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香記  作者: 鏡春哉
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Ⅱ 黙静課⑩

 最後のUSBをパソコンに差し込んでから、約三十分。俺はその間、ずっと暗号解除に勤しんでいた。

 何故このUSBだけ暗号化されているのか。それをするなら、一番初めに見た、あの研究資料のデータが保存されたUSBだろうに。つまり、このUSBには、それ以上の機密情報が隠されている、とでもいう事なのだろうか。

 俺は久々になかなか解けない暗号を目の前にして、半ば呆れ、半ば楽しんでいた。父親にこれ程までの技術があったかと問われると、知らないとしか言いようがない。もとより、謎の多い人物だったから、俺が彼のすべてを把握できていた、と豪語することはできない。

 しかし、だ。此処までいじくってみて、なんの反応も返ってこないとは。まるでコンピューターウイルスに感染してしまったかと思われるほどに、ファイルは頑固として開こうとしない。念のためウイルスチェックを行ってみたが、やはりと言えばいいのか、そうした脅威は検出されなかった。

 俺は途中から躍起になって、あらゆる手段を行使し始めた。時には法に抵触しそうな方法も使ってみたが、それでも何も起こらない。

 俺は一旦画面から目を離し、一息ついた。軽く目を閉じて、目の前の暗号化されたファイルについて分析し直す。

 再び目を開けると、部屋の中は薄暗くなっていた。時計を見ると、時刻は午後五時半ごろを指している。俺は溜息を吐いて、「……知識不足だろうか」と呟いた。

 何を隠そう。この俺でさえも、匙を投げかねない程度に解決法が見つからないのだ。これに関して、俺のプライドと好奇心が許さなかった。しかし、どうしていいか分からない限り、この泥沼からは抜け出すことが出来ない。

 大きく伸びをして、もう一度画面を覗き込んだ。そこには、『ロックがかかっています』と書かれているだけで、IDもパスワードも、入力できるような空欄は存在しなかった。

 何をどうすればこのように暗号化できるのか、まずそこからの知識が俺には無い。言い訳をするとすれば、門外漢だとでも言っておこうか。研究にパソコンを使わない事は決してないのだけれど、資料作成や、実験結果の入力、論文を書くなどと、そういった基本的な事でしか利用しない代物だ。そう深いところを突いてこられると、どうも弱いのである。

 そこで、俺は他人から知識を得られればいいのではないかという考えに至った。自分で出来なければ自分が許さない、などという、間違った方向へのプライドを、俺は持ち合わせていない。薫と同様に、使えるものは、使ってしまおうと考える質だ。だから、インターネットに接続すれば、何らかの情報は得られるのではないかと思ったわけである。

 だがしかし。ここでまた、問題が発生するのである。

 この家の、インターネット環境が分からない。無線ランだとしても、どの無線ランなのか。セキュリティ保護されているから、そのパスワードは何なのか。

 俺は、今日は此処までにしておくべきだろうか、という思いを脳裏に過ぎらせた。昨日見たメモの内容が正しければ、薫がそろそろ起き上がってくる頃合いになってくるだろう。それまでに、という制限時間は勿論ないのだが、薫が起きてきたら起きてきたで、訊きたいことが山ほどあるのだ。

 俺は潔く、USBを抜き取り、パソコンの電源を切った。画面を閉じ、リュックの中に仕舞い込む。それから、テーブル状に並べられた、三つのUSBを見遣った。

 一つ目は、青色のUSB。その隣にあるのは、薄ピンク色のUSB。そして最後は、灰色のUSBだ。そのどれも、違う形をしていて、違うメーカーのロゴが描かれていた。

 そしてふと、俺は思った。

 何故全て、違う種類のUSBなのか。

 薄ピンク色のUSBについては、母親のものであるから、という事はすぐに分かる。しかし、他二つは、恐らくではあるが、父親のものであるに相違ない。色を変えたことは分からなくもないが、メーカーまで変える必要はあったのだろうか。

 俺の考えすぎだろうか。偶々、選んだのが違うメーカーのUSBだった、というだけの事なのだろうか。

 俺の中で、謎は尽きない。ここに来て、その謎の消化もままなっていない。その事には少しばかり苛立ちを覚えてしまうが、我慢をしておくのが妥当な判断であろう。

 ソファから立ち上がり、暗くなり始めた部屋の電気を点けた。一瞬にして部屋中は白々とした蛍光の光に包まれる。その時、居間と玄関につながる廊下とを繋ぐ、扉が開いた。その向こう側から、寝起きの悪そうな顔をした薫が現れる。

「……おそよう」

 通常より低い声で、ぼそりと呟く。恐らく、「遅いおはよう」の略語だろう。俺は返すべきかを悩み、瞬時に決断を下す。

「……おそよう」

 口にして、なんて馬鹿げた挨拶だろうと、溜息を吐きたくなった。薫は覚束ない足取りでソファまで移動すると、高い位置からドスンと座り込んだ。彼女は腕で両目を抑え、あーとかうーとか唸りながら、「今何時?」と尋ねてきた。

「六時ちょっと前だ」

「あ、そう。良かった。……夜にならずに済んだ」

 薫は訳の分からない事を口走る。

「何を言っているんだ。あんた、今日の夜まで寝るってメモに書いていたじゃないか」

 薫の座るソファの、向かい側のソファに俺は腰かけてから、尋ね返した。薫は両目から腕を除け、気怠そうに俺を見る。

「うーん、それはただの保険だよ。もし万が一起きられなかった場合に備えて、そう書いておいたに過ぎないんだ」

「……別に保険なんてかけなくても、俺はとやかく言わなかったんだが?」

「それは助かるね。今度からは好きなだけ熟睡することにするよ」

「一週間はやめろよ」

「チッ、バレたか」

 起きたばかりの薫は、機嫌が良いのか悪いのか、いまいちよく分からない。今の舌打ちから察するに、機嫌が悪いと捉えていた方が良いのだろうか。

「全く、最近の忙しさと言ったら、ぐぅの音も出ないよ。奴らは僕を殺す気なんだ。きっとそうだ、間違いない」

 何やらぶつぶつと、吐き出すように呟いている。しかし、様子を把握していない俺にとっては、何の事か分かったものではない。眉根を寄せつつ、訊いてみる。

「そんなに忙しいのなら、さっさと俺を働かせばいいんじゃないのか? その為に、人員集めをしているんだろう?」

 俺の問いを聞いた薫は、徐に瞳孔を開いた。どうやらさっぱりと目が覚めてしまったようで、一昨日見た表情で俺を見返してくる。

「それは違うよ、佑磨君。人員集めじゃなくて、メンバー集めだ。同僚集めと言っても過言じゃあないね。僕は、僕のためにメンバーを集めているんじゃない。集めろと言われたから、好きなように集めているに過ぎない。そこのところ、履き違えないでほしいな」

 言われて俺は、さらに眉根を寄せた。

「どちらにせよ、俺をそのメンバーにした以上は、俺を働かせるべきなんじゃないのか?」

 薫は口の端に笑みを浮かべ、右手の人差し指を立てた。

「ノンノンノン。何を言っているんだい、君は。君はまだ、『黙静課』メンバーじゃあないよ」

 得意げな顔をしている薫を、俺は凝視した。

「……………………は?」

 俺がまだ『黙静課』メンバーでないのなら、この二日間は、一体何だったというのか。俺はてっきり、一昨日の時点でお仲間になっているものだとばかり思っていた。

 薫は弁明するかのように、目を逸らしながら言い訳を始める。

「まぁ、幾らはぐれもの部署だとしても、一応、公職なわけだしさ。それに、今回は未成年が対象だから、申請にも時間がかかっちゃうわけ。だからまだ、上でどうたらこうたらなっている最中なんだよね。いやー、申し訳ない。この事で悩んでいたのなら、先に言っておくべきだったね」

「……いや、別に悩んではいない。ただ、用意周到なあんたの事だから、先にそういったことは済ませてしまっているものだと思っていた」

 薫は未だに斜め上を向いて、微妙な顔をして答える。

「あぁ、まぁ、確かにねぇ。でも、これに関しては契約になり得るから、本人の許可が取れないと申請できないんだよねぇ」

 俺は半眼になった。

「その許可を取らざるを得ない状況下に俺を置いたことは、弁明しなくていいのか」

 皮肉気に尋ねると、以外にも、漸く薫との視線がかち合った。

「それに対して、僕は何も悪いとは思ってないよ? 結果的にそうなって貰わないと困るから、そうしただけの事だからね。要は、形式的な問題だってことだよ。許可を得ていないのに、こちらが勝手に申請をすることはできない。裁判にかけられちゃあ、僕が不利になるのは避けられないからね」

 俺は反論の言葉を失った。裁判、という言葉まで出されて、他に言い返す言葉が存在するだろうか。強いて返すとすれば、「そこまでやらない」とブレーキをかける言葉程度だろう。

「そういうわけで、申請が終わるまでは、一般市民として普通に暮らして貰っていて構わないよ。あ、例の事件についてがバレない程度にね?」

 俺は顔を思い切り顰めた。本当に、この芹沢薫という女は、ストレートにものを言う。俺は返事をすることを放棄し、未だに机上に並べられている三つのUSBに手を伸ばした。

「あ、ちょっと待って」

 上方から声がかかる。同時に、視界から青色のUSBが消える。

「この中身、もう全部見た?」

 三本の指で掴んだそれを、俺に見せてくる。俺は不可解に思いつつも、肯定した。

「なら、既に脳内に全てインプットされているね?」

 俺は再び肯定する。薫は俺の反応を見るや否や、「じゃあ……」と呟いて、立ち上がる。そして持っていた青色のUSBを高い位置から床に落とし、躊躇なくそれを足で踏みつけた。

 ぐしゃりと、嫌な音が響く。

 俺は思わず立ち上がっていた。テーブルを避け、薫のもとに近寄る。彼女は踏みつけた足を床から遠ざける最中だった。その下に現れたのは、言うまでもなく、粉砕した青色のUSBである。

 俺は薫を睨み上げた。

「――何をしやがる!」

 しかし、薫は余裕の笑みを浮かべたまま、冷ややかに俺を見下ろしている。

「何をしやがると言われても、ご覧の通り、USBを破壊しただけなのだけれど」

「だから、何でこんな事をしたのかって、訊いているんだ!」

「必要が無いからだよ。この中の情報は、既に君の頭の中に保存されている。この世には、一つあればどうにでもなる代物でしょう?」

 俺は歯を食いしばり、粉々になったものをもう一度見た。俺と薫との間に大層な温度差があることは分かっていた。だが、これに怒りを覚えずに、いられるわけがない。

「父親の形見なんだ。それを、無碍にされるいわれはない!」

 低い声で威嚇するように叫ぶと、薫は「ほーう」と声を漏らし、嫌な笑みを浮かべた。

「君がそんな事を口走るとは、僕も思っていなかったよ。なるほど、最低限には思い入れがあるようだね。それとも、それが尤もらしい反論だから、そう言っただけ、とか?」

「お前に言われたくないな。それがどうであれ、俺の所有物を許可なく破壊するというのは、あまりにも非常識すぎる。せめて、理由でも言ってからにしたらどうだ」

 薫は大きな目を瞬き、「なら、理由を言えば、破壊してもいいって事になるんだよね?」と、詭弁を呟いた。俺は一層睨みを利かせたが、次第に馬鹿らしくなり、ふぅ、と息を吐いた。

「良いとは言わないが、理由を言うくらいは常識の範囲内だ」

「そうだね。でも、理由は言ったはずだよ?」

「『必要ないから』、なんて理由は、抽象的過ぎて意味が分からない」

「あらま。そこを突かれると、ちと痛いな。でも今のところは、それしか言えないのさ」

 薫の視線が柔らかくなる。俺は何かを言おうとしていたが、やめた。

 所詮、俺は未だに一般市民なのだ。申請が終わるまで、機密事項を教えて貰えるかと言われれば、その可能性は極端に低いと言っても文句は言えない立場なのだ。

 俺は煮え切らない思いをしながらも、全ての言葉を呑み込んだ。大人しくなった俺を見て、薫は粉砕したUSBを片付け始める。

「安心して。他二つは壊さないから」

「……つまり、中身を見た、という事だな?」

「さすが我が佑磨君。察しが良いね。『私を見て』、って書いてあったものだから、思わず見てしまったんだ。僕もそれなりに好奇心があるからね」

「そんなの、何処にも書かれてない……」

 薫はクスクスと笑う。

「要するに、これはデータとして残しておくべきではない、と考えたまでだよ。少なくとも、誰もが閲覧できるような媒体の中には、ね」

 俺は欠片を拾い上げる薫の動作を眺めつつ、口を開いた。

「あんたも、これは世に出るべきでないって考えているのか?」

「どちらかと言われれば、そうかな。でも、君の考えているような理由で、ではないよ。寧ろ、それだけだったなら、僕としては積極的に世に推し進めていたね」

 俺は彼女の言葉に対して、小首を傾げた。薫は薄い笑みを浮かべている。

「人間の欲を甘く見ちゃあいけないよ、佑磨君。君もよくよく身に染みている筈だ。多分、吐き気でも催したんじゃないかな? 貪欲な人間をありのままに見てしまうのは、それは確かに、目を瞑ってしまいたくもなるよね」

「貪欲な人間を、ありのままに見る……?」

 呆けた俺の顔を見て、彼女はまた、クスクスと笑った。


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