愛のありかは何処にありや ~物理に目覚めし悪役令嬢~
胸の痛みは、唐突に訪れた光景によるものだった。それは偶然か、それとも必然なのか。強い衝撃をもって、クリスティーナ・ローゼンバーグの胸を貫いた。
誰よりも、王子に愛されている。そんな自信が、木っ端みじんに吹き飛んでいった。町の中を親しげに歩く、二人の姿を目にして。
並んで歩いているだけならば、それは彼女にとって何の痛痒も齎さなかったことであろう。学園に通う身であらば、人付き合いの中で、有象無象の男爵家令嬢の一人と肩を並べて歩くなどは、些末事である。取り巻きに連れている騎士爵の、連れなのかも知れない。一縷の望みをかけた妄想じみた考えはしかし、親しげに微笑む見たことも無い王子の柔らかな笑顔に、すぐにかき消されてしまう。
まるで恋人同士のように、王子はその男爵家令嬢と手を繋ぎ、腕を組んで冬の町を闊歩していた。明るいピンク色の髪色は、遠目からでもよく映える。小柄で可憐な男爵家令嬢を連れた王子はもちろん、どこを歩いていてもクリスティーナには一目で解る。他人の空似などでは、無い。
侯爵家の子女として、目を擦るなどという品の無い真似は出来ない。だから、長い睫毛のついた瞼を、クリスティーナは何度もぱちくりと瞬かせる。
「そんな……アラン様……」
クリスティーナの口から、震える声で漏れる男の名は王子のものだ。幼少の頃より婚約が決まり、十五を迎えた今日この日まで、絆を育んできた相手の名でもある。
幾度か喧嘩もあった。意見が合わず、ぶつかり合うこともあった。しかしそれは、裏を返せば彼が、王家と侯爵家という身分の垣根を超えた付き合いを、望んでくれたということではなかったのだろうか。一人の女として、愛してくれていた、そう、思ってはいけないことだったろうか。形の良い唇を強く噛みしめ、クリスティーナはアランに身体を預ける女へ目を向ける。
「チェルシー・フランク男爵令嬢……」
血を流さんばかりに下唇へ立てた美しい歯並びの間から、クリスティーナの苦々しい呻きが漏れる。もちろんそれは、アラン王子に寄りかかる女の名前だ。
ドリームティアラ中等学園に通う、同級生である。入学当初から、アランとクリスティーナの茶会のテーブルへ乱入してきたり、不用意にランチタイムに近づいてきたりと身分の差を弁えない振る舞いを多くしてきた、問題児だった。
面白がるアランの横で、クリスティーナは彼女の振る舞いに憤慨し、さりとて罰を与えるには忍びなく、レディとしての嗜みを持たせるべく説教をするうちに、やがて自然と親しくなってしまっていた。人の内懐へ容易く入り込んでくる何かを、チェルシーは持っていた。
そうして過ごして来た学園生活は、楽しいものだった。貴族の常識の許す範囲で、クリスティーナはチェルシーを受け容れ、チェルシーもまた分を弁えることを学習していた。チェルシーの齎す少し品性の無い、けれども華やかな雰囲気をアランも喜び、何かにつけてチェルシーを連れまわすようになっていった。
ならば、今日のこれもその一環ではないのか。思い直してみるも、クリスティーナの中でそれは否定に傾く。なにせ今宵は、聖夜祭だ。年に一度の冬至の日、長い夜を恋人と一緒に過ごす大事な日なのだ。
クリスティーナは、アランと一緒に過ごすべく、ひと月前に予定を合わせていた。それが前日、つまり昨日になって、アランが王室の秘事のために行けなくなった、と言い出したのである。
それならば、と聖夜祭につきものの、恋人へ贈るプレゼントを物色しに町へ出て、恋人たちで賑わう町の大通りで見かけたのが、つい先ほどの光景だった。
「……そういうこと、でしたのね」
わなわなとクリスティーナの手を震わせるのは、男の拙い嘘が為である。幼少の頃より、手に入らぬものなど何一つ無い、そんな生活を送ってきた彼女にとって、これは耐えがたい屈辱であった。ふわりふわりと粉雪が、クリスティーナの美しい金髪縦ロールに積もってゆく。
いっそ、チェルシーを亡き者にしてしまおうか。そんな考えが、クリスティーナの脳裏に過ぎる。相手は取るに足りない男爵家令嬢一人。消えたところで、家の権力を使えばどうとでも出来るだろう。湧き上がる黒い感情を、しかしクリスティーナはぶんぶんと頭を振って追い払う。縦ロールが動きに合わせて、雪を散らした。
「出来ませんわ……チェルシーは、大事な友人ですもの。それに」
安物の宝飾品の屋台で、目を輝かせる男爵家令嬢とそれを愛おしげに見つめる王子を遠目に見やる。
「……貴方のそんな顔、見たことはありませんでしてよ」
胸の痛みに、クリスティーナは二人から視線を逸らす。熱い滴がとめどなく、溢れてくるようだった。じっとしてはいられず、クリスティーナはその場から駆け出した。
「お嬢様っ!」
下僕の、若い執事が声を上げる。制止の声はしかし、今のクリスティーナには届かない。受けた屈辱の傷口は、彼女から冷静さを奪ってしまっていた。
駆け出したクリスティーナは勢いのままに、町にあるダンジョンの中へと向かう。そこは学園の武力教育のために用意された、訓練用のダンジョンだった。特徴的な金髪縦ロールのおかげで受付を素通りしたクリスティーナは、備品のメイスと小盾を手に、猛然とダンジョンを突き進む。涙で滲む視界をものともせずに、ただ我武者羅に彼女は奥へ、奥へと進んでいった。
やがて到達したのは、ダンジョンのエレベーターである。駆け込み、扉が閉まると同時、クリスティーナは文字盤へ八つ当たりをするように何度も拳を打ち付けた。エレベーターが動き出し、クリスティーナは単身で、下降してゆく。沈みゆく感覚は、いつ果てるともなく続いていった。
やがて、ぽーん、と間抜けな音とともにエレベーターが止まる。開いた扉を脊髄反射で飛び出したクリスティーナは、外の光景に目を見開いた。
「ここは……何ですの?」
学園の訓練用とは思えないダンジョンの光景が、目の前に拡がっている。生暖かい風が頬を撫で、鍾乳石の突き出た天井、整地のなされていない床、そして眼下には泡立つマグマ。そこは、人外魔境の地であった。
息を呑んだクリスティーナは、身を震わせて後退する。ここから先へ進んではいけない。頭の中で、本能が警鐘を打ち鳴らす。エレベーターに戻るべく踵を返す彼女であった。だが、
「そんな……扉が、無い?」
顧みた先にあるのはごつごつとした岩壁で、エレベーターの扉は影も形も無い。岩の右上に、薄く彫られた666、という数字が不気味に燐光を放っている。
「666階? どういうことかしら? ここは、5階だけの、ダンジョンの筈なのに……」
呆然と呟くクリスティーナの声は、ダンジョンの闇の中へと消えてゆく。彼女の疑問に応えるものは何も無く、かわりに、無数の邪悪な気配が近づいていた。
「どうして、私が、こんな……」
ぎりり、とメイスの柄を握る細い指に、力が入る。立ち尽くすクリスティーナの温かな血を求め、醜悪な地獄の化け物たちが姿を見せる。闇の中から現れた異形を目にして、クリスティーナの中で何かがぷつんと切れた。
「全部っ! あの馬鹿王子が悪いのですわああああ!」
令嬢らしからぬ叫びとともに、クリスティーナは強烈な一撃を化け物へと叩き込む。弱々しい生命波動しか持たぬ人間と侮り肉薄していた化け物にとってそれは、致命の一撃となった。薄気味悪い化け物は核を砕かれ、即座に絶命する。膨大な魔素が、クリスティーナの身体に流れ込んでゆく。
「何がっ! 王国の秘事ですかっ!」
続けざまに、本能のままにクリスティーナは破砕の一撃を振るう。鬼人もかくや、といえるほどの迫力にたじろいだ化け物たちが、成す術も無く砕かれ、散らされ、その命を魔素へと変えてゆく。
「チェルシーもっ! チェルシーですわ! 信じて、いたのにっ!」
踵を返し逃げ散る化け物を追って、クリスティーナはメイスを振るう。だが、訓練用のメイスは化け物たちの肉体を打ち砕き続けるには脆弱であった。幾度かの殴打の末に、根本からばきりと折れる。
「何もかも、上手くいかない! 幼い頃から、努力をしてきたのにっ!」
武器を手放したクリスティーナは、倒した化け物からドロップした得体の知れない武器を新たに構える。それは強力な魔化を施された、不気味に脈動するメイスであった。
「おのれ、チェルシー! おのれ、アランんんん! 決して、許しませんことよォオオオオ!」
ぐしゃり、ぐしゃりと化け物たちが叩き潰されてゆく。返り血を浴びながら狂態を見せるクリスティーナの姿は、この階層に棲む化け物らにとって、まさに悪役令嬢といえるものであった。
膨大な魔素を取り込み続け、クリスティーナは進撃を続ける。寝食を忘れ昼夜を問わず、果てなき地獄に災いを齎しながら、殺戮は続いていったのである。
ローゼンバーク侯爵令嬢が行方不明になり、三月の時が流れた。社交界の大輪の華である彼女が行方をくらましたことにより、王国は騒然となる。だが、それもひと時のことであった。婚約者のアラン王子が、捜索を早々に打ち切ってしまったのである。アラン王子の傍らに、挿げ替わるように侍るフランク男爵家令嬢の姿に、人々はスキャンダルの匂いを感じ、衆目はそちらへ集まったのである。
王子の学園卒業と同時に成人の儀が執り行われ、そこで王子は婚約者と正式な夫婦となる。ために王子の学園卒業式は、教会で行われる。
「皆の者、今日は、私たちのために集まってくれたこと、大儀に思う」
壇上で儀礼服に着飾った煌びやかな王子の隣に並ぶのは、無論フランク男爵家令嬢、チェルシーである。ピンクの髪に親しみやすい美少女の顔をした彼女もまた、婚礼のドレスを身に纏っている。小さく笑みを浮かべつつ手を振るその姿は、貴族的ではなく庶民の色が強い。列席する貴族の子女らの間に、かすかな嘲笑が流れた。
陰謀を巡らせ、婚約者を簒奪した女。裏では、チェルシーに対する評価は最低である。それでもチェルシーが大手を振って社交界に存在していられるのは、王子の庇護があってのものだ。王子が来賓席へ視線を巡らせれば、ひそひそと囁かれる悪口雑言が鳴りを潜める。
「諸君らも知っての通り、かつての私の婚約者であったクリスティーナ・ローゼンバーク侯爵令嬢は忽然と姿を消してしまった。これは、非常に胸の痛む出来事であった。しかし、私には、王家に連なる血を継いでゆくという、義務がある。ここにいるチェルシー・フランク男爵令嬢は、そんな私の想いを受け容れ、共に歩んでくれる存在である。これよりは我が王家の一員となるので、そのつもりで心得を改めよ」
王子の演説に、チェルシーとの婚儀を快く思わぬ男女双方から不満の視線が集まる。だが、王子にとってそれは些末事のようであり、凛と引き締めた表情にはひとつの陰りも見られなかった。
「皆様、アラン王子の御為を思うのであらば、どうか祝福を」
チェルシーの口から、殊勝な言葉が出る。華々しい花嫁への祝福よりも、夫となる王子への祝福をと言われれば、集まった貴族子女らに異は唱えられない。なんとなれば、これから国を背負って立つ頂点に座する者の為なのだ。これに逆らうことは自身ばかりではなく、親類縁者の末端にまで咎の及ぶところとなるのである。異論など、どれほど隅を叩いても、出て来る筈は無かった。
ぱらぱらと鳴り始めた拍手が、やがて合わさり大きな音に育ってゆく。仮初の祝福の中、アラン王子とチェルシーがゆっくりと向き合い、指輪を交換する。残るは、誓いのキスのみとなった、その時である。
教会の入口の、重い樫の木の扉が前触れも無く吹き飛んだ。
「な、何事だ!」
騒然となる教会聖堂内部に、もうもうと埃が立ち込める。粉々になった木の扉が、外から吹き込む風で気化して舞い散っているのだ。誰かが冷静に理解をするその前に、ソレは煙を纏い、ぬっと聖堂の中へと侵入を果たした。
ソレは、あまりにも巨大であった。教会の入口の高さは、二メートルもある。それを潜り抜けるのに、少しばかり身を屈め、窮屈そうに入って来る。
「だ、誰だ……」
王子が、掠れた声を上げる。この会場は王族の儀式に用いる場所であり、警護も厳重に行われている。不審な巨漢の入る隙など、どこにもない。その筈だった。
「あ、あれは……ッ! わ、我々は、あの姿を知っているッ! いや、あの髪型を、燦然と輝く五本の縦ロールを、知っているッ!」
唐突に語り始めた男のほうへ、王子が目を向ける。
「だ、誰だと言うのだ、ライデン子爵!」
問いかける王子に向かい、その巨漢はゆっくりと歩を進める。埃が晴れて、やがてその姿がくっきりと現れると、王子がグッと息を呑んだ。
「久しいな、アラン王子」
腹の底に響く声で、巨漢が言う。ぱちくり、と王子が端正な瞳を瞬かせ、巨漢を見つめ返す。
「……いや、誰だ、お前は?」
しばしの、沈黙が流れた。
「我の顔を見忘れたか? それは、少し寂しくあるが……無理もあるまい。少しばかり、面変わりしてしまったことは、否めぬのであるからな」
にっと微笑む巨漢からは、異様な迫力が醸し出されていた。筋骨隆々とした偉丈夫であるが、何故かその身に纏っているのはドリームティアラ中等学園の女生徒の制服である。みしみしと動くたびに軋みを上げる制服はサイズが合っておらず、六つに割れた見事な腹筋と大人の男性のウエストほどもある太股が、大きく露出している。暗い夜道などで出会えば、一生心に残る傷を負ってしまいかねない外見であった。
「わ、解らないのですか、アラン王子……ッ! こ、この御方は……ッ!」
先ほど声を上げたライデン子爵が、王子へ咎める視線を向ける。
「だ、だから、一体誰だと」
「我は、クリスティーナ・ローゼンバーク侯爵令嬢よ! 地獄の底より、ただいま舞い戻った!」
狼狽する王子へ向けて、巨漢が名乗る。
「き、貴様のような侯爵令嬢がいるかっ! しかも、よりにもよってあの眉目秀麗のレディの名を騙るとは、不届き千万!」
王子の記憶の中のクリスティーナと目の前の巨漢を比べれば、共通点は金髪縦ロールと制服のサイズくらいしか無い。王子の反応は、当然であった。
「うぬがどう思おうとも、うぬの勝手であるが……我が、わざわざ偽名を名乗る意味など無いことくらい、解るのではないか?」
「だ、黙れっ! 喋り方も全然違うじゃないか! 大体、億が一お前がクリスティーナであったとして、何をしにここへ来た! いや、それ以前に、どうやってここまで入って来たのだ、この痴れ者めが!」
問われて、巨漢クリスティーナは太い猪首を後ろへ軽く向ける。
「何、少しばかり、揉んでやったまでのことよ。王都を守る近衛兵ともあろうものが、少し撫でた程度で居眠りをするとは情けない。もう少し、練兵に力を入れるべきではないかな、アラン王子よ?」
嘯くクリスティーナの手には、いつの間にか何とも禍々しいメイスが握られていた。人の頭部より一回りほども大きい錘の部分が、赤く不気味に脈動する。王子の顔から、さあっと血の気が引いた。
「そ、その恐ろしい武器で、我が近衛兵らを屠って……」
「殺めてはおらぬ。手加減くらいは、心得ておる。我とて、悪魔では無いのだ」
にやりと、クリスティーナは不敵に笑う。頑丈そうなその顎は、それだけで王子を噛み砕いてしまえそうな迫力があった。
「そ、それで……一体、今更お前は何をしに来たというのだ……?」
クリスティーナの全身から放たれる覇風に気圧されつつも、気丈に王子は問い直す。クリスティーナはぎょろりとした眼を、王子と、そして王子の陰に隠れて必死に息を殺すチェルシーへと向ける。
「やはり、そうであったか、チェルシーよ……恐れずとも良い。此度、我がここへ参上したるは、うぬらの婚儀に祝福の華を添えんが為。他意は無い」
低く響くその声に、聖堂の中にざわめきの波が立った。もし仮に、この化け物じみた巨漢が自称する通りクリスティーナ・ローゼンバーク侯爵令嬢だとするならば、ここへ姿を現した理由は復讐以外には有り得ない。衆目の考えは、そう傾いていたのである。ざわめく一同を睥睨するように、クリスティーナは首を巡らし、そして真正面から王子とチェルシーを見据えて口を開く。
「我、クリスティーナ・ローゼンバークはアラン・ブリストル王子とチェルシー・フランク男爵令嬢の婚姻を認め、そして我とアラン王子の婚約破棄をここに宣言する!」
轟、と響き渡るその声は、王子とチェルシーの魂をも、震わせるものであった。神に認められ、互いの両親に認められていても、後ろ暗い噂は後を絶たない。謀略陰謀の類を用いて、邪魔なクリスティーナを亡き者にしたのであろう、そんな噂に浅からぬ傷を付けられていたチェルシーの心を救う、大喝であったのだ。
「クリスティーナ、様……ご、ごめんなさい。そして、ありがとう……」
大きな瞳に涙を浮かべ、チェルシーがクリスティーナの元へと駆け寄ってゆく。
「……良い子を、産むのだ。それが、うぬの役目ぞ、チェルシーよ」
地蔵のような柔和な笑みを浮かべ、クリスティーナはチェルシーの頭をその大きな腕に抱きこんだ。
「ううっ、わ、私、私っ……!」
「祝いの席に、涙を流すものがあるか。うぬは、花のように可憐に笑え」
ごしごしと、チェルシーの頭をクリスティーナは撫でつける。
「はい……はいっ!」
泣き笑いに崩れた顔を、チェルシーが上げる。莞爾とうなずき、クリスティーナはチェルシーを解放し、そしてくるりと背を向ける。
「ま、待てっ! どこへ行くつもりだ!」
思わず問いかける王子に、クリスティーナは顔だけを振り向かせる。
「これよりは家を捨て国を出て、さて、死ぬるときに死ぬるべく、風の向くまま旅にでも出ようかと。ゆえに、さらばだ、アラン王子。男子は、強くあれ!」
言って、クリスティーナは爽やかな笑みを見せる。それは、かつてのクリスティーナとは別の意味で、漢たちを奮い立たせるような、何とも粋な笑みであった。
「なんと見事な、益荒男ぶりよ……」
ライデン子爵が、感に堪えぬとばかりに呟きを漏らす。気づけば、聖堂に集った若い貴族子女たちは皆、クリスティーナの大きな背中に見惚れてしまっていた。これが、いけなかった。
「……アレが、クリスティーナ嬢であるかどうかは、最早どうでも良い。即刻、あの化け物を捕らえよ! いや、打ち殺せ! 決して、生かして王都より外へ出すなっ!」
ヒステリックに、王子が叫ぶ。国を導く王族という頂点にある者として、クリスティーナの見せたカリスマは、決して看過してはならぬ。本能的に、王子はそう悟ってしまったのである。
「ああ……クリスティーナ様……決して振り返らず、どうか、意のままに」
気絶した近衛兵らに檄を飛ばすべく教会を駆け出てゆくアラン王子を見送って、チェルシーが祈りに手を組んで小さく呟く。その顔には、しかし心配の色は無い。あの筋骨隆々となった侯爵令嬢は、決して王子の手の者になぞ捕まりはしないであろう。いや、何者をも、彼女の行く道を塞ぐことなど、出来はしないであろう。そんな確信じみた思いが、チェルシーに微笑を齎していた。
人々の怒号と罵声、祈りと歓声を逞しき広背筋に浴びてクリスティーナは歩いてゆく。空は青く晴れ晴れと、旅立つ若者たちの行く道を明るく照らすのであった。
なお、求心力を失ったアランが王位を継承した王国は数年で瓦解し、共和制が敷かれることとなったのであるが、旅の空の下にあるクリスティーナには、それは与り知らぬ話なのであった。
始めはまともな悪役令嬢ものを書くつもりだったんです! 信じてください! そして石を投げないでください!
ともあれ、最後までお読みいただきありがとうございます。
今年最後の投稿です。こんな作品でも、お楽しみいただけましたら幸いです。良いお年を^^