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漁師と海竜 海原を行く  作者: 赤五
第一章 バトア王国編
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第7話 王都騒乱 中編(1)  敵対する者達と傍観する者達

 レオナルド・オ・バトア。

 バトア王国の第一王子である彼は、本来なら見たものを魅了するかのような整った顔立ちをした貴公子だった。

 現在・ ・の正確な身分は、王太子。

 当然王ではなく、またその立場をミトア姫に脅かされていた立場の人物でもあった。

 彼の顔は、今醜く歪んでいた。

 それは、今までため込んでいた嫉妬と恐怖と、現在感じている優越感を混ぜ合わせたものであった。


「私はお前とは違うからな、そんなことはわからんよ。化け物の瞳などもっておらぬからな」

「真理の瞳がそれほど恐ろしいですか?お兄様」


 レオナルド王子は引き攣った笑いを浮かべた。


「恐ろしい? そうに決まっているだろう。

 知られたくないことを知られる程の恐怖が他にあるとでも?」

「私は、あなたをお兄様と呼んでいますよ」


 ミトア姫は溜息をついた。


「何かを知る事で、何かを判る。真理の瞳はそれだけの力なのですよ。お兄様。

 そして、判ることと、それを知らせる事は全くの別なのです」

「そして、握った弱みを元に好き勝手に振る舞うというわけか。我が妹よ」


 公式の立場では、レオナルド王子とミトア姫は異母兄妹である。


「私はお兄様について、今まで何も言ったことは無い筈ですが。

 これまで、仄めかしたりもしてませんよね。

 もちろん、何かに書き記したこともありませんよ。

 汚職をしていたり、国を裏切っていた大臣達の件は、書き記しましたが」

「つまり、お前は、知っているし判っているという事だろう。

 いや、判っていたという事か。

 今はお前は何も判らない。

 この王座の間の魔法封じによって、お前の力は封じられた」


 レオナルド王子の引き攣った笑いは、徐々に落ち着き嘲笑に変わっていった。


「だから久しぶりにお前の顔を見ることができる。久しいな、我が妹よ。

 これが今生の別れになるのが、実に残念だ」


 レオナルド王子は腕を振って合図を送った。

 王座の背後、本来なら王の護衛の兵士が隠れている場所から、城の制服ではない服装をした武装した兵士が姿を現す。

 更に彼らに守られた数人の貴族の姿も見える。


「お前を崇拝し、支持する連中も多いが、お前の力を嫌がる者もまた多い。

 しかも嫌がる者には有力な貴族が多いというのも皮肉なものだな。

 これから我がものとなるこの国に、後ろ暗い有力者が多いということなのだから」

「殿下、ご冗談を」


 太った貴族の一人が笑い声を上げる。


「私どもは、正当なるお世継ぎである殿下を支持しておるだけですぞ。

 後ろ暗いなどとんでもない」

「さようさよう、怪しげな力で陛下に取り入ろうとしている小娘よりも、優れた知性をお持ちの殿下のほうが王座に相応しいと、そう判断しただけの事。我らの考えが愚考とならぬよう殿下のお力になろとしたまで」


 そう言ったのは対照的に痩せた貴族だった。


「財務大臣に軍務大臣のお二人もいらっしゃるとは、よほど後ろ暗いことがあられるようですな」


 ベッグが吐き捨てるように言う。


「もっとも、それがしが姫さまに手記を書くことを勧めたがゆえ、お二方が何を恐れてらっしゃるか知っておるのですが」

「魔法の使えぬ魔法使いが吼えよるわ。さすが、ロール・ローラ家の元当主は肝が据わっておられる。

 もっとも、ロール・ローラ家の現当主ともども本日をもって居なくなるのは、同じく古き血を引く我らとしても寂しきものだ」


 太った貴族、財務大臣が鼻を鳴らした。


「あら、私も簡単に始末できると?」


 リンダは笑った。


「私の剣に魔法は不要ですわ。そんな、正規軍にも入れなかったような私兵たちでどうにかなると思ってるようでしたら、後悔しますわよ」

「たしかに、リンダ殿の剣の腕はおそろしいですな。

 人斬りの技として磨き抜かれている」


 痩せた貴族、軍務大臣が嘲笑う。


「ですが、人相手でなければ如何ですかな」


 彼の背後から、鎧を身に纏った大柄な人影が複数現れた。

 いや、それは人ではない。

 鎧の隙間からのぞくのは剛毛。

 それは、鎧を纏った大猿だった。


「これは儂の騎獣でしてな。もっとも、表向きは儂一人を運ぶのに8匹も必要になる非力な獣どもとなっておるがな」


 自慢そうに軍務大臣が胸を張る。


「こいつら一匹で、100人隊ぐらいは蹴散らせる実力はある。

 さて、獣相手に人斬りの技がどれくらい有効かみせていただきたいものですな」


 軍務大臣が腕を振ると、巨猿たちが一斉に前に進む。

 その動きは早く、そして人とは異なっていた。

 巨猿たちは鎧を着ているとは思えないほど身軽に動き、ミトア姫たちを目指して襲いかかっていったのだ。



 ケンカイは客室でのんびりとしていた。

 レイドラが部屋を出て行ってから、まだ30分程度。

 彼女の話が確かなら、あと一時間以上待つ必要がある。

 手持ちの酒と肴はすでに無く、ケンカイは棚に並べられた高級そうな酒瓶を恨めし気に眺めた。

 これから起こるかもしれない事を考えると、飲むわけにはいかない。

 さすがにケンカイもそこまで能天気ではない。


”なあ、爺さん”

”なんじゃ?”

”飲むわけにはいかんが、持って帰るのはいいよな?”

”・・・オヌシの好きにすることじゃな”


 嬉々として酒瓶を袋に詰め込み始めたケンカイの耳に、扉をたたくノックの音が届いた。

 強い力で叩かれた音だ。


「随分早いな。あの侍女じゃなさそうだし」


 怪訝な顔になるが、扉を開ける音に慌てて酒瓶を後ろ手に隠す。

 扉は荒々しく開けられた。

 現れたのは、鎧を着こんだ大柄な人影。

 だが、その顔は毛に覆われており、目は爛々と輝きむき出しになった犬歯の奥から唸り声が聞こえる。


「猿?」


 その言葉を発し終わるから終わらないかの内に、巨猿が襲いかかった。

 体重や鎧の重さを感じさせない重々しくも軽快な動きだった。

 咄嗟に床に転がって躱したケンカイの上を通り過ぎた巨猿は、背後にあったソファを右手の一撃で引き裂き吹き飛ばす。

 猿の右手に装着されたガントレットから伸びた爪を見て、ケンカイは呟いた。


「どう見ても敵だな」


 更に扉の向こうに武装した兵士の姿が見える。

 ケンカイは知らないが、それは正規兵の武装ではなく貴族の私兵が身に着ける武装であった。

 部屋の中に入ろうとする兵士を、ケンカイは扉を閉めるように蹴飛ばすことで吹き飛ばした。

 兵士は剣を取り落して廊下側の壁に頭を打ちつける。

 その隙を狙ったか、再び巨猿が襲いかかった。

 ケンカイは落ちていた剣を拾い力任せに横に振るった。

 兵士が持っている剣は細く鋭い物で、そういう使い方に適したものではなかった。

 猿の鎧に当たった剣はあっさりと折れた。


「安物かよっ」


 剣の質より用途の問題なのだが、とりあえず役にたたなくなったことには変わりがない。

 横殴りに振るわれた猿の腕を、剣の柄で弾き逸らす。

 巨猿は見かけどおりの怪力だったが、ケンカイは見かけ以上の怪力だった。。

 それだけで巨猿が態勢を崩した。

 ケンカイは頭めがけて後ろ手に隠していた酒瓶で殴りかかった。

 咄嗟に頭をかばった左腕のガントレットに命中した酒瓶は粉々に砕ける。

 そして、中に入っていた酒が巨猿の顔面に降りかかった。

 その酒は度数の高い物で、火を付ければ燃えるどころか爆発しかねない代物だった。

 そんな酒が目に入ったのか、巨猿が苦しそうにのた打ち回る。

 残ったソファーやテーブルが吹き飛び、部屋の中がめちゃくちゃになっていく。

 ケンカイは折れたテーブルの脚を見つけると、それに飛びついた。

 そして、ぎざぎざになった方を巨猿の顔面に向けて突きだした。

 狙いは目。

 左目を貫かれた猿は、周り中を震撼させるほどの大きな悲鳴を上げる。

 ケンカイは動じないが、同時に部屋に入ろうとしてきた兵士たちは恐怖で動きが一瞬止まった。

 ケンカイはそこを逃さず、兵士の一人をつかむと背負い投げのように担ぎ上げて猿めがけて投げ飛ばした。

 悲鳴を上げて飛んで行った兵士の体を、めちゃくちゃに振り回していた巨猿の腕がへし折る。

 その隙にケンカイは、残りの数名の兵士を蹴散らして部屋の外に脱出した。

 ケンカイを追いかけた猿は、周りの兵士をなぎ倒しながら進む。

 その動きが止まったのは、廊下の角を曲がった瞬間上から落ちてきた人影に頭をへし折られたからだった。


「やれやれいきなりかよ」


 首を折られてようやく動きをとめた巨猿を眺め、猿になぎ倒されていた兵士が起き上がるのを見ながら、ケンカイは溜息をついた。


「物語の定番だと、王様に会った時に、ついでに悪役と顔を合わせて嫌味でも言い合って、因縁を深めて要因を知ってから解決のための大騒動だろうに」 


 悪役候補の顔どころか、名前すらケンカイは知らなかった。

 面倒事は嫌だからと碌に説明を求めなかった自分のせいなのだが。


「うーむ。一体誰を殴り倒したら解決するんだ?」


 ケンカイは途方に暮れた。

 とりあえず、襲いかかってきた兵士を殴り飛ばす。

 数人の兵士を殴り倒した後、閃いた。

 襲いかかってきた相手全員を倒してしまえば問題解決!


 自分で閃いて置きながら、ものすごく頭の悪い解決方法に思えてくる。


「どうしてこうなった」


 ケンカイは溜息をつきながら、次々と襲いかかる者達を返り討ちにしていくのだった。


 リンダは腰の剣を抜く。

 優美な曲線を持つ剣。斬ることに重点を置いたそれは、剣というより刀といってもよい。

 薄手の鎧なら中身毎切り裂くその剣は、鎧を着た巨猿相手には相性が悪いように見える。


「頑丈な鎧ですこと」


 片手で斬りつけた剣が、鎧に弾かれる。

 リンダは猿の攻撃を躱しながら、鎧の薄い個所を狙って再度斬りつけるが巨猿の素早い動きのせいで的確にあてることができない。


「こういう相手は、本来あなたの担当なのですわ」


 魔法を封じられた中年魔法使いをちらりと見て、リンダはわざとらしい溜息をついた。

 ベッグは、ミトア姫を背後にかばいながら立っている。 

 3匹の巨猿はリンダを当面の敵と認めているようで、そちらには行こうとしない。

 代わりに貴族の私兵がベッグ達を狙っていた。


「魔法が封じられるとは、それがしも初めての体験ゆえ」

「この部屋から出れば、使えるのかしら?」


 リンダの質問に答えたのはミトア姫だった。


「そうだよー。この王座の間にしか効果がないって判った」

「判っただと?

 真理の瞳は封じている筈、判るはずがない!」


 レオナルド王子がその言葉を聞き狼狽した。


「父上はどちらですか?お兄様」

「休養していただいているだけだ」

「西の塔ですわね。判ってしまいますわ」


 レオナルド王子は青ざめる。

 王を監禁している場所を、ミトア姫が知っている筈がないのだ。

 この会話だけで、監禁場所を判ってしまう。

 つまり、それは・・・


「真理の瞳は魔法のような力はあるけど、魔法じゃありませんの。お兄様

 それにしても西の塔ですか、実に嫌味でお兄様らしいですこと」


 ミトア姫は冷たく言った。


「久しぶりに顔を合わせたので、以前では判らなかったことまで判ってしまいました。

 別に判りたくも無かったのですが」

「だ、黙れ!

 何をしている。さっさとあの女を殺してしまえっ!!」

「殿下、捉える予定の筈では? 殺すのは従者共だけで充分です」

「さすがに、妹姫殺害の風評はまずいですぞ」


 二人の対称的な貴族が諌めようとする。


「ご心配なく」


 しかし、それを遮ったのはミトア姫だった。


「わたし、その方の妹ではありませんから」

「黙れっ!! お前らがやらぬのなら、私が殺す」


 レオナルド王子は自分の剣を抜いた。

 貴公子の様子など欠片も見当たらぬ、紅潮した顔に血走った眼。

 その様子をみて、二人の貴族は慌てた。

 レオナルド王子を失えば、彼らの立場は無くなる。

 王を監禁してまで作ったこの状況だ。

 既に後戻りはできぬと彼らは思っていた。


「殿下、危のうございます。

 わかりました。我らにおまかせを」

「お前たち何をしている。

 さっさと奴らを皆殺しにしろっ」




 ベッグはミトア姫がレオナルド王子と話している間に、周囲を警戒しつつリンダに少し近づく。


「他にも、得物を仕込んでおるだろう。それがしにも一つ寄越せ」

「あら、珍しい。あなたが自分の体で戦う気になるなんて」

「野蛮なことは好かぬのだが、こうなってしまっては贅沢はいえぬゆえ」


 ベッグは不本意そうに呟いた。

 そんなベッグをリンダは懐かしいものを見るように見た。


「腕は落ちていませんの?」

「多少落ちていても、雑兵相手に遅れはとらぬ」

「わかりましたわ」


 リンダは着ていたドレスの胸元に手を駆けると、一気に下に手をおろし着ていたドレスを破りすてた。

 周囲の兵士が固唾をのむ。

 ドレスを乱暴に脱いだリンダは、体にぴったりと密着した薄手の服を纏っていた。

 見事に豊かな胸と腰のくびれ魅惑的な尻の形がはっきりと判る。

 そして、妖艶な体のあちらこちらに取り付けられている武器。

 隠し武器の類が多い。

 その中で腰に巻きつけていた細い鎖を外しベッグに渡した。


「万力鎖か、懐かしき武器であるな」


 ベッグはそれを受け取ると軽く振る。

 手馴れた動作だった。

 鎖の先端についた分銅が勢いよく回転するのを確認すると、鎖を縮め手の中に分銅を収めた。


「あちらの話も終わったようにみえるゆえ、久々に暴れることになりそうだ」

「あの猿達は私が引き受けるわ。あなたは兵士たちをお願い。

 無理も無茶をしていいから、姫さまを守るのよ。

 遅れをとるようなら許さないから」

「お前に武術を教えたのは、それがしであるぞ」


 ベッグは普段からは想像できない獰猛な笑みを浮かべた。


「多少錆びついていても、まだまだ雑兵に遅れをとるはずなど無いゆえ。

 安心して猿退治をするがよい」

「頼もしいこと。にいさま、気を付けてくださいね」


 リンダは片手に握っていた剣を、両手持ちに変えた。

 再度迫ってくる巨猿を見据える。

 リンダの顔は嬉しそうに笑っていた。


「それでは、本気を出していきますわ。最初の師匠が見ていますもの」



 リンダは3匹の巨猿を前に両手に持った剣を振りかぶって構えた。

 そして、3匹の動きから目を逸らさないまま、王座の間の様子を探る。

 王座の間にいる巨猿は4匹。そのうち、一際大きい一匹は軍務大臣の傍に控えている。

 おそらく猿達の中でもリーダー格なのであろうが、戦闘には参加していない。

 護衛をさせているのだろう。


「舐められたものだこと」


 3匹の猿の後ろに控える3人、王子、財務大臣、軍務大臣を見て、リンダは不快そうに眉をひそめた。

 王子は剣を抜いているが、二人の大臣は周りの兵士に指図するばかりで自分から戦うつもりは無さそうだった。

 剣の届く範囲に来てくれるなら、その首を斬りとってやるのに。

 そう思うリンダだった。

 ベッグは、万力鎖を自在に操り兵士達を叩きのめしていた。

 最初は魔法使いだと思ってか、甘くみていたらしい兵士達も今では強張った顔をひきつらせて本気で攻撃をしている。

 しかし、ベッグは鎖で剣を受け止め流し、分銅を兵士の頭に叩きつけ砕く。

 そして奪った剣を左手に持ち、右手に万力鎖を構え分銅を振り回す。

 剣より間合いの広い万力鎖で牽制した後、左手の剣でトドメを刺す。

 そんなことを背後にミトア姫をかばいながら平然とこなしていた。


「思ったより衰えていませんわね」


 あちらは大丈夫そうねと思ったリンダは、改めて目の前の3匹に意識を集中する。

 技の遣り取りでは無く、厚い鎧を身にまとい圧倒的な力で敵対するものを粉砕する。

 人間に似ているが、人間以上の力を振う獣。

 騎獣として訓練された戦闘用の巨猿。

 たしかにリンダにとっては相性の悪い相手かもしれない。


「厄介ですが、あの人と比べると・・・」


 リンダはケンカイの肉体を思い出す。人でありながら猛獣のような筋肉を纏ったパワーファイターがケンカイだ。

 彼と船の中でいろいろ・ ・ ・ ・と手合せをしたリンダにとって、巨猿から感じるはずの威圧感は大したものに感じなかった。


「慣れるって、凄い事ですわ」


 冷静に、力強く振り上げていた剣を振り下ろす。

 王座の間の封印は、魔法は封じていても、魔力自体を封じることはできていない。

 リンダは魔法は使えないが、魔力を持っていないわけではない。

 魔力の流れを肉体の動きに合わせれば、その動きは鋭く力強いものとなる。

 それがベッグから教わったロール・ローラ家に伝わる武術の基礎でもあり奥義でもあった。

 そして振り下ろした剣は先頭にいた巨猿を捉え、あっさりと鎧を切り裂き左肩から右の腰の上までに朱色の線を描く。

 何が起きたか判っていない表情のまま、巨猿は体を両断されて倒れた。


「実戦で使うのは久しぶりですわ」


 リンダはニコリと笑った。その一撃の反動で、全身が疲労感に包まれ、腕や足にかかった負担で体が痺れる。

 しかし、それを表には一切ださずリンダは笑った。


「獣相手でも、十分通用するようですわよ。大臣殿」


 血に染まった剣を一振りし血潮を振り払う。


「今なら、苦しむことなく首を斬って差し上げますが」


 そんなリンダを苦々しげに見る軍務大臣。


「人斬りの小娘が調子にのりおって・・・

 そいつら一匹にいくら掛かると思っておるのだ」

「金勘定なら、地獄でどうぞ」


 リンダは剣を床に刺すと、背中に装着していた投擲剣を取出し素早く投げた。

 同時に6本の小型剣が宙を飛ぶ。

 2匹の巨猿に2本ずつ。軍務大臣に2本。

 投げられた剣は、4本が刺さり、2本が弾かれた。

 リンダの傍にいた巨猿達の顔面に剣が刺さった。

 大臣に放たれた剣は、傍に控えていた一際大きな巨猿が叩き落とした。


「殿下、申し訳ありません。

 王座の間をできるだけ汚さぬよう、壊さぬよう気を付けていたのですが・・・」


 軍務大臣は自分の前に立つ巨猿に触れる。

 巨猿の体が膨れ上がった。

 ただでさえ他の猿より一回り大きかった巨体が、さらに一回り大きくなる。

 巨猿の筋肉が盛り上がり、体毛が逆立つ。

 逆立った体毛が見せる色は赤。


「こいつの名は、グランドル。他の猿共とは違う特別製だ。

 儂と正規の騎獣契約を結んでいる個体でもある。

 さきほどの猿達とは、桁が違うぞ」


 軍務大臣はわざとらしく溜息をつく。


「ただ手加減が苦手でな。

 せっかく殿下の物になるこの王座の間を傷つけてしまうのが実に残念だ」


 グランドルと呼ばれた巨猿が吼えた。

 王座の間を揺るがす大音声だ。

 その声の残響の中、赤い巨猿が動く。

 まるでその場から消えてしまったかのような、恐ろしく早い動きだった。

 グランドルとリンダの間にいた兵士が弾き飛ばされた。

 弾き飛ばされた兵士がリンダに到達するよりも早く、グランドルが空中からリンダに躍り掛かる。

 リンダは床に刺していた剣を抜き、グランドルめがけて振った。

 グランドルの左腕が剣を横から叩く。

 右腕がリンダに振り下ろされる。

 リンダは辛うじて右腕を躱した。

 床を叩いた赤猿の腕が、床をえぐり穴をあけた。

 痛がる様子もみせずに、グランドルの脚がリンダを襲う。

 曲剣で受け止めるが、リンダの体は後方に吹き飛ばされ、壁にぶつかった。

 圧倒的なスピードとパワーだ。

 苦しげにむせるリンダを狙い、グランドルが跳躍する。

 振り下ろした腕が壁を大きく傷つけ、えぐりとる。

 リンダがそれを躱せたのは、曲剣で腕を逸らすことができたからだった。

 その代償として、剣は音を立てて折れた。

 折れた剣をグランドルに投げつけながら、リンダは横に転がり態勢を立て直そうとする。

 立ち上がった場所は、王座の間の入口の扉付近だった。


「逃げようとしても無駄だ。そこは開かんよ」

「私が姫さまを置いて逃げる訳などありませんわ」


 軍務大臣が嘲笑う。


「なら、せいぜい足掻くことだ。どれだけ持つかは知らんがね」


 グランドルが再度空中からリンダを襲った。

 リンダは足首付近に着けていた予備の短剣を抜き取り迎え撃とうとする。

 グランドルの手から放たれた何かが、リンダの肩を掠めた。

 それは、さきほど投げたリンダの折れた曲剣だった。

 続けて放たれた突きをリンダは躱し切ることができない。

 かろうじて短剣をあてがい、威力を減らすことが精一杯だった。

 リンダの腹に巨猿の拳がめり込み、王座の間の扉にリンダの体を打ちつけた。




「それで、情勢はどうかな?」

「ご指示通り、我ら諜報部は中立を保ちます。

 軍部に関しても同様。

 陸軍も海軍も上級将校以上の軍人は、全て中立となるよう工作済です」

「大貴族たちは?」

「ロール・ローラ家は、家令殿と交渉して中立を。

 相当渋っておりましたが。

 ブリック家は、密かにレオナルド王子を支持しております」

「ブリック家は、レオナルドの母の実家だ。我慢しきれんようだな。

 それにしては、お粗末な連中しか寄越さなかったようだがの」

「そのような手駒しかいないのでしょう。

 軍務大臣殿のホープ家は、完全にレオナルド王子を支持。

 ご自分の娘との婚約も画策しているようです。

 財務大臣のテアトス家は、内部で分裂しております。

 むしろ大臣殿に従う方が少数となっています」

「下級役人や軍の下級将校はどうだ?」

「ミトア姫を支持する者が多いですが、実際の行動に移るには力不足。事実上の中立です」

「他の動きは?」

「リシア王国が怪しい動きをしていましたが、不幸な事故・ ・が起きたようで今は活動を停止しています」

「ほう、ついでに後継者争いも活発になったようだの。よくやった」

「畏れ入ります。国王陛下」


 諜報部の長は頭を垂れた。

 ここは白露の城の西の塔。

 レオナルド王子が国王を監禁している筈の部屋だった。

 

「それにしても、レオナルドも甘すぎる。ミトアを狙うタイミングも遅すぎる。

 期待外れ、いや予想通りだったかの」


 監禁されている筈のバトア王国国王は、顔を顰めた。

 

「我を監禁するつもりなら、もう少し手練れを用意すべきだろうに。他人を見る目がないのが致命的かの」

「それは、むしろ陛下の隠し事が上手すぎるせいかと」


 西の塔を見張っていた筈の者たちは全て地に伏せている。

 それを成したのが、老いた筈の国王であることを知っている者は、この場では諜報部の長しかいなかった。


「我が手を出さずとも、おまえの手の者が始末していただろうに。いや、おまえ一人でも十分であろう」

「余計な手を煩わせてしまい申し訳ありません」

「心にも無い事を」


 国王は鼻で笑う。


「ところで、今、ここには我とお前しかおらんのだな」

「然り、さすがに手が足りません」

「ふむ、レオナルドの悪戯もたまには良い事となるの」


 国王はにやりと笑った。


「であるなら、たまには陛下とではなく、父と呼ぶがよい。わが息子よ」

「畏れ多いことにございます。陛下」


 長は顔を上げた。

 その顔は、見るものが見れば若い時の国王とそっくりであることに気づくだろう。


「なあ、レトアよ」


 国王は諜報部の長に語りかける。


「今、レオナルドとミトアが争っておる」

「は、確かに」

「城内は混乱しておるよな?」

「その通りでございます」

「混乱のさなか、不幸にも両名とも命を失うことがあっても不思議でもないぞ」

「・・・」

「さらに、我は一人この塔に閉じ込めらておる。しかもなんたる偶然か、お前が我の息子であることを示す日記まで所持しておるのだ」

「・・・・・・」

「おまえの決断一つだ。一歩踏み出すだけで、この国を手に入れることができるのだぞ。我が息子よ」


 国王は長の目を覗き込む。

 

「私は、陛下のお遊びに付き合うつもりはありませぬ」


 長はためらいもせず、あっさりと言った。


「今回の事に関しても、お戯れがすぎます。わざわざ監禁されてやるなど、酔狂にもほどがありますぞ」

「ふむ、おまえが乗ってくれれば、我も楽ができるのだが。そろそろ隠居したいと10年前から思っておるのだが」

「出来れば、老衰で死ぬまで国の為に働いていただきたく。私も影から支えさせていただきますので」

「親不幸なやつよの」

「そう感じていただければ、私の本懐というもの」


 長は笑う。親愛の笑いにも自嘲の笑いにも見える複雑な笑いだった。


「遊び女の息子である私に、この国は重すぎます。陰で蠢く方が性に有ってますので」

「血は水よりも濃しか、お前とレオナルドを見比べると良く判る」

「ご冗談を」

「そうでないことくらい、掴んでおろうが。ミトアですら判っていることだ」

「私には真理の瞳などありません」

「無くてよいさ」


 国王は自嘲しつつ語った。


「そのようなもの無しで真実を掴む力こそ、王に必要なものだ」



 暫く沈黙が続いた後、おもむろに長が語る。


「そういえば、ミトア様のお連れになった客人ですが」

「ああ、そういえばいたな。ホープの奴が気にしておったが、この騒ぎに巻き込まれておるのだろうな。まだ生きておるのか?」

「ええ、至って元気です」


 長は部下の報告を思い出しながら言う。


「陛下の予想を覆す者がいるとすれば、あの男かもしれませんな」

 

「ほほう」


 国王は関心を示した。


「レオナルドは、奥の手を用意している筈だが。

 それすらも打ち破る可能性があると?」

「そのように推測しておりますが」

「それでは我の出番がなくなるではないか」

「狙い通りの結果となりませぬか?」

「ふむ、いい機会だ。

 おまえが我から王位を簒奪した時のために教えておいてやろう」

「そのような事はありえませんが、さて、どのような事でしょうか?」


 国王は笑ったようだった。

 しかし、それが笑いとは諜報部の長であるレトアは感じることができなかった。


「王の行動は博打ではない。

 たとえ結果がどうなろうとも、益となる状況を作ってから行動せよ。

 レオナルドがミトアを殺してもよし、その逆でもよし。

 お前が漁夫の利を狙って国を乗っ取っててもよし。

 我はその状況を作ったからこそ、行動したのだよ」


 


 ロール・ローラ家とはかつての王家でもある。

 とはいっても、バトア王国の王家だったというわけではない。

 バトア王国と同盟を結んでいた隣国の王家だった。

 友好的併合という形式で統一国家となった後も、ロール・ローラ家は大貴族としてバトア王国内に存在し続けていた。

 貴族家としての規模は、ほかの大貴族と比べても桁違いである。

 しかし、それゆえに内部に様々な問題と利益関係を抱え、一族同士の対立と融和を繰り返したロール・ローラ家は有する力とは裏腹に、常に政治の第一線には立とうとはしない大貴族であった。

 規模が大きすぎるゆえに、何かの問題に対して複数の同族が対立してしまう動けない巨象がロール・ローラ家なのだ。

 ロール・ローラ家における最大の勢力は家臣団である。

 国家組織をそのまま残して大貴族化したロール・ローラ家の家臣団は、優れた能力を持ちながらもあまりにも融通が聞かぬ集団となっていた。

 組織の利益のために動くが、個人の利益を追求することはないのがロール・ローラ家の家臣団の気風であり、彼らの忠誠はロール・ローラ家という組織に向けられている。

 本来なら忠誠の対象であるべき当主に向けられる忠誠は、そのおこぼれでしかない。

 現在の当主はリンダ・ロール・ローラ。

 しかし、実際にロール・ローラ家を仕切っているのは、家令であるルーザ・ロール。

 齢80に達し、4代に渡り当主に仕えてきた古強者だ。

 今、彼が育成している次期当主が当主になれば、5代に渡ることになる。

 そして、その可能性は高くなった。

 今、王都の白露の城では、第一王子が厄介事を起こしているところだ。

 そうすると、間違いなくリンダは巻き込まれることになる。

 現当主である彼女は、ミトア姫に忠誠を誓っているのだから。

 リンダから、ルーザに支援要請などはきていない。

 実のところ、正規のものにせよ、裏からのものにせよ、要請があっても支援するつもりはルーザには無かった。

 というより、要請があれば|するわけにはいかない《・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・》のが現状であった。

 それほどリンダはミトア姫に入れ込み、ロール・ローラ家に背を向け続けていたのだ。

 彼女の当主の地位が暫定でなければ、一族か家臣団の誰かに命を狙われていただろう。

 それで、命を奪えるかどうかは別問題であるが。

 だから、ルーザは支援することはできない。

 だが、それでもリンダは当主である。

 彼女の安否が疑われる状況であるからには、それを確かめる必要がある。

 そのために派遣した者が、多少リンダに協力(・ ・)することがあっても、それはルーザの知らぬことなのだ。

 ルーザとロール・ローラ家は傍観する。

 ルーザは当主の安否確認の為に人を送っただけであり、中立の立場を崩していない。

 家令といえど、それがルーザに出来る精一杯の事であった。

 彼も家臣団の一員。その忠誠はロール・ローラ家に向けられる。

 たとえ孫のように可愛がってきたリンダに対してでも、それが変わることはないのだ。

 



 軍部の状況は簡単であった。

 軍務大臣は軍の指揮官ではあるが、さらにその上の国王から密かに命令が来ていたのだ。

 もともとホープ軍務大臣は、軍の中で人気のある人物ではない。

 とって替わりたがる者達は大量に存在した。

 状況がどうなっても、国王からの命令があるまでは待機し傍観に徹する。

 全ての上級将校はそうすることに決めていた。


 

 

 他のバトア王国を支える大貴族達も、中立を保ち傍観することに異議は無かった。

 彼らは、国王の恐ろしさをよく知っていた。

 その国王から事前に、レオナルドとミトアのどちらにも与するなと密書が来ていたのだ。

 昔から国王を知る彼らにとって、その密書だけで従うには充分であった。

 今回の騒動も、国王の実益を兼ねた遊びにすぎないと、彼をよく知る者ほどそう考えている。

 目ざとい者は、諜報部の動きに目をつけ、国王と信頼関係を築いているように見える長と誼を結ぶ方策を考えていた。

 つまり、城に行けないだけで普段と大して変わらぬ状況であると感じているのだった。



 傍観している者達とは裏腹に、争いの当事者たちは命を掛けた喧噪の最中にいる。

 この瞬間に置いて、一番危機に陥っているのはリンダだった。

 グランドルという赤い巨猿に殴られた体は、起き上がろうとする本人の意志に反して動こうとしない。

 激痛をこらえ、体を起こそうと足掻くリンダの前に現れたのはグランドル。


「ふむ、さすがに儂の切り札の前では、只の生意気な小娘にすぎぬようだったな。王座の間での同調は奥の手(・・・)であったのだが」


 嘲るような軍務大臣の声に合わせるかのように、グランドルが両手を振り上げる。

 勝利を確信した赤い巨猿は、両手をリンダに向けて振り下ろした。

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