Ⅲ 蘇芳家②
俺と李深蓝は部屋を出てから、俺がまだ確認していない部屋を二人で見て回った。結果として分かったのは、李深蓝が寝ていた部屋から一個飛ばしに位置する部屋のベッドで、若槻が眠りこけていた事だ。誰がどのような規則性を持って部屋に放り込んだのかは知れない。しかし、下の階の三人の事も含めて、あまりにも不規則過ぎやしないだろうかと思うのである。
李深蓝曰く、彼もまた、いつあの部屋に入ったのか記憶にないらしい。俺と同様に寝落ちたのを移動させられたのなら、何故成人した男性――少なくとも、俺よりかは遥かに重たい筈の李深蓝を、二階の部屋まで運んだのだろうか。
此処で運んだ人物として挙げられるのは薫しか思い浮かばないのだが、それならますます不可解に思えてくる。薫を一般的な女性と同一視していいかという疑問は残るけれど、それにしたって、重たいものをわざわざ二階まで運ぼうとは思わないだろう。そもそも、下の階にはまだ空き部屋があるのだ。そう苦労してまで、階段を登ろうとする意味が分からない。
李深蓝もそれを不思議に思っていたのか、俺の言葉に同調した。俺と彼は、同時にベッドの方に視線を向ける。
考えている事は同じ。李深蓝がベッドに近づいた。
睡眠薬を俺たちに投与した張本人は、体を揺さぶられても、頬をつねられても、頭を叩かれても、ピクリとも動こうとしなかった。最終的には両足を引っ張り上げられ、宙吊り状態にさせられるという、悲惨な光景にまで至ったが、それでもされるままになるだけで、起きようとしない。何をしても起きないからか、薄い笑みを浮かべる李深蓝の額に幾つかの青筋が立ってしまう始末だ。
そんな彼を宥めようと思う俺ではないから、ストレートに「起きないな」と呟く。
「そうだね。若槻君に一番効果があったんじゃないかな、あの睡眠薬は。そう言えば、最近徹夜が多くて逆に眠れなくなったって言う話を何処かでしたような覚えがあるから、多分、自分専用の睡眠薬を開発していたんだろうね」
刺々しく言う。彼の事情は知った事ではないが、今のところ優先すべきは、薫の居所を突き止める事である。
「取り敢えず、他の部屋も探そう。動きが無いようだから、まだ寝ているのかも知れない」
そう言うと、李深蓝は表情を変えずにこちらを見てきた。何か、気に障るような事でも言ったのだろうか。
「薫さんは、多分、起きていると思うよ」
そう言い切る李深蓝に、俺は首を傾げた。
「何でそんな事が分かるんだ?」
「それは、薫さんが既に丸二日睡眠をとっているからだよ」
俺はますます混乱して、李深蓝の顔を凝視した。しかし、自棄になって口走っている様子はなく、あくまでも、真実を述べていると言った風貌だった。
「そこは普通に、朝を通り越して昼間に近い時間帯だからって言えばいいんじゃないのか? それだとなんだか、寝溜めをしたから、と言っているように聞こえるんだが」
「聞こえるも何も、そう言ってるんだよ。薫さんは、そういう人だ」
「人間業じゃないだろ、それは」
李深蓝は、はははと笑った。先程までの怒りが幾分か解消されてきたのか、彼の額は元に戻っていた。
「可能性は無限大って言うじゃないか」
「良いこと言った風にまとめるな。……もういい。探すぞ」
「でも、居ないと思うんだよなぁ、僕は」
部屋を出て行こうとしていた俺を、彼は意図せず引き留める。彼はベッドの上に落とした若槻の、その足を踏むようにして座っている。
「後から付け足すように言うな。そう思っていたのなら、最初から言え!」
「うーん、でも、確信があったわけじゃないからねぇ。ほら、よくあるでしょ。刑事の勘ってやつ」
核心を突こうとしない李深蓝に、俺は冷ややかな視線を送ってやった。彼は低く両手を上げて、「そう非難がましい目で見ないでくれよ」と軽く言う。俺はそこで、溜息を吐いた。
「つまり、根拠はない、と」
「そういう事。でも、間違ってはいないと思うよ?」
「何故そう言える?」
俺が低い声で問うと、彼は初めに出会った時のような澄ました顔をして、答えた。
「あれから三日経っているからさ」
沈黙。
それは、否定しようのない事実である事は、俺より幼い子供でも分かる話だ。しかし、それがどのように関連付けられているのかは、俺にさえも分からない。
俺がジト目で彼を見ていると、彼は失笑して解説を加えた。
「簡単に言えば、出勤しているって事さ。今日は平日だからね」
至極当然の事のように言う。なるほど、確かにその通りである。実際、李深蓝が目覚めてから、三日が経っている事を知った時、彼はすぐに仕事の話を持ち出した。彼がそうであるように、薫もまた、成人した女性なのだ。平日に仕事に出向くというのは、限りなく当然の事なのである。
そしてふと、また疑問が浮かぶのである。
「なら、何であんたは出勤しようとしていないんだ? さっきあれ程慌てていたのに」
純粋に問うたからか、彼もまた、純粋に答える。
「ん? それはね、僕らが実験台にされたからだよ」
「簡潔にまとめすぎるな。もう少し詳しく説明しろ」
「ははは、佑磨君は厳しいね。要は、体に合わない睡眠薬を投与されて、体が鈍っている時に仕事なんてできないだろうって言う話だよ。もう、何度も経験している事だから、みんなもそんなに驚かないんじゃないかな。……それにしても、三日というのは最高記録だね。溜まっている仕事の事を考えると、些か気落ちするよ」
李深蓝は小さく息を吐いた。俺はどのように反応すればいいのか分からなかったので、簡単に「そうか」と相槌を打つことしか出来なかった。
「だから、僕らは強制的に休日になるんだよ。君も起きた時、頭が重たかっただろう?」
言われて、倦怠感の原因が、体に合わない強い睡眠薬のせいだったことに気付く。否、とっくに気付いてはいたが、認めたくなかったのである。それが何故かと問われれば、俺がまんまと実験台にされていたことに対する憤怒である。
そういう事は、予め教えておいて欲しかった。いや、歓迎会のタイミングでするなんて、馬鹿げているにもほどがある。もう少し、節度を持って欲しいと愚痴をこぼしたいくらいだ。しかし、当の本人は目の前で寝息を立てている。愚痴のやり場が無いのは明らかだが、彼の無防備な姿を見ると、何故だか少しばかり苛立ちが緩和されるのであった。
「なら、何をしても良いという事だな?」
「? うん、まぁそうだね。休日だから。それに君はまだ、正式に所属されているわけじゃないから、まだ自由な身だよね」
俺は一つ頷き、李深蓝を見据えた。彼は何事かと、不思議そうに目を見開いている。
「それなら少し、付き合ってくれないか。確かめたいことがあるんだ」
俺の言葉に首を傾げつつも、断る理由が無いからか、彼は「別にいいけれど」と言って、ベッドから立ち上がった。
それから部屋を出て俺たちが向かったのは、二階の奥の奥の部屋。
薫曰く、「書斎」と呼ばれる場所である。




