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第11話


 ウィアドは先刻の自身の言動を思い出し、湯上りで火照った頬を更に熱くした。

 ――上手く、笑えていたろうか。


 これまでも、セレスティナに悪いと思う気持ちがないわけではなかった。

 社会の中での死は、彼の希望と状況の要望が合致した結果。当初は侍女を付けること自体を厭うていた。

 だがいくら彼が多才であったとはいえ、一王族が炊事や掃除や洗濯諸々の作業に慣れているはずもなく、何より王宮内の人々が、仮にも王子にそのようなことを許すはずもない。結局セレスティナただひとりに身の回りの世話をさせることを、彼も渋々ながら了承したのだった。

 王族でないのだと散々自称しておきながら、完全に下野した庶民の暮らしをすることもできない。継承権を譲渡しても、“第一王子”という鎖からは逃れられない。自己嫌悪から来る苛立ちを彼は、無愛想な態度として侍女へとぶつけてしまうのだった。

 手作りの菓子に手を付けなかったのも、どう接していいのか、以前は自然にできていたはずの交流の仕方をいつの間にか見失ってしまっていたから。


 だが、つい先刻。彼は少しだけ感情を表に出してみた。というよりも、いつも身を固くしている侍女の滅多に見られない焦燥に、笑わずには居れなかったのだ。

 それだけなのに、とウィアドは思う。それだけなのに、彼女はとても嬉しそうにしていた――。


 王子として生きることを望まれ、自身もそんな己を許すことができていた時代から、セレスティナが努力家だったことを彼は知っている。少し年上の、姉のような黒髪の侍女。食事の内容であれ、部屋の清掃方法であれ、彼女は一度言われたことについては二度と注意を受けなかった。

 だからこそ第一王子は彼女を信用している。たとえ口には出さずとも。


 体を伝う水滴を拭き取り、寝間着の白いローブに袖を通す。いつもの倍はあるのではないかと思われるほどの袖の長さと丈。余した布地を鬱陶しそうに振り払いつつ、足を引掛けそうになる裾を持ち上げ歩く。――引き摺るほどに大きなものを着て寝ないといけないのだ、今宵は。

 以前は着替えを手伝う侍女も数名いたものだが、自力で服を着るという行為にももうすっかり慣れた。最初から、別段不可能なことではなかったのだが。

 寝台の脇にある小さな机の上には、これまた丁寧に畳まれた衣服が一式置いてあった。普段同様の紺青を基調とした上下に、高貴の色として尊ばれる紫苑の上衣。それらはどれをとっても、少年が身に着けるにしては大きすぎるものばかり。

 この衣装を着るのは実にひと月――三十日振りだった。


 どのようにして自身の体が変容するのかウィアドは知らない。この二年、その刻を迎える際は無理にでも眠るように努めてきた。親しい者、それこそ肉親であれ、彼を気遣い“それ”が起きる夜は寝室に立ち入ることなど一切なかった。

 自分の体が作り替えられていく恐怖。未だ呪われていることを実感させられる一日。普段どれだけ気丈に振舞おうが、どれだけ諦めた振りをしていようが、届かない希望を目の前にちらつかせられ、本来ならば流れていたはずの時間を突きつけられる満月の日。


 月の満ち欠けの周期は厳密だった。満月から次の満月まではきっかり三十日、天文学者らによる長年の観測が導いた結果だ。

 ところで、ウィアドの部屋には暦を数えるための道具はない。否が応でも月の周期を日々意識せざるを得ないため、わざわざどこかに書き留めておく必要もないからだ。セレスティナから伝えられる王宮行事は自身が参加しないものも含め、また家族と顔を合わせる日の日程も、頭の中に入れて事足りる。

 明日は弟と話をする予定がある。それから両親にもきちんと顔を見せて。……父や母とはおおよそ十日前後の間を空けつつ会っているが、弟――マーニア国第二王子、スヴェル・アルスヴィズと直に言葉を交わすのは月に一度だけだ。


 体が大きくなると肉体的な面でも戸惑うことが多い。

 呪いを受けるよりずっと以前から使っている部屋だから、家具の大きさが体に合わないということはないのだが、普段のもどかしさがないせいで逆に過ごしにくくなる。たとえば、今も背伸びしなければ干せなかったタオルは、明日なら片手で容易に掛けることができるだろう。見上げていた娘はその頭頂部さえ見ることができるだろう。


 ウィアドは濡れそぼったままの銀色の髪をろくに手入れもしないで、まとわりつく大きすぎる服ごと毛布に体を滑り込ませた。さすがに髪の毛に癖がついてしまうかもしれないが、どうせ明朝にはまた湯を浴びるのだし、と思い直す。それに、セレスティナが彼の身だしなみを整えるのにいつも以上の時間を費やすだろうことは、 毎月の経験からも明らかだった。


 彼は早く眠りたかった。そうやって焦るくらいには緊張している。


 作り替えられる自分の肉体、不可思議と超常の狭間に落ちる瞬間。目を開けた時、そこが眠る前と同じ世界である保証などどこにもない。

 ――このまま目覚めないのならば、それはそれで、構わない。

 心中で呟き、目をきつく閉じる。


 月女神の力が増せば、追う獣の力もそれだけ強くなる。全ては均衡と調和の中にあり、いずれかに傾いた時が世界の変容の時。それが終末であるかどうか、願わくはこの目で見る日が来ないことを。


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