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第3話


「もう一度言う」

 現実には見下ろしているはずなのに、逆に目の前の少年を見上げているような錯覚に陥り、ベルカナは知らぬ間に腹へ力を込めて姿勢を正した。きれいな扁桃(アーモンド)形をした濃紺の瞳は少しも揺らぐことがない。

「ここから出て行った方がいい。金も石も好きなだけくれてやる。私には必要のないものだ」

「お言葉ですが王子様(・・・)、学者は着飾ることに魅力を感じません」

「賢い学者の頭ならわかるだろう。私の存在はいわば最高機密事項。関われば、解呪の方法を見つけ出すか、社会的に死ぬか。いずれかの選択肢しかあり得ない」

 慌てて食い下がるも、ウィアドの返事には鋼の筋が通っている。頑なに彼女を拒絶する王子の言い分が、いわゆる優しさから発せられるものなのかどうか、ベルカナは判断しかねていた。彼女は誰かに言い負かされるという経験をそう多くしたことがないから、隙のない堂々とした王子の態度に少々の焦りも感じていたのだった。

「よいか。これは私の一存だ」

 言い含めるようにほんのわずか和らいだ声音に、立場と年齢を改めて意識せざるを得なくなる。

 眼前の少年は本当ならば齢二十四の、マーニア国第一王子。

 対するベルカナは、他と比べて少しばかり書物に親しんできたに過ぎない、あくまでも平民の小娘。

 生まれにも何ら接点なく、関わるはずのない環境で育った二人。それが何の因果か、こうして同じ空間で相対している。

「父上に何を言われたかは知らないが、私が自ら解任したとなれば、責められることはないだろう。時既に遅しとはいえ、まだ充分に間に合う範囲だ。この城の外へ、それでも不安ならば王都から遠く離れたところへ。本当に後戻りできなくなる前に、行け」

「お言葉ですが、」

「――カークス老」

 突如として飛び出してきた呪学者の名前にベルカナは口をつぐんだ。と同時にわずか警戒した。

「知っているか」

「……もちろんです」

 呪学者カークスといえば、その道で名を知らぬ者はない大家である。類感から象徴まで多分野で優れた研究成果を収めたが、専門は黒魔術と呼ばれる、悪意ある魔術。魔の法を使えるのは北方の大陸に住む魔女だけであるため、かの師は齢七十を超えて尚、自ら北の大地を訪れるほどの精力溢れた人物でもある。ベルカナ自身は、彼が著した書物を通してでしか老師のことを知らないのだが。

「彼は今どこにいると思う」

 意味深長な問いかけ。ベルカナは記憶を探る。

 そういえば一年程前に腰を痛めたらしく、それ以来は表舞台に出てきていなかったはずだ。そうそう頻繁に書を著せるはずもないから、かの老師は療養中だと聞いて安心し、それっきり。直属の弟子であればまだしも、学者の世界がそこまで連携しているはずもなし。まして見習いたるベルカナにとっては、記憶のほんの片隅に引っかかっていた程度。

 ところでそれがどうしたというのだろう。呪われた王子が、優秀な学者の存在をこの場で持ち出す意味とは。

 ベルカナの怪訝そうな表情が氷解しかけた頃合いで、ウィアドの指が一本、足元を指し示す。

「ここに」

 ここ(・・)

 すぐには把握しかねた少女だが、一瞬の後に背筋が粟立つのを感じた。絨毯、床、階下、さらに下、下……

「神学者タファト、医師グルークロゥ、薬学師レーン、……」

 淡々と挙げられていくのは全てその道の先駆者達、そして、この数年の音沙汰がない者達。

 数えるのも馬鹿らしいほどの人数を列挙し終え、一呼吸分の間をおいて、王子は再びベルカナを見据えた。濃紺の瞳はどこまでも深い色で、考えどころか上辺の感情ですら読み取ることが難しい。それでも彼は少女の未来を視る。だから、告げる。

「皆、この城の地下牢に。言ってしまえば軟禁だ」

 生きている(・・・・・)ことを喜んで良いものか。ベルカナが思考を練る間にも、王子の淡々とした言葉は続く。

「もはや彼らに表舞台へ上がることは許されぬ。陽を見ることさえも、許されぬ」

 「私と関わったからな」、小さくウィアドは付け足した。「黙秘の約束を、父上は信用なさらない」。

 呪われた王子などと他国にどうして言えようか。それどころか自国の民に明かすこともできない。安寧に波紋を投げ掛ける前に、彼は自ら身を引いたはずだったのに。

 誰も彼もが苦しんでいる……状況を目の当たりにするにつけ、ベルカナの心に微かな炎が生まれる。

 根拠のない自負を嘲笑うかのように先走る義務感、明るく白いままだと信じていた城内への軽い失望と納得、それと、別の目的を思った時の罪悪感。

 様々な思いが瞬時に駆け廻り、気付けば彼女は語気も強く主張を示していた。

「わたしが、必ずや」

「……」

 ほんのわずかに、気のせいかと見紛うほどわずかに、ウィアドの瞳に宿る光沢がゆらりと動いたのをベルカナは見逃さなかった。機を逸しないよう、畳みかける。

「必ず貴方の呪いを解いて差し上げます。半生を捧げることなど、元より承知の上」

「己の置かれた立場を忘れるな。冷静になれ」

 平淡だった顔を渋面に作り替えてウィアドは少しばかり声を尖らせた。感情が露わになったことこそが揺らぎの証明。本人は気付いていないのかもしれないが。

 されどベルカナとて背負うものがある。大きさは眼前に立つ少年のそれの比ではなかろうが、彼女の抱く望みも蔑ろにされてはならないものなのだ。

「わたしは、きっと厳密には、学者ではありません」

「……何?」

 諸刃の剣を、抜く。

「知識と経験の不足もそうですが、元々、古典や聖典の収集家に近いのだと思います。もちろん(きわ)める努力は怠りません、けれど広く、様々な伝承に触れ将来へと保つことを目的に、父をはじめとした研究家達に師事していました」

 案の定、ウィアドは形の良い眉を軽くひそめた。知識を持つ者として重宝されるのは学者や医師が常で、しかも、高名な師でも歯が立たなかった難題に単なる収集家が挑む……何とも馬鹿げた話だ。

 鉄壁を崩すため、彼女は自分の弱点を晒すべきだと判断した。ベルカナにとっては賭け。少しでも言葉の選択を誤れば自分の首を絞めることになる。

「解呪の新たな糸口を……神話と幻想の中にあるかもしれない答えを見つけるため、わたしはここに来ました。父もそれを承知して送り出してくれたのです。……わたしはこの国が、この土地に伝わる神話が好きです。女神マーニも、銀狼ハティも」

「私の運命を趣味にするとは、無礼な」

「いいえ、いいえ王子様。この国と礎となったマーニやハティに感謝しているからこそ、わたしは国を率いる陛下のお力になりたい……貴方の、お力になりたい。やってみなければ、わかりません」

 必死で食い下がれば、沈黙。語った言葉は真実であったが、これらが全てというわけではない。おろおろとしている侍女の姿を目の端で捉えながらも、少女はただ審判を待つ。

 やがて先に視線を逸らしたのはウィアドだった。

「……哀れな娘だ。まだそのような世迷い言を申すか」

 根負け、というよりも諦めたのだと――彼が纏う空気は、再び色褪せていた。

「ならば好きにするが良い。私は忠告、したのだからな」

 望んでいたことが実現したというのに、ベルカナはどこか腑に落ちない感じを抱いていた。これで本当に良かったのか……自問に答えられない理由は、少なからず後ろめたさが尾を曳いているからに違いない。


 紺青の衣が翻りウィアドの曇った顔が見えなくなって、それ以降のことを彼女はよく覚えていない。


 気が付くとどことも知れぬ廊下の真ん中で、セレスティナに両手を握られ、満面の柔らかな笑みを向けられて。

「やりましたわね」

 嬉しそうな侍女に合わせて持ち上げた頬は、引きつって見えなかっただろうか。薄らと汗を掻いているくせに口内がやけに乾いていることにやっと思い至った時には、既にベルカナは自分の進む道筋を強く描いてしまった後だった。



 その夜。ベルカナは、実家に宛てた手紙を書いた。


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