Ⅰ 佑磨⑪
例の公園まで戻ってきた時には、日はすっかり傾いてしまっていた。今日得られた情報を早速調べたいと思っていたのだが、残念ながら、図書館はもう、閉まっている時間だ。俺は素直にドームへと潜り込み、三日目の晩を過ごした。
翌日。日に日に起床時間が遅くなっている事はさておき、俺は午前九時頃に目が覚めた。大きく伸びをして、一応外の様子を確認する。やはり、と言っても良いのかは分からないが、相変わらずこの公園に足を運ぶ人の姿は見受けられない。ここまで来ると、この公園に何か不吉な噂でもあるのだろうか、とそんな事を考えてみたりもしたが、三日此処にいて特に何も起きなかったのだから、それは馬鹿げた考えとしか言いようがない。
俺は余裕をもって広げた店を畳み、リュックを背負う。右手には黒い傘がしっかりと握られている。今日は昨日に引き続き良い天気なのだけれど、何処か肌寒かったので、水浴びは割愛しておこうと思う。
いざドームから出てみると、俺は瞬時に足を止めていた。先程確認して誰もいなかったはずなのに、「誰か」がそこに居たのだ。その「誰か」は、ドームに背を預け、足を折り、顔を埋めて身動ぎもしない。恐らく、眠っているのだろう。体の大きさからして男のようであるが、服や体はさして汚れていない。ホームレスでないと仮定するならば、酔って道に迷った何者かだろうか。
なるほど、ドームのすぐそばに居られては、穴から覗いても死角になって見えにくい。俺が気付かなかったのも、無理はないという話だ。
そこで俺は、肝の冷える思いを抱いた。――昨日も一昨日も、もしやこの人物は此処にいたのだろうか? 否、居なかった。俺がこうやって断言できるほど、この公園は小さい上に見晴らしがいい。多少の陰はあるけれど、このドームの上から見ても、全体を見渡せるような安全性なのだ。もっと言えば、連続して子供たちが顔を見せない方が逆におかしい。ここら一帯の子供らが、俺と同じくインドア人間なら話は別だが。
俺は警戒しつつ、尚且つ、眠っているであろう「誰か」に気付かれないように、ドームから離れようとした。恨みがましいのは、公園の地面が乾いた土壌で構成されているという事くらいだろうか。
遠ざかるごとに、じゃりっと嫌な音がする。無駄に緊張して顔が強張ってしまう。
後退りで公園の入り口まで辿り着くと、俺は回れ右をして脇目も振らずに走り去った。
俺が胸を撫でおろしたのは、公共図書館に辿り着いた頃合いだった。とは言っても、公園からそんなに離れてはいないから、大した距離を走ったわけではない。それでも吐き出しそうなくらいの疲労感を覚えたのは、それは精神的な影響が大きいのだと言えよう。
俺は横目で後ろを見て、誰も付いて来ていないことを確認した。再び、安堵の溜息を吐く。
一昨日と同じように、俺はパソコンコーナーへと赴いた。今日は利用者が少ないらしく、比較的多くの個室が空いていた。俺はそのうちの一番右側を選んで、中に入って戸を閉めた。
荷物を床に置くや否や、前回と同じ要領でパソコンにインターネット接続する。同じ環境のインターネットを使っているからか、IDとパスワードは一字一句変わらない。俺は前よりも素早くタイピングして文字を打ち込み、インターネットを開いた。
俺は空欄に「芹沢薫」「プログラマー」の文字を入力し、検索した。昨日行った傘専門店の時よりも、公の情報が多くあった。
どうやら芹沢薫という人物は、業界内ではなかなかの有名人らしい。最新のパソコンや介助ロボット、案内ロボット、解析装置など、俺でも知っているようなもののプログラミング製作に携わったなど、数々の業績が上げられている。過去にもアメリカの某有名企業のセキュリティ装置の開発を行ったなど、華やかな業績までも持ち合わせているらしい。
俺は画面をスクロールしながら、ふと思うのである。
そんなエリートが、小学生に何の用だ、という事である。
暇つぶしだろうか? 何だか可哀そうな奴がいたから、ちょっと声でもかけてみるか、的な気紛れ行動だろうか? どちらにせよ、天才の考えることは意味不明である。
そこまで考えて、俺は首を傾げた。壁に立て掛けてある、黒い傘に視線が行く。
昨日会ったマスターは、女が「一年前に来た」と言ってはいなかったか。つまりその時点で既に、彼女は俺の事を知っていたという事になる。そして、計画的に(・・・・)接触を図ったのだ。
何のために? まず浮かんでくるのは、そんな疑問である。続けて、どうやって俺の事を知ったのか、とか、俺の居場所を知っているのなら、何故わざわざ俺に探し出させるような真似をしたのか、とか、プログラマーが医者の息子に何を求めているのか、とか。そんな疑問が溢れ出てくる。
無意識に、スクロール操作をしていた手が止まった。俺は目を大きく見開いて、画面に穴が空いてしまいそうなほどジッと見つめた。
芹沢薫の文字に並んで、高い頻度で出てくる名前があることに気が付いたのだ。
『田中武』
俺はこの名前を、以前にも聞いたことがあるような気がした。否、気がしたではなく、聞いたことがあった。噂で小耳にはさんだ、とかそういうのではなく、テレビのニュースや番組で、彼の事が取り上げられていた時期があったのだ。今では当時の勢いを失いつつあるも、それでも時折耳にするような名前である。
彼は、どこぞの大学の、教授である。ここでどこぞの、と言ったのは、彼がまるで漂浪するかのようにどこの大学、もしくは企業の研究や事業に携わっているからである。強いて言うとすれば、この町から電車でニ十分程度の場所に立地する、日本を代表するあの大学の教授だと言えるのだろうか。
彼のステータスがどうであれ、取り敢えず、見た事がなくても彼が変人だという事が、容易に想像がつく。変人と言っても、研究に没頭するマッドサイエンティストとはまた違い、あっちこっちで業績を残していく、謂わば謎を孕んだ人物だと言えよう。
俺は此処で、既視感を覚えた。俺は先日、彼と似たような人物に出会したのではなかっただろうか。
意識をパソコン画面に戻し、その人物とやらの名前をしかと見る。
芹沢薫。田中武。
どうも、お似合いのコンビであるような気がするのは、気のせいだろうか。
さらに画面をスクロールしていくと、俺はそこで、とある情報を手に入れた。
田中教授のメールアドレスだ。
さすが公の人物。大学の教授はそういった情報もきちんと掲載してくれるらしい。黒い傘を置いて行っただけの、何処かの誰かとは大違いだ。しかし、これも件の女が見越して仕掛けたことだと思うと、些か気に食わない。気に食わないけれど、好奇心の方が上回る俺の思考回路がことさらに恨みがましい。
俺は図書館のネット環境でメールが使えるかどうかを確認した後、覚えたばかりのアドレス宛にメールを送った。
『こんにちは。俺は蘇芳佑磨と言います。小学三年生です。
早速で失礼かとは思われますが、芹沢薫という人物について、少し教えて頂けないでしょうか。何分、ご一緒に共同制作をされたことがあるとの情報を耳に挟んだものですから、何かお知りになっている事があるのではないかと思い、ご連絡させていただきました。
何卒、宜しくお願いいたします』
我ながら、無駄に丁寧な言葉を使ったと思う。こういった手紙用の敬語は使い慣れしていないけれど、送る相手は有名人なのだ。場合によってはメールを見て貰えさえしないかもしれないが、一縷の望みとでもいうのか、お願いする身として頑張ってみたのだ。
意外にも、返信はあっさりとやってきた。
『こんにちは。田中武です。ご連絡、有難うございます。
私は構いませんよ。芹沢本人も、私から彼女自身の情報が流れる事には、特に口を挟まない事でしょう。
メールで伝えるというのも些かしっくりこないでしょうから、これからお会いするというのは如何ですか。勿論、あなたのご都合が宜しければ、という事になりますが、一応、大学前にある「MUSHROOM」という喫茶店に、午後一時頃落ち合うことを提案しておきます。
ご都合がつかない場合は、返信をください』
メールを読み終えた俺は、あまりの淡白さに、呆気に取られていた。大学の教授とは、このようなものなのか、と狐に包まれたような思いがする。俺は今一度インターネットで調べたページを開き、メールアドレスが間違っていないことを確認する。加えて、発信元の信頼性をも調べ上げる。しかし、どれも田中教授本人のものであると指し示している。実際、メールにも自己紹介の文面が記されていたではないか。
此処は幸運な待遇だと受け取って、素直に出向くのが道理なのではなかろうか。
俺はパソコンをシャットダウンし、昼食を買いに行くべく、上の空で図書館を後にした。




