表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
香記  作者: 鏡春哉
16/62

Ⅰ 佑磨⑮

 何を隠そう、俺は「ちょっとトイレに行きたいんですけど」と言って、難なくあの動画鑑賞という縛りから解放されていたのである。案内役の女は親切心にか、俺について来ようとしていた。俺は「場所を教えてくれるだけでいいです」と柔らかく跳ね除け、晴れて自由行動(・・・・)を手に入れたのである。多少時間を食ってしまったが、これからはツアー参加者の目を気にすることなく探すことが出来る。

 暫くして館内のフロアマップを見つけたため、一応参照しておくことにした。教授から聞いた限りでは、「黙静課」というのはあだ名だという事だから、公のマップにその名が載っている事はないだろう。しかし、だ。俺の考えが正しければ、俺は既に「黙静課」の正式名称を知っていることになる。

 俺の予想は、当然の理と言わんばかりに的中していた。思った通りの字面をマップの隅に見つけ、図らずも笑みを浮かべてしまう。この表情のまま館内を歩いては不審に思われかねないので、一度自身の頬を叩き、無表情に戻した。

 俺は近くにあったエレベーターに乗り込んだ。幸いにもエレベーター内は無人だったので、俺は躊躇うことなく20と書かれたボタンを押した。エレベーターは静かに扉を閉じ、上昇していく。

 二十階に着くよりも手前で、エレベーターの速度が落ちている事に気が付いた。俺は息をのみ、エレベーターの上部に表示された数字を見る。点滅しているのは、数字の十八だった。俺は誰かが乗ってくるのではないかと身構えた。

 エレベーターは素直に十八階で止まり、その扉を開いた。乗り込んできたのは、一人の長身男だった。男は俺を見るや否や、目を見開き、すぐに顔を顰めた。俺は極力男の顔を見ないように、俯き加減でじっとしていた。

 扉が閉まると、隣からひしひしと視線を感じるようになった。好奇の目で見られている事は疑いようもないが、それにしても、無言の時間が長すぎやしないだろうか。

「坊主、お前もしかして見学ツアーできたのか?」

 心臓がネズミの鼓動並みにバクバクとなり始めた頃、男が声を掛けてきた。彼の声はかなりの低音で、何処か冷たさを感じる。俺は寿命が縮まるような思いをしながら、男の方を見た。

 短く切られた金髪と、仄かに青い瞳。顔の形からすれば日本人よりなので、ハーフか何かだろうかと考える。彼はグレーのスーツが良く似合っていて、街中で会えば俳優にでも間違えられそうな相貌をしていた。だが如何せん、彼の視線は突き刺さってくるように痛い。高圧的だとでも言えばいいのだろうか。兎に角、視線を合わせたくない。

「……そう、です」

 ぎりぎりで答えたこの言葉により、さらに突き刺さる視線が痛くなる。

「何処か、見学したい場所でもあるのか。俺もちょうど二十階で降りるんだ。可能な範囲では案内できるが」

 俺は一瞬、耳を疑った。今まで――現に今でも人を射殺せそうなくらいの眼力を飛ばしてくるにもかかわらず、このフレンドリーさは一体何なのだろうか。俺は自分でも分かるくらい、意識的に目を瞬き、遅れて反応をした。

「えっと、良いんですか? お仕事とか……」

「構わん。どうせ、書類を持っていくだけの話だ。……それはそうと、坊主は何処へ行きたいんだ?」

 俺は呆気にとられつつ、且つ半ば安堵しながら、ふと冷静になった。これは、この男に案内して貰っても良い事なのだろうか。ゲームがどうのこうの、というよりかは、寧ろ、明らかに部署の違いそうなこの男に、警察庁内で忌み嫌われている部署へ、快く案内してくれるか否かが甚だ疑問である。

 俺が押し黙っていると、男が「どうした?」と迫ってくる。彼の性格上の都合なのかどうかは知れないが、あんまり顔を近づけてこられると、冷静になった思考も飛んでしまうというものだ。

「い、いえ! 特設管理課という所を見学したいな、と、思って……」

 地雷を踏んだであろうことは、確認するまでもなかった。俺は分かっていながらも、彼の眼力にかなわず本音を口走ってしまったのである。男が俺に視線を向け、無言のまま突っ立っているので、余計に失敗してしまったのだという思いで膨れ上がる。

 ポーンという音が鳴った後、エレベーターの扉が開いた。着いたにも関わらず、男は身動ぎもしない。俺はこの状態で降りてしまってもいいのやらともたついていると、エレベーターの扉が閉まってしまった。それに気付いた男は、我に返ったように、開と書かれたボタンを押した。再び開かれた扉から、男はエレベーターを降りる。俺も続けて降りると、男は尚も冷たい視線を俺に送ってきた。

「……可哀そうなことだな。お前が次の被害者だというわけか。アレも何を考えているのかさっぱりだな。本当に型破りな奴だ」

 最後の方になると、男は声を小さくしてぶつぶつと呟いた。それから無表情のまま、こう言い放ったのである。

「残念だが、俺はあそこの案内はできない。というか、したくもないし行きたくもない。せいぜい、寝首を掻かれんよう気を付けろよ、坊主」

 嘲笑の笑みを浮かべ、男は背を向けて去っていった。なるほど、確かに忌み嫌われているのは事実だったようだ。しかし、何をそうまでして件の部署を毛嫌いしているのかは理解不能である。俺は彼の言う「被害者」とは何の事だろうと考えつつ、男とは真反対の方向へと歩を進めていった。

 目的地は、二十階の東の隅にあった。申し訳程度に、『特設管理課』と書かれたプレートが貼ってある。結局「被害者」の意味が分からないまま、俺はその部署の扉に手をかけた。

 中に入ると、無人のデスクがずらりと並んでいた。起動しっ放しのパソコンや、山積みの書類が嫌という程目に入る。人がいないという点を除けば、至って普通の室内だった。

 俺は奥の方に目を遣った。微かに、人の気配がする。きーこきーこと、椅子の背もたれが軋むような音がしている。俺はその音の根源へと近付いて行った。

 部長職が使っていそうな、黒くて背もたれの長い椅子がそこにあった。それは後ろの方向を向いており、肘掛けには腕のようなものが見え隠れしている。どうやらそこに、誰かが座っているらしい。

 俺は、今度は躊躇いを持たずに口を開いた。

「あんたが芹沢薫か」

 不意に、軋んだ音が止まった。椅子がくるりと半回転し、その人物の正体が露わになる。

 黒髪のショートカットに、ブラックホール並みに底知れない漆黒の瞳。公職としては似つかわしくない、ボーダー柄のカジュアルな服装をしていた。

 そこまで観察して、黒い瞳……? と首を傾げる。俺が見た女は確か、異国の遺伝子を持つ瞳だったように記憶していたのだが、間違えていたのだろうか。それとも――。

 女は不敵な笑みを浮かべて、デスクに肘をつき、顔の前で指を組む。

「やぁ、蘇芳佑磨君。待ちくたびれたよ。と言っても、制限時間内には来れたのだから、褒めてあげた方がいいのかな?」

 聞き覚えのある声。俺は間違っていなかったことに半ば安堵し、半ば苛立ちを覚えた。

「子供にこんな無茶をさせるなんて、あんたって人は、本当に無茶苦茶だな」

 無茶苦茶な人間に対して、無理をして取り繕う必要もなかろう。俺はそう判断し、最初から非難の言葉を浴びせた。すると、女、もとい芹沢薫は、ますます嫌な笑みを深めた。

「誉め言葉をどうもありがとう」

「一言も褒めてない。寧ろ抗議したんだが」

 芹沢はクスクスと笑った。

「そんな無茶苦茶な人間に付き合った阿呆は、一体何処の誰なんだろうねぇ」

 俺は言葉に詰まり、口を噤んだ。芹沢は尚も、楽しそうに笑っている。

「それにしても。おまけ程度に付け加えた制限時間にまで気付くなんて、僕はなかなかの慧眼だとは思わない?」

「どうしてお(・・)が慧眼なんだ。文章おかしいだろ」

「何もおかしくはないさ。聡い子を見つけ出した僕自身が聡いって、そう言ってるんだから」

「……それなら、修飾語が足りないと言えば文章のおかしさに気付くのか?」

 俺が負けじとツッコミを入れるので、芹沢は参ったとでも言うような笑みを浮かべた。

「いいね。そういう食ってかかってくるところ、嫌いじゃあないよ。ところで、制限時間に気が付いたのはいつ頃? 僕の予定では、今日の報道で気付く筈だったのだけれど」

「嘘を吐け。御大層にも見学ツアーまで準備していたくせに」

 俺が顔を顰めて言うと、芹沢はちろっと舌を出して「バレた?」と、こちらを腹立たせるような口調で呟いた。

「バレるも何も、あからさまだったな。お陰で難なくここに辿り着いたわけだけれど」

「感謝しなよ? 早いところ気付いて来ることも想定して、見学ツアーを今月二回開催するようにちょっくら処理したんだからね」

 まるで大変だったんだよとでも言うような口調だったが、それを言う彼女からは、大変な思いをしたという印象が全く見受けられなかった。

「……制限時間に気付いたのは、俺が二回目に家を出た時だ」

「それ殆ど最初じゃん。つまんないんだけど」

 二人して、半眼で見詰めあう。俺は途中で馬鹿らしくなり、咳払いをした。

「制限時間が設けられていなかったら、俺は端から家を出ようとはしなかっただろうな。都会のど真ん中で野宿なんか、必要がなければやりたくもない。だが、俺は家を出た。詰まる所、家にいては都合が悪かったからだ」

 機嫌を取り戻した芹沢が、薄い笑みを浮かべて俺の話を聞いている。

「折角あんたのゲームの誘いに乗ったのに、そこで警察に捕まっては意味がないって思ったんだよ。そこで、これには制限時間があると思い至ったんだ。事件が明るみになるまでの間――正確に言えば、俺が容疑者候補として挙がるまでの間」

「そだね。だって君、実の母親を殺しちゃってるんだもんねぇ」

 芹沢は、ニターッと嫌な笑みを浮かべる。俺は顔を顰め、顔色を変えない芹沢を見た。

「何故そこまで知っている。……お前もしかして、見ていたのか?」

 疑心暗鬼に尋ねると、芹沢は心外そうに「まさか!」と言った。

「僕は丁度君に会いに行こうと、家へ向かう途中だったんだ。その道中に君と出会ったまでだよ。あれはもう、運命だと思ったね」

 芹沢は子供みたくニカッと笑い、立ち上がった。少し屈んで、俺に視線を合わせる。それから両腕を伸ばして、机越しに俺の頬を手のひらでそっと包んだ。唐突な接触に、俺は口を強く結んだ。

「その時、君が殺人を犯したような目つきをしていたものだから、ちょっとからかいたくなってね。本当はもっと単純で初級者向けのゲームにしようと考えてたんだけど、状況がそうなってしまったのなら、利用する他ないと思ったんだ」

 俺は頬を包まれたまま、芹沢の顔を見た。詫びられる様子は一切なかった。

「つまり、全て憶測で動いていたのか?」

「途中からだけどね」

 にっこりと笑う芹沢に、俺は溜息を吐くしかなかった。変人の考えることは本当に、理解しようがない。根拠もないのに、簡単に状況の変化を組み込んでしまえるとは、寧ろ称賛に値すべき程の自信なのではなかろうか。

「だから、今日の見学ツアーを行事予定に割り込ませるの、本当に大変だったんだよ。参加者集めは全部僕がやらされたし……、勿論、それなりに集めたけどね。結果的には一石二鳥並の有益が得られたわけだから、上は文句一つ言ってこなかったよ」

 上司をやり込めた時の状況でも思い返しているのだろうか、芹沢はクツクツと悪戯っ子のように笑っている。

「でも、無茶した甲斐はあったな。だって、予想以上の結果が返ってきたんだもん。これ程有能な人材を放っておいたら、きっとただの阿呆になってしまうだろうね」

 俺は本人の口から「人材」という言葉を聞き、数時間前の会話を思い出した。表情を変えずに、俺は尋ねる。

「本当に、あんたが俺を『人材』と認識しているとは思わなかった。道理で、警察庁内の反応が冷たかったわけだ」

 芹沢は「あら?」と小首を傾げ、俺の頬から手を放した。

「もしかして教授から聞いちゃった感じ? まぁ別に差支えはないんだけどね。つまり、そういう事だよ。他の部署の人たちは何でか僕の事を避けるから、人材集めは、殆ど外を対象にしないと得られないんだよねぇ」

 彼女は「困ったもんだ」と呟く。

「でも、お陰で類稀なる人材を手に入れられるわけだから、不満を感じているわけじゃないんだよ?」

 そう言って、芹沢は机をよけて俺の目の前まで来た。出会った時のように屈みこみ、俺を抱きしめる。

 ふわり、と、甘くて清々しい香りがした。

「だから、君がこの『黙静課』に入ってくれれば嬉しいな」

 芹沢は俺の耳元で、ねっとりと甘い声で囁いた。俺はこの時、女の体から漂ってくる香りの正体に気が付いた。

 金木犀の香りだ。

 そこで漸く、合点がいくのである。

 何故この「特設管理課」と言う部署が「黙静課」なんていう、皮肉交じりのあだ名で呼ばれるようになったのか。

 それは。

 木犀を代弁するようなこの女が、警察庁内を引っ搔き回しているからなのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ