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第14話


 朝方に届けられた書簡を手に、ベルカナは私室でひとり溜息を吐いた。送り主は言わずもがな彼女の父親である。

 「愛されていらっしゃるのですねぇ」と、手紙を渡す時にセレスティナはころころ笑っていた。

 だが単に過保護であるというだけなら、ベルカナはここまで顔をしかめて文字の羅列を睨みつけたりしない。彼女が父親の代わりに城内へと入った目的の再確認。現状報告の要求。

 板挟み――父親の要望を叶えれば王子を裏切ることになり、かといって父親の言い分も無碍にはできず。

 悶々と悩む彼女の頭に、ふと、神殿の巫女の言葉がよぎる。


 『取り返しのつかないことになる前に、正直になるか、諦めるか、するべきです』


「取り返しのつかないこと、か……」

 このままではまずいということはわかっている。ウィアドは少なくとも表面上はベルカナを信用してくれているように見えたし、心を読んだという巫女も恐らくは、ベルカナ自身の口で語るまでは彼女の本心を吹聴してまわるようなことはないだろう。

 自分の格好を見下ろす。地味な色合いの服はもちろん絹製などではない。視界に入った栗色の髪の毛は本当に櫛で簡単に梳いただけで、穂先はよく見ると傷んでしまってさえいる。特別に目を惹くような美貌でもなし、このまま父親の言う目的を達成するのは些か困難であるだろうことは、想像に容易かった。

 それにベルカナ自身、気乗りしていないことなど、もはや自分で十分に気付いている。

 いずれの立場をとるにせよ、そろそろ決断するべきなのかもしれない。



 今日も王子と語り合う予定はない。

 暇を得た彼女が選んだのは、もう一度ラグに会うという選択肢。正直に言ってあまり気は進まなかったが、結局ウィアドのことを何も聞き出せていなかったことに思い至ったからだ。

 神殿への行き方は以前わかったので、今回は少し違う道を通ってみようと初めての小路へ逸れる。低木の茂みが並ぶ道をそのまま進むと、見えてきたのは広々とした庭園だった。

 足を踏み入れていいものか……わずかに逡巡したベルカナだったが、とうとう思い切って、蔦の絡んだ細い金属の門をくぐる。途端に広がった景色に思わず息を呑んだ。

 灌木の茂みで区切られた場所にはそれぞれ色とりどりの花々。故郷の自然とはまた違って人為的に手入れされているおかげで、大輪の赤を咲かせた薔薇でさえ慎ましやかな印象を受ける。どこまでも続くかに思われる花の(みち)は、奥の方で迷路のように入り組んでいるのが見えた。

 ふらふらと誘い込まれるように進み、一際強い香につられて白の花へと身を屈めたベルカナは、背後から急速に近づく忙しない足音に気付かなかった。

「――隠してっ!」

「えっ――?!」

 澄んだ子供の声。と同時、驚く暇もなく背中に衝撃を受け、彼女は大手鞠(おおてまり)の茂みに顔を突っ込んでしまう。薔薇でなくてよかったと切に思った。

 身を起こそうにも、両肩に異常な負荷がかかっているため叶わない。苛立ちを抑えつつ耳を澄ますと、彼女の背中から聞こえてくる息切れの音と子供特有の押し殺したような歓声。どうやらどこぞの子供がベルカナの肩にしがみつき、今しがた駆けて来た大人達の目から身を隠しているらしい。

 「確かにこのあたりに……」「きっとあちらの方向に違いない」「よし、追うぞ!」云々。茂みの向こうでのやり取りが遠ざかってしまうまで、ベルカナは律儀にもその体勢のままで耐えていた。

「……もう行ったかな?」

 そして背後からの独り言。人を唐突に突き飛ばしておきながら何と呑気なことだろう。両手が肩から離されたのを機に、彼女は説教のひとつでもしてやるくらいの勢いで振り返った。

「ちょっと、あな――」

 た、まで言う前にベルカナはその姿勢のまま硬直した。

 そこにいた少年が子供というほど幼くはなかったせいばかりではない。彼は……紫色の上衣を纏っていた。

「…………スヴェル様?」

 見覚えのあるくすんだ銀髪。恐る恐る尋ねてみれば、マーニア国第二王子、スヴェル・アルスヴィズは満面の笑みでうなずく。

「よく知っていたね」

 やや華奢な体つきに、鼻筋の通った気品ある顔立ちはまさしく血筋と評するべきか。

 それでも兄はどちらかといえば涼しげな目元をしているのに対し、弟は人懐こそうな小動物を思わせる真っ黒な瞳でベルカナを見つめている。興味津々といった様子の目の輝きは、常に沈着なウィアドには見られないものだ。

「あの、あ、どうしてスヴェル様がこんなところに……?」

 予期せぬ遭遇に戸惑いを隠せないベルカナは、どうにかそれだけを口にするのが精一杯。対する第二王子は無邪気な笑顔のまま、

「逃げてきたんだ」

 などとあっさり告白してみせた。開いた口が塞がらない少女に尚も畳みかける。

「兵学なんて、戦をしないこの国で必要になるとは思わないでしょ? だから、逃げてきた」

 では先程この少年を追いかけていた彼らは、脱走した王子を勉強へと連れ戻そうと探していたのだ。

 呆れかえるベルカナに対し、スヴェルは好奇心を押し殺そうともせずに身を乗り出す。

「それで君は? 見たところ城の人ではないようだけど」

 地味な見た目のことを言われているのだと気付き、少女はさっと頬に血を上らせた。というより以前に、まず名乗っておくべきだったと自分の失態に幾分か思考が冷める。

「し、失礼を致しました。わたくしは、この度ウィアド様の解呪の任へ就くよう陛下より御命令を賜りました、ベルカナと申します」

「ふぅん。歳はいくつ?」

「はい。先頃、十八の誕生日を迎えたばかりにございます」

「あ、なら僕よりもひとつ年上なんだね」

 となるとスヴェルは未だ成人していない。だが、感じるのはそこはかとない違和感。いくら数字の上では子供である――ウィアドとは七つ違いか――とはいえ、彼の振る舞いの端々にはあどけなさすら感じる。単に兄であるウィアドがしっかりし過ぎているだけなのか?

「ところで、カイジュ、って?」

「え? ……あ、ええと。ウィアド様の、その、二年前にかけられてしまった呪いを……」

「んー、君の言っていることがよくわからないのだけど……」

 ところが。

「だって兄上は“呪われてなんかいない”よ」

「は……え、と仰いますと――」

 如何にも真剣に言ったスヴェル。黒い瞳に純粋な(くら)い色を見て取り、ベルカナは言葉尻を飲み込まざるを得なかった。少年の中でその言葉は真実であるに違いなく、そこでようやくウィアドの言っていた意味を理解したから。


 『スヴェルとは月に一度だけ会えばいいんだ』


 月に一度、ウィアドが元の姿に戻ることができる日だけ。

 図らずも災厄の余波を目の前の少年にまで見ることとなり、彼女は紅潮させていた頬を一気に青ざめさせた。魔女のもたらした呪いの傷跡は、こんなにも大きく深い。

「兄上は僕の永遠の憧れでね。きっと父上に負けないくらいの名君になるよ!」

 朗らかに言い放たれた言葉にベルカナは憤りを覚えた。

 ……否。彼女が憤懣(ふんまん)を抱いているのは、スヴェルに対してではなかった。

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