第19話
彼ら二人の出会いは、庶民のそれと何ら変わりがなかった。
王子と、剣士の卵。将来を約束された者と、生まれながらに天井が定められた者。にもかかわらずウィアドとアルジズの初対面は、単なる幼馴染のはじまりとまったくもって同じだった。
当時の剣士団長であり、国王の良き相談相手でもあった父親に頭を下げさせられ、たどたどしくも挨拶をした少年。母親譲りの蔦色の髪を、ウィアドは王の背後から顔を覗かせて見つめていた。
『しってるか、ウィアド。“かしこいバカは、バカなけんじゃよりもかしこい”んだぜ』
『なんだよ、それ』
『おれはウィアドとちがってバカだけど、かしこいバカにならなれるよな』
二人の子供はすぐに打ち解けた。唐突に諺めいた言葉を口にするアルジズのことを、ウィアドは最初こそ変な奴だと思いはしたものの、他の貴族の子弟とは違って優劣に拘ったり家柄を鼻にかけたりしないところに、単純に好感が持てた。
幼いながらもウィアドは遠慮や我慢を知っていたから、彼らが気の置けない仲になったのはアルジズの性格故だったのだろう。彼が身分差というものの存在を知らなかったとは考えにくいが、並べ立てられる美辞麗句に辟易していたウィアドにとって、素直な物言いをするアルジズとの付き合いは一番気楽だったのだ。
しかしそのために敵が多いこともまた事実だった。あけすけな言い方が妬ましいのか、第一王子と親しくしていることが気に入らないのか、他貴族の子供らは時折、場違いな単なる(・・・)剣士の息子に少しばかり厳しくあたることがあった。それでも彼は些細な悪意を笑い飛ばし。
『おれのうちはビンボーだから、しかたないさ。けど、オヤジはさいっこうにカッコイイんだ!』
口癖のようにそう言っていた。
彼の譲れない拘りのひとつが、父親に関する誇りだった。実際、アルジズの父は帝国に属しないことが勿体ないと言われるほど武道に秀でており、マーニア国王の盾として名を馳せた人物。息子が幼い頃から将来の夢として言い続けていたのは、父親のような立派な剣士団長になって国王のために戦うこと。
ウィアドはと言えば、大切な友人を傷つけようとする遊び相手に対しても、切り捨てるだけの非情さを持つことができなかった。既に人間の二面性というものや欲というものについても理解していた聡い少年は、他人との関係に波風を立てることの怖さを知っていたから、誰であろうとそれなりに上手く付き合おうと努力していた。
ただ、彼は自分を曝け出すことが少しばかり苦手だった。幼いうちから大人としての人付き合いを要求されてきたせいかもしれない。成長するにつれて国外の要人と会う機会も増える。そうなると、子供とはいえ態度ひとつが国の行く末に影響しかねない。こればかりは生まれついた立場上、逃れられないことだ。難しいことは考えずに庶民と同様の遊びに興じよという方が無理だろう。
さらに幸運と言うべきか不幸と言うべきか、第一王子は文武両道において非常に優秀だった。驕るようなことは一度もなかったが、結果は勝手に出てしまう。相手が王子であれ妬む者は居るらしく、親が“月女神の愛し子”とウィアドのことを褒めれば、子は怪物“銀狼ハティ”の名を影で呟いた。美しい銀色の髪と夜空の瞳を有していたことも拍車をかけた。
それでも少年がめげずに前を向いていられたのは、ひとえに家族の愛情があってこそだろう。不器用ながら我慢して、それでも耐えきれなくなった時には、彼はよく両親へ向かって心の内を吐き出したものだった。父は自身の経験を語っては夜明けの存在を教えてくれたし、母はほとんど唯一の気兼ねなく甘えられる相手だった。
もちろん、アルジズに愚痴を零すこともあった。
少年は親に対するような甘えを友に見せることを良しとはしなかったが、不器用な吐露であれ、鳶色の髪を持つ親友はどこか突き抜けた励ましを示してくれた。
『僕はハティに似ているから、友達が少ないのかな』
『なら、狼の友達はいっぱいだなっ』
大人が耳にすれば呆れてしまうような稚拙な理論も、あっけらかんとした笑顔で言われてしまえば、自然と顔を綻ばせる他はない。祝福された天才と言われようが、災厄の申し子と呼ばれようが、ひとりの友として自分を見てくれることがウィアドは嬉しかった。
やがてそんな二人が“三人”になったのは、アルジズがウィアドの前にとある少女を連れてきて以来のことだ。
『城の裏手にマーニの神殿があるだろ。あそこに引き取られてきたんだ』
蒼い髪の少女はアルジズの後ろから第一王子のことを窺い見ていた。はにかむでもなく、むしろ怯えたようなその表情にウィアドの機嫌は少しばかり傾く。
とはいえ彼女もまた人付き合いが苦手なのかもしれない、と思い直した彼はわずか屈むようにして深緑の瞳を覗き込む。吸い込まれそうな不思議な色を湛えた双眸は少年にとって、それまでに見たどんな宝石の類よりも美しく思われた。
『はじめまして、僕はウィアド・アルスヴィズ。君の名前は?』
『……』
『……そうだ、僕、毎日あの神殿に行っているんだ。だからひょっとすると、よく会うかもしれないね!』
『……』
懸命に繋いだ言葉への応答はない。唇を硬く引き結んで更にアルジズの影に隠れようとする少女の姿に、さすがのウィアドも社交用の笑みを引きつらせた。
それで、結局一言も発することなく神殿へと少女が帰ってしまった後、ウィアドはアルジズに向かって珍しくも苛立ちをぶつけたのだった。
『何なのさ、あの子。自分の名前くらい言うのが礼儀だろ!』
『仕方ないよ、彼女も、まあ……その、あんまり友達と遊んだことないのかもしれないし』
ウィアドが苛立つのは無礼に対してだけではなかった。聞けばあの少女は奇妙な能力――読心術のようなものを生まれながらに持っていたらしい。
他人よりも優れているせいで、疎ましがられる。
身に染みてその辛さを知っていたウィアドは無論彼女に少なからず同情したが、それでも耐えて周りと打ち解けようと努力している己に比べて、あの少女はどうだ。差し伸べられた手を拒むなんて!
普段の彼ならばこんなことは思っても口には出さない。しかし幼い少年には、少女の態度が甘えにしか見えなかった。それを許容できるほどには、彼らはまだ大人ではなかったのだろう。
『神殿でなら重宝されるかもしれないな。良かったじゃないか、自分の能力を生かせる場所に引き取ってもらえて!』
ところがこれを聞いてアルジズは黙っていなかった。それどころかウィアドに――あろうことか第一王子に――掴みかかったのである。
『良いことなんてあるもんかよ! あいつだって、好きで心が読めるようになったんじゃないんだ!』
何より驚いたウィアドだったが、高貴の生まれといってもそこは少年だ、取っ組み合いに発展するまでそう大した時間はかからなかった。肩を掴み、腕を振り回し、蹴り転ばせて。騒ぎを聞きつけた通りすがりの剣士が力尽くで引き離すまで、二人の少年は互いの主張を頑なにぶつけて合っていた。
問題はその後だった。事情がどうあれ、客観的に見た事象は“剣士の息子が、使えるべき王子の身を傷つけた”というだけのこと。結末は誰でも予想できる。
自分の親友が、ひいてはその父親が罰せられるかもしれないという話を侍女から聞いた幼い王子は、未だ腹を立ててはいたものの、それ以上の後味の悪さに不機嫌だった。罰がどの程度のものかは想像がつかなかったけれども、冷静に思い返してみれば自分にも非はあるような気がした。自分が王子だからという理由でアルジズだけが叱られるのは、どうにも納得がいかない気もした。
喧嘩から三日と置かず、剣士団長がアルジズと共に国王へ謝罪しに来た。それを王は息子を自室へ呼び、伝えた。
『彼らの処遇はまだ決めていない。お前はどうしたい、ウィアド』
問われ、少年は返答に窮した。
確かにアルジズがやったことは善行とは言い難いし、侍女に軟膏を塗ってもらった傷も痛む――けれど。
王子は長い沈黙を経て、やがて静かに首を振った。
『父上、あの……彼らを罰しないでください』
『何故?』
『今回のことは自分も悪かったと思います。アルジズも痛かっただろうし、アルジズのお父さんは、喧嘩に関係していないし……それに、その……王子だからといって遠慮しないでくれたのが嬉しくて、だから』
『ふむ――では逆に褒美をやろうか?』
悪戯めいた質問。王子はまたしてもしばらく思考したが、今度の否定は、先よりも勢いがあった。
『いいえ。それは、父上が常々言っておられることに反します。命を売り買いしてはならないと同様に、心も買ってはならないと、自分は思います』
緊張の面持ちで、つっかえながらも自身の考えを真っ直ぐに伝えようと試みる息子の姿に、父王は表情を和らげて優しげに目を細めた。
対する本人は、自らも怒られるかもしれないというのに、どこか清々しい気分になって、変だと感じていた。しかし自分で考えて納得できる結論を出したのだ、たとえ叱られたとしても誰かを恨めしく思うようなことはない。
そんな幼い息子の不安を察してか、ふむ、と再び唸った王はウィアドに退出を促した。そして、言う。
『その気持ちを忘れてはならないよ。それに儂も、優秀な剣士とその卵を手放すのは惜しいと思っていた。しかしけじめとして少しばかりの小言はくれてやらねばな。――そしてお前にも罰を与えよう、ウィアド。自らの非を認め、誰に対してであれ頭を下げられるか?』
その意味を悟った聡い少年は濃紺の瞳を瞠る。そして大きくうなずき、すぐさま部屋を飛び出して行った。
*
結論から言えば、二人の少年は仲直りも早かった。もともと互いに悪いと思っていた節はあったから、一言を言うのに変な意地が邪魔をすることはなかったのだ。彼らの絆が前より強固になったことは言わずもがなであるし、さらに喜ばしいことには、そこに無事に少女も加わった。
不思議な瞳を持った、人並み外れて勘の鋭い少女。名を、ラグという。
彼女は捨て子であり、様々な施設を転々とした後、縁あって最終的には神殿に引き取られたらしい。性格も人見知りで極端に口数も少なかったが、それとわかった少年達が気遣って接しているうちに打ち解けて、気恥ずかしさを時折は覗かせるものの、普通の子供と同様の喜怒哀楽を表せるようになった。それに無意識に行ってしまっていた読心も、自分で制御できるようになったのだった。
成長してからも相変わらず――むしろ余計に――ウィアドの気疲れの日々は続いた。だがその頃には彼も多少は割り切れるようになっていたし、二人の友の存在が彼を支えた。
やがてウィアドには弟が生まれ、アルジズは剣士見習いとして鍛錬に励み、ラグも元来の生真面目さを生かして聖務に励んだ。もう幼い時のように駆けまわって遊ぶようなことはなく、アルジズやラグは王子に対して敬語を使うようになってしまったけれども、根底にある繋がりは一切変わりなかった。どれだけ年月を経ても、彼らは互いに良き仲間だった。