第二話
第二話です。
よろしくお願いします。
雄鶏が朝の到来を告げる半刻前に、チミウスは目を覚ました。
直ぐに二度目の睡眠をとろうと、なめした羊の皮で柔らかな羽毛を包んだ頭当てに、チミウスは頭を摺り寄せた。
しかし、夢の世界へと飛び立つのを邪魔したのは、昨夜の祖父の事である。
あれほど焦った祖父の姿を、チミウスは生まれてこのかた見たことがない。
誰か、チミウスにとっても縁のある人物が亡くなったのだろうか。
もしくは、此処いら一帯の灌漑用水、生活用水を賄っている、ピコー川が氾濫してしまったのか。
悪い想像はいくらでもチミウスの頭に、浮かんでは消えていった。
二百年前、他の種族によって切り開かれたらしい森林の名残りを、右往左往に見て取れるのが、ネノマモ族の生息地、ネマルの特徴だ。
豊かな土壌を基調にしたこの土地は、この世界、ラトボリアにあって無視できないほどの生産力を誇っている。
大陸一の働き手とも評される、シーム種や、空に経済の流通経路を見出した、リート族など、大規模な生息域を持つ種族の隙間に、ネノマモ族を含む少数種が入り込む形でこの世界は成り立っていた。
「チミウス!起きろ・・・・話がある。」
ウサントはチミウスに呼びかけ、大きく硬い手のひらで、頭を撫でた。
寝ぼけ眼のまま、人肌で暖められた床を離れたチミウスが席に着くと、食欲を刺激する甘い香りが、辺りに立ち込めた。
チミウスは蜂蜜を、こんがり焼いたパンにふんだんと塗りつけ、口に運んだ。
食事を終えたチミウスが、ナンジーの口周りを涎掛けで拭ってやり、今度は背筋をピンと立てて深く椅子に腰を下ろした時、正面に座っていたウサントは、いつになく真剣な顔つきで、閉じていた目を開いた。
「チミウス。昨晩、長が尋ねてきただろう。実はな・・・・・この世界を牛耳ってやがるテムッキって連中がとんでもない事を言い出しやがったんだ。」
ウサントは、納得のいかない不満を押し込めるように語りだした。
「群れの中で一番優秀な奴だけしか、子供を残せねえとぬかしやがる。馬鹿が!てめえらは何様だ。」
落ちついていたのは最初だけで、二言しゃべりだすとウサントは確かな怒りを発現させた。
「それで、ぼくはどうすればいいの?」
チミウスは、発奮した父とそれをなだめる母を目に捉えながら、非日常の展開にどこか心を躍らせていた。
「癪だが、従うしかねえな。」
ウサントは言葉尻でようやく落ち着きを取り戻した。
「土地にしろ経済にしろ、強え奴らが道理を作るのは、この世の常なんだ。チミウス!お前は強くなれ。血を絶やすなとは言わねえさ、ただお前が持って生まれたもので、お前にしかなれない者に、成り上がれ。」
チミウスは自分が、物語に登場するような連中とは何もかもが違うと認めていたが、
この父の言葉で、憧れていた弱きを助け強きをくじく英雄に、成りきりたいと強く決意した。
「分かったよ!ぼくがきっとテムッキ族をやっつけてやるから!」
「そうかそうか!そのいきだ。おまえはこれからダサラに向かえ。そこで仕事を探すんだ。経験こそが成長するための大事な糧だと俺は思っている」
冗談として受け取ったのか、真剣な気持ちを汲み取ったのか、ウサントは息子を頼もしげな視線で受け止め、その日の午後、馬車でダサラへと送り出した。
ナンジーのこぶし大ほどの石が四方八方に散らばっている道を進む。
時折大きな振動を感じ取りながら、チミウスは馬車の荷台に仰向けになっていた。
瞳を閉じて思い返すのは、目尻に涙のあとを残した母の笑顔、それにくしゃくしゃに丸めた紙のように泣きじゃくっていた弟の姿。
ナンジーには悪いとおもいつつ、チミウスは彼を笑ってしまったが、別れの場に、悲しみを持ち込んでほしくなかったからとても助かったと感謝の気持ちを伝えると、弟は破顔した。
愛する家族に別れをつげ父と二人、馬車へと勢いよく転がり込んだチミウスはダサラの町について想像を膨らませた。
多様な種族が混在し、周りに城壁代わりとなっている山々を構えたダサラは、資源に富んだ工業都市として名を馳せている。
特定の種族が自治を独占せず、人口を形成する六種族のリーダーが多数決制で取り決めを決定していることも、大陸のあちこちから新たな住居者を呼び込む宣伝となっていた。
体がかちこちに固まったころにようやく、チミウスはダサラの外観を仰ぎ見ることができた。
水を蓄えた二メートルほどの堀に周囲を包囲されたその町は、危険な人物が中に入らないように厳重な警備を施している事をチミウスは実感した。
「商売か?」
不躾に、警備をしているヌーイ種の男は、掛けた歯を見せびらかせるように尋ねた。
「いやあ、俺のせがれをいっちょ旅立たせようってんで、送り出しにきたんでさあ。」
下手に、しかし胸を張ってウサントは答えた。
「へえ、あんたらネノマモ族かい?本当に表情を読み取らせない顔してるな。まああんたらも例のお触れに影響されてきたんだろうが、このダサラは来る者を拒まない。」
男は一歩下がると手を掲げた。
門の左右に立っていたヌーイ種の男たちは、それを見て、十字にかざしていた槍を引き、馬車を町内へと通した。
「ようこそダサラへ。」
歓迎の言葉を背に、ダサラへ足を踏み入れたチミウスは、重たげに腹を膨らませた袋を、父から受け取った。
「十日分の宿代だ。あとは自分でなんとかしてみろ」
一見、冷たいと思えるような父の言動であったが、チミウスはこれを息子に対する信頼と期待からくるものに違いないと看過していた。
「任せておいてよ。何たって僕は英雄になるんだから」
自信ありげに答えるも、チミウスは内心寂しさを感じ始めていたが、それをおくびにも出さず努めて明るく振舞った。
「それじゃあな。チミウス、頑張れよ」
ダサラに立ち入ってから、二十メートルほど離れた所が、親子の別れの場所になった。
父は最期にチミウスの両肩に手を寄せ、激励の言葉を贈った。
余韻を感じさせないほど手早く、ウサントは馬車を走らせ帰っていく。
チミウスは笑顔で、父の姿が小さくなり、消えいりそうになるまで手を振り続け、そしてダサラに向き直った。
赤いレンガを積み立てて造られた6本の建造物は等間隔で、中央に建てられた豪華絢爛な聖堂を取り囲む。
チミウスは、あれが例の六種族それぞれの星骸を管理する場所かと感慨深さを覚えた。
空想の世界を拡張させ、より現実に近づける秘訣をチミウスはよく知っている。
現実を知らなくては空想は貧困なままであるし、少なくともチミウスは貪欲に知識を吸収することを無意識下に行っていた。
家にあった古めかしい本の一部に、五十年以上もの歴史を持つダサラに関する記事が残っていたのをチミウスは思い出す。
まるで、何をどのように食べているか事細かに確認し、解説するように現実の視覚情報として、チミウスは頭の中でそれを広げた。
星骸とは始祖の遺骸である。
あらゆる種に星骸が存在するというのはラトボリアでの常識であり、その扱われようは言うまでもなく極秘中の極秘である。
通常、在り処を知ることができるのは、ほんの一握りの人物のみであり、例外としてダサラの六種族はお互いに星骸をさらけ出す事で信頼と協力の証にしているのであった。
チミウスは最寄にあった、すらりと立つ様を映したであろうコネ科、ラト族の彫像を構えた塔を、より近くで見ようと走り寄ったが地上の入り口に屈強なラトの戦士が配備されているのを見つけ、これをあきらめた。
父から預かった十日間分の宿代が尽きる前に、仕事を見つけなければならない。
騒がしく、活気にあふれた街中を、チミウスは注意深く進んでいった。