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第18話


 三人とも何を言っていいのかわからず、ただ沈黙が続く。

「……魔女は、何故、ウィアド様を?」

 やっとのことでそれを破ったのはベルカナ。力なく首を振ったエルウィンの奥、ずっと仏頂面をしてそっぽを向いていたルドヴィグが、「嫉妬さ」と呟いた。

「嫉妬?」

「ああ。あの女、自分より美しいものが気に食わなかったんだ。完全な私怨ってわけだ」

「私怨、って……では魔女を送り込んだ側としても想定外だったと?」

「そうだ」

 唾でも吐きそうな勢いで肯定し、床を睨みつけたままルドヴィグは続ける。

「本当は単なる諜報として嫁がされてきたんだよ、あの女は。それがまさかこんなことになるとは向こうも思っていなかったらしく、あっちの宰相が直々に慌てて謝罪の文書を持って来やがった。だが魔女の力を借りるってことはそれなりの代償が要る……そのくらいはわかるな?」

 ベルカナは黙ってうなずく。

 北の大地に住む魔女の一族。この世界で唯一魔法を意のままに操ることのできる彼女達は、その血を薄めないために一族の間で子を()して、血に刻まれた魔力を脈々と受け継いでいくのだという。

 彼らはどの国にも属さない。交渉次第では味方にもなるらしいが誓約がとても多く、いちばん良いのは関わらないことだと言われている。領土を広げる意思も(今のところは)持たない魔女達は、黙っていれば攻め込んでくることもないからだ。

 だが一度その逆鱗に触れてしまえば、恐ろしい報復が待ち受けているという。

「魔女の側からすれば派遣した娘が死体になって帰ってきたんだからな、当然のことながら向こうの国は存亡の危機に立たされた。とはいえ魔女個人が勝手な行動をしたのも事実。公には互いの非は相殺されたと言われているが……実際のところ、あっちの執務長官らを含めた数人が魔女達の手で殺されたという話だ」

 息を呑むベルカナに、エルウィンは優しく笑いかけて落ち着かせようとしたらしい。温和な性格の彼も、相方が侮蔑の言葉を口にした時は宥める気はないようだったが。

 全てが真実でなかったとしても、その出来事は残酷だった。最も痛々しいのは、そんな下らない事件に巻き込まれ命を落とした剣士と今も呪いに苦しめられている王子。

「ルドはこう見えて顔が広いんだよ」

「こう見えてってどういう意味だ」

「お嬢さん、あとは恐らく君の知っている通りだろう。陛下の演説は覚えているかい?」

 ベルカナは再びうなずく。二年前、自ら息子の死を民衆へと告げた国王の話は、田舎にいた彼女の耳にも当然のことながら届いていた。

 恐るべき存在である魔女と敵対したがる者があるはずもなく、代わりにかの小国へと剣先は向く。愛する王子を失った民が戦を望むのは自然の流れだった。


 『ウィアドは諸君が無為に命を投げ出すことを望んでなどいない』


 だが誰よりも王子の死を悲しんでいるであろう王の言葉に、民もそれ以上の怒りを叫ぶことはできない。結局、戦争が起きることはなかった。

 本人と言葉を交わした今ならベルカナにはわかる。王のあの言葉は、本当にウィアド自身の言だったのだろう。

「でも、それで国民の気が収まるはずもない。しばらく旅芸人や行商人が襲われる事件が相次いだものだから、一時期は国境の警備が大混乱だったよ」

「市街地の警備担当の奴も愚痴っていたしな」

 王都の様子は郊外で育ったベルカナにはよくわからない。だから剣士の話は素直に収穫である。

 さらに、と彼女は核心へと迫る質問をすることにした。

「その、アルジズ様はどのような方だったのですか?」

「いい奴だったよ」

 間髪入れずにエルウィンが答えた。ルドヴィグもまたしきりにうなずいている。

「あいつの父親が陛下にお仕えする剣士団長だったというのもあるだろうが、とにかく向上心のある奴で、鍛錬にもいつも一生懸命だった。自分も団長を目指すって」

「それに面白い奴だったよね。皆を笑わせるのが上手くてさ、模擬戦の時……ふふっ、あれ、皆で長官に怒られたよねぇ」

「ああ、そんなこともあったな。ったく、馬鹿なことにばっかり頭使いやがって」

 途切れることのない思い出話。悲嘆にばかり暮れることなく語る彼らの表情こそが、かの剣士が如何に愛されていたかを如実に表しているのだろう。親子二代の主従関係、と大切な情報を頭の中に書き留めつつも、ベルカナはそんな彼らの様子を微笑ましく思う。

 一頻り笑った後、やっとエルウィンはベルカナに意識を向けた。

「ああ、ごめんごめん。つい盛り上がってしまって」

「アルジズ様は素敵な方だったのですね」

「そうだな。だからこそ、失われたことが口惜しくて仕方ない」

 暗くなりかけた空気を吹き飛ばすかのように、「そういえば」とエルウィンがやけに明るい声と共に手を打った。

「彼には変な癖があったんだよ」

「変な癖?」

「そう。あいつ、いい奴だったんだけど時々ちょっと意味不明でさ。いきなり古典の一節とか格言を口走るんだ、それも何の脈絡もなく」

 そうだなぁ、と思案する金髪の剣士。やがて真剣な顔でベルカナを見下ろし、指を一本立ててみせる。何を言われるのかとベルカナが緊張していると。

「“狭い川はすぐ渡られ、浅い海はすぐ測られ、小さい心はすぐかきたてられる”」

「……はい?」

「うんうん、そうなるよね、そりゃあ」

 ぽかんとするベルカナを尻目、言った張本人は妙に納得したようにうなずいているし、ルドヴィグは

呆れ顔で嘆息していた。

「それって、確か、どこかの国の(ことわざ)でしたよね?」

「鋭いね、さすが。ま、こんな突拍子もないことを言ってはアルジズも僕らを困らせていたってわけさ」

「はぁ……」

 曖昧に返した少女の頭の隅で、何か、疼くものがある。

「――あ」

「ん? どうしたんだい、お嬢さん」

 まさしく閃く一瞬。言葉にするのももどかしく、されど礼は失することのないように細心の注意を払いつつ、ベルカナはずっと引っかかっていた一つの要素を口にする。

「“俺が死んだら、お前に天狼の星を降らせてやる”……アルジズ様が亡くなる直前、ウィアド様に仰った言葉だそうです。私の知る限り、このような言い回しは創世神話にもマーニやソールの伝説にも出てきません。何かお心当たりはありませんか?」

 エルウィンが背後の相方を振り返ると、彼は腕を組んだままベルカナを見下ろして眉根を寄せる。

「俺達はそんなに本に詳しくはないが、確か天狼の星というのはハティの、災厄の象徴だろう?」

「ええ、そのはず、なんですが……」

「解せないな。そんな呪いのような言葉、アルジズが王子に向かって言うはずがない」

 王子と剣士は幼い頃から近くで育った、いわば幼馴染のような間柄。互いに親友と称する言葉に偽りはない。

 まして主君のために命を賭けることは剣士の大前提、そして義務。庇った相手を呪うなど、お門違いもいいところなのだが。

「しかしウィアド様ご本人がそう仰ったのです」

 二人の剣士は再三顔を見合わせる。いずれも答えを持たないことを見て取るや、エルウィンが眉を下げ困ったような笑みで頭を掻き、ルドヴィグもばつが悪そうに低く呻いた。

「すまないね、お嬢さん。その質問の答えはわからない」

「そうですか……いえ、どうもありがとうございます。助かりました」

 ベルカナは礼儀正しく腰を折った。あわよくば謎が氷解しはしないかと思っていたものの、一気の解決には元より大した期待もしていない。じっくり思考を煮詰めるのは彼女の仕事。これほど詳しい話が聴けただけでも彼女は二人に感謝していた。



「天狼、ね……」

 少女が去って後、不意にエルウィンが呟いた。ルドヴィグが欠伸を噛み殺しつつ聞き返すと、温和そうな顔つきの剣士は眉根を寄せている。

「いやね、ルド、ウィアド様はあの呼び名を嫌がっていたじゃないか」

「あの呼び名……ハティ、か」

 奇才とでも言うべき王子は、立場に加えて生まれ持った才能故に、周囲と打ち解けることが得意ではなかったという。そして拍車をかける、美しい銀色の髪に濃紺の瞳。それは何の悪戯か、災厄の獣の名を贈られるに相応しい見た目。

 “月女神の愛し子”は同時に、“月を追う狼”の呼称も有していたのだ。

「それをわざわざアルジズが言うかと思ってさ。死の間際に思い起こさせるようなことでもないだろうに」

「まあ、そう……だよな」

 ルドヴィグは首を(めぐ)らせ、少女が歩み去った方向を見た。彼ら剣士達もまた、少女の猶予が短いことを知っている。

「アルジズ……本当に、友に災いを与えることを望んでいたのか?」

 王子の呪い、さらに自責。零れた砂は二度と戻らないのだ。


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