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SS集  作者: 千為
1/1

流行病

「だから、ひとりで部屋に籠もってないと駄目なんだってさ」

「ふうん。けったいなこと言わはるねえ、大人って」

 理屈っぽい、少しだけ背伸びをして大人ぶった口調は彼女の大好きな彼のものだった。

 自慢げに胸を張る上背は少女とほとんど変わらないのに、年だって同じ、まだまだ大人になるには時間がかかる。ぺたり、床に座り込むのが向かい合わせ、うん、うんとほとんど生返事で彼女は白いてのひらを拳に握った彼の手の甲へと這わせて触れる。

 遠くでこぽり、と水が揺れ、小さな泡がいくつも生まれては水面に消えた。

「まあ、僕らが死んじゃったら困るのはあっちだからさ、必死なんじゃない? ほら、年金とか」

 薄暗い部屋の中、眼を伏せれば二人の下で魚が泳ぐ。

 硝子張りの床の向こう、水槽のうすぼんやりとした灯りだけが照らす影はまるで夢の中のようだった。夢の中のようなのはこの深い青の部屋の中だけで、年金、だなんて本当に男の子はわかっていない、とゆるゆると少女は頭を振った。

 拍子、流れた長い黒髪の下で拳を解いて指と指を絡めて遊ぶ。

「浪漫ないわあ」

「欲しかったの? ロマンティック」

 嘆息に、ひょいと少年の眉が跳ね上がる。

 現実的なことしか言わないくせ、まるで少女のほうこそそんなものとは無縁だと思っていた。そんな風情で大きな瞳をさらに大きくして瞬いて見つめてくる。

 ああ、やっぱりわかっていない。

 そう思ってしまうのはただの彼女のわがままだ。わがままついでに身を乗り出した少年の肩に、自分の額を乗せてもう一度小さく、しかしはっきりと頭を振った。

「ううん、要らへん。……要らへん言うたやん」

「ごめん」

 繋いでいないほうの少年のてのひらが、少女の後ろ頭へと優しく添えられる。

 撫でるのではなく、ぎゅっと自分の体へと押し付けた。それに合わせるようにして、触れた指と指とがきつく結ばれてようやく、自分の望みが叶えられた。そんな心地がした。

 重なる肌と肌は確かに柔い。かすかな衣擦れの音は水音に消えて、目を閉じてしまえばもうずうっと長いこと水槽の中の魚と同じ、深い海の中を漂っている。

「……大人がそない言うのに、こんなことしててええんかなあ、うちら」

「今更、何さ。怖くなった?」

 ぼんやりと呟いた、声音に揶揄が返って男の子はこういう時には本当に強い。いつの間にか、変わらなかった少年のてのひらは少女のてのひらを包み込むくらいに大きくなっていた。

 凭れかかる肩は彼女のそれよりも高い場所にあって、もうずっと、触れないうちにこんなにも互いの身体は変わってしまった。だけれど、そう。

「怖がってるのはそっちちゃうのん。手のひら、すごい汗っかきやわ」

 せわしない、うるさいくらいの心臓の音だけは彼女も彼も変わらないから、ふふ。少年のてのひらの下で零れた笑いに少女の頭が震えた。

 ゆっくりと、少年のてのひらをそのままに顔を上げれば、吐息が触れるくらいの近さで目元が染まる。悪戯っ子の眦が下がるのは少女がよく知る少年のままだった。

 そのことに、とても。すごく、安心をする。

「……バレたか」

「ばればれよ、はじめっから」

「はじめから! やっぱり、君はすごいな」

 へぇ、と間の抜けた声を出すけれど、多分少女に少年のことがわかっているみたい、少年にも少女のことはお見通しなのだ。

 緩やかに、唇に弧を描いて少女は少年の頬へと口づける。

 瞼を閉じて、もう一度開く。すぐそばにいる、少年の姿がまるで水の中。硝子越し。本当はずっと遠くにある気がして彼女はぎゅっと、てのひらと指とに力を込めた。

 漂って、揺られて、流されて、遠くへ行ってしまわないように額と額を近づける。

「褒めてもなんも出えへんよ。せいぜい、一緒に死んだるぐらい」

「何それ。すっごいご褒美じゃん」

 死んでしまわないように、閉じ込められているのにどうやって一緒に死ねばいいのだろう。流行り病、大人だけが罹患するといわれた熱病は、そういえば一体どうなったのだろう。あれは、どれくらい前のことだったのか。

 ひとり、閉じこもって。

 ひとり、閉じ込められて。

 ああ、そうだ。

 思い出しかけた懐かしい記憶を、少女はそうと足元の水槽の中、水底に沈めてしまう。群れた小魚たちがご馳走を見つけたと寄ってきて、啄んでなくしてしまう。少年はまだ、気づかないし思い出さない。少女の記憶も、魚のおなかの中、食べさせてしまう。

「ご褒美、欲しいんやったら、もっとうちを喜ばしてみい?」

「またロマンティック?」

 絡めた指先に桜色の唇を触れさせて、そこにあるぬくもりを確かめた。

 悪戯を思いついた子どものように持ち上げる語尾は、小さな頃の二人と何も変わらない。まるで難しいなぞかけを持ちかけられた時みたいに、少年が思案げにむぅ、と唸る。前髪の下で寄せられる眉だとか、少女を一生懸命喜ばせようと考えを巡らせる様子だとか、それは彼女の大好きな彼の姿だった。

「さあ、どうやろか」

 こぽり、と小さな泡が少女のあどけない笑い声のように零れて水に溶けた。

 ふるり、と閉ざされた瞼が思案する少年の無邪気さで震えてさざ波になった。

 ほの明るい水槽の森が辺りを照らす。咲かない花が水柱の中、明けない夜を待ちながら今日もまた、ふたりきりの夢を見続けている。

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