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第1話


 讃えよ 妖精の栄光

 呑み込む者は 戦女神の涙色

 麗しき天の花婿 槍の支配者の雷

 木に下されるのは 永久の腕輪


 讃えよ 蹄の軌跡

 喰らう者は 海の屋根色

 御者台の乙女 沼に住む獣の眷属

 木の壊し手と共に 大いなる天球を駆ける


 槍の騒音 止みてのち

 血の氷柱とその岬 鷲に餌を与える者 虐殺の露 すべては眠る

 武器の気候は穏かに 木材の悩みは失せる

 蛇の隠れ家を示す腕輪 壊した者に心の価値を


 とこしえの大地に 花婿の加護あれ

 いにしえの大地に 乙女の加護あれ

 ふたりの息子達が 黄昏を引き連れる刻まで




「見事だ」

 玉座から降った言葉に、今しがた古の詩を詠い終えたばかりの少女ベルカナは、光栄です、と呟いて深く(こうべ)を垂れた。

 賛辞は賛辞に違いない。たとえどれほど疲れた声音で紡がれたものだったとしても。

「解釈を申せ」

 国王の命令が広間に低く響く。そこにいるのは王と若い娘と、あとは数名の衛兵。

 満ちた沈黙は、疲弊も滲んではいたものの、確かな安寧の証明。大陸の半分以上を占める帝国の傍にありながら、この国マーニアは――現実はどうであれ――中立国を謳っている。戦力として保持するのは、自衛のための剣士団。自国は自国で護らなければならないから。

 大陸に存在する中立国、つまり本来ならば不可侵の大地というのはふたつ。それは古代の詩にもうたわれている。

「“妖精の栄光”と“天の花婿”は太陽、つまり隣国ソーリアの守護神ソールを表し、それを“呑み込む者”とは金色の狼スコルを示しています」

 マーニアの東に隣接するもうひとつの中立国、ソーリア。守護神は美しい青年の姿で現れるという太陽神ソール。

「二節にある“蹄の軌跡”や“御者台の乙女”は月、つまり我が国マーニアの守護神マーニを、それから“喰らう者”は銀色の狼ハティを表します」

 そしてこの小さな国を守る月女神マーニ。

 それぞれの神が与えるものが祝福であるのなら、災厄を下す役割を担うのが二頭の狼――スコルとハティだ。

「これら二頭の獣は“沼に住む獣(フェンリル狼)”の眷属であり、四節にある通り、世界の“黄昏”を導く日まで守護神に仕えるのです。三節は太古の争いを喩えたもので、腕輪は主君あるいは王の――」

「よい、もうよい」

 王は彼女に最後まで語らせなかった。どこか投げ遣りに聞こえたのは呆れたからでも、満足したからでもない――飽いたからなのだ。或いは、最低限の基準を満たしていると見たからか。

 ベルカナは止められなければいつまででも床に向けて語っていたろう。どこか虚しい気持ちがあったことは否定できないが、顔を上げる許可がない以上は仕方のないこと。それに、彼女はもう自身が採用(・・)されるという確信を抱いていたから、小さなことは気にならなかった。

「そなたの学の深さ、我らが国への愛はよくわかった」

 仮にも学者の娘であり、自身も親と同じ道を志す彼女にそんな言葉を与えるのは、何とも無粋な振る舞いかもしれない。

 だが学者の卵である以前に、数か月前に十八の誕生日を迎え、法の上でも大人となっていた彼女のこと。王がうんざりするほどの回数その言葉を口にしてきていることは重々承知していたから、いちいち眉をひそめてしまうような失態は犯さない。礼節であるとか言葉遣いであるとか、そういった些細な所作が、あくまでも形式的なものに終始してしまわないように気を付けるだけでよかった。

 第一印象が大事――実家で病の床に臥せっていることになっている(・・・・・・・・)彼女の父親が、彼女を王都へ送り出す時に散々言い含めた教えだ。


 中立とは、周囲の国の策謀や思惑をもすべて受け容れるための場所。威を借る……と言ってしまえばそれまでだが、武力で大陸を制覇しようという帝国の庇護を少なからず受けていることもまた事実。帝国にとって二国は他の中小国家に対する体の良い“楯”となり得るから、有事の際には帝国側が“剣”となるのは道理だった。


 ソーリアとマーニアは、何れの主義・主張・立場に傾くことがあってもいけない。

 ……しかし現実は厳しい。

 神々の大地は侵すべからず、だが、孤立した国家はやがて滅びるだろう。小国が生き延びるためにはそれなりの妥協と譲歩、折り合い兼ね合いが必要だった。それゆえふたつの国が帝国の眷属と見られることも皆無ではなく、ましてソーリアもマーニアも決して強国ではないため、政治的に複雑な問題に巻き込まれることは不可避。

 

 とはいえ、名君として名高いマーニア国王の心労の種は内政や外交に関するものではない。

 くすんだ白の髪と髭。向こう見ずな勢いが溢れることはなく、刻まれた皺の数だけ積み重ねた年月が滲み出る。老人と形容しても差し支えない容貌の国王には、慈愛に溢れた王妃と、二人の優秀な息子がいた。

 賢い王に優しい王妃、美しく聡明な二人の王子。王は愛妾を娶ることもなく、謀反を企む臣もなく。まるで絵に描いたように幸福な家族の平穏は、しかし、唐突に崩れてしまった。


 およそ二年前。王宮内で起きた、第一王子暗殺事件。

 下手人は帝国に敵対する国が送り込んだ密偵で、王子を護衛していた剣士と刺し違えて死亡したらしい。

 世間の通説では、犠牲者は下手人と剣士と王子の三名。ちょうど国王が王位を譲ることを考えていた時期のこと。皮肉なことにその日は王子の二十二回目の誕生日であり、王位継承を正式に発表するはずの場でもあったのだが。

 だが、である。ベルカナがこの場にいる、国王が彼女に「頼む」と口にする……それらすべてが導く真実は世間の通説どころか、史書の内容まで書き換えてしまいかねないもの。

 あの日の犠牲者は、二名だった。下手人と護衛の剣士のみ。


 そう――厳密には暗殺未遂(・・)事件。第一王子は、まだ生きている。


 だからこそベルカナは王宮に招かれたのだし、国王は憔悴しきっているのだ。

「こう言ってはなんだが、本当に構わないのか? もう故郷には戻れぬやも知れぬぞ」

「本来ならば父が参上するべきところ、力不足は重々承知しております。されどわたくしとて学問を志す者の端くれ。何よりマーニアの永久なる安寧を祈る者として、わずかなりともお力になれるのであれば、本望でございます」

 国王は(かしず)く娘をしばし見つめた。

 栗色の豊かな髪が垂れて表情はすっかり隠れてしまっている。だが最初に彼に向かって父親の体の具合が悪いことを告げた時、その翡翠の瞳に宿る光は利発そうな明るさを帯びていた。十八という割には顔立ちが少々幼く見えるものの、同年代の娘よりも余程しっかりしているように思われたのだ。

 むしろそれゆえに、依頼を承知されるであろうことが王には辛い。憐れみ混じりの視線には気付くこともなく、ベルカナは平伏の姿勢で黙したまま。

「……宜しい。では、そなたに頼むこととしよう」

「有難く存じます」

 これではどちらが許可を出すのかわかったものではない、と王はひそかに胸の奥で苦笑する。

 罪悪感がないわけではない。こうして無謀な頼みをするのは幾度目か。それでも一国の王たる彼にも、どうすることもできない問題がそこにはあった。

 否、それ以上に。彼はひとりの父として、若き学者の娘へと希望を託すのだ。どれほどの犠牲があろうとも、決して諦めてはならなかった。後の世に残虐非道と言われようとも、救わねばならない宝物があった。

「ベルカナよ。どうか息子を……ウィアドを呪いから解放してやってくれ」

「御意」

 彼女は縛られる。国王の命令に、そして、民に知られてはならないはずの真実に。


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