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第13話


 その日の晩は少し蒸した。

 しかし窓辺に佇む彼が窓を開けることは許されない。バルコニーへ出る窓を(とざ)す、滑稽なほど頑丈な鍵を長い指でなぞり、“青年”は、部屋の入り口で茫然としている少女を振り向く。

「改めて。……マーニア国第一王子、ウィアド・アルスヴィズだ」

 初めて耳にする低い声。彼の、本来の声。軽く首を傾げれば、少年の時と変わらぬ銀色に煌めく髪が揺れた。

 紺青の衣の上から紫の上衣を羽織り、すらりとした長身を硝子に凭せ掛け、ウィアドは物憂げな眼差しでベルカナを見る。自然なものとして高貴の空気を纏いながら、脆く儚い危うさをも感じさせてしまうような、どことなく浮世離れした美青年だった。

「これが……ウィアド様の……」

 先に名乗られたにもかかわらず意趣返しすら思い浮かばず、ベルカナはただただ呆気にとられるばかり。ようやく発した言葉は掠れていて、彼女は初めて経験するような動悸を抑えようと必死になる。

 そんな少女の動揺を朱い頬に読み取っても、王子の態度は変わらない。それでも解呪の任に就いた相手にこの現象を見せる時は毎回、向こうの反応が少しだけ楽しみではあった。そのくらい楽しまなければ、現実に押し潰されてしまいそうで。

「今宵は満月。ティナから何も聞いていなかったのか?」

「いえ……」

 少女は一歩分後ろに退いている侍女を見遣る。だがセレスティナはさりげなく目線を逸らし、ベルカナの無言の抗議は見事に受け流された。きっと彼女はわざと教えなかったに違いない。でなければ、夕飯前に王子に会いにいこうなどと奇妙な提案をするものか。ベルカナは、これからは自分で日数をきちんと数えておこうと密かに決意する。

「ウィアド様、ベルカナ様がラグ様にお会いしたそうですよ」

「ラグに?」

 そのまま、珍しくセレスティナが発言する。目を瞠り驚嘆を呟くウィアド。

「神殿へ行ったのか」

「はい。……あ、何か、不思議な言葉をいただきました」

 ベルカナは問いかけに慌てて応じてから、己の軽率さを呪う。案の定ウィアドは怪訝そうに柳眉を寄せた。

「不思議、とは?」

「……」

 神託の真似事だと決めつけてしまえば、わずかな可能性に賭けることもできたのだが。平静を保とうと必死になった挙句に口を滑らせてしまっては世話がない。

 答えあぐねているベルカナをウィアドはしばし見つめていたが、やがて再び窓の外へと目を移した。夜になって急に雲が出てきたようだ。

「……月の光が問題ではないらしい。この体は、如何に暗い夜であろうとも、満ち欠けを知っている」

 官能的であるより以前にひどく落ち着いた声色は、洗練された言葉遣いと相まって、少女の鼓膜を心地好く震わせる。ベルカナは故郷でウィアドより年上の人間とも接してきたが、その誰よりも大人びた印象を受けるのは、果たして生まれや育ちの違いゆえというだけだろうか。

 彼は少しの間硝子越しに宵闇を眺めていたが、ベルカナ達へ顔を向けることもないまま、少しだけ声を大きくする。

「彼女も辛い幼少時代を過ごしたからな」

 彼女、というのがラグを指すのだと、一拍遅れて気付く。――“も”?

「あれで私と同い年なのだと言ったら驚くか?」

「え?!」

 ベルカナは思わず素っ頓狂な声をあげてしまってから、急いで両手で口元を覆う。

「し、失礼いたしました……!」

 礼を欠いた反応だったとわかっているとはいえ、ウィアドの言葉は冗談としか思えなかった。彼と同い年だとすれば、ベルカナの腰ほどまでしか背のなかった彼女は二十四歳ということになる。見た目や話し方、どこをとってみても年上であるとは信じ難い。

 そこで彼女はひとつの可能性に思い至った。……が。

「ラグは呪われてなどいないよ」

 ベルカナの考えを読んだかのようにウィアドが言う。

「彼女は生まれつき、他人の心にひどく敏感だった。人並み外れて鋭い勘……読心術というほどのものではないらしいが」

「読心術……」

「そのせいかどうか、もともと体が弱くてね。何年も前から背は伸びていないよ」

 “異常”だという言葉は使いたくはなかった。代わりに、「小さかったろう?」と、ウィアドはまるで自分のことのように苦笑する。

 一方のベルカナは、先程とはまた違った種類の動悸に苛まれていた。何を巫女に言われたかウィアドに話さなくてよかった、と心底思う。と同時に、ラグ本人からウィアドに何か伝わってしまうのではないかと気が気ではない。

「あ、あの。ラグ様とは頻繁にお会いするのですか?」

「いや……私は神殿にも行かない。今でも父上や母上は参拝なさっているそうだが、彼女はそもそも人と滅多に話したがらないしな」

 ならばとりあえずは安心できるだろうか。完全に不安は拭いきれないものの、唐突にベルカナの“心の内”が広まることはないはずだ。

「……しかし、スヴェルまで神殿への参拝をやめたのはまずいな。民への示しがつかないだろうに」

 珍しく愚痴のようにひとりごちたウィアド。

 スヴェル。マーニア国の人間ならば知らない者はいないだろうその名前を耳にし、ベルカナは昼間の出来事を思い出す。小さく声を上げた彼女を二組の瞳が見た。

「どうかしたのか」

「ウィアド様、今日のお昼頃ですが、スヴェル様とお会いしていましたか?」

「今日の昼? ……ああ」

 神殿へ行く途中、城内の廊下でベルカナが目撃した光景。くすんだ銀髪の少年は目の前の人物を「兄」と呼んでいた……。つまりスヴェルとはマーニア国第二王子の名、ウィアドの弟のことなのだ。案の定、立派な青年の姿をした第一王子は首肯してみせる。

「なんだ、見ていたのか」

「あ、いえ、そのようなつもりは……」

 あたふたと両手を振るベルカナは完全に年相応の少女。それを見て、王子の代わりにセレスティナが笑う。

 控え目ではあるが楽しげな声にベルカナは我に返る。誤魔化すように小さく咳を一つ。

「で、でも廊下でお話されていたので」

「私は彼の部屋に向かうところだったのだが、本人が先に迎えに来てしまってな。実にひと月ぶりだ、彼の気持ちもわからなくはないが」

「ひと月? 陛下や王妃様とはもう少し頻繁にお会いになっていますよね?」

 純粋な疑問を口にしてしまったのはどうやらまずかったらしい。一瞬、空気が固まる。

 先に動いたのはセレスティナ。これ以上の話題の発展を遮るかのように、「お食事のご用意を致しますね」と丁寧に一礼して退出する。

「スヴェルとは月に一度、満月の日だけ会えばいいんだ」

 だから、淡々と応じたウィアドの言葉に、ベルカナは首を捻りつつも引き下がる他なかったのである。

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