよ。
ありがたいことに資本主義社会です。ということは、そのなかで「食ってく」宣言をしているプロには、それなりの枷があるわけです。
そしてこっちには、ネットや投稿サイトという強力なツールがあります。「打倒プロ! えいえいおう!」っていうのではないけれど、私たちアマチュアも巻き返しを図る時期に来ているのではないでしょうか。
同志よっ、真のアマチュア精神を見せてくれっ!
ってことで、今回のだべだべ(駄弁)を終わります。
ペンネームは、またもや拙作のキャラクターから。