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第20話

 正面に座る老人が目を細めていることに気付き、ウィアドは照れくささにカップへ口をつけた。ヘルバの茶から立ち上る湯気が、芳香と共に視界を流れる。

 こうしてたまに会うと父はとても嬉しそうにする、何気ない出来事も他愛ない会話も。それを見るとむず痒いような気がする一方、ウィアドの心もどこか穏やかになるのだった。

「具合はどうだ?」

「問題ありません。父上もお元気そうで何より」

「儂のことは良い」

 微笑に合わせて髭が動く。老いた国王の言動は、全てが息子への情愛で満ちていた。どんなに大きくなろうとも、どんな姿になろうとも、彼の家族への接し方はずっと変わらない。父と子であるというこの繋がりだけは揺るぎない。

 こうして数日おきに父親か母親と顔を合わせ、互いに近況を報告しあう。その時間はかけがえのない家族としての相手を認識するためのものでもある。

 近況報告とはいえ、大概語るのは父母の側だ。政務のことや経済変動といった硬い話から、果ては庭の木苺が実をつけたとかどこどこ家の誰が出世したとか、他愛もない話題も少なくはなかった。自室に引きこもりがちなウィアドにとっては外の世界の流れを知る意味もあり、新鮮で楽しみな時間だ。

 対するウィアドが話すことのできる事柄といえば、暇を持て余して読んだ本の内容であるとか、終日思索に耽った成果であるとか、あるいは解呪の進展具合であるとか。

 解呪。

 王子は、満月の夜から過ぎてしまった日々を思った。神話談義は続いている、新たな解釈や興味深い伝承も耳にした、だが。彼は未だに、少年の姿のままだ。

「あの娘が気に入っているようだな」

 近況を報告し終えたウィアドに向かって父王はそう言った。

「そ、のようなわけでは……っ」

 親から想定外の感想を受け取り、その言葉が含むところを悟った少年は、珍しく動揺も露わに腰を浮かしかけた。

 単純に、あの少女の話となると口数の増えた息子をからかってみただけなのだが、予想だにしない反応に驚いたのはむしろ親の側である。と同時、そこに確かに心があることを喜ばしく思う。愛しい子の頬を微かに染めたのは、生命の色だ。

 やがてぐったりとしたように椅子へと体重を預け直したウィアドは、ようやく自身の言動を冷静に捉えるだけの余裕が生まれたか、きまりの悪さに濃紺の目を伏せた。

「……そういうわけではないのです。私は、ただ……」

 言いかけて、口を噤む。脳裏に蘇るのは歴代の解呪の任へ就いた学者達のこと。

 少女を特別視しているつもりはない。しかし若さ故、彼女の未来の可能性がこれまでの誰よりも大きいこともまた事実。

 それを奪ってしまうよりなら――。いつも彼は考えるのだ。他人の未来を奪ってしまうくらいなら、自分が嘘を真実にすれば良いのに。二年前のあの日、国民全てを欺いたあの嘘を。

「馬鹿なことを考えるではないぞ」

 何もかもを見透かしたように王は言った。その顔は憂いに満ち、険しい。

「厳しいことを言うようだが、我々が何をしようと、失われた命は戻っては来ない」

「……わかって、います」

「儂らはお前に生きていて欲しい。生きていてくれるだけでいいのだよ、ウィアド」

「……」

 救いの手を振り払うための言葉は噛み殺した。父の言っていることは正論で、反駁は甘えや我儘であると感じられるから。されど、差し伸べられた手を取ることもできない。彼が赦される者ならば、少年の姿でいるはずがないから。

 そして震えを懸命に堪える彼の言の矛先は、予想もしない方へと向いて。

「……地下牢にいる彼らは、生きていなくても構わないということですか、父上」

 罪の意識がなければ父王は顔を歪ませるわけがない。わかっている――少なくとも、わかっているつもりではあるのだ、両親の思いは。

 それでもウィアドは問わずには居れなかった。衝動的な、詰問。

「現に……あの少女の父親は、召集を受けているのだから、私が存命している事実を知らないはずがありません。だのに地下へ閉じ込められることはない。いえ、既に地下にいる学者達に関しても、一切の情報が漏れなかったとは考えにくいと思います。書簡の遣り取りを制限したことも、検閲を行ったこともなかったではありませんか」

「あの娘の親に関しては、病であれば、無理に自由を奪うこともできなかった。他の……他の者に関しては……確かにお前の言う通りかもしれん」

 ウィアドはずっと目を伏せたまま。だが対する王もまた、息子を直視することがなかった。二対の視線は交わらない。

「情報統制の行われない中で真実が広まらないのは、民の優しさだと、そう信じることは間違っておりますか。……人がひとり存在しなくなるということの重みを、父上はよくご存知のはずです。まして著名な者、何名も行方不明のままで済ませられるわけがない」

「ウィアド」

「今は仮に我々の行いが噂となっていたとしても、局所的であるのだと思います。もし疑念がマーニア全土に広がればどうなります。確かに私は自ら望んで王権を譲渡しましたが、それは民を欺くためではなかった!」

「ウィアド!」

 久方振りに聞くような張りのある声に、ようやくウィアドは顔を上げて父親を見た。肉親の辛そうな表情に胸は痛んだが、己の主張を正しいと思えば、謝罪をする必要などない。

 王は目を何度も(しばたた)かせ、何事かを言い淀んでいる。やがて髭が微かに動くと、低い声が発せられた。

「……ウィアド。人間には、踏み込んではいけない領域というものがあるのだ」

 老人の声。王がもう譲位を考えるような年齢であることを、ウィアドは改めて認識して驚く。

 否、それよりも。

「人間、と……」

 息子の呟きを耳にし、父王は己の失言を悔いた。だが一度発せられた言の葉を取り消すことなどできはしない。それが呪いの言でなくとも。

 ウィアドは確かに気が付いた。異様の空気を醸す芸人――かの道化師とは、満月の日に部屋の外を出歩く度、必ず回廊で擦れ違う。

 疑うべき人物を思い浮かべるまでは刹那。それほどまでに浮いた存在、思い返せば父親は気に入りの芸人の割に紹介することもなく。

「あの道化師ですね」

 少年の語尾に、もはや疑問符は付かない。確信と共に核心を突く。

 答えを表情に出してしまったのは王の落ち度だろうか。もたらした結果を思うなら、嘘を吐いてでも隠さなければならなかったのかもしれない。

 ウィアドは、ただ、口元だけで微笑した。

「父上がこの方針を変えないつもりだと仰るのなら、私が変えてみせます」

 しかしその声は硬く。

「あの道化師と話をしたく思います。どうぞ、居場所を」

「ならぬ、ならぬぞウィアド、()の者は……」

 孕んでいるものを汲み取った父王が身を震わせたのは道理だった。あの人外は、よりにもよって“ロキ”の名を名乗ったのだから。

 されど“月女神の愛し子”は止まらない。加護を信じるよりもいっそ、“銀狼”は祖先に牙を剥くことを選ぶ。

 運命に抗い、闘うこと。少女との出会いが少なからず影響を及ぼしていることは確かだった。かつて狼が喰らってしまった“調停の腕”。平衡を与えられなかった大地で、解釈の翼を用いることができるのは、そこに生きる民――神でも怪物でもない人間だけなのだ。

「父上。私は死にに行くのではありません」

 直接的なその語に国王は息を呑む。と同時、息子を引き止めることが不可能だと悟った父親は悲哀の眼差しさえも床へ落とし、納得に対するせめてもの抵抗として、深い沈黙へ唇を引き結んだ。

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