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漁師と海竜 海原を行く  作者: 赤五
第一章 バトア王国編
3/57

第2話 王都への航路 前編 剣術使いリンダ

2014.11.30 再改稿

「という訳だ。奴隷一人と契約することになった」


 自分の双胴船<大角丸>に戻ったケンカイは、彼の騎獣であり今は大アザラシの姿をしているリオウにこれまでの経緯を語った。

 

”面白いことがあったのじゃな、ワシが見れんかったのが残念じゃわい”

「いつもの覗き見はしてなかったのか、爺さん」

”あの種の魔動船は、やっかいなのじゃ、面倒事もいやじゃでな。ワシはできるだけ安全なところから、オヌシの起こす滑稽な騒動を見物したいのじゃからの”

「相変わらずいい趣味だな、爺さん。海竜の誇りはどこに消えたんだ。

 魔動船が厄介ってのはどういうこった?」

”あれは、船というより魔法によって作られた魔法生物や魔法道具に近いものでな。乗り込む魔法使いの能力によっては、とんでもない力を発揮することがあるのじゃよ。オヌシの話だと、船長は魔法使いでもない娘っこなら、そこまで警戒することは無かったかのう”

「そういや、そのミトア姫さん。変な事を言ってたな。オレを見て何か隠れているとかどうとか。

 爺さんのことを勘付いたのか?」

”ほほう、その娘、ほかに何か言っておったか?”

「今思えば、オレが契約した奴隷を、女だと見抜いていたようだったな。オレや魔法使い(ベッグ)のおっさんと剣術使い(リンダ)の女も見抜けてなかったんだが」

”オヌシが秘所を覗いたという奴隷娘の事か”

「いやらしい言い方をするな!。あれは事故だ。それにあいつは娘っていうよりガキだ。本気で恥ずかしがっちゃいないよ」

”それはどうかのう。

 まあ、それよりその姫っこだが、もしかすると<真理の瞳>持ちかもしれぬな”

「なんだそりゃ」

”魔法使いの特性の一つじゃが珍しい力でな。

 なんとなく本当の事が判る力じゃ。

 判る範囲はあいまいで、本人の資質に影響されるがの”

「それは凄くないか?」

”だが、わかることはなんとなくでの、本人の知識に無いことは感じても判ることはできん。

 本人の理解力がたりねば、わかったところでどうにもならんことも多い。知ることと理解できることは別じゃしの”

「そんなもんか」

”うむ、さほど恐れる必要はない。ところでこれからどうするのじゃ。奴隷娘はつれてこぬのか”

「爺さん、何を期待してるんだか・・・。姫さんの船で、拿捕した海賊船を曳航するらしい。普段は戦闘になると撃沈して終わるから、拿捕できたのは珍しいって言ってたな。

 乱暴なこった」


 被害にあった海賊からすれば、お前が言うなというだろう。


”今はその準備中というわけじゃな”

「その後は、王都付近の港まで同行。城で褒美をいただけるらしい。旅の資金は多くて困ることがないから有り難いことだ。

 あと、爺さん待望の奴隷は、姫さんが奴隷娘リネスを気に入って、身の回りのものを揃えてやるそうだ。こっちに乗るのは明日の朝だな」

”なるほどのう。それでは、明日まですることはないのだな”

「そうなるな」

”ならば、だ。今、オヌシがすべきことは一つじゃの”


 リオウはその巨体を大角丸の舷側の上にまで持ち上げた。

 ケンカイを覗き込む。


”ワシは腹が減った。魚を獲ってくれ”



 海姫の雷号の中、ブリッジの中でベッグとリンダは顔を合わせていた。

 周囲の海の様子が、ブリッジに置かれた複数の水晶玉に映し出されている。

 その一つに目を止め、リンダは呟いた。


「おや、ケンカイ殿は釣りをしているようですわね。随分手馴れてらっしゃること。漁師っていうのは本当なのかしら」

「それがしが思うに、騎獣の餌であろう。大アザラシが餌をねだっているゆえに」

「出航の準備は、どうかしら?」

「交易船の損傷が思ったよりひどいゆえ、多少遅れそうだ。姫さまはどうされている?」

「リネスちゃんと一緒にお風呂。妹みたいに思えてらっしゃるのかしら。姫さま嬉しそうですわ」

「まさか、あの小僧が女とは。それがしの目をもってしても気付かなんだ。姫さまは気付かれていたようだがの」

「姫さまですもの。当然ですわ。それでは出航の準備、しっかりしなさいね」


 リンダはウキウキとした様子でブリッジを出ようとする。


「どこに行くのだ?」

「お風呂ですわ。私も姫さまに誘われましたの」




 リネスは思う。

 この状況はなんなのだろうと。

 先ほどまでは、海賊船で怯えながら暮らしている身だったのに、今では姫と呼ばれる身分の高い貴人と一緒にお風呂に入っている。

 状況の変化に頭がついてこなかった。

 ミトア姫は、やたらとリネスを構おうとする。それが妹に構いたがる姉に似た心境なのか、珍しいペットに対するものなのか、いずれにせよ、親切にしてくれる年上の女性というものに慣れていないリネスは戸惑っていた。

 戸惑うといえば、船に豪華な風呂があるのもリネスにとって驚きだ。

 飲み水につかえるほどの水を、船上で風呂水として使用するなど想像の枠を外れていた。

 そして、更なる戸惑いと驚愕は後から風呂に入ってきたリンダを見たときにやってきた。

 強そうで綺麗な大人の女の人。

 自分と比べることはおこがましいほど圧倒的なボリュームの差。

 さらに、浴槽の中で、リンダの胸は浮いていた。

 

「大きくていいなあ・・・」


 もう初潮は来たのに、一向に大きくなる気配のない自分の胸を眺めてむなしくなった。

 まだ姫さまは、自分に近い胸の大きさなのだが、目の前で立ち上がられた時に、意外と大きくつんとしたお尻をしているのが判った。

 自分はお尻もぺたんこなのに。

 ちなみにリンダは、胸と同様お尻もすごい。


「リネスちゃん、ちゃんと頭洗えてる? 洗ってあげよっか」


 姫とは思えぬほど気さくなミトア姫が、洗髪用の石鹸を片手に近づいてくる。


「オイラ、自分で洗えるよ」


 タールで汚れた髪はなかなか綺麗にならないが、姫呼ばわりされている方の手をわずらわせることは怖い。慌てて石鹸を受け取り、髪にこすり付ける。

 今まで見たこともない上質の石鹸だ。

 泡立ちから香りまで全てが違う。

 

「んー、リネスちゃん。女の子なんだから、言葉使い直したほうが可愛いよー」


 近くに座ったミトア姫が、まじまじとリネスの顔を覗き込みながら言った。


「で、でも、オイラ昔からずっとこんな喋りかたしてるし。いまさら直せない」

「わかったわ。おねーさんに任せなさい。今夜は喋り方の特訓だぁ。いいよね、リネスちゃん」


 実に嬉しそうにミトア姫が言った。

 そんなミトア姫を、浴槽の中から蕩けるように嬉しそうな笑みのリンダが見ている。

 そして、ちらりとリネスを見た。

 目が一瞬光る。


 リネスにはその目が、

 断ったら首を刎ねる。 と言ってるように思えた。


「は、はいぃぃ よろしくお願いします」

 

 リネスには断るという選択肢は存在しなかったのだった。

 

 

 明けて翌朝、大角丸にリネスがやってきた。

 服装は短いズボンに、タンクトップの上着。いずれも清潔で新しい物だ。

 痩せ気味だが、健康的な褐色のまぶしい四肢を晒した姿だった。

 そんな恰好が照れくさいのか、それとも昨日の事を思い返したのか、リネスの頬は赤い。

 リネスの茶色の短い髪もきちんと洗われた後、櫛で掬って整えらえている。

 少なくとも、タールで汚れ、ぼさぼさの髪とボロを着た昨日の姿とは違い、今日の汚れのない状態となったリネスを男と間違えることは無いだろう。

 とはいっても13歳という実年齢より幼く見えるため、色気の類は感じさせない娘だった。

 そして、リネスと一緒にミトア姫とベッグもやってきていた。

 ミトア姫は、切れ込みが多く動きやすい代わりに微妙な個所の肌の露出が多いドレス姿、ベッグはいつもの魔法使いのローブを身にまとっている。

 

「どう、ケンカイさん。リネスちゃん見違えたでしょぉ」


 自慢の妹を紹介するかのように、ミトア姫はリネスの頭を撫でた。

 そして、ぽんと背中を叩くようにリネスを押して、ケンカイの方に押しやる。リネスは急に押されてバランスを崩した。

 ケンカイが、咄嗟にリネスの肩をつかんで支えたのを満足そうに見た後、興味深そうに周囲をきょろきょろと眺める。

 そして、甲板の上に半身を乗り上げた大アザラシのリオウに近づいていく。


「わぁ、このアザラシが、ケンカイさんの騎獣なんだ。大きいねー」

 

「好奇心旺盛な姫さんだな・・・で、あんたは何しにきたんだ?」

 

 ミトア姫を横目て見ながら、ケンカイはベッグに尋ねた。


「それがしが来たのは、二つほど用件があるがゆえ。

 まずは、昨日の奴隷契約の続きを。

 昨日は、ちょっとしたトラブル(・ ・ ・ ・)のために、主を決めただけで途中で中断してしまいましたので」


 その言葉を聞いて、昨日の事をはっきりと思い出したのか、リネスは真っ赤になった。

 ベッグは気にしないし、ケンカイもさっさと面倒を片付けたいので、気にしないことにした。


「さてと、奴隷契約の内容ですが、どのようにいたしますかな?」

「普通はどうするんだ?」

「給与条件などを決めて働かせます。自分を買い取るのに必要な額を稼ぎ、主に支払えば解放する契約を結ぶのが一般的ですな。10~15年で解放条件に達する条件が多いようですぞ。

 それ以外は、特別な任務を達成すれば解放といった条件もありますゆえ、ケンカイ殿のお好きなように」

「特別な任務?」

「戦場での危険な任務の遂行や、探し物の探索、変わったところだと優秀な子供の欲しい貴族が子供を産むまでの条件で女性と契約したりなど、様々ですぞ」


 ベッグはリネスの肩を支えているケンカイを、意味ありげに見ながら更に説明を加える。


「お望みでしたら、夜の仕事(・ ・ ・ ・ ・)を条件に付けることもできますが。

 その分、解放条件を緩めるか、給与に色がつくことになりますゆえ、どのようにするかはケンカイ殿の考えひとつですぞ」

「いらねーよ。胸も尻もペタンコなガキに欲情するほど飢えてない」


 ケンカイはあっさりと断った。リネスは安心すべきなのか悲しむべきなのかわからなかった。

 

「オレは故郷のボルス島に帰りたいだけだから、島に到着したら解放でいいかな」

「ふむ緩い条件ですな。リネスもそれでよいな」

「オイラ、じゃなかった、ボクもそれでいいです。

 ご主人さま今後ともよろしくお願いします」


「それにしても・・・・」

 

 ケンカイはリネスを見つめる。


「お前、昨日と口調が変わってないか?」

「ふふふふーん。それはわたしの教育的指導ってものなのぉ」


 リオウを見るのに飽きたのか、傍に戻ってきたミトア姫が胸を張った。

 

「昨日、一晩がんばったもんね。…自称がボクに変わっただけだけど」

「オイラ、昔からこの喋り方だもの。急に直せといわれたって・・・」

「はい、減点1」


 ミトア姫がリネスの額を指ではじいた。


「リネスちゃんは、今日からボクっ娘なんだよー。言葉は大切なんだから。

 本当は自分呼びするもっと幼い感じの喋り方にさせたかったなぁ」

「姫さまのご趣味は、それがしにはよくわかりませぬ。

 して、もう一つの用件がありますゆえ、話を続けさせて貰いたいのですが」

「はーい。リネスちゃんアザラシ見に行くよー」


 ミトア姫はリネスの腕を取り、仲良くリオウの近くまで歩いて行った。

 微笑ましい様子を見送った後、ベッグはケンカイに向き直る。


「ケンカイ殿、海姫の雷号の準備が整いましてな。海賊船と交易船の2隻とも曳航して王都の港まで航行しますゆえ、いささか準備に手間取りましたが」

「海賊船だけじゃないのか?」

「交易船の船員も死者や怪我人が多く、航海に支障が出るほどのようなので、それがしが提案し一緒に曳航することとなりもうした」

「親切なことだな」

「王国に仕える者として民の安全を図るのは当然ゆえ」

「その顔は、なんか企んでる顔に見えるがな」

「悪人面とはよく言われますゆえ、気のせいかと」

 

 ベッグは平然と流す。


「それで、王都の港への到着がかなり遅れることとなります。通常なら2日もあれば十分なのですが、この状態だと船足が遅くなりますがゆえ」

「何日くらいかかるんだ?」

「およそ七日かと。食料・水や生活用品などは充分な備蓄がありますゆえ問題にはなりませぬが。

 ただケンカイ殿の船ですと、新たな奴隷も増えたことですし生活が不便ではないかと姫さまがおっしゃりまして」

「ふむ」

「それで、せっかくですのでケンカイ殿も海姫の雷号にて過されてはいかがかと」


 ケンカイは昨日入った魔動船の内部を思い出した。

 王族であるミトア姫の暮らす船だけあって、豪華かつ快適な船内空間になっていた。

 戦闘用でありながら、豪華客船のような造りになっているのが海姫の雷号だ。


「なにより、姫さまがあの奴隷娘を気に入っておりましてな。せっかくですので一緒に過ごしたいようなのです。不自由な王城へ行くまでの姫さまの気晴らしになるゆえ、ケンカイ殿には是非我らの船に滞在していただきたいのですが、如何ですかな?」

 


 結局、ケンカイはベッグの提案に乗りリトア王国への航海を、海姫の雷号で過ごすことになった。

 大角丸も曳航するという話があったのだが、それはリオウが嫌がった。

 なので、オレの騎獣なら放っておいても海姫の雷号の後を付けて航海することができる、とケンカイは言い切り曳航されることを断ったのだが、そこまで騎獣を制御できるということは非常に難しいことに、ケンカイは気づいていない。

 そのことを知っているベッグや、船の他の魔法使い達には好奇心を刺激される内容である。

 彼らのような人間からみると、リオウに施された騎獣契約の魔法印は強制力の弱いものだった。

 強制力が強ければ、契約主の意志を実行させやすくなるが、その反面騎獣の能力は低下する。

 逆に弱ければ、騎獣の能力は増加するが契約主の意志を反映させることは困難となる。

 弱い契約のままにも限らず、賢い行動をとれるということはその騎獣が持つもともとの知力が優れているということだった。

 ちなみに、普通の騎獣の大アザラシにケンカイが命令した内容の実行は不可能だ。


 もっとも、たとえ露骨に興味を示されても、あっさりと無視できるのがケンカイという人間だった。

 なにより、今はもっと面倒なことが起きているのだから。


「なんで、別のベッドを、オレの部屋に運び込むんだ?」


 リンダが、船員を従えてケンカイに用意された客室にきた。

 ケンカイに用意された客室は、船の中にあるとは思えないほど大きく豪華なものだ。

 部屋の中には価値の高そうな家具に混じり、大きなベッドも据えつけられている。

 それにもかかわらず、リンダ達は別のベッドを持ってきていた。持ってきているベッドも予備のベッドのような小さいものではなく、むしろ大き目の物である。


「リネス用のものですわ」


 リンダは平然としていた。


「彼女は、ケンカイ殿の世話をする奴隷として海姫の雷号への乗船を認められてますの。

 ですので、ケンカイ殿と同室となるのは当然ですわ」

「それにしても、ベッドが大きすぎないか?」


 奴隷に与えるベッドということを無視しても、子供一人が寝るためのベッドとしては破格の大きさだ。


「お邪魔ですか? この客室でしたら、十分広いですので問題ないと思いますけど」


 リンダはいたずらっぽく目を細め、


「ああ、それともリネスとご自分のベッドで同禽されたいと? それでしたら、このベッドはお邪魔でしたわ」

「ガキに欲情するほど、飢えてない。さっき同じことをベッグに言ったけどな。あんたら結構似てるな」

「・・・それは、屈辱ですわね」


 リンダは嫌そうに顔を顰めたあと、ふたたびいたずらっぽい表情になる。


「リネスのような子供には、興味ありませんか。私ではどうですか?」

「大歓迎に決まってる」


 ケンカイは両手を広げた。


「ガキが隣にいても気にならないなら、ぜひ夜這いでもしにきてくれ」

「あらまあ、見られたいだなんて結構特殊な趣味をお持ちですわね。ケンカイ殿」


 くすくす笑ってリンダは腰に手を当てた。

 優美な曲線を描く剣が、それ以上に優美な曲線の魅惑的な腰にぶらさがっている。


「それでしたら、私、ケンカイ殿と一緒に行きたいお部屋がありますの。時間はあまりとらせませんので、ご一緒にいかがですか?」




「こういう部屋があるんだな。本当に船の中とは思えん」

「体を動かして汗をかくのは、健康にいいのですわ。

 お互いの理解も深まりますし。なによりも気持ちいいですもの」


 リンダは蠱惑的な笑みを浮かべる。


「意外と思われるでしょうけど、私、こういうのは大好きですの」

「あんたを見てると意外でもないけどな」

「おや、それは心外ですわ。私、姫さまの優雅で美しい従者で通っておりますのに」

「その体つきで?」

「普段は、ドレスで隠していますもの」


 リンダは微笑みを蠱惑的なものから、ひどく好戦的なものに変えた。


「さて、ケンカイ殿。英雄のお手並みを拝見させていただきますわ」


 そして、腰に差していた曲剣を抜いた。




 海姫の雷号は、王国の技術の粋を集めて建造された王国所属の魔動戦闘艦ということになっている。

 しかし、実際には古代魔法帝国の遺物を現代の王国の技術で改造したものである。

 そのため、この船は現代では失われた技術を使った魔法装置をいくつも有していた。

 その一つが、現在ケンカイとリンダがいる部屋である。

 正式名称は近接戦闘訓練室という。

 通称は決闘部屋もしくは拷問部屋。

 この部屋の中では、怪我を負ったとしても部屋の魔法陣の魔力が尽きぬ限りは、怪我の即時治療が可能である。

 また、即死するような攻撃をうけた場合は、即座に治療された後、部屋の応急手当室に転移される。

 真剣勝負をしようが、拷問をしようが、相手を殺さなくてすむ部屋。

 それがこの部屋だった。

 

 そのような内容を説明したリンダは、肩をすくめて言った。


「怪我は治っても、斬られた瞬間の痛みは伝わりますの。ですので、気の弱い方や痛みに弱い方にはおすすめしませんわ。

 もっとも、ケンカイ殿がそのような軟弱者とは思っていませんの」

「・・・いきなり服を脱いだから、かなり期待してたんだが・・・」


 ケンカイは残念そうに呟いた。ドレスを脱ぎ捨てたリンダは、体にぴったり張り付く薄手の革鎧姿だった。

 鎧といっても全身をくまなく覆っているのではなく、要所要所を覆っていいるもので、露出度は結構高い。

 そして、露出した部分をみても、リンダがよく鍛えた体をしていることがわかる。

 張りつめた鞭のような、細身でありながら強靭さを感じさせるそんな体だ。

 

「期待には応えますわよ?」


 リンダは嬉しそうに軽く剣を振った。曲剣は空中で複雑な軌道を描きながら、腰の鞘に収まる。

 そのままわずかに腰を落とす。

 

「ケンカイ殿の武器はそれでよろしいですの?」


 ケンカイが持っているのは、海中で使うことを前提としているため突きに適した刃をもつ短剣と、ロープなどを切断するために斬ることに適した手斧である。

 さすがに、船内に得意の大銛を持ち込むんではいなかった。


「軽すぎる武器は苦手なんだが、まあ、いいか」


 ケンカイが軽いと言っている武器は、普通の漁師や船乗りが使う物より2回りは大きく、そして重い。

 右手に手斧、左手に短剣を持ったその姿は、ただ立っているだけのようにも見える。


「それより本当にこの部屋で斬りあいをしても大丈夫なのか?」

 

 そのような魔法装置の事をよく知らないケンカイは、装置の性能の事を聞いても半信半疑だった。

 だます理由も無いだろうから、本当だろうという程度の気持ちだ。


”珍しいがのう。この部屋はその娘が言うとおりの代物じゃよ”


 リオウの念話が聞こえる。ケンカイは怪訝な表情を浮かべるのをごまかすことができなかった。

 ただし、リンダは話の流れから不自然さを感じてはいないようだった。


”頭に話しかけてくるのは、暫くやめるんじゃなかったのか”

”とりあえず、様子見が終ったでの。ワシたちの念話を盗み聞きされるほどの警戒は不要じゃ”


「私、今までこの部屋で稽古をつけてあげることがありましたの。首を切り落としても、すぐに引っ付いていましたわ。

 さすがに回復のための魔力使用量が多くて、しばらくこの部屋が使用禁止になりましたけど」


 さりげなくエグイことを言うリンダ。


「ですので、ケンカイ殿もご心配なく」

「そりゃ、よかった。別嬪さんに傷がつかなくて済む」

「あら、ご自分のことを心配されたのではないのですね。

 女として喜ぶべきか、剣士としての力量を馬鹿にされたのか、悩みますわ」


 リンダは、そのまま一歩踏み出した。


「お喋りするのも楽しいですが、それはまた後で。

 今は、もっと楽しい事をいたしましょう」


 さらに一歩踏み出すと同時に、腰の曲剣が抜き打たれる。

 剣の軌跡は足を狙っていた。剣速はおそろしく速い。

 他の一流レベルの剣士が見ていたとしても、リンダが動いたのはわかるだろうが、その剣がどこを狙ったのかは認識することができないような速さがあった。

 迅速の一撃をケンカイは後方に跳ぶことで躱した。

 洗練された戦士の足運びというより、獣が反射的に飛びずさったような動きだ。

 そのケンカイを狙って、今度は曲剣が突きだされる。曲剣は切先部のみ両刃になっており突き刺すことが可能になっている。

 さらに速度を増した突きの一撃を、ケンカイは左側に動くことで躱した。

 そのケンカイの動きに合わせてリンダも動き、距離をつめると同時に今度は袈裟切りに曲剣を振り下ろした。

 鋭い吐息と共に曲剣はケンカイの頭に吸い込まれるように打ち込まれた。

 その曲剣をケンカイの右手の斧が弾く。

 自信のあった一撃だったのだろうか、驚いた表情でリンダは後ろに足を運び距離を取った。


「連撃を防がれたのは久しぶりですわ」

「そいつはどうも」


 余裕を装うもケンカイは内心冷や汗をかいていた。

 これほど早い攻撃を連続で行える剣士など見たことがなかった。


”押されておるな。オヌシが受けにまわるとは珍しい”

”うーむ、恰好悪いな。華麗に躱しきってから恰好よく決めるつもりだったんだが”

”そんな余裕のだせる相手ではあるまいて。ここでは死なぬようだから、たまには痛い目にあうのもよいぞ”

”わざと切られて痛覚をつなげてやるぞ、爺さん”


「剣術の動きではありませんけど、バランスのよい動き方をしますのね。見習いたいですわ」

「荒海で船に乗って大角マグロを釣ってたらできるようになる」

「残念ながら、漁師になる予定はありませんの」


 リンダは構えを変えた。剣を両手で握り右の腰の上に掌ほどの隙間を空けた位置に左手の握りこぶしを置くように構える。リンダの躰の横から曲剣が背面に回り込む。


「速さはわかりましたわ。こういうのはどうかしら」


 実に楽しそうな表情でリンダは踏み込んだ。

 体を回転させながら、胴体を狙った斬撃を放つ。ケンカイが左手の短剣で受け流そうとした瞬間、リンダの剣が跳ね上がった。

 跳ね上がったで剣はそのままの速度でケンカイの首筋を狙う。

 かろうじて体を捻って躱すが、前髪の辺りを剣がかすめた。


「おや、これも躱すのね。じゃあ、次は・・・」


 リンダは実に嬉しそうに、次々と剣を振いケンカイに斬りつけていく。

 時々さきほどの剣の軌道を途中で変える斬撃を混ぜケンカイを戸惑わせていく。

 幾度かの斬撃が肌を掠り、わずかながらも血が流れた。


「そろそろ、そちらから攻めてくださらないの? 女にばかり攻めさせるのは殿方としてどうかしら?」


 連続で攻撃を続けているために、リンダも呼吸が乱れていた。

 台詞とあいまって、あえぐような呼吸音が混じり妙に蠱惑的に聞こえるとケンカイは呑気に考えていた。

 ケンカイも楽しんでいた。彼が戦うために用いるのは、ボルス島の漁師として鍛えた体による力任せのものが多い。大物の獲物と対峙するときに必要なのは、細かい技術よりもパワーだというのが、ボルス島の漁師のやり方だ。

 それがあまりにも人並み外れたものとなるため、はたからみると奇怪な技を使うと思われることもあるが、只の力押しこそが真骨頂だった。

 そんな彼にとって、リンダの洗練された剣技を見ることは驚きであり、そしてなにより楽しかった。ましてや、命の心配がない場所で命の遣り取りをするための剣を体験できているのだ。

 リンダが振う剣を見て、それを躱す一瞬一瞬で自分が強くなっていく。人と戦うための体の動かし方を学べている。

 そんな思いすらケンカイには有った。


「おっと、焦らせるつもりはないんだけどな。別に目の保養をしてたわけじゃない」


 リンダが剣を振るたびに豊かな胸が揺れているのは事実だった。

 

「こ、これでも胸帯で随分締めているのですが。そ、そんなに揺れてましたか?」


 運動による上気とは別の理由で顔が赤くなったリンダ。

 誘ってるのか挑発してるのか判らない態度をとっているくにせ、妙なところで純情さがでてくる。

 不思議な女だな、とケンカイは思いつつ、刺突用短剣を前に向け、手斧を頭上に掲げる。

 ごくシンプルに、短剣で突き、手斧で切り裂く。

 そうするとしか思えない構えである。


「さてと、それじゃ、そろそろ攻めさせてもらうかな」




 

 海姫の雷号のブリッジには、複数の水晶球が置かれている。

 その水晶球は、船外の景色を映したり、進路方向の海中を映し出したりと、さまざまなものを映し出し監視者に情報をあたえるのだ。

 その水晶球の中には、船内の重要施設の様子を映すものもある。

 そのうちの一つが、近接戦闘訓練室の様子を映し出していた。

 監視者は3名。いずれも魔法使いのローブを纏っている。


「リンダ殿は、いつものご病気ですかな」


 そのうちの一人が中年魔法使いベッグに言った。

 ベッグよりかなり年上にみえる白髪の魔法使いだ。


「リンダ殿も、客人の腕を知りたいのでしょう。護衛としては当然では」


 もう一人の魔法使いが、最初に発言した男に反論した。

 こちらはまだ若い。白髪の魔法使いを睨みつける。


「それがしも、そう思いたいのだが。ゆえに、あのような言動を聞くと心配になる」


 物騒な発言を繰り返すリンダの様子を、顰め面で見るベッグ。


「いずれにせよ、いざという時に魔力不足で客人を死なすわけにもいかぬゆえ、諸君らに立ち会ってもらっているのである」

「始まりましたぞ」


 彼らが見つめる中で、リンダが剣を抜きケンカイに斬りかかった。

 魔法使いである彼らは、リンダの様な剣士と比べると肉体的には劣ることが多いが、感覚的には優れている場合が多い。

 もちろん例外はあるのだが。 

 だが、その彼らでさえはっきりと視認できぬほどの斬撃を、ケンカイが躱すのを水晶球が映し出していた。


「海賊船に一人で乗り込んだだけはありますね」


 若い魔法使いが興奮していった。


「あのリンダ殿の攻撃を、ことごとく防ぐなんて信じられません」


「ふん、ミトア姫の護衛仕事で腕が落ちただけではないのか」


 老魔法使いは、不機嫌そうな態度を崩さない。


「レオナルド殿下も、リンダ殿ほどの名手を、近接戦闘などに縁のないこの船に置くのは国の損失であると常々言っておるではないか」

「それがしが思うに、姫さまが手放さないゆえ、それは無理かと。まあ、レオナルド殿下自らが姫さまにお会いになってそう仰るのなら話は別。だが、殿下がなされるとは思えぬゆえに」

「レオナルド殿下には、真理の瞳の前に立つ勇気はありませんか」


 若い魔法使いは笑う。老魔法使いは不機嫌だ。

 ベッグはそんな二人を横目に見ながら、水晶球の映像から目をそらさない。


「二人とも、お静かに。そろそろ決着がつきそうがゆえ」



 ケンカイは突きだした短剣をリンダに真っ直ぐに向けて、そのまま踏み込んだ。

 鋭いが単純な突きを、リンダは余裕をもって躱す。そして、躱しながら曲剣を振う。

 振った曲剣が短剣で弾かれた。

 突きの軌道から急に横殴りの一撃への変化。

 それは、リンダがさきほど何度も振るった技の一つだった。

 短剣による横殴りとは思えぬほど重い衝撃。

 曲剣を取り落さない。だが、体のバランスが乱れた。

 そこを狙って、手斧の一撃が上段から振り落とされる。

 ケンカイの体重をのせた重い一撃を剣で受けることを避けて、リンダは床を転がるようにして斧先をかわした。

 立ち上がりを狙い、さらにケンカイが迫る。

 リンダは片膝の態勢から、本日で最も早い横なぎの一撃を繰り出した。

 立ち上がりを狙ったケンカイにその一撃を躱す術は無かった。

 なので、ケンカイは曲剣を左手で受けた。そして、強引に右手を振り下ろす。


 曲剣はケンカイの左手を切り裂き、手斧はリンダの左手を切り落とした。



「相打ちか。くそ、本当に痛みはあるんだな」


 互いに攻撃をやめた瞬間から、傷口に淡い光がまとわりつき傷があっという間に治っていくのを、ケンカイは眺めた。


「斬られた痛みって、ひさしぶりですわ」


 リンダも顔を顰めている。

 曲剣の刃をじっと見つめた後、ケンカイに向き直った。


「本当に、丈夫な体ですこと。まさか、私の剣が骨でとめられるなんて。あなたの骨って鉄でできているのかしら、ケンカイ殿」

「魚を骨ごと食うからな。ボルス島の漁師は頑丈で有名だ」

「ボルス島って、化け物の巣窟みたいですわね」


 ケンカイはきょとんとした顔で言った。


「そんなことは無い。オレ達は普通の漁師だ」

「あなたが普通なら、普通の定義を見直したほうがいいわ」


 リンダは肩をすくめ、それによって治療中の左手が発した痛みに眉をしかめるのであった。


「なにはともあれ、今回は私の負けですわね」

「引き分けじゃないのか?」

「腕を落とされて負けを認めない程、偏屈ではありませんわ」


 リンダは妖しく笑った。


「次のお誘いは負けませんから」


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