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香記  作者: 鏡春哉
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Ⅰ 佑磨⑭

 警察庁なんて、普通の人生を送っていれば縁も何もない場所だったのではないだろうか。認識としては、国家公務員試験を突破したエリート集団の巣窟と言ったところだろうか。

 そのような場所に、子供の俺がどのようにして入るか、という問題が只今浮上しているのである。俺の背丈がもう四十センチか五十センチあれば、何食わぬ顔をするだけで怪しまれることなく入ることが出来ただろう。しかし、どう頑張っても、身長は百二十五センチなのだ。大人からすれば、容易に俺のつむじが見えてしまうサイズなのである。

 霞が関駅に着き、外に顔を出した俺はそんなことを考えていた。目的地はほんの目の前にあるというのに、手段がないというこのもどかしさ。折角制限時間内に答えに辿り着いたのだというのに、本人に会えなければ元も子もない。

 ふと、道路の向こう側が騒がしい事に気が付いた。大人のそれよりも、もっと振動数の大きい元気な雑音だ。俺は常日頃、「学校」という場所で似たような雑音を耳にしている。

 俺は騒がしい方へ足を運び、何が起きているのかを確認しに行った。道路のわきの、少しスペースのある場所で、大量の子供たちがわらわらと騒いでいる。所々ポッと頭の抜きんでている大人たちが、何とかして子供らを統制しようとしていた。そのうちの一人が、集団の端の方で、看板プレートを掲げていた。

 看板には、ゴシック体で『子供霞が関見学ツアー』と書かれている。子供受けがいいようにしているのか、文字の周りには花やらキャラクターやらが描かれ、矢鱈と可愛くデザインされていた。

 俺は咄嗟に、その集団の方へ歩き出した。こんな偶然があってたまるものかと思う以前に、こんなチャンスを逃す馬鹿がどこにいるだろうかという思いが先に立つ。どうせ件の女が見越していた事なのだろうと思わなくもなかったが、素直に盤上を進まずして、子供の俺に出来ることがあるかと問われれば、苦言を呈するのである。

 俺はさも当たり前であるかのように見学者一行の中に紛れ、「霞が関子供パスポート」なるものを受け取った。パスポートを配布していた若い女が真っ黒な大人用の傘を持つ俺を見て、一瞬不可解な表情をした。しかし俺が笑顔を向けると、無理矢理笑顔に戻ってパスポートを渡してきた。案外、子供というのも便利かもしれない。

 この子供霞が関見学ツアーなるものは、職場見学に加えて、各府省庁などの特色を生かした様々なプログラムが設けられている。子供は受け取ったパスポートを持ち、それぞれがめいめいの興味に合わせて、霞が関を自由に歩き回ることが出来るという、なんともお気楽なツアーなのである。これを換言すれば、子供たちは好きな場所に赴くことが出来る、いわば自由行動の体制を取るため、誰がどこへ行こうが、周囲の大人は何も咎めたりはしないのである。

 俺はパスポートと一緒に貰った、三つ折りのパンフレットに目を遣った。見学ツアー対象となっている府省庁の欄の中に、例外なく「警察庁」の文字が書き記されていた。

 暫くして周りの子供たちが静かになったと思ったら、ツアーの代表者であろう、黄色のポロシャツを着た女が、メガフォンを持って前方で仁王立ちしていた。

「そろそろ皆さんにパスポートが行き渡ったと思うので、これから、見学ツアーを開催したいと思います。皆さんの好きなところへ見学に行き、様々な社会体験をして、今後の実生活へ役立ててくだされば幸いです。集合時間は、午後四時五十分です。それまでに、この広場まで戻ってきてください。それでは解散!」

 ポロシャツ女が最後の言葉まで言い切る前に、周りの子供たちは既に各府省庁の方へと動き出していた。俺もその流れに乗って、歩き出す。

 暫くすると各々の目的地へと散らばり始め、過密だった周りが、段々と過疎になっていく。俺と同じく警察庁を目指している子供は、ざっと見て二十人程度。そのうちの一人の男児が、俺に話しかけてきた。

「お前も警察庁を見に行くのか?」

 邪険に扱って怪しまれても困るので、俺は無言で肯定した。それを見た男児が、嬉々として言葉を続ける。

「そうか! 一緒だな! 俺は今居貴司。小四だ。お前は?」

「……蘇芳佑磨。小三だ」

 今居貴司と名乗った男児は、「じゃあ俺の一個下だな、佑磨!」と言って愉快に笑った。俺は作り笑いを浮かべ、「ははは、そうだな」と同調しておく。

「それにしても、何でそんなに長い傘を持ってるんだ? 雨でもあるまいし」

 彼が禁忌の質問を口にしたという事を、勿論自覚しているわけではないだろう。俺は浮かべた笑みがひくつきそうになるのを抑え、なんとかして言い訳を並べた。

「……これ持ってないと、落ち着かないんだよな、俺」

 子供によくありがちな、物に安心感を求めるアレを使ってみた。同時に、俺はヘタレな印象を抱かれることになるだろう。どうせ一日限りの関係だ。言うなれば赤の他人に、俺がどう思われようと、知った事ではない。

「へぇ、お前、子供だな!」

 お前も子供だろうが。と思わず心の中でツッコミを入れてしまった。

 警察庁内に入ると、案内役のような女が出迎えてきた。笑みを浮かべて自己紹介をしていた気もするが、俺はそれよりも、警察庁内の様子を窺った。何処かに館内のマップがないだろうかと探してみるが、なかなか見つからない。そうこうしているうちに置いて行かれそうになった俺を、今居が引っ張った。

「ボーっとしてると置いてかれちまうぞ。ほら、次は職場の案内だってさ」

 職場の案内と言っても、主要な箇所しか案内されることはないだろう。俺の目当てとする「黙静課」なる部署は、どう考えても末端部署にしか思えない。そこまで隅々と案内してくれるのならついて行っても損はないだろうが、そんなことをしていれば、あっと言う間に集合時間を過ぎてしまうだろう。

 俺はどこかで見切りを付けられないだろうかと、タイミングを計りながらついて行った。隣では、今居が何やらべらべらと喋っている。警察庁はどうのとか、俺は将来警察官になりたいのだとか、なんとも壮大なスケールの話を息次ぐ暇なく喋り通す。俺はよくもそんなに人に話せるものだと内心で呆れつつも、「へぇ、そうなんだ」と無難な相槌を打ち続けた。

 職場見学が一通り済むと、今度は多目的室のような、スクリーンのある部屋に移動した。部屋が暗くなるや否や、スクリーンに大きく書かれた警察庁という文字が浮かび上がってくる。案内役の女は相変わらずにこやかな笑みを浮かべ、「暫らく動画を見て貰います」と言い、動画係の男に次いだ。男は手元のパソコンを幾らか操作し、動画の再生を始めた。

 動画が始まってから三分程が経過した頃、俺は早くも退屈になり始めていた。警察庁とは何ぞや、などという話をくどくどと聞かされても、端から興味のない俺にとっては、煩わしいことこの上ない。

 そこでふと、隣に座る今居を見てみた。……案の定、俺とは対極的に目を輝かせて動画に食いついている。俺は溜息を吐く他、大したリアクションを取ることが出来なかった。取り敢えずもう一度大きな画面へ顔を向けた。そこで、ちょっと思い留まるのである。

「なぁ、やっぱ警察庁ってすごいな! こんなに事細かい役割があるなんて、俺知らなかったよ! ……佑磨?」

 興奮気味に隣を向いた今居は、そこがぽっかりと空席になっているのを目にした。

「……? トイレにでも行ってんのかな?」

 大して疑問を抱かない今居は、すぐに意識をスクリーンの方へと移した。


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