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香記  作者: 鏡春哉
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Ⅲ 蘇芳家⑭

 空間は相変わらず光に満ち満ちていて、輪郭を持たない。故に広いのか狭いのか、そもそもこの空間に量があるのかすら分からない。しかし、ここには俺と草薙の二人しかいないことだけは確かである。

 話が一段落してから、草薙は白いワンピースをひらひらと揺らしながら、上機嫌に動き回っていた。

「ほら見て、佑磨」

 彼女は俄かに動きを止め、満面の笑みを浮かべた。右手のひらを俺の方へ突き出してくる。その瞬間、彼女の体は亀裂が入ったかのように揺れ動き、すぐに元に戻った。

「ノイズ」

 草薙はなんてことない顔をして、呟いた。俺は顔を顰め、今の出来事を脳内で反芻する。

「この空間では、不安定なのか?」

 無難な考えを口にしてみると、草薙がニタリと笑った。案外、間違っていなかったらしい。

「佑磨は現実世界内で魂を見る術を持たない。かと言って、生身の人間を天界に引っ張り上げることも出来ない。私は天界では実体を持つことが出来るけれど、地上ではただ空間を徘徊する記憶にしかなり得ない。まぁ、守護霊になってから多少は地上でも力の行使はできるようになったけれど、それでも佑磨との意思相通は無理なのよね」

 一方通行に喋り続け、草薙は独りでに溜息を吐く。

「だから、二人が妥協できる空間が必要になってくるわけ。所謂、仮想空間みたいなものを媒体にしないと、私たちは会話をすることは愚か、認識することもままならない」

 草薙は俺の方へ向けて伸ばしていた手を下ろし、明後日の方向を向いた。それから暫く物思いに耽った顔をして、口を閉ざしていた。次第に眉が歪み、唇が尖っていく。

「つまり、この空間を用意したのもまた、薫というわけか」

 草薙の視線が俺の方に戻ってくる。彼女の瞳には、微かに闘志の色が見受けられた。

「否定できないのが悔しいところね。それも、天界なりなんなりに存在する超越した力によってではなくて、地上のものでも利用し得る理論を使って、この空間を作り上げちゃったんだから」

 目を伏せ、静かに言い放つ。しかし余程悔しいのか、草薙の両手のひらは固く握られている。対する俺は、脳内にある予感を過ぎらせていた。

「……まさか、俺が確立した理論を?」

 草薙は真顔になり、瞼を薄く開いた。

「そう。|佑輝君が築いた基礎から(・・・・・・・・・・・)、佑磨が確立した理論(・・・・・・・・・)を使って(・・・・)、ね」

 彼女の視線は、すぐに明後日の方向へ逸れていく。俺はただその姿を、凝視することしか出来なかった。

 時空を操る数式。薫がこの空間を作り上げるのに、応用して使った理論だ。

 いつ、どこで、どのようにして、薫は俺の頭の中にしかない筈の理論を手に入れたのだろうか。この一つの疑問だけが、俺の脳内を圧倒的な威力で占領する。

 気付かないうちに、俺自身がメモでも残していたのだろうか。

 俺はその考えをすぐに振り払った。脳内に流れる情報をアウトプットするには、些か情報量が膨大過ぎているからだ。紙面に書くことはまずないが、パソコンに入力することも、俺のタイピング技術では到底賄えない。

 次に思いついたのは、薫もその理論を確立した、という考えだ。父親の研究資料が保存されていたあの青色のUSB――薫の手によって粉砕されたあの哀れな父親の形見の中身を、薫は俺の許可も無しに開いて見ている。つまり、俺と同じく内容を把握し、理論を積み立てていく事は可能であったわけなのである。

 幾ら薫がプログラマーであるからといえ、未だに得体の知れない人物である事には違いない。そんな彼女なら、難なく理論を確立してしまえるのではないかと、ぶっ飛んだ結論に至ってもいいような気がしていた。

 この線が濃厚である事に気が付くと、俺の心臓は尋常ではないくらいにバクバクと脈打った。緊張、というよりかは、憤りの感情に近しい。別に薫に対して怒っているわけではない。勝手気ままな人物であること、それから何を考えているのかよく分からない人でもあること、そうしたことをここ最近で嫌というほど見せつけられてきたのだ。今更怒っても仕方がない事は重々承知できている。

 だからなのか。俺は何に対して憤っているのか、よく分からなかった。何となく、言葉では言い表しにくい、もやもやとした感情が自分の中で渦巻いている。

 今まで経験したことのない、未知の感情が。

「言っておくけれど。芹沢さんは本当に、ただのプログラマーでしかないわよ」

 無駄にはきはきとした声が、俺を思考の海から無理矢理引きずり戻した。俺の視覚が現実を映し始めると、そこには数分前と変わらず宙に浮いた草薙の姿があった。彼女は横目で俺を眺め、つんとした表情を決め込んでいた。

「ただのプログラマーが、警察庁になんか出入りしないだろ」

 俺が突っ込むと、草薙のすました表情が忽ち崩れていった。

「あのね、そういう意味で言ったんじゃないの。確かに芹沢さんは警察庁御用達みたいな人だし、天界にも出入りするようなミステリアス人間でもあるんだけれどもね」

 そして悪魔を喰らうような偏食家、と草薙の言葉の終わりに、俺は心の中で付け加えた。その事は知らないらしい草薙が、再び一方通行に話し出す。

「あらゆる既存の知識や理論を応用して、世に出力していく事があの人の本職だって言いたかったの。佑磨みたいに理論を確立する能力があるかどうかは知らないけれど。どうであれ、芹沢さんは延々と理論を組み立てていくような、そんなだるい事はしない人だってことよ」

「別にだるくはないんだが」

あの人は(・・・・)、そうだって話。佑磨がどうのこうのなんて話はしてないわ。世の中、理論を見つけていくのが大好きな人間なんて、ごまんと居るんだから」

 何故か勝ち誇ったような笑みを浮かべて、彼女は言い放つ。

 詰まるところ、たとえ薫が父親の研究内容を見たとしても、そこから理論を派生させていくような面倒な真似はしない、という事になる。もっと言えば、彼女にはあの理論を確立する気など、端からなかった。すなわち、俺がつい先ほどまで考えていたことは、間違いだという事になる。仮に草薙が言う事を真実だと認めたならば、の話ではあるが。

 俺は口を噤み、草薙を見た。彼女は楽しそうに、ワンピースの裾をひらひらと揺らしている。

「要するに、佑磨の中にある知識を利用したってわけよ」

 訳の分からない事を言う草薙。俺は顔を顰め、彼女を見据えた。

「俺は口にした覚えはないのだが」

「口にしていなくたって、何も問題はないわよ」

「大アリだろうが。薫が読心術でも使ったって言うのか」

「いや、私が佑磨の脳内を覗き込んだって言ってるんだけど」

「…………………………は?」

 これは、そうだ。誰もいない河川敷を歩いている途中に、突然ボールが脳天に衝突してきた時に感じるような、あの感覚だ。それまでグルグルと考え事をしていたものが、一気に白紙に戻されたような、そんな感覚。

 草薙は特に俺を驚かせようと思って発言したわけではなかったらしく、突然訪れた沈黙に困惑していた。俺は一度咳払いをし、彼女に視線を向ける。

「今の言葉からすると、あんたは俺の心中を覗ける超能力者だという風に聞こえるんだが」

「超能力者まではいかないけれど。佑磨の守護霊なんだから、それくらいのことは出来るわよ」

 草薙はあっさりと返事をする。俺は顔には出さないものの、正直、激しく動揺していた。

「つ、つつ、つまり、ここ一年、俺が考えている事は筒抜けだったってわけか?」

 この空間では発汗することはないらしいが、どうも背中が生温かく感じられた。草薙は暫くきょとんとした顔で止まっていたが、次第にふふふと笑みを零す。

「そーんなわけないじゃない! それだったら、始終佑磨の思考が聞こえてノイローゼになるわよ。どうせ、些細な事からぐちゃぐちゃと考え事でもしていたんでしょう?」

 朗らかな回答に、俺はふっと短く息を漏らす。その様子を見た草薙が、徐に顔を近づけてきた。その表情は、悪戯っ子のように歪められている。

「それとも。お母さんには話せないような、あーんな事でも考えていたの?」

「なんだそれは。単にプライバシーの侵害だと言いたかっただけだ」

 真面目に返答すると、草薙の顔はあからさまにつまらなさそうになった。口を尖らせ、「なんだ、佑磨はまだそんな年頃じゃないのね。ませているくせに」とぶつぶつと呟く。

「それは別に関係ないだろう。それより、普段は聞こえないという事は、聞こうと思えば聞ける、という事なのか?」

 新たな質問をされ、草薙の機嫌が少しばかり直る。

「そうね。聞こうと思えば、聞こえる、という程度よ」

「なら、薫に頼まれたから聞いたという事だな?」

 鋭く問うと、草薙は黙り込んだ。暫く体をくねらせ、たじたじとその場を浮遊する。

「…………しょ、しょうがないでしょ。乗り掛かった舟なんだもの。勝手に下りたらどうなるか分かったものじゃないし」

 俺は何も言わないでおくことにした。薫に逆らえばどうなるのか気になるところだが、それを知らない者同士で話したところで、無意味な事は目に見えている。

 恐らく薫は、初めからこの謎の空間を作るつもりでいたのだ。その為にも、俺の脳内から出来上がった理論を引き出さねばならなかった。――否、もしかすれば、この理論を確立させるところから既に、薫は計算しつくしていたのかも知れない。どちらにせよ、彼女には時空を操る数式が必要であった。

 そこで、何のために、という疑問が浮上してくる。当然、俺と草薙を引き合わすためだと答えは出てくるのだが、疑問として浮上してきたのは、その根本的な理由についてである。

 確か、俺が此処(・・)に来る前、俺のパソコン画面を占拠したミニ薫の吹き出しに、『中身を見ただけでは、佑磨にはなんのこっちゃ分からないと思ったので 優しい優しい薫お姉様が 佑磨のために なんと、オプションを用意してみてあげたのです!』などというふざけた言葉が書かれていた筈である。何度思い出しても余計な事をしてくれたとしか思えない、というか思いたくないのだが、残念ながらこの言葉が根本の理由になるのである。

 言葉の通り、あのUSBメモリの中身は、最低限過去の知識がなければ、見ても何のことだかすぐには分からない情報が保存されている、という事である。現に、草薙と会った事で俺の出生の秘密は明かされた。つまり、それを前提とすることが出来る今、薫に無理矢理隠されたあの中身を、俺は見る権利を得たというわけなのだ。

 しかし、この時点で問題が幾つか発生する。

「なぁ、草薙。少しいいか?」

 会話が途切れて退屈そうにしていた草薙が、柔らかい笑みを浮かべた。

「ママ、とか、お母さんって呼んでくれたらいいわよ」

 沈黙。暫く俺たちの周囲を流れる時間が凍り付いた。

「…………どうやったらこの空間から出られるんだ?」

「ねぇ、無視しないで! スルーしないで! これでも、我が子に母親として呼ばれるの、夢だったのよ!」

 草薙はワンピースの袖の裾を噛み締め、今にも零れ落ちそうなほど目を潤ませている。対して俺は、顔を顰めていた。昼ドラの如くいきなり実母だと言われても、実感が湧かないのは定石であろう。だが彼女の過去を知った今、俺がその願望を無碍に出来る筈もなかった。

「母さん」

 瞬間、草薙の顔が犯罪者並みに緩みきった表情になった。頬は紅潮し、唇は半開きに。もとから目尻の下がった目元が、さらに弛んでいる。

 俺がすぐさま冷ややかな視線を送ると、草薙は気を取り直すように、一つ咳払いをした。

「いいわよ、教えてあげる」

 急激にヒートした顔を冷ますように、彼女は右手で仰いだ。目を伏せ、誤魔化すように不敵な笑みを浮かべる。

「この空間からの脱出は、芹沢さんの一存で決まっているわ」

「さらりと恐ろしい事を言うな」

 俺が溜め息を吐くと、草薙も同じく溜息を吐いていた。

「ここは、『ちっ、使えねーな、守護霊のくせに』って言う所でしょ」

 ただし、俺の感情とは大分違った感情からくる溜息のようである。

「言って欲しかったのか?」

「いや、私としてはヤンキーよりもインテリな息子で良かったと思ってるわよ。でも、願わくば文武両道な子であって欲しかったわ」

「生まれつき日の光に弱い俺に、それを言うな」

「ならいっそ、吸血姫にでもなる?」

「何か今、言葉のニュアンスがおかしくなかったか?」

 草薙は手のひらで口元を隠し、「嫌だなぁ」とやけに明るい声で言う。

「佑磨って小顔だし、肌白いし、眼もくりくりっと大きいし、髪もさらさらしてるじゃない?」

 俺は半眼になって草薙を見据えた。幾ら実母とは言え、俺のコンプレックスに近しい事を、ストレートに連続投球してくるのは如何なものだろうか。

「それに、背もミニマムサイズで可愛いし」

「やめてくれ」

「だったら、女の子でもいいかなーって」

「やめろって言ってるだろ!」

「あ、でもちょっとつり目だよね。という事は、将来有望ってところかしら」

 楽しそうに一人で喋り通す。最早彼女の聴覚器官はシャットアウトされている。俺はこれ以上言っても仕方がないと割り切り、勝手に喋らせておくことにした。

「あー、見たかったなぁ。成長した佑磨の姿」

 暫く容赦のない言葉を羅列した後、草薙はそう呟いた。羨望の目で明後日の方向を見る。俺は後頭部に青筋を立てながら、半ば自棄になって適当な相槌を打った。

「見ればいいんじゃないのか。俺の守護霊なんだろ」

「うん、そうなんだけれどもね。期間限定だからそういうわけにもいかないのよ」

 不意に、全身から力が抜けたような感覚がした。勢いよく顔を上げ、草薙を見る。彼女も、真っ直ぐにこちらを見据えていた。

「なんだ、薫も全能ではないんだな」

 吐く息とともに、素っ気ない言葉が零れ出てくる。

「あの人は、所詮生身の人間だものね。限界ってものがあるんだと思うわ。というか、無いとおかしいわよ。これで永遠に佑磨の守護霊になれるなんて言われていたら、さすがの私でも辞退していたわ」

 草薙は口を尖らせ、「だって、胡散臭いでしょ」と呟く。

「でも別にいいわ。本来なら会う事も、話す事さえも出来なかったはずの佑磨と、こうして会って話せたんだから。なかなか有意義な時間だったわ。……佑磨はどうだった? 実母と会えて、過去の話も聞いて」

 はきはきとした声に似つかわず、草薙は無駄に柔らかい笑みを浮かべる。俺は思わず目を逸らしてしまった。

「別に。俺の中では、今でもあんたは第三者でしかない、と思うくらいだ」

 草薙が苦笑する。

「酷いなぁ。それってつまり、自分の母親は、たとえ血が繋がっていないのだとしても美波ちゃんだって言ってるの?」

「さぁ。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

「隠し事は許しませんよ? なんなら、守護霊の特権で佑磨の脳内を覗いちゃうぞ」

 バチッと片目を瞑る。ウインクのつもりなのだろうが、顔が歪んで何とも滑稽だった。お陰で盛大に吹き出してしまう。草薙は「失礼ねぇ」と不満気に眉を顰めた。

「あはは、いや、悪い。……だが、俺の脳内を覗いたところで、分からないと思うぞ」

「何、隠せる自信があるって言うの?」

 俺は笑いをこらえながら、違うと否定する。

「俺自身が分かっていないのに、分かるわけがないだろって言う話だ」

 草薙も笑った。

「うん、それもそうね」


 幾分かして笑いの衝動が収まった後、俺は改めて草薙を見据えた。

「なぁ、草薙。最後に一つ、いいか?」

「何? 佑磨」

 こちらも、笑いから落ち着きを取り戻した草薙が、言葉を返してくる。

「ここって、USBメモリの中だろ」

 草薙の唇が、薄く広がった。

「常識に囚われないところは、褒めて遣わすわ」

「どこの殿様だ」

 彼女はふふふと小さく笑みを漏らし、パチンと指を鳴らした。

 その時。

 前後上下左右に、膨大な量の写真が浮かび上がった。空間の奥行きが何処まであるか分からないなりに、何処までも写真が続いている。

 俺はゆっくりと周囲を見渡し、今し方浮かび上がってきた写真を眺めた。

「あんたと、父さんの写真か」

「そう。私と、佑輝君の写真。デジカメで撮ったデータを、USBに保存していたのよ。これでも、佑輝君の婚約者だったから、それなりに思い出の写真はとっておきたいって思うものじゃない?」

 草薙は俺の隣に並び、一緒になって写真を眺める。俺と一つ違うのは、興味の目でそれらを見る俺に対し、草薙の目には懐かしみが含まれているという点である。

 俺と草薙は、写真の合間を縫うようにして空間を彷徨う。

「あ、母さんが写った写真もある」

 母親と父親、それから草薙が三人で飲み会をしているような写真を目にして、呟く。

「うん、美波ちゃんね。……一応、私も佑磨のお母さんなんだけどなぁ」

「…………やっぱり、二人が親しくなったのは高校の同窓会の時からなんだよな」

 草薙は明らかに落胆した様子で「悉く受け流してくれるわね」とぼやく。

「そうね。でも、高校時代から美波ちゃんの追っかけは有名だったわよ。……佑輝君は気付いてなかったみたいだけれど」

「大方、研究にでも明け暮れていたからなんだろ」

「さすが遺伝子を分けた親子ね。十割正解よ」

「今の、割合にして言う必要はあったのか?」

 二人して取り留めもない会話をしながら、ふらふらと浮遊し、つれづれに写真を見て回る。そのうち、俺は写真の右下隅に日付が書かれているのを見つけた。

「全部、十年より以前のものだな」

「当たり前じゃない。だってこれ、私のUSBなんだもの」

「なるほど。こんな物をそのまま取っておいたら、母親に速攻で捨てられていたわけだ」

 一人で納得していると、脳天にクエスチョンマークを浮かべた草薙が、写真の日付部分を覗き込んだ。

「確かにそうよね。でも、どうしてこれが残っていたのかしら。カッとしたら周りが見えなくなる、嫉妬心の塊みたいな美波ちゃんが、大事に保管しておいたなんて」

「中身を知らなかったからだろ。だから、父親の遺品と思って仕舞い込んでいたんだ」

 草薙は小首を傾げる。

「私、暗号化なんてしてないわよ。佑輝君にも、そんな技術はなかったし」

「だから此処で薫が出てくるんだろうが」

 彼女は数回目を瞬いてから、やおら、上を向いた。

「あぁ、そうだったわね」

 感情の籠っていない声で、そう、言葉を解き放った。柔らかく微笑み、視線を俺の方に戻してくる。

「そろそろ時間のようね。あの人も気紛れだから、この機を逃すと此処に取り残されちゃうわ」

 そう言って、草薙は俺の頭を優しく撫でる。

「またいつか会えるといいわね。可能性として高いのは、佑磨が天界に来るときかしら」

「何気なく八歳児に死を勧めるな」

「すぐにとは言ってないわ。もうちょっと成長してから……」

「あまりそういうことを意識させないでくれるか。……俺も生を受けた人間なんだ。来る時が来ればそうなる。それは必然的事項だ」

「それもそうだわ。まぁ、会えるかどうかは分からないけれど、気長に待つ事にしましょう」

 草薙はふふふと、小さく笑った。俺をふわりと抱きしめ、耳元で囁く。

「じゃあ、またね」

 吐息が外耳をくすぐったかと思うと、一瞬にして目の前が暗転した。何かに引き戻されるような強大な引力と共に、猛烈な吐き気が俺の感覚を根こそぎ奪っていく。

 朦朧とした思考の中、俺の脳内にぽつりと一つの言葉が浮かんできた。


『面白い』


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