踊り子
なにかほしいものがあったとしよう。
ある程度この世間で生きてきた人っていうのは、
その代物を手に入れるために金と交換する。
とうぜん代物は、手に入り。金は消える。
金には限りがある。限りがあるんだ。
遊びに時間を費やせど、勉学に時間を費やせど、
明日の約束のために睡眠を要するのに費やせど、
時間という富は、確実にその分消える。
そして、死という閉幕への距離は縮む。
金と言う富、時間という富。
色のついた時間、色のついた代物。
すべて、俺達がもっている富との交換物だ。
感情の繊細さもまた富であり、いつだって交換物になりうる。
我慢は、俺たちの最初からもっていたものじゃない。
感情を犠牲にして手に入れたものだ。
「俺たちは、すでに地球に生まれ、国に所属し、親と言う束縛を受ける。」
それこそ、すでに代物なのだ。
まだ、この世でなにもしていなくてもこの世に接触した時点で、
多くのものを抱えなきゃいけない。
その多くの代物は、ある富を犠牲にするんだ。
それは、何か。
自由。
だから、自由は、いつの時代でもどこかの奴でも
すぐに歌いたくなる。俺もだ。
この世で生きるという事は、事故に当たるのと等しい。
もっと小さい身体接触に近いのかもしれない。
事故に遭遇した時、被害者とかいうのは、自分自身に責任は、求めないだろう?
そうゆう事だ。
だから、この世を変えたいとか、自分らしくありたいとか、平和でいたいとか、
妄想で自分らしく生きてる。
つもりだ。
自由じゃない。
自由が必ずしも合法じゃない。非合法でもない。
脱法でもない。
法律なんか、関係ない。
法律を気にし始めたらもう、それは法の傘の下だ。
なにも違法が自由なのではない。
富の出し入れのタイミングと
その富の生産を怠ってはいけないという話だ。
親は大事だ。
地域も大事だ。
国も大事だ。
外交も大事だ。
地球も宇宙も銀河も存在も大事だ。
壊すのも一理ある。
それも1つの方法だ。だけどおすすめしない。
生きてるって感じることが奇跡だ。生きてる事じゃない。
そして死ぬってことは、感謝しなきゃいけない。
死の冒涜は、自殺であり、他殺であり、とにかく恣意的なものだ。
吹っ飛び。




