第8話 王都騒乱 中編(2) 英雄登場
ベッグは焦っていた。
まさか、リンダを圧倒するような相手がいるとは思っていなかったのだ。
それほど、あの赤い巨猿は驚異的な身体能力を持っていた。
軍務大臣の奥の手の理屈はわかる。
騎獣契約の魔法陣を利用して、自分の魔力を騎獣に注ぎ込む。
王座の間に仕掛けられた魔法封じは魔法の発動を防ぐ効果があるが、リンダの魔力を利用した斬撃と同様に、魔法として発動しない魔力の効果までは封じることはない。
ベッグはリンダを助けるべく動こうとするが、リンダとの間には大臣達の私兵がおり、なによりベッグの背後にはミトア姫がいるのだ。
動きたくても動けない状況だった。
ベッグは倒れて動けないリンダに止めを刺すため近づく赤い巨猿を見た。
グランドルは両手を振り上げてリンダに叩きつけようとしている。
今まで感じたことのない焦りの中、せめて助けになればと手に持った剣を投げつけようとした時、ベッグは見た。
王座の間を塞ぐ大扉が、爆発したかのように弾け飛んだのを。
「お、ここが、王座の間って奴か」「なんてことするのよ。あなた常識ってものが無いの?」
現れたのはケンカイだった。
手にはおそらく槍だったであろう武器の残骸を持っている。
どういう使い方をしたのか、槍の先端はつぶれ、柄もへし曲がっておりもう武器としては使えそうになかった。
両手には巨猿が使っていたガントレットが装着されているため、丸腰というわけではなかったが。
ケンカイは一人では無かった。メイド服を来た侍女が一人傍にいた。
その侍女は小柄な癖に豊かなバストと盛り上がった尻が特徴的な美人だ。
そして、横を大きく切り裂いたスカートを身に着けているため、ちらりと見える太ももが色っぽい。
そして、王座の間に入ってきた二人は同時に倒れているリンダに気づいた。
「て、おい、リンダ!?」
「リンダお姉さまっ!」
慌てて駆け寄り抱き起すケンカイ。
そのケンカイとリンダの間に割り込むようにしてレイドラ・ ・ ・ ・がリンダにしがみ付く。
「邪魔なんだが」
「あなたのほうが邪魔よ。お姉さまから離れなさい」
形としては、リンダとレイドラをまとめてケンカイが抱きしめているという非常に羨ましい光景であった。
「この、本当に馬鹿力ね、離しなさいってば」
「お前がどけ」
押しのけようとするレイドラの手を脇で挟み込んで固定して動けなくし、ケンカイはレイドラ越しにリンダの様子を伺う。
レイドラが暴れたので、ケンカイの腕の中からリンダはずり落ちていた。
そして、目を細めていた。
眼光が冷たい。
「ケンカイ、私、侍女に手を出さないでって言ったわよね」
リンダの声に、ケンカイとレイドラは我に返る。
どこからどうみても、二人は抱き合っているようにしか見えない。
「いや、これは違う。誤解だ」
「そうです、お姉さま。こんな熊みたいなの私の好みじゃないです」
「なら、さっさと離れなさい」
「お、おうっ」「は、はいっ」
二人は即座に離れた。
王座の間に何とも言えない空気が流れた。
ケンカイがレイドラに会ったのは、当てもなく城内をさまよっていた時だった。
巨猿から手にいれたガントレットのお蔭で、襲いかかってくる私兵を難なく殴り倒し、そして誰も来なくなってからケンカイは困っていた。
道が判らないのだ。
客室に案内される前に、ミトア姫達が王座の間というところに案内されていたのは覚えていたのだが、その王座の間がどこにあるのかとなると判らない。
襲ってきた私兵に聞こうとも、口を利ける状態の私兵が一人もいなかった。
”しまった。やり過ぎた。爺さん、王座の間ってどこかわからないか?”
”知らんわい。もう少し先を考えんか、この熊頭が”
困った困ったと呟きながら、適当に城内を歩いているといきなり背後から声を掛けられたのだった。
「お客様、このような所で何をされているのですか」
それは質問というより、詰るといった方が良い強い語調であった。
「おお、さっきの侍女か。あんたこそ何している。ていうかその恰好はなんだ」
背後にいたのはレイドラだった。さきほどと違うのはメイド服のスカートに深い切れ込みが入っていることであろう。
そこから覗く太ももの色気を感じ、ケンカイは同じ太ももが見える衣装にしてはリネスの色気の無さはなんだろうかと、今の事態には関係ないことを考えた。
「動き辛いので、ちょっと切っただけです。何しろ、今の城内には礼儀知らずが多すぎますの」
レイドラはスカートの裾をつまんで、ひらひらと振る。そのたびに太腿が大きく露出するのだが気にした様子は無い。
「この状況で誘惑か? 悪いがそんな暇は無くてな」
「自惚れるのも大概にしたほうがよくてよ。あれは、あなたを試しただけなんだから」
急にレイドラの口調が変わる。侍女らしい雰囲気も霧散した。
「それが地か」
「この状況じゃ、もう取り繕う必要ないし。
それで、あなたここで何してるの?」
「王座の間を探している。そこにリンダ達がいるはずなんだが」
「つまり、迷子ね」
レイドラの瞳が冷たい。
「この大変な時に悠長なこと。お姉さまもこんな奴のどこを気に入ったのだか」
「初めて来た場所だ、仕方ないだろう。
それで、知っているのか知らないのか、どっちだ」
「知ってるわよ。
お客様のお世話をするのが私の仕事、なら道案内するくらい問題ないわよね」
「誰に言ってる?」
「独り言よ。気にしないで」
レイドラは踵を返した。
「こっちよ、さっさとついて来なさい」
そしてレイドラに案内されて辿り着いたのが王座の間だった。
途中で出会った敵は、ケンカイがあっさりと薙ぎ倒した。
レイドラも戦う心構えをしていたのだが、出番はなかった。
王座の間の前には誰もいない。
だが、巨大な扉が閉じており中に入ることはできなかった。
「これは、かなり面倒ね」
レイドラが扉を触りながら、ケンカイに言う。
「機械仕掛けと魔法仕掛け、両方とも高度なものだわ」
「よく判るな」
「そういう訓練を受けたもの」
レイドラは肩をすくめる。
「ちょっと、開けるまでに時間が掛かるわよ。道具を持ってきていてよかったわ」
何故か胸元から怪しげな道具を取り出すレイドラ。
そんなレイドラの胸元をしっかりと横目で見ながら、ケンカイは別の物を見つけていた。
「いいものがあるぞ」
ケンカイは廊下を挟んで扉の反対側にある斧槍を見つけた。
廊下の壁に立てかけてある。
「儀仗兵用のやつね。見栄重視で実用性無しよ」
「だよな、ちょっと軽い」
「いや、大き過ぎて扱いにくいって事だけど・・・」
ケンカイが片手で振り回しているのを見て、レイドラは言葉を失う。
そして、ケンカイは斧槍の先端を扉に向けた。
「まあ、これでもなんとかなるだろ」
「え?」
「海熊の仕留め銛をみせてやるよ」
ケンカイは若干重心を若干低くし槍を構える。
そして、呼吸を整えた後、鋭い呼気を発し槍を突きだした。
踏み込んだ瞬間、ケンカイの体が膨れ上がったように見える。
そして、扉に当たった斧槍が砕けた。
王座の間の扉と一緒に。
「お、ここが、王座の間って奴か」
「なんてことするのよ。あなた常識ってものが無いの?」
そして、ケンカイ達はリンダ達と再会することになるのである。
などという経緯を説明する余裕は無かった。
ありえない方法で入場してきた乱入者に向かって、グランドルが吼える。
「さっきの奴らより手ごたえがありそうだ」
ケンカイは嬉しそうだった。奥に控える3人の首謀者らしき人物たちを物騒な目で眺める。
「おお、悪役らしき連中を発見。
あいつらを仕留めりゃいいのか」
「簡単にはいかないわよ」
リンダはレイドラの手を借りて立ち上がった。
「私はこのありさま。無様で情けないわ」
「いまさらだが、色っぽい恰好だな」
ケンカイはリンダをちらりと眺めて、鼻の下を伸ばす。
リンダは体に密着した薄い服のみ着ている。メリハリの利いた体のラインが露わなうえ、先ほどまでの戦闘で、その服も数か所破れていた。
「欲情してる場合ではなくてよ」
リンダは頬を染めながら言う。その様子を不機嫌そうにレイドラが見ていた。
ベッグは扉が壊れたのを見て、ミトア姫をかばいながら扉に向かおうとする。
それを阻止しようと私兵が襲いかかるが、剣と鎖でいなすベッグ。
「姫さま、一旦王座の間の外に。そこなら、それがしの魔法も使えますゆえ」
「グランドル! ベッグを出すな」
赤い巨猿がベッグの方へ移動しようとしたところに、ケンカイが殴りかかった。
右腕で受け止めた筈のグランドルの体が大きく揺れる。
「頑丈な奴だな」
ガントレットを装着したまま繰り出された突きを受けても平気そうなグランドルを見て、ケンカイは顔を顰めた。
だが、注意は引けたようでベッグに向かうのを止めてグランドルはケンカイに向き合う。
「ケンカイ、あいつは任せたわよ。私は姫さまを守るわ」
「お姉さま。私も行きます」
「あら、あなた、私に協力しても大丈夫なの?」
「あ、いえ、
ワー、逃げようとしたら、偶然お姉さまがイター。
・・・・・・
はい、これで大丈夫ですわ。お姉さま」
「あなたがそれでいいなら、いいけど。助かるわ。ありがとう」
背後の遣り取りを聞いている余裕はケンカイに無かった。
グランドルが赤い颶風となってケンカイに襲いかかる。
手足を振り回し、巨体とスピードで押しつぶすような勢いだ。
初撃を躱し、2撃目をいなし、3撃目を受け止めたところで勢いに負けて後方へ弾かれた。
更にグランドルは空中に跳びあがり、体を縦方向に回転させながら大きな足を振り下ろした。
足の指に生えた爪がケンカイの頬を抉る。
着地を狙ったケンカイの一撃を床に着いた左足だけで飛びずさり躱したグランドルは、咆哮と共に床を滑るように移動してケンカイの脚を狙った。
巨体からは信じられない身軽な動きと、さらに見た目を上回る怪力。
辛うじて攻撃を躱したケンカイは、内心の焦りを隠せない。
”苦戦しとるようじゃの”
”爺さん、今忙しいんだ”
守勢に回りつつ反撃の機会を伺うが、グランドルの常識はずれの力とスピードに徐々に翻弄されていくケンカイ。
”面白いものを見つけたのでな。とはいっても、それどころでは無さそうじゃの”
”なんだそりゃ? ちぃっ”
ケンカイは腹に一撃を喰らった。
腹筋を締め後方に飛び退くことで少しでもダメージを減らそうとするが、重い衝撃が体を貫くのをケンカイは感じた。
幸いながら当たったのは爪ではなかった。爪の部分はかすめただけだが、重い拳が撃ち込まれたことには変わりなく、ケンカイは脇腹を襲う痛みに顔を歪める。
”折れちゃいないが、皹くらい入ったか”
”しっかりするんじゃな。こっちも痛いぞい”
”エテ公のくせに、強すぎだろ”
ケンカイは赤い巨猿を睨みつける。
”そりゃあのう、あやつは魔力を肉体に乗せておるからの”
”なんだい、そりゃ”
再度振るわれた腕を躱し、打ち込んだ蹴りを弾かれ、爪を受け止め、受けきれずに壁に叩きつけられたケンカイは、リオウの念話に疑問を返す。
”オヌシも時々しとるじゃろ、ほれ、ついさっきも扉を破るのに使ったやつじゃよ”
”あれ、溜めがいるし、そう連続で使えるもんじゃねーぞ”
”それを使うのが技というものじゃな。己の修練不足を悔やむがよい”
壁に背を打ち付け、痛みで一瞬動きが止まりかけるケンカイ。さらにそこにグランドルが追い打ちをかける。
床に転がり躱すが、外した一撃が壁を深くえぐり取っていた。
”くそ、なんかますます強くなってないか。こいつ”
”魔力が馴染んできておるのじゃろうて、ほれ、奥の痩せた男がその源よ”
リオウが言っているのは軍務大臣のことのようであった。
”タイマンかと思ったら向こうは二人掛かりってことか”
”原始的だがのう。魔法として使わぬ魔力の使い方の一つじゃな”
面白がっているようなリオウの声だった。
「くそったれがっ!」
ケンカイは倒れている私兵を掴み、グランドルに向けて放り投げた。
その隙にリンダ達の方に移動しようとするが、グランドルは投げられた私兵を空中で掴み投げ返す。
投げられた私兵はケンカイを外し、ミトア姫達を囲んでいた兵士達を巻き込んだ。
それを好機と見たか、ベッグが一気に扉の方に向かって走った。
リンダがミトア姫をかばい、リンダをレイドラが援護している。
おそらく、扉の外に出れば魔法を使えるようになるベッグが脅威となると思ったのだろうか、再度グランドルがベッグに向かって体当たりをしようと駆け出したのを、ケンカイは体をぶつけて強引に止めた。
そして、しがみ付き更に強引に後方へ投げる。
投げ飛ばしはしない。頭から床に叩きつけた。
頭の当たった床が陥没する。だが、グランドルは即座に跳ね上がりケンカイに頭突きを叩き込んだ。
”今ので効かないのかよ”
ケンカイは、ふらつく頭を押さえた。
ぶれる視界の端にグランドルの姿が見え、慌てて屈む頭のすぐ上を横殴りの腕がかすめた。
躱せたとほっとするまもなく、回転の勢いを止めないグランドルが逆の腕の肘をケンカイの顔面に打ち込んだ。
その肘を辛うじて額で受けるケンカイ。
額の皮膚が破れ血が溢れる。だが、ダメージは最少ですみ、鎧の無い肘を打ち付けたグランドルの動きも一瞬止まる。
その隙にケンカイは距離を取った。
視界を塞ぐ血潮を脱ぎ取る。
”ふむ、劣勢じゃの”
”うるさいな、これからだよ”
ケンカイの傷をみたリンダが息を呑む様子がケンカイにも見えた。
額からの出血は、少しの傷でも派手に血が出るので大怪我にでも見えたのだろうか。
冷静ならそんな勘違いする女じゃないのになあ。と、思うケンカイだが、心配してくれているのが嬉しくもあり、悔しくもある。
”ふむふむ、オヌシもかなり念話になれたようじゃの”
”何のことだ?”
”以前と比べると、随分と滑らかに自然にこなせるようになったとは思わぬのかの”
”それが何になるんだ”
ケンカイはリオウがにやりと笑ったような、そんな気配を感じた。
”ワシの頼みを聞くなら、この場を乗り切る方法を教えてやるぞい
なに、大した頼みじゃないがのお”
”なんだって?”
ケンカイはグランドルから目を離さない。
その状況で淀みなくリオウと念話を交わせているのだから、この話方にも慣れてきたというのは間違いないだろう。
だが、それが何の役にたつんだ?
ケンカイは判らなかった。
判っていることは二つ、グランドルが再度、攻勢に出ようとしていることと、そんな状況を見ているリンダの顔が不安に歪んでいること。
”そんな方法があるんなら、さっさと教えやがれ”
”よかろう、頼み事は大したことじゃないぞい。
ワシが頼んだ時に、ワシの言葉を姫っ子に伝えることじゃ。
簡単じゃろ?”
グランドルが一気に距離を詰めてきた。今までで一番早い動きだった。
カウンターを狙って繰り出した腕が、あっさりと掴まれる。
そのまま、腕を握りつぶさんばかりに力を込めてくる。
”判った、だから早く教えろ”
”約束したぞ。
何、方法も簡単なことじゃ。
ワシに念話するように、オヌシ自身の体に話しかけてみるがいい”
リンダはミトア姫をかばいながら、傷んだ体を酷使していた。
私兵の包囲は厚く、簡単には王座の間の外に出れそうもない。
早くこの場を切り抜けて、ケンカイの援護に回りたい。そんな気持ちの焦りもあった。
(あの化猿は、一人で対処できる相手じゃないですわ)
リンダの見たところ、あの化猿が使っている技は、ロール・ローラ家につたわる武術のものと酷似している。
すなわち魔力による肉体強化。
たかが獣が身に付けれるほど簡単な技ではないはずだが、そうでなければあの強さは説明がつかない。
そして、私兵の包囲が乱れた隙をついて囲みを突破したリンダが見たものは、血まみれになっているケンカイの姿だった。
思わず駆け寄りたくなるが、背後にいるミトア姫の存在がそれを止める。
だが、表情が曇るのは止めようがなかった。
そして、ケンカイの繰り出した拳をグランドルが掴みとった。
あのままでは、腕を折られると思った瞬間、前に駆け出しそうになったリンダの肩をミトア姫が掴んだ。
「姫さまっ?」
「うん、ケンカイさん。大丈夫みたいだねー。何が起きたんだろ」
受け止められた筈のケンカイの腕が、掴まれたまま動きグランドルの顔面を殴り飛ばした。
殴られたグランドルは悲鳴じみた吼え声をあげ床に転がる。
その動きを見ていたリンダにはわかった。
ケンカイの今の動きもロール・ローラ家の技と酷似したものであることに。
ケンカイは驚いていた。
リオウの言うとおりに、己の体に念話で語りかける。
正確には語りかけるように魔力を流すのだが、ケンカイには実際に語りかけたように思えた。
己の肉体との会話。いや、それは叱責だったのかもしれない。
もっと、しっかりしろ。惚れた女が見てる前で無様を晒すなと。
そして、それだけで、仕留め銛を放つ時と同様の力を発揮できたのだ。
”念話とはすなわち魔力のやりとりで、意志をつないでおるのじゃからの。
魔力の流れを操作する基礎みたいなものじゃよ。
オヌシは魔法の才能は欠片もないが、魔力だけは人並み以上のうえ、体の頑丈さは桁違いじゃしのう。・・・少々無茶しても壊れんじゃろ”
ケンカイは得意げなリオウの話を無視して、グランドルに襲いかかる。
それまでも、生身の肉体だけで凌いでこれていたのだ。
新しい強化の方法を身につけたケンカイのスピードとパワーは、グランドルを圧倒した。
床から起き上がったグランドルの腹を殴りつけ、赤い巨猿を上に吹き飛ばす。
なんとか空中で態勢を立て直したグランドルが床に着地する直前に、跳躍してからの蹴りを頭部に叩き込む。
さらに、懐に入り込んでから胸部に肘を打ち込んだ。鎧の胸当て部がへこみ、バランスを崩したグランドルの腕を抱える。
背中に担ぐように投げ飛ばした。頭から床に落とすつもりが、勢いをつけすぎてすっぽぬけ王座の間を横断するようにグランドルの巨体が宙を奔った。
そして、王座に巨体がぶつかる。王座はグランドルの巨体に負け、砕け潰れた。
それと同時に王座の間を覆っていた燐光が消えた。
それは魔法の封印が無くなったことを意味していた。
リンダは急にグランドルを圧倒し始めたケンカイを見て、半ば呆れていた。
あの技が肉体に掛ける負担は大きなもので、現にリンダは他の巨猿を仕留めるときに使った数撃の反動がいまだに残っている。
グランドルと対峙した時に一方的に追い込まれてしまったのもそれが原因だ。
だが、ケンカイはそれより遥かに多い攻撃に、魔力を流し込み続けていた。
普通なら、肉体が砕け散る。まあ、その前に動けなくなるのだが。
あの技を使っていることより、むしろその方が衝撃的だった。
「リンダお姉さま。あれって、お姉さまの強化撃ですわよね?」
「教えた覚えはないのだけれど、同じものね」
レイドラも呆れていた。彼女もリンダの妹弟子として武術を学んだ経験があるのだ。
リンダの奥の手といえる技の長所も短所も知っていた。
「まったく、化け物ですこと」
「ええ、化け物ね」
レイドラはうんざりと、リンダはうっとりと言う。
リンダの口調に気づいて、レイドラは顔を顰めた。
そんな女同士の会話を耳にしつつ、ベッグは精神を集中した。
両手が印を結び、印に導かれた魔力が変質し魔法を成す。
既に、魔法の封印は失われていた。
そして、ベッグには魔法の行使を躊躇う理由が無い。
ベッグは唐突に女三人の前に出た。
一見無防備なベッグに、生き残りの私兵が剣を振り下ろそうとした。
だが、その剣が振り下ろされることは無かった。
「雷よ」
叫ぶわけでもなく、大仰な呪文を唱える訳でもなく、ただ静かに発した言葉。
その言葉は魔法と化し、雷となった。
雷はベッグの前面を覆いつくし、荒れ狂った。
私兵を、軍務大臣を、グランドルを、そしてケンカイも巻き込んで。
「お前なあ・・・」
ケンカイは無事だった。
ベッグを睨みつける。
雷を躱せる訳もなく、直撃を受けて無事なのだから、化け物というしかない。
”魔力を纏っておいてよかったのお。そうでなければ今頃、オヌシもそいつらと同じじゃの”
王座の間に累々と横たわる私兵。
その中には、ホープ軍務大臣と赤い巨猿グランドルの姿もある。
「ケンカイ殿なら、無事と信じておりましたゆえ」
ぬけぬけとベッグは言った。何故か目が笑っていないようにケンカイには見えた。
「なんか、無事なのが残念みたいに聞こえるぞ」
「気のせいかと」
「ケンカイ、動いちゃ駄目よ」
リンダがケンカイの額の傷を治療していた。
自分の胸にケンカイの顔を押し当てて固定しながら。
「もっと強力な魔法を使えばよかったのですわ」
レイドラがその様子を見て、ぼそりという。
「それがしも、今そう思っていたゆえ、次の機会は逃さぬ」
「お前、やっぱりワザとかよっ。恨みを買う覚えは無いんだが」
ベッグの目は冷たかった。
「妹を取られた兄のささやかな嫌がらせゆえ、気になさるな」
「! お前ら兄妹だったのか?。・・・似てないのにもほどがあるだろう」
「兄妹じゃなくても顔が似ていたりするんだよー。逆があってもいいと思うよ」
唐突にミトア姫が口を挟んだ。
「さてっと、ケンカイさんの治療も済んだし、そろそろ出発だよ」
「どちらに行かれますか? レオナルド王子と財務大臣殿を追いかけますか?」
ホープ軍務大臣を残して、首謀者の二人は王座の間から逃走していた。
彼らの持っている私兵などの兵力も残り少ないはずで、もはや脅威になるとは思えないのだが、放っておくわけにもいかない。
「それは後かな。先に西の塔。お父様とお話ししなくちゃね」
ミトア姫の表情はベッグの位置からはよく判らない。
ただ、その声を聴いたときに、背筋が凍える感覚を覚えた。
「いくらなんでも、遊びが過ぎますわ。お父様」
西の塔にいる諜報部の長は、王座の間で発動していた魔法封じが消えたのを察知した。
「遠見を呼べ。王座の間の様子を探れ」
短く命令を下し、配下の魔法使いに様子を探らせた。
そして、その結果を国王に報告する。
国王は、興味深そうにその報告を聞いた。
「ホープ卿ご自慢の巨猿も倒されておったか。倒したのは誰かな?」
「ベッグ殿が魔法を使った形跡がありましたが、その前に倒されていたようです」
「ふむ、ということは客人殿の仕業かな。リンダでは、ホープ卿の奥の手相手には分が悪かろうしな」
長はグランドルと呼ばれていた赤い巨猿を思い出した。
ホープ卿と騎獣契約を結んでいる魔猿。
ただでさえ強靭な体とずば抜けた身体能力を誇る猛獣だった。
ホープ卿は騎獣契約を絆に魔力を供給してさらに騎獣を強化させる方法を奥の手としてもっていたはずで、王の言うとおり、彼の知るリンダでは手に負える代物ではなかっただろう。
もちろん、他に倒せそうな人間の心辺りも無いのだが。
人間が一対一で戦える相手ではないはずだ。
それを倒してのけたのだから、海賊殺しにて海の英雄たる客人の凄まじさは如何程のものであろうかと考え、もし王に危害を加える様子があれば手加減はできないとも思う。
「それで、ミトアはどうしておる?」
「こちらに向かっているようです」
「ふむ、怒っておるのかな?」
「心当たりはあるのでしょう?」
「愛想のいい娘なのだが、怒らせると怖いのでな。我としては会わずに逃げてしまいたい気もないではない」
長は溜息をついた。
レオナルド王子は奥の手を失い逃亡し、既にこの争いのケリはついたのだ。
さっさと、終息させてしまいたい。
「陛下、今回の騒動の決着はついたのですから、
早めに終息させるためにミトア姫とお会いし話し合われた方が良いかと」
「決着がついただと?」
王は面白そうに笑った。
「お前とあろうものが迂闊な判断だな。
レオナルドの奥の手は、あの猿共では無いぞ」
ミトア姫は、一行を引き連れて西の塔に向かっていた。
さきほどまでは溢れるほどいると感じていた私兵の姿は無い。
城内はガランとしており、まるで全ての人が消え去ったかのような印象すら有った。
そして、その途中でケンカイは短槍を手に入れていた。
それも複数。そもそもケンカイにとって普通の槍は軽すぎるのだ。
なので、槍を3本束ねていた。
「これくらいなら、使いやすいな」
「不格好な武器ですこと」
レイドラは不機嫌な表情を隠さない。
「あら、ケンカイにはこれくら必要よ」
レイドラの不機嫌のもとでもあるリンダは、にこにこしながらケンカイを頼もしそうに見ていた。
憧れのお姉さまが、他人にそんな表情を向けるのが許せないのか、レイドラは悔しそうな表情に変わる。
「このまま囚われの王様を救い出せば終わりかね?」
「お父様は囚われるような可愛げのある方では無いよー」
ミトア姫も不機嫌だ。
ベッグには不機嫌の原因が判りかけていた。
そもそも、今回の状況事態が不自然なのだ。
もともとレオナルド王子はミトア姫を嫌っていた様子だったのが、ここまで急に実力行使を起こす理由は無い筈だった。
そして王子と王女の争いにしては、中立の勢力が多すぎるのだ。
武力勢力の筆頭勢力であるはずの軍部や、情報戦や軍事力とは異なる武力を有する諜報部などの主要な組織はもちろん、他の大貴族どころか中堅所の貴族勢力まで様子見が多すぎる。
今までは不可解であったが、この状況を作り出したのが誰かということに気づけば全てが腑に落ちるのであった。
「確かに、あのお方が囚われるような迂闊なことをするわけがないゆえ、あえていえば、囚われてやったというところですかな」
「わざと囚わられたってことか?なんでそんな面倒な事を」
「お父様がお父様であるからかな。さすがのわたしもちょっと納得できないから、会って文句言うんだよー」
「オレとしちゃ、さっさと褒美とやらを貰って帰りたいんだが」
そういや、地図も貰う約束だったよなと、思い出して呟いた。
”それくらい、覚えておくのじゃな。
それとも、オヌシ故郷に帰る気を無くしたかの?”
”・・・島には帰るさ”
ケンカイは懐かしい事を思い出したような、そして嫌な事を思い出したかのように顔を顰めた。
”帰ってケリをつけないといけない問題もある”
”ふむ、まあ、それはどうでもよいがの
さっき言いかけたままじゃったが、面白い物があったぞ”
”また欲しいとか言い出すのか?”
”欲しくないといえば嘘になるんじゃが、さほど食指は動かぬわい”
”そうなのか、じゃあ放っておけ”
”ふむ、じゃがのう”
”なんだ?”
”オヌシ達と対立していた奴らのボス、金髪の小僧がそいつに乗り込んでいたのじゃよ”
”脱出用の乗り物か? まあ、いまさらだが、ここでの争いに深く関わる気はないしな。
逃げたいのなら逃げりゃいいだろ”
「ここだよ」
リオウと念話をしていたケンカイにとって、ミトア姫のその言葉は唐突に聞こえた。
ミトア姫は大きな塔の下に立ち、上を見上げていた。
「ここが西の塔。嫌な思い出一杯の嫌な場所。本当にお兄様は嫌味な人ですわ」
「よく来たな我が娘よ」
王は尊大にミトア姫を迎えた。
「今は囚われの身ゆえ、歓待はできぬのが残念だ」
「ご冗談を、どこが囚われの身ですか。お父様」
拘束どころか監視もされていない王は、愉快そうに笑った。
「今は、そういうことになっておるということだ。実情はともかく、建前上はな。
なので、面倒な執務をサボって休むこともできておる。
骨休みというのはな、年を取ると必要なのだ。我も、もういい歳でな。
さてと、我が娘よ。王座の間で何があったか聞かせてくれぬかな」
王はわざとらしく腰を叩いた。
「あれが、この国の王さまか?」
ケンカイは小声でリンダに尋ねる。
「ええ、結構な大狸ですわ。姫さまの親だとは思えないくらい」
リンダも小声で囁き返す。ケンカイの耳元に口を近付けて。
「お姉さま、近すぎます」
レイドラは相変わらずであったが、多少緊張しているようだった。
緊張の源は王ではなく、視線から察すると隣の男の方だなと、ケンカイは思った。
冷たい目をした男だった。平気な顔で後ろから人を刺せるタイプの人間だろうなとも。
ミトア姫は、王座の間で起きたことを簡潔に述べていく。
封印の事、二人の大臣が協力していたこと、レオナルド王子の言っこと、用意された私兵と巨猿。
驚くべき力を持っていた赤い巨猿。
それを倒したケンカイのこと。
王は時折頷き、溜息をつき、そして最後は残念そうに言った。
「やはり、あやつは王の器では無かったか。
当分の間、我は楽をできそうにない。
隠居は当分先になりそうだ」
「今回の事、お父様の差し金ですわね」
「大したことはしておらんよ」
王は頭を振る。
「お前が城に帰る事をレオナルドに告げただけだ。
その折、大事な話・ ・ ・ ・があるようだとも言ったがな」
「わたしの手記は?」
「偶然にも大臣達が入手したという手記など、我は知らんな」
しらじらしく王は言う。
「きっと、どこぞのネズミが引いて行ったのであろう」
「そのネズミは、そこの方ですか?」
ミトア姫は長を見た。
「こやつは、ネズミというよりネズミ使いだな。名をレトアという。直接会うのは初めてだろうな」
「対外諜報部の長をしております。以後、お見知りおきをミトア姫」
レトアは丁重にお辞儀をする。ミトア姫はレトアを見た。名を知った。
そして、真理の瞳の力で判ってしまう。
「あら、本当のお兄様もいたのですね。お父様」
軽い驚きを含んだミトア姫の言葉を聞いた王は顔を顰める。
「判ってしまうか。お前の真理の瞳の力は強すぎる。
しかも、何も考えずに判った事を口にする。
真理こそ全てと言わんばかりに。
手記にしてもそうだ。他人の秘密はあからさまに記すものではない。
読んだ当人のみに判る程度に記しておけば、奴らも敵には回らなかったであろう」
王は残念そうに言った。
「それゆえ、お前は王には向かぬ。
それ以前に真理の瞳の力に飲みこまれる者を王にするわけにもいかぬがな」
「わたしはわたしです」
「今は、な」
王は部屋の中をぐるりと指さす。
「懐かしいだろう。お前が10年以上過ごした部屋だ」
「閉じ込められていたの間違いですわ。お父様」
「幼い頃から、真理の瞳の力が発動しておったからな。
そうしなければ、自我の無い真理の瞳の生き人形ができておった」
「わたしの自我が芽生えた後の数年の監禁は余計でしたでしょう?」
「それは、諸般の事情故だ。
あの頃は、国内・国外とも問題が多くてな。
お前を出すと、今回のレオナルドの起こした騒ぎはその時に起きていただろう。
国が亡びかねない事態を招いたことは間違いない」
王は悲しげな表情を作る。
「我が娘を閉じ込めることを良しとするように見えるか。この我が」
「十分見えますわ」
ミトア姫は辛辣だった。
「それで、今ならレオナルドお兄様が騒ぎを起こしても大丈夫な情勢だということですか?
だから、わざとこうなるように誘導したというのですね」
「いかにも」
王は鷹揚に頷く。
「だが、レオナルドの器が小さすぎたな。お前を殺そうとするなど慮外すぎる。捉えて真理の瞳を利用するようであれば、王座を渡すことを真剣に考えたのだが」
「お兄様は怯えているのです」
「その怯えは幻想にすぎぬのだがな。我の血を引いていない事実など、自分の責任ではあるまいに。我は気にせぬのにな」
「陛下、それを口にされては」
レトアが部屋の中にいる王族以外の者を見た。冷たく嫌な目だとケンカイは思った。
「ああ、他人に聞かれも構わんよ。口封じなど必要ない」
王は実に残念そうに言った。
「影衆から連絡がきておる。レオナルドがブリック家の秘宝を動かしたようだ。
あれほど、ばれるのを恐れておきながら、自分から堂々と王家の血を引かぬことを証明しおった。
覚悟の上でならともかく、自暴自棄でな」
塔の外で大きな音がした。
「さてと、レオナルドの奥の手。我もこの目で見るのは初めてだ。
いくつになっても新たに知ることは心躍るものよ」