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第9話


「失礼いたします。夕食をお持ちしました」

 扉を二度叩く音に続けて、すっかり聞きなれた侍女の声。黄昏た窓の外を見て、もうそんな時間かと、ベルカナは急いでテーブル上の書物を片付けにかかる。

「どうぞ」

 銀盆を持って扉を開けた黒髪の侍女はいつも、隙なく制服を着こなしている。今もまた器用に丁寧なお辞儀をしてみせた。

「遅れてしまって申し訳ありません。王子のところへ寄っていましたもので」

「いえ、全然構いません」

 笑う。ベルカナ自身も時間が経つのも忘れて読書に没頭していたから、本当にまったく気にしてはいなかった。それよりもむしろ引っかかったのは。

「ウィアド様のところに?」

「ええ、お食事を運んで差し上げていましたの。……ああ、それと」

 一通の封書を差し出すセレスティナ。送り主の名前は毎回同じ。こちらも何度運んだかわからない便りを、いつも通りにベルカナへと手渡す。

「またお手紙が届いてましたわ」

「ありがとうございます」

 笑みに少しだけ苦いものを混ぜつつ、ベルカナは受け取った封書をとりあえずテーブルの端に置く。

 その横の空いた場所、着席したベルカナの目の前にセレスティナが皿を並べていく。王族基準では“質素”であるらしい料理は、庶民の食卓に慣れた少女にとっては十分に豪華なもの。切れ端ではない肉や魚が毎日食べられるだけで贅沢だと彼女は思う。

「お父君もベルカナ様も、筆まめな方なのですね。やはり女の子を遠くへお出しになって、さぞ心配されているのでしょう」

「え、ええ、まぁ」

 食事に不要とわかってはいても、ベルカナは無意識のうちに手紙を少し自分の方へと引き寄せた。――誰かに読まれてはならないと、これまでの手紙も全て厳重に保管してある。

「セレスティナさんは、ウィアド様のお世話もしていらっしゃるのですか?」

 些か強引に話題を変える。生真面目な侍女は、さして気にする風もなく答えを返す。

「はい。と、申しますか……元々わたくしはウィアド王子の専属なのです」

 そういえば、王子の近辺にセレスティナ以外の侍女の姿を見たことがないと気付く。

「え……それではわたしのことまで、何だか、すみません」

「いえいえ、謝らないでくださいな。ベルカナ様がいらっしゃって、わたくし本当に楽しいんですのよ」

 お世辞などではなかった。無口な王子との事務的な日々の中に、代理とはいえ少女が入り込んでくれたことは、生来が話好きなセレスティナにとって文字通りの光明であったのだ。

 ベルカナも照れたようにはにかむ。

「そう言っていただけると嬉しいです」

 けれど、と小首を傾げて。

「何もセレスティナさんおひとりに全てを任せなくても……。これだけ大きなお城なんですから、他にも侍女さんは大勢いらっしゃるでしょうに」

「それは仕方のないことですわ。ウィアド様は必要以上に人と関わることがお好きではないので」

「必要、だと思うのですけど……」

 わずかにむくれたような素振りを見せたベルカナにセレスティナは笑い。次いで、微笑に少しばかり悲しげな影を帯びさせた。

「あの方は以前、王家から名を消してしまわれるおつもりでした。それどころか……死を、望んでいらっしゃいました」

「え――」

「きっと、今でも」

 絶句したベルカナだったが、一方でどこかしら納得する。初対面の時からずっと感じていた虚無の空気。あの王子が纏っているふわふわとした危うさは、そういう理由から来るものだったのかと。

「全て、あの呪いのせいですわ」

 軽く唇を噛んだセレスティナは、事件当日も宴に同席していたのだ。もちろん下手人と会話をしたことさえある。――魔女は、王子の身近にいた。

 護ることは彼女の役割ではなかったとはいえ、祝賀の場が一瞬にして悲劇の舞台に転じたあの時、自身も呪いを受けながら友の名を叫んでいた王子の姿を忘れることなどできはしない。立ち竦むしかなかった己のことも。

「解呪が容易でないと分かり、ご自身に費やされる時間こそが無駄であると……ウィアド様は過去に数回、ご自分でその命を絶たれようとなさいました」

 王子の部屋の真下。開け放たれた窓から下をのぞき込み、小さな肢体が無惨に放り出されているのを発見したのはセレスティナだった。それ以来、その窓には厳重に鍵がかけられている。

「今でこそ、陛下や王妃様のご尽力もありまして、あのように穏やかに過ごしておられたり、弟のスヴェル様に政に関して助言なさったりしていますけれど。本当はいつ――」

 そこまで語り、はっとしたように口を手で覆う。

「不謹慎なことを申し上げてしまいましたわ! すみません、余計なお話を」

「いいえ……」

 一旦は虚脱感に襲われかけたベルカナだったが、堪え、侍女を見上げる。

 王子のことをもっと知る必要があった。事の重大さを理解した今は、特に。

「あの、できることならその事件があった日のこと、詳しく知りたいのですが……。ウィアド様ご自身のことももっと知らなければ。何か、手がかりがあるかも」

 頑なな意思を秘めた翡翠の瞳を、セレスティナは驚嘆の思いで見ていた。本当に強い少女だと。

 だからだろうか、王子に知られれば顔をしかめられるような話も渡してしまうことにしたのは。

「当時の状況については、護衛の任についていらした剣士の方にお聞きするのが良いかもしれません。それと……ウィアド様は、ラグ様というお名前の、神殿の巫女の方と親しかったように思いますわ。今のウィアド様は神殿に通われることも、なくなってしまいましたけれど」

 考えてみれば、王子との神話談義以外の時間をより有意義に使うべきだったのだ。ベルカナは今後の予定を思案する。だが。

「ささ、お料理が冷めてしまいますわ」

 促され、顔を上げる。セレスティナはもう先程の話が夢であったかのように朗らかな笑顔を見せていた。吐き出してしまったことは彼女にとっても、良く作用したのかもしれない。

 どこか温かい気持ちを抱きながらナプキンを用意するベルカナ。ふと声を上げて、不思議そうに首を傾げている侍女を見上げる。

「あの……ひとつ、提案があるのですけど」


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