Ⅱ 黙静課③
「それにしても、子供を公職に就けるなんて、上司がよく許可したな」
黙静課に加入することを認めたものの、持て余していた疑問が無くなっていたわけではないのである。俺はそれを早々に消化してしまおうと、薫にそう尋ねていた。帰り支度を始めていた薫は、今度は手を止めずに答えてくる。
「僕の上司は寧ろ、推奨派だよ。反感を持っているのは、それよりも上の奴らだね。でも、そいつらよりさらに上の人間が、僕の上司の意見を面白がって許容しちゃったもんだから、みんな何とも言えないんだよ」
机上に詰まれた書類を整理しつつ、薫は顔色一つ変えずに言う。
「まぁ、僕がお仲間集めをする羽目に遭っているのも、その上司が元凶なんだけれど。国家公務員以外でも自分の好きなように集めていいって言われたから、好き勝手集めているってわけだ。でも、使い物にならない人間を集めているつもりはないよ?」
自分自身が提案した案件ではないからなのか、薫は至って平気そうな顔をしている。
「君だって、自分が普通とは違うって、薄々気付いているんじゃないの? 自惚れを嫌っているようだから、表立って口にしようとは思っていないんだろうけど。それにしたって、君の知能指数が並じゃないのは明らかだ。君についていけない周りの子供たちが、君を排除しようとしたのも頷ける」
薫は立ち上がり、容量が小さく紐の長い、キャメル色のリュックを背負った。ここが警察庁でなかったならば、彼女のファッションは良い意味で賞賛されていた事だろう。
「俺の過去はとっくに調べてるってわけか。あらかた予想がついていたから、それについては良しとするが。……土方が例外だと言っていたのは、例外的に集められた人間が集っている、という意味合いだったんだな」
「一概にはそうとも言えないよ。だって実質、若槻は公務員だからね。ちゃんと試験にパスしてここに入ってきてる。因みに、他部署から来たもの好きはもう一人いるよ」
そう言って、薫は自席を離れた。
「まぁ、メンバーについては追々紹介していくから、今日のところは取り敢えず帰ろう。日も暮れてきたことだしね」
薫は窓の方に向けてビシッと指を差し、「戸締りよぉし!」と叫ぶ。それから件のアイボリー色のドアの前まで行くと、躊躇なく閉じられたそれを開いた。
「若槻ぃ。そろそろ出ないと閉じ込めるよ?」
彼女は誰に対しても容赦はしないらしい。ドアの向こうでは何かがずっこけるような音がした後、慌ただしい様相で陰気な男が姿を現した。先程と目の温度は変わっていなかったが、白衣を着ているという点で、少しばかり人間味を帯びているように見受けられた。
若槻と呼ばれた男は、片手でぼさぼさになった髪を梳いた。その様子を見た薫はクスクスと笑い、分厚いドアを静かに閉じた。
そして俺は思うのだ。
若槻の方が、薫よりも七歳年上ではなかっただろうか、と。しかしどう見ても、彼が薫のいいように扱われているとしか言いようがない。もしかすると、単なる俺の聞き間違いだったのかもしれない。
考えて、社会では年齢と上下関係が逆転する事例もあることを思い出し、感じた違和感を何とかして押しとどめた。要は、ここでは薫が一番なのである。
若槻がそそくさと去った後、俺たちも部屋を出た。薫はドアをしっかりと施錠する。それから鍵に取り付けられたキーホルダーの金具に人差し指を入れ、くるくるとそれを回した。傍から見れば、なんともふざけたなりをしている。
例外的な部署であるだけでなく、それを筆頭する薫自身がこんなに適当な人間であるから、他部署から煙たがられているのではなかろうか。俺はそう思わずにはいられないのである。
警察庁を出て、俺たちは電車に乗った。暫くして目的の駅に到着すると、俺は薫の後に付いて駅を出た。それから徒歩で約五分。流れゆく風景は、俺が未だかつて一度も訪れた事のない住宅街へと変わっていった。俺の住んでいた住宅街よりも、些か小さめの一軒家が多く立ち並んでいる。
薫の家はこの地域の一角にあるようで、この中ではわりと大きめな家の前で彼女は立ち止った。ポケットから別の鍵を取り出すと、そこではたと、立ち止まった。
「どうした」
取り出した鍵が違う鍵だったのだろうか、と単純なことを考えていると、唐突に薫が俺の顔を凝視してきた。俺は「何だ、いきなり」としどろもどろになってしまう。
「いやね。ずっと黙ってはいたんだけど、やっぱりいつまで経っても何も言われないのは、なにかとむず痒くてね」
「何を言われないのが、だ」
「自分は今日、どこに泊まればいいの、的な事」
薫は淡々と答えた。俺は顔を顰める。
「……俺がホームレス小学生になった諸悪の根源は、まぎれもなくお前だ。故に、お前が俺の寝床を確保するのは、当然の処置だろう」
俺も淡々と返すと、薫は悲哀な表情をした。
「ごめん、君を怒らせるつもりじゃなかったんだ。……ただ僕は、君の無垢な瞳を見たかっただけなんだ」
「何の口説き文句だ。さっさと中に入れ。いい加減、立ちっ放しなのも疲れてきているんだ」
「相変わらず体力ないね、佑磨。彼女出来ないよ」
「望むところだ」
俺が盛大にそっぽを向いてやると、薫は楽しそうにクスクスと笑った。どうせ彼女に対して怒りをぶつけても、こうやって流されてしまうのだ。俺は何か対等になれる策はないかと考えつつ、開け放たれた玄関へと足を踏み入れた。
居間に通された俺は、ソファに座らされ、それからオレンジジュースを飲まされていた。何故こうも受身形になっているのかと問われれば、目の前に好奇の目で俺をじっと見つめてくる薫がいるからだと答えよう。彼女は俺の様子をずっと見るだけで、何も喋ろうとしない。
意味のない無言の時間というものは、本当に心臓に悪い。俺は飲みかけのコップを机上に置き、薫に睨み返してやった。
「時に佑磨」
漸く薫が口を開いた。重苦しい雰囲気が解けたので、俺の眉間に寄っていたしわが幾分か解消される。
「荷物はどこにある?」
短く訊かれたその質問の意味を想像することは容易だが、薫という人間は、どうしてこうも唐突に話を飛ばすのだろうか。もう少し流れというものを、掴んでやってもいいのではなかろうか。
俺は無言でいるのも癪だったので、取り敢えず答えておいた。
「駅のコインロッカーにある」
「君の言う駅と言えば、君の家からの最寄り駅の事だよね。OK、よし、じゃあ今から取りに行ってくる」
「ちょっと待て」
俺は立ち上がろうとする薫の腕を引っ張った。必然的に、彼女は立ち止る形になる。
「何がどうなって、この話を持ち出す結果に至った」
「それを一々話さなくちゃいけないの? 面倒な性分だねぇ。これじゃあいつか、何かをする度に佑磨に許可を取らなきゃならなくなるじゃん」
薫は心底面倒くさそうな顔をする。
「俺はそこまで細かい人間じゃない。ただ、何故俺が荷物を持ち歩いていたことを知っているのかを聞いているんだ」
飽くまでも冷静に、俺は言葉を続けた。当の薫は、冷ややかに俺を見下ろしている。
「……何の準備も無しに野宿をする阿呆は、少なくとも、ここらにはいないでしょうよ。それとも何? 君は雨でずぶ濡れになったままの服で、この数日間を過ごしていたわけ?」
彼女は明言こそしないものの、言葉の後に「そんなわけが無かろうよ」と暗に伝えていた。俺は言われて、今自分が着ている服を見た。明らかに、薫と出会った時とは違う服装をしている。あの日が幾ら薄暗かったとはいえ、完全に服装が見えなかったわけではないのだろう。
俺が押し黙っていると、薫はふっと笑みを零した。
「要するに、必需品が無いと困るでしょって話。どうせ、君の愛用するパソコンは大きな荷物の方に入ってるんだろうから」
この女は一体どこまで知っているのだろうか、と不可解に思いつつ、それを聞いたところで無意味なことも学び始めていた俺は、肯定するだけにとどまった。
薫は俺の目の前に右の手のひらを見せ、何かをせがむような態度を取った。俺は聞くまでもなく、肩から掛けていたポシェットのジッパーを開いた。中から目当てのものを取り出し、荒い手つきで彼女の手のひらに置いた。
小さな、コインロッカーの鍵である。キーホルダー仕様で取り付けられたプレートには、ロッカーの番号が書かれている。
受け取った薫は、満足そうな顔をして「じゃ、ちょっと行ってくるから。適当にくつろいどいてねぇ」と言って、速やかに家を出て行ってしまった。
彼女は面倒見がいいのか悪いのか、いまいち良く分からない。




