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漁師と海竜 海原を行く  作者: 赤五
第一章 バトア王国編
4/57

第3話 王都への航路 中編 大海蛇との戦い

2014/12/2 改稿

「それでは、また後ほど」


 リンダに見送られてケンカイは客室に戻った。

 客室の中にはリネス用として運び込まれたベッドが新たに置かれている。

 サイドベッドというより本格的なベッドであるため、最初見たときは広いと思っていた客室が手狭にすら見えた。

 

「あ、ご主人さま、お帰りなさい」

 

 奥の部屋からリネスが出てきてケンカイを迎えた。

 リネスは13歳。短い茶髪とよく動く茶色の瞳が特徴的な少女だ。

 海賊船いたときは、男の子にしか見えなかったが、小奇麗になった今の姿では間違える人は少ないだろう。

 それでも、少年的ボーイッシュという言葉が良く似合うのも事実である。

 彼女は契約奴隷として、ケンカイを主人として契約している。

 魔法による契約を結んでいるため、主人に対して害をなす行動はできないはずだ。

 

”爺さん、あんたのこと話しておくか?”

”とりあえず、やめといたほうがいいかの”

”なんでだ?魔法による奴隷契約を結んでいるんだろ?”

”契約の裏なぞ、簡単にとれるでな。

 その娘っこが、オヌシに逆らえなかろうと危害を加えるつもりはなかろうと、他人に誘導されて結果そうなるということは、十分ありえるぞい。

”見かけの割には慎重だよな。爺さんは”

”オヌシほど能天気にはなれぬでな”


 思念による会話は、言葉を使う会話より要する時間は短いとはいえ、返事をしないままなにごとかぶつぶつ言ってるように見えるケンカイを、リネスは不思議そうに見つめた。


「・・・ああ、奴隷を持つのは初めてでな。ちょっと戸惑っただけだ」


 ケンカイは適当に誤魔化した。

 実際、多少戸惑っていたのは事実なので、リネスは素直に信じたようだった。


「オイラじゃなかった、ボクにできることでしたら、何でもします。

 なにか、することがありましたら、遠慮なさらず言ってください」

「その口調で通すのか、無理する必要はないぞ」

「姫さまがボクの方が可愛いって言ってるので。ボク頑張ります」


 リネスは決意を示すかのように、拳を力強く握りしめた。

 まだまだ行動が少年っぽいな、とケンカイは思った。


「しかし、いまさらだが。

 成り行き上、仕方なかったとはいえ、オレの奴隷になってもよかったのか?」

「犯罪者奴隷になるより、100倍以上マシです!」


 リネスは縋り付くような眼差しをケンカイに向けた。


「ボクにできることなら何でもしますから。どうか捨てたり売ったりしないでください」

「心配するな。そんなことしたら、姫さんに何されるかわからんからな」


 ケンカイは自分の左腕も見た。

 ついさきほどまでそこに食い込んでいた曲剣と使い手の姿を思い浮かべる。


「怖い御嬢さんが姫さんの味方なんだ。おそろしいこった」

「リンダさんですか?綺麗で巨乳ですよね。・・・お風呂で浮かんでたし。羨ましい」

「ん?、何か言ったか?」


 リネスは誤魔化すようにパタパタと手を振った。


「あ、ご主人様。この部屋、お風呂もついているんですよ。この後、姫さまに招かれて夕食の予定ですよね?身だしなみを整えていた方がいいと思います」

「個室の部屋に風呂まであるとは、贅沢なもんだな」


 ケンカイは呆れたように言った。


「リネス、おまえこの船に慣れ過ぎると、大角丸で生活できなくなるぞ」


 ケンカイは、肩をすくめた。


「むしろ、オレが耐えれるか不安になってきた。いっそのこと、この船を貰うか」

「さすがにくれないでしょう。それにこれは姫さまの船であり、家のようなものらしいです。ご主人さまといえど手を出すべきではないと思います」

「冗談だよ」

”ワシは本気で欲しいのじゃがな。オヌシ奪ってみぬか?


 唐突にリオウが念話で呟き、ケンカイは驚いた。


”今まで見た範囲でも、この船の連中はこの船の性能を碌に引き出しておらん。もったいないことこの上ないのう”

”馬鹿なことを考えるなよ。オレはあの御嬢さんと本気で命の遣り取りをするのはごめんだ”

”ふむ、それは畏れているのかのう? それとも、もったいないからかの。今までのオヌシの女の趣味からすると、オヌシの好みにぴったりじゃしの。女を買いに行っても、でかい胸の女ばかり選ぶオヌシじゃしな”

”この覘き魔が。いい加減、遠慮することを覚えやがれ”

 


「ご主人さま?」


 また急に黙り込んでぶつぶつ言ってるように見えるケンカイを、リネスは再度不思議そうに見た。


「・・・ああ、風呂だったな。直ぐに入れるのか?」

「魔法の道具でお湯がでるようですので、ボクでも直ぐに準備できます」

「じゃあ、頼む。よく考えると暫く風呂入ってない上に、さっきほどよい運動をしたからな。結構汗臭いか」


 水で洗うくらいはしたから、それほどでもないはずだよなとケンカイは思った。

 リネスはケンカイに近づき、胸板に鼻先を近づけた。

 

「ご主人さま。結構臭いが・・・」

「自分じゃわからんな」


 ケンカイは鼻を鳴らした。

 そして、リネスの頭に手を置き引き寄せる。


「おお、お前はいい匂いがするな」

「ひ、姫さまが使ってるのと同じ洗髪剤を昨日使わせてもらったんだい」


 動揺して赤くなるリネス。ついでに言葉使いも怪しくなる。


「なるほど、さすが姫さん。いいのを使っているんだな」

「さっき見たけどっ。この部屋の風呂場にも同じ洗髪剤が置いてましたっ」


 リネスは真っ赤になって言った。


「ボク、一緒に入ってご主人さまの髪の毛を洗うの手伝いましょうか?

 洗い方は昨日姫さまに教わったので、きっと上手にできますっ」


 ケンカイはリネスの胸を見て言った。


「そういうのは、もっと育ってから言ってろ。ガキに湯女をさせるほど飢えてない」


 似たような事をいうのは何度目だろうか。

 ケンカイは、ほっとしたようなガッカリしたような微妙な表情を浮かべるリネスを見ながらそう思うのだった。


 湯の準備は直ぐに終わった。

 客室の奥にある風呂場に足を踏み入れて、ケンカイは驚く。

 客室用の風呂は広かった。

 洗い場も湯船も広い。

 体をざっと洗った後、ケンカイは湯船の中にのんびり浸かっていた。


「船の中とは思えんな」


 過去に乗ったことのあるいろいろな船を思い出しながら、ケンカイはそう思う。

 故郷の島、どうやらここから西のかなたにあるらしいボルス島、を出るまでに乗ったことがあるのは、漁に使うための丸木船だった。

 島の伝統の船とはいえ、漁船に過ぎない船に快適な船旅を送るための施設などない。

 仲間と一緒に島をでて敵討ちの旅にでてから乗った船も、帆船であったり、大型手漕ぎ船であったりで、移動するためだけの船であることが殆どであった。

 敵討ちの帰りに、リオウと出会って訳の分からない事態になってからは、海賊から奪いとった双胴船を使ってここまで旅をしてきたのだ。


”原型は太古の古代魔法帝国の魔導師が作った船じゃしのう。ワシからみれば勿体ない使い方をしておるわ”

「魔導師?

 魔法使いとは違うのか?」

”似て異なるものじゃ。オヌシには説明してもわからんじゃろう”

「わかる気もないけどな」


 体を洗い、汗を流し垢を落とし湯につかると、体の中がじんわりと温まってくる。

 昔、何度も感じた暖かい感触だ。


「ああ、島の温泉に入りたい」


 ケンカイの望郷の思いが高まる。


”オヌシ、今帰っても本人とは思われんぞい”

「誰のせいだと思ってるんだ」

”まあ、老けたのは外見だけでよかったではないか。これもワシの加護のおかげじゃぞ”

「爺さんがいなきゃ、そんな加護なんて必要なかったけどな」


 ケンカイが受けた加護とは、老化しても肉体能力が落ちないというものであった。

 だが、老化の原因もリオウにあるので、感謝する気にはなれない。

 おまけに、こんな遠隔地に来ることになった原因もリオウにあるのだから、喧嘩別れしていない今のほうが不思議である。


”海竜たるワシの加護を受けることができるなぞ、人の身に過ぎた栄誉であり祝福ぞ。古来数多の人間がそれを巡って争ったものよ”

「本気でいらないんだがな。以前にも聞いたが、解除の方法は本当に無いのか」

”無い。前にも言ったが、オヌシが死ねば話は別じゃがの”

「じじいの姿で、爺さんと一緒に永遠に生きるって、何の拷問だ」

”人間の夢の一つである、永遠の命ではないか。それに、オヌシも楽しんでおるだろう。娼館にいっても、年寄りだから優しくしてくれそうだとかでもてとるのじゃろ。ハツウリとかの娘とかに”

「だから、覗き見も大概にしろよ。爺さん」


 ケンカイは呆れ声を出した。海竜とやらであるらしいリオウが、常に馬鹿にしている人間の行動を覗き見して何が楽しいのだろうか?


 少なくとも、オレは蛇の交尾を見ても楽しいと思わんのだから、爺さんでも同じだろうに。


”ワシは蛇じゃないぞ、海竜だ。知識の竜にて魔法使い。知のリオウぞ

 ワシの加護を受け、知識を授けられることを夢見た魔法使いは数知れず”

「でも、オレは魔法を使えないし、興味もない。何の役にもたってないんだが」

”まったく、勿体ない事よ”


 ケンカイは腕に力を込めた。太い骨の上についた太い筋肉が盛り上がり力こぶを作る。


「オレは、単純に腕力でぶん殴るほうが好きで性に合ってる。それに効率的だ」

”オヌシのような奴らの集団だから、オヌシの島の住人は化け物扱いされておるのじゃな”


 ふん、とケンカイは鼻で笑った。

 いきあたりばったりで、いい加減に生きてきても譲れない線はあるのだ。


「化け物ではない。海熊だ。一族の誇りにけちをつけるなよ。爺さん」





 リネスは風呂の入口でうろうろしていた。

 両手に大きなガラスのコップを持っている。コップには冷えた酒が満たされていた。

 気を利かせて用意したのだが、風呂場に入るのをためらっている内に、ご主人さまであるケンカイが何事か呟いており、ますます声をかけずらくなっていたのだ。


「化け物ではない。海熊だ。一族の誇りにけちをつけるなよ。爺さん」


 それまでの呟きではない、はっきりとした声が聞こえた。

 爺さんって誰だろう?

 リネスは首を傾げるが、思い当たることは無い。

 あえていうなら、ケンカイ自身が爺さん呼ばわりされてもない顔をしているが、自分の事をそう呼ぶことはないだろう。

 なにはともあれ、きっかけはできたのだ。と前向きに考えて、リネスは声をかけた。


「ご主人さま。冷たいお酒をご用意しましたけど、ボクが持って行った方がいいですか?」


 すぐに扉が開いて、ケンカイが全裸のまま平然と近づいてきた。


「おお、気が利くな」


 リネスはさりげなく浴室の中を見回す。

 男の全裸に慣れてないので、見るのも躊躇われたせいでもあるが。

 浴室の中には、当然ながら他に誰もいなかった。


「うむ、弱い酒だが、その分、水のように爽快に飲めるな」


 コップを受けとり、一気に飲み干すケンカイ。


「オレはもう少し風呂に入るから、同じのをもう一杯くれ」


 老けた顔には似合わぬ、発達した筋肉を全身にまとわせたケンカイが浴槽に戻っていく。

 リネスは頬の熱さを感じながら、次の酒を準備するために別室に戻ったのだった。



 リネスが新たに渡した酒を飲みほしたケンカイは、風呂から上がると用意されていた新しい服に着替えた。

 高級そうだが、窮屈さを感じさせない服だった。

 ケンカイが持っている服ではないので、ベッグかリンダが手配して用意させたものだろう。

 ここまで待遇が良いと不安になりそうなものだが、ケンカイは特に気にしていなかった。

 いざとなれば、力ずくで逃げればいいだけだと本気で思い、今まで生きてきた実績のある海の男なのだ。


「ご主人さま、質問してよろしいですか?」


 湯上りの体をのんびりと休めていたケンカイに、リネスが尋ねた。


「ボク、ご主人さまが故郷に戻ったら、解放されるって条件なんですが、ご主人さまの故郷まで、どれくらいかかるのでしょうか?」

「わからん」

「え?」


 あっさりと答えたケンカイ。だがそれは期待していた答えではなかった。


「なにか、ご用事があって時間がかかるということですか? 

 それならボクも頑張ってご主人さまが早く故郷に帰れるように協力します」

「いや、だからな」


 ケンカイは、鼻先をかきながら答えた。


「オレの故郷がどこにあるのか、ここからどれくらい離れているのか、そこにいくまでどれくらいの時間がかかるのか、全くわからん」

「・・・・・・」

「心配するな。ここから西の方向にあるらしいのは確かだ」

「そ、そうなんですか、ちなみにどうしてわかったのですか?」

「酒場で酒を奢ったら、教えてくれた奴がいた」

「その話が正しいって証拠は・・・」


 ははは、とケンカイは笑った。


「そんなの、ある訳ないじゃないか」


 と、ごくあっさり言い切ったのだった。




 リネスがケンカイの杜撰な帰郷計画を聞いて愕然としていた頃、ベッグとリンダはブリッジにて二人きりで話をしていた。


「それで、姫さまのご希望通りになりそうであるか?」

「姫さまらしい、可愛らしい望みだもの。私は喜んで協力するわ」


 リンダは微笑んだ。


「ケンカイ殿も枯れてもいないし、堅物でもない。きっと、私の思うようになってくれるわ。

 こちらの件に関しては、素直に話して協力してもらってもいいわけだし」

「ゆえに、そちらに関しては、それがしも心配しておらぬ。だが、もう一方に関してはそうもいかぬゆえ、いまだに落としどころが難しい」

「殿下の手先には、あの手合せを見せたのでしょう?なら、反対されても強引に押し込めるのではなくて?」

老魔法使い(ライア)殿は、お主の腕が落ちたのではと言いおったゆえ、簡単にはいかぬ」

「あら、心外」


 リンダは眉をひそめた。


「最初は手加減しようとしてたけど、最後は本気を出してようやくあの結果よ。

 しかも、ケンカイ殿は得意の武器じゃなかったのに」

「所詮は、魔法使いであるからな。それがしもだが」


 ベッグは自嘲気味に言った。


「どの口がいうのかしら」


 リンダは呆れた声を出す。目の前の男が、只の魔法使いでないことを彼女ほど知っている人間はいないだろう。

 

「魔法に心奪われ、力に酔った者が魔法使い。それがしも含め、それ以外を馬鹿にするのは否定できぬ。たとえ、どのような実力を持っていてもな。

 ゆえに、状況を見誤ったのであるから、自分が許しがたいことこのうえなき」

「あの方がそこまでするとはね。姫さまのお力が、そこまで恐ろしいのかしら」

「真理の瞳を恐れねばならぬほど、隠しておきたいことが多いゆえのこと。

 殿下がそのような方であるということより、それに同調する後ろ暗い者たちがあそまで多いとは、そちらのほうが嘆かわしい」


 ベッグは、普段けっして見せない弱気な表情となる。


「今回の海賊船と交易船の曳航も含めて、打てる手はほぼ打ち尽くした。時間は多少稼げたがこちらの手駒は不足してるゆえ、最悪の事態を避けることが精一杯が今の城の現状。

 いっそのこと、国を去るのも策ではあるのだが」

「無理よ。姫さまは、それをしない。あなたも知っているでしょう」

「知っておる。ゆえに、あがいておる」

「とにかく、城で私が姫さまの警護をできるように、何とか押し込んでおいて。

 いつものように、城が安全といって姫さまと切り離されるのはまずいわ」

「うむ、そのつもりである。ケンカイ殿が、当初思っていたより真面な御仁であることがな・・・、

 人質ごと海賊を殺そうとしたと聞いて、

 もっと危険な人物であると期待しておったのだが」

「そうね、予想より遥かに紳士的だわ」


 リンダはケンカイを思い出して言った。

 

「女ならとりあえず手を出すような人なら、かえってやりやすかったのにね」


 微妙な問題になりそうな年頃の娘を、ケンカイに押し付けた目的の一つがそういう関係のトラブルを起こしてもらうことにあったのをリンダは気づいていた。


「まあ、奴隷娘にそこまで期待はしておらぬかったのだが。姫さまが乗り気だったほうが驚きであった」


 ベッグは肩をすくめる。

 

「もう少し、ケンカイ殿が危険な人物であると思わせることができぬものか」

「もっとよく知らないと、無理ね」


 リンダは妖艶に笑った。


「今晩あたり、お誘いしてみるわ。そのほうが姫さまの都合もよいでしょう?」

「お主の手を、このような事に借りるのは、いささか複雑ではあるが」

「あら、いまさら心配を?

 そういや、ケンカイ殿が嫌な事を言ってたわ」


 リンダは面白そうに、そして嫌そうに表情をころころ変えて言った。


「私とあなたは似ているそうよ。どこから、そういう結論をだしたのかしらね」


 くすくすと笑う。


「本当に面白くて興味深い人。私、今回の件は楽しくやれてるのよ。心配はいらないわ」




 そのケンカイが、彼らの予想と期待を裏切る方向で騒ぎを起こしたのは、彼らが話をしてからわずが2時間後。

 姫さまと一緒の夕食会の直前の出来事となるのだが、今の時点でそのことを知るものは誰もいなかった。

 あえて、知ることのできそうなものは海竜であるリオウであった。

 というより発端となるのがリオウなのだが、リオウですらも自分の発言がそんなことになるとは全く思っていなかったのである。



 きっかけは些細な事だった。

 ケンカイが船で開催される夕食会に参加することを、リオウが知ったことだ。


”オヌシだけ美味い物をたべるのか”

”オレの感覚を共感できるんだろ? 爺さんも食べるのと同じこった”

”あれは、完全なものではないからのう。食べた気にはなれんよ”

”料理を貰ってきて欲しいのか?”

”ワシが直接食べても、オヌシから感じる以上の旨さは得られぬよ。味覚が違うからの。あれはあくまで、オヌシが食べて得た感情を共感してるに過ぎぬのじゃ”

”そういうものなのか”

”以前に説明した筈じゃが、相変わらずの熊頭じゃな。オヌシは”

”うるせえな。興味ないことは覚えない主義なんだよ”


 普段なら、そこで会話が終るか、たわいもない口喧嘩が始まるのだが、今回は多少違っていた。

 なぜならケンカイは、風呂で冷たい酒を飲んでほろ酔いになっていたからだ。


 ボルス島の漁師曰く。

 ほろ酔いの男は恐ろしい。

 泥酔するまで飲んでしまえば、馬鹿なことを行おうにも体が動かない。

 でも、ほろ酔いは危険だ。体は動くのに、頭は馬鹿なことを考える。

 だから、もっと酒を寄越せ。このままだとほろ酔いのままになっちまうぞ。


”じゃあ、爺さんはどうしたいんだ?”

”ワシも旨い魚を食いたいのう。最近、同じ魚ばっかりじゃしな”

”ふむ。そういや、オレも最近大物狙いしてないな。

 釣ってるのは1mにもならん小物ばかり。

 いかん、これではボルス島の漁師の名がすたる。

 海熊の一族が小物釣りで満足していたのだ。

 それでいいのか、いやっ!”


 ケンカイは突然叫んでしまった。


「いいわけがないっ!」

「はっはいっ どうかしましたか? ご主人さま」


 いきなり叫んだケンカイ。びっくりするリネス。

 広いとはいえ、同じ部屋のなかでいきなり叫びだした男を目の当たりにすれば驚くのも当然だ。

 だが、ケンカイは酔っ払いの習性で、そんなささいなことを気にするつもりは無くなっていた。

 


「リネス!」


 太い腕の太い指で、リネスの肩をつかむ。

 

「大角丸に戻るぞ。

 いまから、海熊の名にかけて、大物を釣り上げる!」

「え、今晩は姫様の夕食会がありますよ。今からそんなことをしている暇はないのでは・・・」

「ほう・・・」


 ケンカイは不穏な笑みを浮かべた。


「つまり、お前は、オレが大物を釣る時間が無いといいたいわけだ」

「い、いえ、そういうわけでは」

「その挑発、我が名において受けてやるっ 見ておけリネス。海熊の男の本気をっ」

「ご、ご主人さま、もしかして酔ってませんかっ!?」

「心配するな。リネス」


 ケンカイは不敵な笑みを浮かべた。


「ほろ酔いの良い心地だ。何も問題は無い」




 海姫の雷号の舷側から、リネスを抱えたまま大角丸に飛び移ったケンカイは、船底に仕舞っていた巨大な木の塊を取り出した。

 

「大物を狙うなら、やはりこいつだな」

「なんですか、これ?」


 ケンカイのいきなりな行動で目を回していたリネスは、目の前に置かれた奇妙な木の塊をみて首を傾げた。

 彼女は目を回してたから奇妙に見えていたのかと思ったのだが、改めて見ても奇妙な木の塊としか表現のしようがない代物だった。


「餌木だ。大物を釣るには大きな餌木をつかう。漁師の基本だぞ」


 手早く餌木に巨大針をとりつけ、さらに太い糸を結ぶ。そして、海の様子を眺めた後、錘を取出して餌木と糸に括り付た。

 ケンカイの太い指は、外観に見合わぬ器用さを発揮しており、一連の動きは洗練されており思わず見とれてしまうほどだった。


 糸の端を船に直接結んだ後、ケンカイは餌木を海に放り込んだ。

 重りを付けられた餌木は、勢いよく海に潜っていく。

 ケンカイは、糸を握る力を調整しつつ糸から伝わってくる振動を感じ取るかのように、ゆっくりと上下に腕を振る。


「ご主人さま、木の塊なんて餌の代わりになるのですか?」

「扱い方によるな」

 

 ケンカイは自信たっぷりに頷いた。


「優れた漁師は、こいつを自在に操り、餌と見せかけたうえで挑発してやる。大角マグロは、自分の食欲と闘志によって、こいつを攻撃したうえで食おうとする。

 それを釣り上げるのが、海熊の男だっ」

「でも、ご主人さま」


 リネスは言った。あっさりと


「大角マグロなんて、このあたりじゃ聞いたことの無い魚ですよ」


 そして、無邪気に言った。


「いない魚は釣りようがないと、ボクは思うのです」


 それは真理だった。大角マグロは釣りようがなかったのだ。

 

 

”オヌシ、思いつきと勢いだけで行動するのは、ほどほどにすることじゃな”

”爺さんの為に、釣ろうとしてやってんのに、そんな言い方はないだろ”

”いない魚を釣るなぞ無理じゃろうが”

”旨い魚と云われたら、大角マグロだからなあ。

 やっぱり、オレはボルス島に帰る。帰って大角マグロを肴に酒を飲む!

 爺さんにも勿体ないが分けてやるから、それまで我慢しな”

”やれやれじゃな。その時を楽しみにしておるよ”


 ケンカイは、餌木を引き上げようと腕に力をこめて太い糸を巻き上げようとした。

 その様子を見て、釣りをやめる気になったようだと、リネスは安堵した。

 夕食会の時間は近いのだ。

 ご主人さまの服も、夜会用のものを準備しないといけなかったっけ。

 などと考えていると、ケンカイの様子が変わった。

 釣り糸を巻き上げていた腕がぴたりと止まる。


「ご主人さま?」

「ふむ、確かにこの海には大角マグロはいないようだ」


 ケンカイは、目をぎらつかせた。


「だが、大物はいるようだっ!」

 

 そして、それから長い闘いが始まったのである。




 実はバトア王国近隣の海で、海に生きる人達の間で噂される存在がある。

 そいつは、中型船ほどの体長と蛇のような細長い体をもつという。

 嵐の晩に海上に現れ、船を襲い、小型船であれば巨体を巻きつけて海に引きづり込み、大型船であれば船上の船員に襲いかかり哀れな獲物を海に連れ去るという。

 更に伝説めいた逸話としては、雷を操り船を襲うとか、実は嵐もその怪物が起こしているという話まであるが、そこまではベッグは信じていない。

 だが、そういう怪物じみた海の生物が存在したとしても不思議ではないのが、大海原である。

 陸よりはるかに広い海。山脈よりはるかに起伏にとむ海溝。

 海というものは、陸よりはるかに変化に富み、かつ大量の生命の息吹を有する魔境でもあるのだから。


「とはいっても、それがしがそのような怪物を直接目の当たりにするとは」


 ベッグは、水晶球に映っている蛇を巨大にしたような怪物を見て嘆息した。


「ライア殿、本船の被害は如何に?」


 老魔術師ライアは、苦い顔をして答える。


「船腹の損傷が一番ひどい。航行できぬほどではないが、修理してからのほうが結果的には早くつくじゃろう」


 その表情は、船の被害のせいなのか、そのせいで帰港が遅れるせいなのか。

 船の被害はともかく、こちらに非のない形で帰港を遅らせることができるのは有り難きことだとベッグは内心ほくそ笑む。


「しかし、ベッグ殿。その損傷はあの怪物によって付けられたというのではなく、あの男がやったものですぞ」

「あの状況では、仕方ありますまい。あの怪物が、こちらに突っ込んできていたのは事実ゆえ。我らの防御結界では間に合わなかったのも事実ですな」


 言葉につまったライアは、咳払いをしたあと


「とりあえず、修理を急がせます。今夜はこの辺りで碇泊することになりますぞ」

「おまかせもうした」

「・・・ところで、ベッグ殿。

 ミトア姫は何をされているのだ?」


 水晶球には、ミトア姫がリンダをつれて怪物を見学している姿が映っていた。

 怪物は、海姫の雷号の船腹に張り付いている。正確には、怪物の頭部を大銛が貫いて船腹に打ちつけていた。

 ミトア姫は、周囲の船員を指図して何かをしようとしていた。


「どうやら、あの怪物を引き上げるおつもりのようですな。帰港の際のよき土産となるがゆえに」

「・・・修理を急がせる」


 ライアは苦い顔をしたままブリッジを去っていった。




 時間は少し戻り、ケンカイが怪物を海面まで引き上げた時、

 ケンカイはもの足りなく思っていた。


”長さは凄いが、引きが足らんなあ”

”それは、向こうがこちらに襲いかかる気じゃからじゃ。オヌシ、相変わらず緊迫感がないのう”

”最初から向こうから来てくれるのなら、体力の消耗がなくて楽でいいな”


 姿を現した怪物は巨大な蛇の様な姿をしていた。


”大海蛇か、爺さんの親戚か?”

”心配無用じゃ、こんな所に知り合いはおらぬ”

 

 リオウはそう言いながら何か記憶に引っかかるものを感じた。

 だが、それは大海蛇が暴れ出すと忘れてしまうようなささいな物だった。


 双胴船は大海蛇に引っ張られ、揺れに揺れている。

 そんななかでケンカイは平然と船上に立っていた。

 ちなみに、リネスは最初は立っていようとしたが、今は諦めてマストにしがみ付いている。

 涙目になって両手両足でマストにしがみ付くリネスをみて、親にはぐれた子ザルみたいだとケンカイは思った。


「リネス、せめて両足で立て。マストにしがみ付いておくのは構わんが、そんなんじゃ、バランス感覚の鍛錬ができんぞ」

「オイラ、じゃなかったボク、そんなことしてる場合じゃないです、ご主人さま。前、前!」


 大海蛇が大角丸に向かってきた。あちらのほうが、長さは2倍ほどあるだろうか。


”面倒になってきたな。爺さん、何とかならんか”

”ワシが本気をだせば、何という事は無いが、そうすると、またあの島に呼び戻されて閉じ込められるぞ、オヌシも一緒にの”

”それは、ごめんだ”


 ケンカイは大銛を構えて突きだす。

 大海蛇はその一撃を、海に潜り躱すと船底を突きあげた。

 大角丸が盛大に揺れる。


「跳ね飛ばせない程度か、大した獲物じゃないなあ」

「!?~~っ」


 リネスが、盛大に涙を流している。かなり怖ったらしい。

 内またを閉じているので、もしかしたら漏らしたかもしれないが、すでに船の上は波しぶきでずぶぬれである。気にすることはないだろう、と無遠慮にケンカイは思った。

 もちろん、本人に尋ねたりしない程度の配慮はある。

 だがケンカイの視線を追ったリネスが真っ赤になったので、あまり配慮の成果はなかったようだ。


「ご、ご主人さま、またきますよーっ」


 大きく海面を飛び上がった大海蛇は、一直線にケンカイめがけて落ちてくる。


「せいやっ!」


 ケンカイは大銛を横殴りに振るい、大海蛇を弾き飛ばした。

 馬鹿力にもほどがある、とリネスは唖然としてその光景を見た。


「うーむ、急所はやはり頭かな」


 ケンカイは悩んでいた。

 さっさと終わらせたくなったのだ。

 ケンカイが釣りたかったのは、大物の魚であり、海蛇の化け物のようなものではなかった。

 釣り応えが悪いんだよなあ。と、極身勝手な事を考えているケンカイ。

 釣り針に引掛かった大海蛇が知ったら怒るだろう。

 

「妙に体が柔らかくて、うろこがぬめってやがる。なかなか刺さらん」


 さきほどから、何度も突き刺そうとするのだが、命中しても刺さらないことが続いていた。

 弾かれるというより、するりと逃げられる手ごたえはケンカイを不快にしていく。


”おまけにまずそうだしのお”

”爺さんもそう思うか、オレも同じ意見だ”


 なにより、旨そうに見えない外見がやる気を削いでいた。

 

「リネス、あれ旨そうに見えるか?」

「何で食べることの心配してるですかっ。そんなことより、こっちが食われそうなんです!」


 大海蛇は大角丸の周りをぐるぐると泳いでいる。隙をうかがっているかのようだ。

 

”縄を切っても帰ってくれそうにないな”

”腹いっぱいになれば、帰るかもしれんぞ。オヌシ少し食べられてみろ”

”エサになら、爺さんのほうが体がでかくて喰いでがあるだろうから、爺さんその尻尾あたりかじられてみたらどうだ?”


 一応、警戒しつつも、お互いに大海蛇の餌となるように提案していたが、大海蛇が選んだのは柔らかそうな肉のようだった。


「こ、こっちきたーっ」


 舳に立っているケンカイを無視して、マストにしがみ付いているリネス目掛けて跳躍してくる大海蛇。

 大海蛇のたてる波で双胴船は大きく揺れ続けている。

 リネスは、マストから手を放して海に落ちない自信は無く、かといってこのままでは確実に押しつぶされるか、かみ殺されるか。いずれにせよ助からない。

 一瞬のうちに、過去を照らす走馬灯を見ている気分になったリネス。

 彼女を救ったのは、横から大海蛇を殴りつけると同時に彼女を横抱えしたケンカイだった。

 ケンカイは不思議そうに言った。


「なんで、避けないんだ?」

「こんな、揺れてる船の上で歩いたり避けたりできませんですうっ」


 涙にぬれた目でケンカイを見上げるリネス。リネスを抱きしめる逞しい腕の温度を感じて、安堵を覚える。

 この角度からみると、ごつい顔もカッコイイかも。

 緊張感からくる吊橋効果で、なんとなくケンカイが恰好よく思えるリネスだった。

 だが、彼女の思いは、ケンカイの一言であっさり粉砕される。


「いい事を思いついた。お前、囮になれ」

「はっ?」

「さっき、奴はお前を狙った。ということは、奴はお前を旨そうな餌だと思ってるってことだ」

「え、えさ・・・」

「心配するな、ちゃんと護衛は付けてやる」

「ご、護衛って誰ですか、どこにいるんですかっ」

「海の中だ」


 ケンカイはにやりと笑った。


「それに、リネス、お前ちょっと臭うから丁度いいだろ」

「ボ、ボク、別に漏らして無いですよぅ~」


 リネスは真っ赤になった。そんなリネスをケンカイは片手で持ち上げた。

 お尻あたりを掴む。


「ひゃあ、どこ、触ってるんですか。

 え、あ、ど、どこに投げるつっもっりーーー」


 飛んで行ったリネスは、海面に落ちると同時に何かにぶつかる。

 慌ててつかんだそれは、大アザラシだった。

 

”爺さん、エサが嫌なら護衛を頼む、あっちに向かって逃げてくれ”

”オヌシ、これではエサと変わらんぞ。このくそ若造がっ”

”爺さんのおかげで(・ ・ ・)若造呼ばわりされたのは久しぶりだな”


「きゃー、ごぶぅ、ごぼぅ、ぎゃー!!」

 

 リネスは騒がしい。時々海水が口に入ったのか、悲鳴に混じって変な声も聞こえる。

 リオウの首筋あたりに必死でしがみ付いて、騒ぎたてる姿は理想の囮にすら思え、ケンカイは感心した。


「奴隷契約の力ってのは凄いんだな。あそこまで、こちらの意図通りの行為を取らせてしまうとは・・・」

”オヌシ、奴隷契約を勘違いしとるぞっ!”


 リオウも必死で泳いで逃げている。現在の彼は、少し丈夫で高度だけど威力の無い魔法を使えるだけの大アザラシだ。

 自分の3倍もある大海蛇の攻撃をまともに受けて無事にすむとは思えなかった。

 とりあえず、何らかの目論見はあるのじゃろうと思い、ケンカイの指示した通りに進んでいる。

 海姫の雷号に向かって。



 リネスは混乱していた。

 大海蛇に襲いかかれられ、いきなりケンカイに抱き上げられた助けてもらい、恐怖と男の腕に抱えられていることにドキドキしていると、尻をつかまれて海に放り投げられたのだ。

 無理もない。

 意識せぬまま悲鳴を上げて掴まったのは、ケンカイがリオウとよんでいる大アザラシの騎獣だった。

 大アザラシは、ケンカイの制御を受けているのだろう。

 大海蛇に追われながら、迷いなく真っ直ぐに進んでいる。

 波に当てられて、満足に目を開けない中、リネスはどちらに進んでいるのか確かめようとした。

 そして、進んでいる方向を見てリネスは固まった。

 目の前に巨大な壁があるように見えたからだ。

 この時のリネスは気づかなかったが、それは海姫の雷号の船腹であった。

 船腹にリオウがぶつかると思った瞬間、リオウは海に潜った。

 潜ったその上を巨大な何かが通り過ぎ、船腹にぶつかった後、落雷のような大音量が響き渡った。


 

”よし、そこで海に潜って船底の方に”


 リオウとリネスを追いかける大海蛇の動きを冷静に見ながら、ケンカイはリオウに指示を出すと大銛を構えた。

 揺れる船上では、立っているだけで困難な筈なのだが、まるで張り付いているかのように安定した姿だ。

 目の前で突如獲物が消えた大海蛇は、大きな音を立てて海姫の雷号にぶつかった。

 巨船すら大きく揺れる体当たりだ。

 ぶつけられた方も、ぶつかった方も大きな衝撃を受けている。

 その隙をケンカイは狙った。

 手斧を振って、リオウに着けていた引き綱を切った後、

 一瞬動きを止めた大海蛇の頭を狙い、正確に素早く大銛を投げた。

 大銛は、大海蛇の頭を貫き、そのまま海姫の雷号の船腹に突き刺さった。

 大海蛇は、落雷のような悲鳴を響かせたあと動きを止めた。

 海姫の雷号の船腹に、頭を貫かれてはりつけになった姿で。


「よし、終わりっと」


 ケンカイは満足そうに呟く。気に入った獲物ではなかったが、人以外に大銛を使ったのは久しぶりで、それにもかかわらずきちんと扱えたことに満足していた。


”ほら、うまくいっただろ。爺さん”

”ワシに無茶させておいてよく言うのお。ん?”

”どうした?”

”さっきまで、ワシの背中にいた奴隷娘だがのお”

”リネスだ。いい加減名前でよんでやれよ。爺さん”

”・・・おらん”

”え?”

”潜る瞬間まではいたのじゃが、そのあたりに浮いておらんか?”


 ケンカイは慌てて周囲を見回した。そして、沈んでいこうとしているリネスを見つけ、あわてて海に飛び込んだのだった。


 沈みかけたリネスを捕まえたケンカイは、脇の下から手をいれて仰向けにしリネスの顔が海上にでるようにした。

 意識を失っていたおかげで、海水を大量に飲み込むようなことは無かったようで、リネスは直ぐに目を覚ました。


「か、壁がっ 前に、怪物が後ろにっ!」

「落ち着け、もう仕留めた」


 目を覚ますと同時に、意識を失う直前のことを思い出したのかリネスが軽くパニックになった。

 しかし、リネスが示した方向に、貼り付けとなった大海蛇を見つけると落ち着く。


「ご、ご主人さま。ひどいです。あんまりです。ボク、本当に怖かったんですよっ」


 ケンカイに仰向けに抱きかかえられているような姿勢のため、無理やり顔をひねってケンカイを睨む。

 でも、涙目のままだった。


「うむ、おかげで楽に仕留められた。リネスのおかげだな。よくやった」


 そしらぬままで、ケンカイはそういいリネスの頭を左手で撫でる。


「今の問題はだ、どうやって船に戻るかなんだが」


 大角丸は、ケンカイ達のいる場所からいつの間にか流されていた。人一人抱えて泳ぎ着くには面倒な距離を漂っている。

 むしろ近くにあるのは海姫の雷号だ。

 ケンカイが船を見上げると、回収用の縄橋子を用意しているのが見えた。

 どうやら拾い上げてくれる気らしい。


”爺さん。船を頼む”

”竜遣いが荒いのう。じじいよばりするなら気を使わんか”

”爺さんのために、魚?を釣り上げてやったんだ。それくらいいいだろ”

”オヌシもまずそうと言っておったろうが”

”見た目はまずそうでも、実際食ったら旨いかもだ。船に引き上げてくれたら捌いてみるか”

”なら、肝はワシのじゃな。あそこなら、大概旨いからのう”

”それじゃ、船を頼んだ”


「ご主人さま、何か言いました? 上から縄梯子が下りてきましたよ」


 また、つい小声を出していたらしい。いちいち誤魔化すのも面倒になってきたのだが、リオウはまだリネスを信用しきっていないので説明する訳にもいかない。


「ま、説明しても信じてもらえるかって問題もあるか。

 よしっと、じゃあ登るぞ。自分で登れるか?」


 リネスは恥ずかしそうにうつむいた。


「ごめんなさい、ボク腰が抜けてうまく動けない」

「なら、背中にしがみ付いておけよ」


 ケンカイはリネスを背負いながら、軽々と縄橋子を登っていく。

 リネスが普通の状態でもこの速さで上ることは無理だった。

 本当に、化け物じみたご主人さまだなあ。

 と、リネスは逞しい背中にしがみ付きながら、そう思い、なんとなく笑いがこみあげてくるのを感じていた。




「ケンカイさん、凄いねー。あれ、この辺りのヌシみたいなものなのっ!」


 上に登ったケンカイ達を迎えたのは、ミトア姫とリンダだった。他にも船員が何かの作業をすべくあわただしく動いている。


「大海蛇ナーガモっていうらしいよ」

「姫さんはよく知ってるなあ」

「名前は知っていたからね。わたしは、知っていることはわかるの」


 重大な秘密を打ち明けるかのように、いたずらっぽく小声で囁いたミトア姫は、ケンカイの背中から甲板にずり落ちたリネスに近寄った。


「リネスちゃーん。大活躍はいいけど、無茶しちゃだめだよ。女の子なんだから。顔に傷でもついたらどうするの。あ、そのときは、責任もってケンカイさんに貰ってもらえばいいかあ」

「姫さまー。オイラ怖かった」

「だめでしょ。ボクっていわなきゃ」

「あ、ボク、怖かったよー」


 よしよしとミトア姫はリネスの頭を撫でた。


「髪はべとべとだし、服もぬれちゃったね。よし、おねーさんとお風呂にいこう」

「ボク、ご主人さまの身の回りを手伝わないと。ご主人さまも全身濡れているから着替えてもらわないと、今晩の夜会に間に合わなくなっちゃいます」

「リネスちゃんも、夜会に出るんだから、同じだよ。姫さま命令なので、絶対出席なのです」


 ミトア姫は、リンダを見て言った。


「リンダ、ケンカイさんの着替えの手配と手伝い宜しくね。

 あと、ナーガモの回収もやっておいて。

 リンダも夜会にでるんだがら、そっちの準備も怠っちゃだめよ。

 リンダの綺麗なドレス姿に期待している男の人多いんだから」

「姫さま。私の体は一つしかないのですが・・・ああ、行かれてしまいましたか」

「あんたも、大変だな」

「姫さまのためですもの。問題ありませんわ」


 リンダは微笑む。


「それにしても、見事な大騒ぎですわよ。ケンカイ殿」

「そうか?」

「船の修理があるので、さらに3日ほど遅れるようです」

「そいつは、悪かった。お姫さんも早く城に帰りたかっただろうに・・・」


 ケンカイはリンダを横目で見た。


「その割には、あんたは嬉しそうだな」

「あら、態度にでていましたかしら」

「いや、なんとなく」

「なんとなくでお分かりになるなんて、私のことよく見てくださってるのね」


 リンダは嬉しそうに笑った。


「それでは、着替えは用意させますので、私はこれで。

 あなたの仕留めた大海蛇の回収も指示しないといけないし、ベッグは何をしているのかしら」

「ベッグ殿はブリッジにおりますがな」


 突然、老魔術師が話に割り込んできた。


「おや、ライア殿」

「今頃、事の顛末を王宮にどう伝えるか考えているのでは。

 邪魔はせぬほうがよいと思いますぞ。

 そちらが、ケンカイ殿ですな。今回の騒ぎの張本人の」

「彼は客人ですわよ。無礼な態度は国の評価を落としますわよ」

「失礼。しかし、本船の管理を行うものとしては、云わせていただきたいことがたくさんありましてな」

「ん、なにか用か?」

「云わせていただきたいことはたくさんありますが、用は一つですな。

 ケンカイ殿、あの大銛を抜いていただきたい。船の修理をするのに邪魔なのですぞ」


 その後、船をできるだけ傷つけたくないライアと、大銛を傷つけたくないケンカイの間で怒鳴りあいという名の話合いが続けられた。

 結局、銛の返し部分にあたる箇所のみ船体の板を切り取るという面倒な作業を行うことになり、面倒で時間のかかる作業が終った時、ようやく今回の騒動の後始末が一段落したのだった。


 実際の戦闘より、遥かに長い大銛外しという作業を終えたころ既に夜は更けていた。

 こうして、(結果として)長い闘いはようやく終わったのだった。

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