プロローグ
SのサイファーとMのマリエッタのドタバタメイドストーリーです。
今回はプロローグという形で、内容は少しだけです。
仲が良いのか悪いのか、二人を中心に展開するメイドのいる世界をどうぞお楽しみください!
「マリーッ! どこだっ! 出て来いっ!」
ここは、ハーヴァイアンス家。門から邸宅までは一面の野原と花に囲まれ、のどかな鳥のさえずりと木漏れ日が穏やかな日常の乖離を幻想的に映し出す。その先にあるものは荘厳にして静寂に包まれた巨大な異質物であり、権力の象徴。七つの村と四つの町を統治下に置く伯爵家がハーヴァイアンス家。伯爵とは個人名ではなく、領地を治めることに対して与えられる位階であり、ハーヴァイアンス家の者は誰も伯爵を名乗りはしない。社交界にての示しとして背負い、交友に披露するものであり、現当主サイファーはまるで興味を示すことがなかった。
「マリーッ! マリーはどこだっ?」
怒を含む声が回廊に響く。静寂の邸宅から響く声に鳥すらも飛び立つ。メイド、執事たちが廊下の中央部を空けて一礼したままにその背中を見送る。誰もが表情に恐れを覚えているが、サイファーはそれすら気にすることなく、呼ぶ。
「おい、マリーはどこにいる?」
「は、はい。マリエッタでしたら先ほど調理場へ向かうのを……」
「……っ」
メイドが言い終える前に舌打ちを残し、サイファーは調理場へ向かう。自身が攻められているわけではないのだが、言葉を遮られたメイドは、その舌打ちに身を震わせていた。
「また何か仕出かしたのかしら……?」
「今日も一段とお怒りだな、サイファー様は……」
「難しいお年頃だもんねぇ」
「お前ももう少しメイドとして自覚を持って働け。じゃなければ、ああなるぞ」
それでも空気はさほど険悪ではなかった。むしろサイファーに仕える者達はそれを茶飯事のように、どこか見慣れて呆れたような、自愛のある眼差しでその背中を見送ってもいた。
それにはやはり、この理由があるからでもあった。
「ふんふふんふーん」
朝食が終わりわずかな休憩を挟んだ後に、調理場は再びの喧騒を取り戻す。昼食の用意は朝食とは比にならない。誰一人として無駄口を叩く暇なく、コック長を中心に誰もが駆け回っている。
「るんたったーるんたったーるんたったらたー」
その中で、ただ一人、鼻歌を歌う女がいる。調理服ではなく、執事服でもなく、メイド服ともまた違う、制服を纏ったメイドがマドレーヌの生地を作っている。しかし、コックたちからは何も言われず、女は楽しげに作業に没頭していた。
「マリエッタ、アフタヌーンティーならスティルルームメイドの仕事だろう? お前がする必要はないだろう?」
見かねたのかコック長が覗き込む。スティルルームメイドとは、主にアフタヌーンティーにおいて重宝される茶や菓子全般を任される管理専門メイドであり、その違和感にコック長は声をかけたらしい。
「良いんですよ。サイファー様は、私の焼いたマドレーヌが好きなんですから」
品が良いというわけではなく、無邪気がしっくりくる笑顔で型へ流し込む。
「良いのか? サイファー様お付がここにいても? 今の時間帯ならばサイファー様のお支度のお世話だろう?」
「サイファー様もお年頃ですから、人に見られたくないだろうと言う私なりの配慮です。私が誰よりもサイファー様のことをご理解しているのですから、どうぞお気になさらず」
笑顔だが、邪魔するなと言うような物言いに、コック長は肩をすかし仕事へ戻る。同時に調理場の扉が勢い良く開かれた。
「マリーッ! ここにいるのかっ!?」
「ひゃうんっ!?」
背中から轟く大声に、マリエッタの体が跳ねた。調理中のコックたちも驚きに作業が止まった。
「あ、あら? サイファー様? い、いかがなされました?」
マリエッタが恐る恐る振り返ると、サイファーと視線が交わった。片方は信じられないと訴え、片方はここに嫌がったのかてめぇ、と威圧的な視線。一瞬にして静まり返る調理場に、サイファーの靴音がマリエッタへと響いていく。
「ど、どど、どうされましたか? ……あっ、サイファー様、ちゃんとお着替えはお済になられたんですねっ! 素敵ですっ! お似合いですっ」
唐突なほめ殺し。だが、マリエッタの笑顔は引きつっている。それを見たコックたちは悟った。
「マリー……ここで何をしている?」
サイファーの声が先ほどの大声ではなく、冷静すぎる小声。表情には怒りの笑顔。
「サ、サイファー様のお好きなマドレーヌを焼いてみようかなぁ……なんて思ったり思わなかったりでしてぇ……えへっ」
流し入れた生地を見せるマリエッタは、必死な笑顔。一瞬それにサイファーは視線を落としたが、すぐに口の端を不適に持ち上げた。
「こい」
「あぁんっ、い、いひゃいれふぅってふぁっ」
マリエッタの体が前のめりに引っ張られる。サイファーは問答無用でマリエッタの片頬を掴み、マリエッタはトレーを持ったまま歩かされる。
「誰よりも分かってるんじゃなかったか?」
そんなマリエッタの姿に、コック長は苦笑していた。
「コック長」
「はい、どうされましたか?」
「気にするな。それよりも、これを頼む」
そっけない口ぶりで、サイファーはマリエッタからマドレーヌの載ったトレーをひったくるとコック長に差し出す。
「ふぁっ……」
摘まれ痛いのだろう。マリエッタは涙目だが、笑っていた。サイファーはマリエッタを見ることなく、コック長に渡すとそそくさと調理場を出て行く。
「ふぇふぇへ……」
マリエッタがトレーを持つコック長に振り返り、ピースサインをした。
「やれやれ。サイファー様も甘いんだかどうなんだかな……」
コック長がそんなマリエッタに頷きながらオーブンの方へと向かう。
「気持ちが悪い笑いをするな」
「ふぁ、ふぁい……」
振り払えば簡単に解くことの出来る体格差。サイファーは身の丈に合う高さにマリエッタの頬を引っ張っているが、マリエッタは歩きにくそうに上体を前に倒している。
「お前の仕事は調理場にはない。するべき仕事をきちんとしてからしたいことはしろ、良いな?」
「ふぁ、ふぁい……あっ……」
そこでサイファーが手を離した。マリエッタの体が元に戻ると、サイファーの頭頂部がマリエッタの胸辺りまでしかないことが明確に出る。サイファーはそのまま部屋のほうへと歩いていくが、マリエッタは少々戸惑い気味に首を傾げていた。
「あ、あのぉ、サイファー様?」
「何だ? 今日はガルファージの農工業の視察が入っている。時間がない。手短に言え」
サイファーは待つことも振り返ることもせず、ただ歩く。その脇には使用人たちが頭を下げ、通過するのを待つ。マリエッタだけがその中で浮かれているようにのほほんと追従する。
「もう終わり、ですか?」
頬をさすりながら聞く。見事に赤くなっている以上、サイファーは手加減なしに摘んでいたことだが、マリエッタはそれが不満と言うよりも、不自然に思えたようだ。
「時間が無いと言っているだろう。不満ならば、後に回すぞ」
「い、いえっ、それは遠慮しておきますっ。痛いんですからね」
首を振りつつも、苦情を訴える。メイドにはあってはならない言動だが、マリエッタはサイファーの隣を歩く。メイドには非常識なことだった。
「辞めたければ辞めればいい。ハウスキーパーのグレースに申告するぞ」
「あわわわっ、や、辞めて下さいよ? グレースさんは怖い人なんですからぁ。もう、何度怒られたことだか覚えてないくらいなんですよぉ」
強気に見えて、サイファーのほうが圧倒的に扱いが上手。マリエッタは弱音を漏らす。
「お前の弱音を聞くのは俺の仕事じゃない。トリノ、マルクス」
「はい、お呼びでしょうか、サイファー様」
「ここにおります」
「はわっ、いつの間にっ?」
名前を呼んだ瞬間、外出仕事を主に担当するナースメイドのトリノと執事のマルクスがサイファーとマリエッタの後ろに現れる。
「支度は出来ているか?」
「はい。お車を回してあります」
「ガルファージへの手配も滞りなく」
「そうか。なら出るぞ」
「はい。お世話させていただきます」
マリエッタのことをまるで空気のように相手にすることなく、トリノとマルクスが早歩きのサイファーについていく。
「あっ、まっ、待ってくださいよぉ。私もお供しますぅ」
「必要ない。お前は仕事を怠っただろうが。たまった仕事を片付けろ」
マリエッタがこけそうになりながら、追いかけるが、サイファーがはじめて振り返り、冷たく言い放つ。
「ふぇ……? そ、そんな……」
マリエッタの表情から唖然と笑顔が無くなる。いつもと何かが違うとサイファーを見るが、サイファーはそれを無視して玄関へ向かう。
「マリエッタ。今回は今後の農業契約の取り交わしがあるのです。あなたがいては収まるものも収まらなくなるのです」
トリノが涼しげな眼差しと忠告を残し、髪を靡かせ歩いていく。
「ガルファージは今年農業不作だ。サイファー様もその対応策で戸惑っている。あまり機嫌を損ねさせるな。成長に悪い」
マルクスはトリノとは異なり、比較的温厚な性格で、五回させないようマリエッタに事情を耳打ちした後、トリノに並び、靴音を残す。
「…………」
マルクスの言葉を聞き、マリエッタは頬に手を寄せる。痛みは引いたが、その不自然さをようやく理解し、小さな背中をじっと見ていた。
しかし、マリエッタはそれを静かに見送るほど出来たメイドではなかった。
「わ、私もっ」
サイファーが過ぎ、顔を上げた使用人たちが立ち止まっていたマリエッタに視線を向け、トリノとマルクスも振り返る。サイファーは歩みを止めない。
「私ぃっ! 農家の娘なんですぅっ。だから、サイファー様なんかよりも農業には詳しいんですからねっ!」
明白は挑発的言葉。何を言い出すかと視線を向けていた使用人たちの表情から、一気に血の気が引く。主人に対し、そのような暴言は言語道断。即刻謝罪したところで解雇は間違いないことだ。サイファーの足もそろった瞬間に止まった。
「……何だと、マリー?」
冷静な声色だったサイファーに、火がついたような怒りがサイファーを振り返らせる。
「ひぅっ! ……ほ、本当なんですからねっ! こ、これでも、小麦、とうもろこし、じゃがいも、人参、トマトの栽培をお手伝いしていたんですからっ。何も知らないようなサイファー様になんか分からない目線で私は見ることが出来るんですよぉだっ」
一瞬鳥肌を立たせていたが、すぐに再びの強気発言に、サイファーの足が来た道をゆっくりと振り返る。それを見て、マリエッタが一瞬、笑みを浮かべた。
「マリー、誰に言っているのか分かっているのか?」
「マリエッタ。発言には気を払いなさい」
トリノもサイファーについて戻ってくる。表情は明白は嫌悪。マルクスも自信の忠告を無視しての発言に呆れているようで、ため息を吐いた。
「い、良いんですかぁ? 不作に対処する方法だって教わったことがあるんですからねっ」
近づいてくるサイファーに、マリエッタは恐怖に唇が震えていたが、どうしてもついて行きたいという欲に、必死にその場に経っていた。
「もう一度その口を叩いてみろ。縫い付けるぞ。それとも今すぐそうしてやろうか?」
「あひゃっ!? いひゃいいひゃいれふっ」
多くの使用人が見ている中で、サイファーは片腕でマリエッタの頬を押さえ込む。唇がたてに八の字に変形する。メイドにあるまじき表情にほかの使用人たちが目を逸らす。サイファーの表情には不敵な笑顔。
「サイファー様、時間もありません。そのあたりにされた方がよろしいかと」
見かねてマルクスが止めに入ると、舌打ちしながら乱暴にサイファーが腕を放す。
「ひゃうんっ」
「行くぞ、マルクス、トリノ」
マリエッタの体が大きく揺れるがこけるまでは行かなかった。
「あなたも懲りないわね、本当に。呆れるわ」
サイファーは先に歩き出し、マルクスが一瞬マリエッタを見た後についていき、トリノが理解に苦しむように言い放ち、二人の後追う。
「あうぅ、相変わらず容赦が無いですぅ」
取り残されたマリエッタが頬を摩っていると、サイファーが歩みを止める。
「サイファー様?」
「いかがされましたか?」
マルクスとトリノがサイファーを見る。
「……何を突っ立っている。早くしろ、マリー」
その言葉にマルクスは振り返り、トリノとマリエッタはそれぞれ異なる意味合いだが、同じ驚きを見せた。
「は、はいっ! すぐ参りますっ」
歩き出すサイファー。それをすぐに追いかけてくるマリエッタ。
「…………」
トリノは不満げにマリエッタを見ている。
「やれやれ。サイファー様もまだまだ子供、と言う事ですか」
しかし、マルクスは冷たいようで双ではないサイファーに自愛のある苦笑を双方に向けた。
「何だ、マルクス? 何がおかしい?」
「いえ、何でもございません。先を急ぎましょう、サイファー様」
「まっ、待って下さいぃ、サイファー様ぁっ」
先を行く三人を追いかけるマリエッタ。今日もハーヴァイアンス家はサイファーに脅えているようで、実は誰もがサイファーという当主のことを思い、守るために懸命に働いている。
「はわぁっ!?」
勢い欲何かがこける音がした。言わずもがなのマリエッタが恥じらいもなくおっぴろげにドレスを広げ、こけていた。
「どうして俺よりも大人のマリーの方が世話が焼けるんだ……」
その理由は、ただ一つ。ハーヴァイアンス家当主は、まだ十四の男の子だったのだ。
「全くです。マリエッタにはいま一つ自覚というものが足りておりません。ミス・グレースに再指導を頼むべきです」
トリノは、マイペースなマリエッタに対し、苛立ちがあるようだ。
「しかし、サイファー様のことを最もご理解されているのは、マリエッタだということは事実ですから」
「全く。マリーッ、もたもたするな。置いていかれたいのか?」
「はわわっ、お、置いていかないで下さいですよぉっ!」
これからは、こういうテンションのストーリーでいければと思っています。
もう一つの新規連載と合わせて、展開させていきますが、更新は不定期になります。




