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香記  作者: 鏡春哉
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Ⅰ 佑磨⑫

 午後一時より十分前。俺は教授に指定された喫茶店、「MUSHROOM」に辿り着いていた。

 再び駅のコインロッカーに不要な荷物と傘を預けた後、電車でニ十分。昼時という事もあってか電車の中は多少混雑していたが、昨日の混みように比べれば、随分マシな人口密度だった。

 メールには「大学前の」と曖昧に書かれていたのだが、彼の指す大学と言えば、一応あの某有名大学の事だろう。つまり、「彼が所属している大学前の」と置き換えれば、自ずと答えは出てくるのである。案の定、大学前の道をウロウロしていると、小洒落た雰囲気の喫茶店が視界に入ってきた。看板が見当たらないので、取り敢えず入ってみることにした。

 店内に入ると、キノコをあしらった装飾が数多施されていた。俺は確認するまでもないなと半目で笑い、店内を見渡した。

 教授らしき人物はどこにも見当たらない。彼が時折テレビに出演していたものだから、おおよその顔は把握しているのだ。

 ずっと立ちっ放しでも店員に怪しまれかねないので、店の奥の方の、隅にある席に腰を下ろす事にした。道路側の席は全面ガラス張りで、見晴らしが大変よろしい。此処でなら、教授が入ってくる様子も容易に窺える。

 ウェイトレスがお冷を運んできた。俺は軽く会釈をし、それに口を付けた。それからまじまじとコップを見る。透明なガラスのコップには、カラフルなキノコの模様が斑に付けられていた。何処までもキノコで攻めてくるなと思いながら、可愛らしいそのコップを、コトリと机上に置いた。そして、軽く息を吐く。続けて、ちらりと腕時計を見た。午後一時ジャスト。秒針は休む暇なく刻々と時を刻んでいく。

 俺は窓の外を見た。大学前という事もあってか、人通りには若者の姿が多い。この中でなら初老の彼を見つけるのも、容易い事のように思われる。

 さらに待つこと十五分。俺はそろそろ、騙されでもしたのだろうかと思い始める。考えてみれば、小学生の戯言のような話に、有名な教授が応答するはずがない。しかし、メールアドレスは間違っていなかったし、返信が来たというのも疑いようのない事実だった。

 俺は深く溜息を吐き、もう一度コップを傾けた。

 それから五分後の事。店のドアが荒々しく開かれた。店内にいた誰もが、驚き交じりにそちらを向く。

 入り口に立っていたのは、見覚えのある人物だった。見覚えがあると言っても、勿論、会うのは今日が初めてだ。

 初老の男は、俺が店に入ってきた時と同じく、真顔で店内を見渡した。暫くキョロキョロと首を動かしていたが、彼は店の奥の方を見るや否や、動きをぴたりと止めた。俺と彼の視線がかち合う。

 彼はウェイトレスに何やら話し掛けた後、無表情のまま、大股で俺に近づいてきた。俺の前まで来ると、「君が蘇芳佑磨君かね」と問いかけてきたので、俺は素直に「はい、そうです」と答えた。初老の男は安堵したらしく、俺の向かい側の席に座り込んだ。

 今まで仕事でもしていたのだろうか、男は黒いスーツと、紺と金の縞ネクタイを堅苦しく着こなしている。彼は息苦しかったのか、ネクタイを少しだけ緩めた。その折、ウェイトレスが彼の分のお冷を運んでくる。男は片手を挙げて素っ気なく礼をした後、お冷に口を付けた。

「待たせてすまんな。学会の会議がこんなに長引くとは思ってもみなかった」

 男はささやかに上がっていた息が落ち着いてから、口を開いた。その会議とやらが終わってから、急いで来てくれたのだろう。俺は少しでも教授の事を疑ったことに心の中で謝罪を入れつつ、「別に構いません」と可愛くない返事をした。

「それで、確か君は――薫の事が知りたい、という案件で私に連絡をくれたんだったな」

「はい。できる限りの範囲で構わないので、教えて頂ければ、と」

 俺の反応に、教授は困ったような表情をして見せた。もう一度お冷を口に含み、窓の外を見る。なかなか話し出そうとしない様子を見て、俺は人選を間違えたのでは、と早速失礼な考えを脳裏に過ぎらせていた。

 教授は徐に口を開いた。

「薫の父親――実際には伯父なのだが、彼とは同期でね。彼が研究室にしょっちゅう薫を連れ込んできたものだから、お陰で、幼少時代からの薫を知っているわけであって。……まぁ、実を言えば、知っている事がありすぎて、何から話せばいいのか分からないんだ」

 俺は思わず、目を真ん丸に広げていた。言わずもがな、教授の口から「幼少時代からの薫」という言葉を聞いたからだ。これは謎な女の過去を知るチャンスなのではないかと計ってみたりもしたが、彼の面持ちから察するに、切りがなさそうである。切りがなさそうではあるけれど、同時に興味を惹いてしまうものである事にも、相違はないのである。

「俺が教授に尋ねたいのは、現在の芹沢薫についてです。……今少し、彼女からちょっとしたゲームを仕掛けられているんです。その手掛かりを追って行った末に、教授の所に行き着いているわけなんですが」

 俺は溢れ出そうになる好奇心をぐっと堪えて、平静を装うべく慎重に言葉を選んだ。俺の話を聞いた教授は、暫し目を瞬いたが、すぐに破顔した。

「なんだ。薫の事を知りたいと言うから、てっきり薫のファンか何かだと思っていたよ。いやしかし、実際は逆だったとはね……。そうか、この事を言っていたのか」

 一人だけ納得する教授を見て、俺は不可解な視線を送った。教授は「すまん、すまん」と言って、一つ、咳払いをした。

「以前会った時に、薫が『面白いのを見つけた』と言いながら、嫌にニヤニヤしていたものだから、今度はどんな玩具を見つけたのやらと思っていたが。玩具ではなく、人材だったのか、と思ってな」

「人材?」

 俺は一層眉根を寄せ、単語で聞き返した。教授は「うん、人材」とオウム返しをする。

「……君は、薫の職業が何だか知っているかい?」

 教授は少し視線を逸らした後、俺に向き直ってそう尋ねてきた。俺は何故一々訊くのかと、面倒くさそうに「プログラマーだろ」と答えた。

「そうでなければ、俺はあんたの所を訪ねたりはしていない」

「まぁ、そうだろうね。うん、そうだ。確かに君のいう事は間違ってはいない。だからこそ、私の所へ来たと言っても過言ではないんだろう」

 教授は微笑まし気に笑みを浮かべ、尚も意味深な言葉を紡ぐ。俺はなかなか核心を突こうとしない教授に、不快感を露わにしていた。俺のジトッとした視線を感じ取った教授は、「まぁ、そう難くなるな」と苦笑する。

「要は、薫のもとに辿り着くのが、このゲームのゴール地点だという事だろう。その為には、私からヒントを得る必要がある」

「そこまで分かっているのなら、早いところ教えて欲しいんだけど」

「……そう急かずとも、時間はたっぷりあるんだろう?」

 薄い笑みを浮かべる教授に対して、俺は真っ向から否定した。

「時間がないから急いでいるんだ。残念ながら俺は、御大層にも制限時間を設けられているんだよ」

 教授は驚いたとでも言うように、俺の顔を見返した。それから暫し、俺の中を探るような眼で見詰めてきた。俺は端からその根拠を言うつもりはなかったから、負けじと見詰め返した。

 暫くして、観念したらしい教授が深く溜息を吐いた。

「それは、仕方がないな。ならば、先程述べた問いに答えるとしよう。……薫の本業こそプログラマーであれど、別の仕事も担っているんだ」

「それは副業をしている、という事か」

 教授は「そうだ」と肯定した。

「私からすれば、最早プログラマーとしての仕事の方が副業な気もするんだが。本人がそれを本業と言い張るものだから、それに関してはこれ以上言わないことにしよう。だが、恐らく君も、私と同じ思いを抱くんじゃないかと思っている」

 先程から思っているのだが、この教授は矢鱈前置きが長い。そんなに勿体ぶって何の話がしたいのだろうかと正直苛立ちを覚えたが、早く答えを聞きたいので何とか我慢する。

 教授はもう一口お冷を飲んだ後、俺を真っ直ぐに見据えた。

「薫はもう一つ、警察庁のモクセイ課という部署に所属している。詳しい仕事内容は知れないが、簡単に言えば警察の人間だというわけだ」

 先程までの苛立ちが、すっかり飛んで行ってしまっていた。予期していなかったわけではないが、驚いたのも、また事実である。

「警察庁、と言ったな」

 無意識に言葉が零れる。教授は至って大真面目に「警察庁、と言った」と律儀に返す。

 俺は開いた口が塞がらなかった。一昨日俺の頭の中で馬鹿みたいに繰り広げられていた想像が、よもやこんな所で現実と重なり合うとは思ってもみなかったのだ。実際問題、まだ直接確認したわけではないから、まだ想像の範囲内を脱していない。けれども、教授の口からこのような事実が打ち明けられた今、殆ど間違ってはいないと考えても誰も咎めはしないはずだ。

 急に黙り込んだ俺を不可思議に思い始めていた教授に、俺は改めて質問をした。

「……さっき、人材って言っていたよな。それは、その『モクセイ課』とやらがはぐれ部署ゆえの対応なのか?」

 重々しい口調で尋ねると、教授は再び困った顔をした。

「それはどうなのだろうな。……薫からは、沈黙の黙に静寂の静で『黙静課』と呼ばれているとしか聞いたことがないからな。所謂、あだ名というやつか。それがはぐれ部署かどうかを判断するには些か弱い証拠ではあるのだけれど、私情を挟んで言えば、忌み嫌われ、避けられた結果、付いたあだ名なのではなかろうかと考えている。それを考慮すると、部署内の人手が足りずに人材集めをしていると言っても、間違いはないのだとは思うけれど……」

 どうにも煮え切らない返答である。いくら教授が芹沢薫の事を知っているからと言って、饒舌に話せる範囲は幼少期に限定されているのかもしれない。

「知らないのなら良い。ただ一つ気になったのは、あんたが俺に対して、『人材』と表現したことだ。俺は明らかに子供なのに、まるで足りない人材として選ばれたかのようなニュアンスに聞こえたのだが。警察官というのは、公務員だろう。それも、警察庁となれば国家公務員だ。素人でも試験に受からなければそれになれない事くらいは知っているのに、況してや、子供がそんなものになれるわけがない」

 俺の問いかけに、教授は何を考えているのか分からないような目をした。真摯に言葉を受け止めているのか。はたまた、間抜けた言葉だと言って俺の事を憐れんでいるのか。とにかく、無言の時間は大層じれったかった。

 きっかり三分経ってから、教授はふっと笑みを零した。汗をかいたコップを手に取り、また一口、お冷を飲む。

「このことは、部外者である私が安易に口にしていいのか甚だ疑問ではあるが。これだけは言っておこう。……例外的処置として、その課では公務員に限らず、薫が好きなように人材を選んできて良いようになっているらしい。まだ少人数故に、これからもいろんな人が集められていくのではないかと思う。……ただ残念なことに、私は未だに薫の思考が読めなくてね。何を基準にして選んでいるかは良く分からないんだ」

 教授は乾いた声で笑った。

 これは決定的な発言だった。公務員でない警察官が現に存在している事の可笑しさについてはさて置き、確信が確証に変わった瞬間だった。

「つまりあんたは、俺が芹沢薫の選んだ『人材』とやらだと考えたわけか?」

「そうだな。実際、薫は老若男女、大人子供を区別するような人間ではない。使えると思えば、周りが何と言おうと手に入れようとする。……些か強引かもしれないが、悪い子ではないよ。寧ろ、君も興味を抱いたからこそ、こんな無茶なゲームの誘いに乗ったんだろう」

 見透かされたような発言に、俺は閉口した。教授は相変わらず薄く微笑んでいる。

「話は此処までかな? 興味があれば、またいつでも私を呼ぶといいよ。君の事だから、薫の過去にも関心を抱いているんだろう?」

 俺はまた違う意味で口を噤み、上目遣いで教授を見た。彼は愉快なものでも見ているかのように、満たされた笑みを浮かべている。

「……どうも有難うございます。これで、芹沢薫とのゲームは一段落しそうです」

「お役に立てて光栄だよ。――して君は、蘇芳佑磨君と言ったね?」

 改めて名前を聞かれ、俺は何のことやらと思いながら首を縦に振る。

「敬語なんて堅苦しい言葉は使わなくたって構わないよ。さっきみたいに、普通に話してくれればそれでいい。君とは長い付き合いになりそうだからね」

 言われて、俺はぱちくりと目を開いた。瞬時に、今までの会話が脳内で再生されていく。俺の顔は、見る間に赤くなっていった。

「すみ、ません……。話してたら、つい」

「だから、良いと言っただろう。すみませんも無しだ。お互い気楽にいこうよ」

 教授はやんわりとした笑みを浮かべ、視線を机の端に遣った。メニュー表を手にとって、何を頼もうとぶつぶつ呟く。俺は恥ずかしさのあまり、教授が何をしだしたのかすぐには分からなかった。意味もなく、彼の行動を凝視してしまう。

 俺の視線に気づいた教授は、「君も何か食べるかね?」と訊いてきた。俺は即座に首を横に振った。

「そうかい。……いやね、会議が長引いて昼食を取り損ねてしまってね。此処のキノコ料理はなかなか絶品だから、今度食べてみるといいよ」

 教授は何でもない事のように軽く言う。俺はさらに恐縮してしまった。

「本当に、わざわざ有難うございます」

「礼には及ばんよ」

 そう言った教授は、メニュー表を持ったまま、ウェイトレスを呼んだ。


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