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香記  作者: 鏡春哉
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Ⅱ 黙静課⑬

「そうだ、礼を言っておくのを忘れていた」

 話に一区切りがついた後、俺たちは帰路へとついていた。土方はどうやら送ってくれる気らしく、俺の隣に並んで歩いている。

「お礼なんて、そんな。護衛も仕事のうちなんだから」

 遠慮がちな笑みを浮かべて、土方はそう言った。俺は半眼になってその顔を見返す。

「俺は助けて貰っておいて礼を言わない程の、不届きものじゃないんだ。……別に言葉を貰ったところで困るわけじゃないだろ。こちらとしても減るものでもないわけだし、素直に受け取ったらどうだ」

「……大人を論破する小学生って、なんだか怖いよね」

「お前、大人だったのか」

「もしかして私、君に苛められてるのかな」

 情けなさそうに顔を歪める土方。俺は最後の呟きに対しては、何も返さなかった。

 薫の家に着き、玄関の戸に手をかけたところで俺は動きを止めた。後ろには、未だに土方の気配がする。何も声を掛けてこないので、俺が家の中に入るまで見届けるつもりなのだろうか。

 はっきりとした理由はないが、見届けられる、という行為は、些かむず痒いのである。俺は後ろを振り返って、あの柔らかい笑みを浮かべて俺を見ている土方を見据えた。

「どうしたの、少年A君。入らないの?」

「ここまで付いてきたのなら、もういいだろ」

 土方は小首を傾げた。怪訝そうな顔をしているので、何の話をしているのかが分かっていないのだろうか、と俺は考える。

「護衛として付いてきたのだとしても、此処まで見届けなくてもいいだろって言ってるんだ」

「……私、招待されたからここに来ただけなんだけど」

 これには、俺も眉根を寄せた。話が噛み合っていない。いや、噛み合わない。それこそ、一体何の話をしているのかと問いたい。

「招待って、なんだ」

「招待は招待だよ。多分、入ってみれば分かるんじゃないかな」

 核心を逸らした言い方に蟠りを覚えつつも、俺は握っていた手に力を込めた。カチャリ、とゆっくり音が鳴り、開きドアが開いていく。

 パァァァァァァアアアアアン!

 唐突な破裂音と衝撃波、及び飛来物が顔面に直撃する。微かに、嗅覚が火薬の臭いを感知した。俺は顔を顰め、顔にかかった柔らかい紙テープを右手で払う。

 目の前には、細長い円錐形のクラッカーを持った、見覚えのある陰気な男の姿が見受けられた。彼は無表情のまま、俺に向けてクラッカーを突き出している。

 クラッカーと俺の距離は、僅か五十センチ程度。

「……土方、これは『招待』じゃなくて、『撃退』の間違いなんじゃないのか?」

「……うーん、どうなんだろう。取り敢えず若槻さん、クラッカーは人に向けて使っちゃ駄目です」

 土方に窘められた若槻は、「そうか」と低く呟いて、向けていたクラッカーを下ろした。無表情には変わりなかったが、仄かに残念そうな雰囲気を醸し出しつつ、玄関の奥へと引っ込んでしまった。

「それで一つ聞きたいんだが」

「うん、何で若槻さんが此処にいるのかって話でしょ?」

 俺は隣にやってきた土方に冷ややかな視線を送りつつ、口を開いた。

「……招待というのは、黙静課メンバーでパーティか何かをするって事でいいんだな?」

「そうだね。君の歓迎パーティをするんだよ」

 なるほど。黙静課の面々は、単なるパーリーピーポーな集団だった、というわけではなく、一応俺を歓迎する会を開くくらいには、常識人が集まっているようだ。

「つまり、他のメンバーも来ているという事だな?」

「そうなるね。もう、みんな集まってると思う」

 此処で思うのは、俺がまだ正式な黙静課メンバーではないという事だ。それでも今日歓迎会をするという事は、申請が終わってからだとする暇が無い、という言葉に換言出来るのだろう。

 別に御大層なパーティを開いて貰わなくても大いに結構なのだが、俺は人の好意を無碍にするほど冷血な人間ではない。未だに謎なそのメンバーも知れるのだというのだから、寧ろ一石二鳥ものなのではないだろうか。

 俺と土方は玄関を上がり、居間に向かった。居間に繋がる扉を開けると、家を出た時とは打って変わった、華やかな居間が広がっていた。

 ビフォアーが殺風景で生活感の無さすぎる空間だったせいで、アフターとのギャップが激しすぎた。部屋の壁には、何処の運動会だと思える程の万国旗が連なっており、その奥には、『ようこそ 佑磨君!』とポップな書体で書かれた手作り看板が掲げられている。いつの間に膨らませたのだと疑問に思いかねない量の風船が、天井に数多浮かんでいて、正直カラフル過ぎて、目に痛い。テーブル上はクリスマスイベントかとツッコミたくなるような、西洋風の料理がずらりと並べられている。その周囲には、人数分だと思われる、オムライスが置かれていた。しかし、そのオムライスにはケチャップがかかっていない。

 ……その為のケチャップだったのか?

 俺は今も手に持っている、買ったばかりのケチャップを見て、溜息を吐いた。

 恐らくお使いを頼んだのは、この準備をするためだったのだろう。だが、サプライズをするのなら、もっと他の方法で外に連れ出しても良かったのではなかろうか。お陰で、俺は変なものに襲われるなどという、奇妙な体験をしてしまったではないか。

 台所の方から、最後のオムライスと思われる皿を持って、薫が現れた。

「おや、お帰り二人とも。早かったね。もう少し時間がかかっているものだとばかり思っていたのだけれど」

「……まさか、俺が襲われることも、計算のうちだったのか?」

 皮肉気に言うと、薫は乾いた笑い声を立てながらオムライスを机上に置いた。全く、この女は手加減というものを知らない。いや、程よい塩梅というものが、分かっていないのではないだろうか。

「ちゃんとケチャップは買ってこられたみたいだね。ご苦労サマサマ」

「園児じゃないんだから、このくらいのことは出来る。それより薫、分かっているのなら教えろ。あの妙な生き物は何だったんだ?」

 台所に戻りかけていた薫が、一旦止まって頭だけをこちらに向けた。

「それは歓迎会が終わってから話すよ。そう、急いて話すような事でもないしね」

 別段、急いていたわけではなかったが、未知のものを知りたい、と思うのは、当然の理なのではなかろうか。

 俺は半眼を薫に向けたが、その視線攻撃が彼女に通用しないことが分かっていたので、それ以上は追求しなかった。どうせ、後から教えて貰えるのだ。無理矢理口を開かせるような、無駄な労力は使いたくない。

 そう思ってソファに座ると、どっと疲労感が体中を支配し始めた。先程「何か」に追われて走っていた際の、後遺症に相違ない。俺が溜め息をついていると、俺の隣に、遠慮がちに土方が座ってきた。彼女は、憐れむようにして俺を見る。

「お疲れさま、少年A君」

「……そろそろそうやって呼ぶの、やめたらどうだ?」

「え、でも、君がそう呼べって……」

「それは、あんたとの関係があの時限りだと思っていたからだよ」

 土方は目を剥いた。

「酷い! 私はちゃんと名乗ったのに!」

「誘拐犯疑惑のかかったやつに、本名名乗る馬鹿がどこにいる」

「え、じゃあ、名前で呼んでいいって事は、誘拐犯疑惑が晴れたって事?」

「……………………」

 俺が黙っていると、土方はニヤけが止まらないといった表情をし始めた。

「君ってば、素直じゃないなぁ。本当に、もう」

 ニヤニヤと俺を見ては、ウフフと気味の悪い笑い声を漏らす。何がそんなに嬉しかったのかは到底分からないし、分かりたくもない。俺は喜びを噛み締めている土方を視線から外し、改めて部屋の中を見た。

 どう考えても、一人でやったとは思えない装飾の量だ。薫の事だから、もしかすると出来てしまう可能性も、無きにしも非ずだ。だが、その当の本人は、豪勢な料理を手掛けている真っ最中だ。さすがに、俺がスーパーに行って、ケチャップを探して買って、ちょっと「何か」に襲われて、土方に助けられて、帰ってくるまでの間に、全ての事が出来たとは言い難い。

 それに、と俺は頭の中で付け加える。

 土方は、「もう、みんな集まってる」と言っていた。居間には土方と俺の他には誰もいないが、他の部屋には、その通り誰かがいるのかもしれない。

 探しに行くのも面倒だったので、俺は大人しく歓迎会が始まるのを待つ事にした。横目に土方を見遣ると、未だに表情筋を緩ませている。

 薫とは、また違った意味で厄介そうな人間だ。先程の若槻という変人も、非常識な振る舞いをしていた記憶しか、俺にはない。全く、こんな人間が他にもいるのかと思うと、非常に不安で仕方がない。取り敢えず、俺の聴覚は真っ先にやられるのではなかろうか。

 俺が最早何度目になるか分からない溜息を吐いた時、廊下へとつながる扉が開いた。


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