ヘキサムーン
年頃の女の子という生き物は、総じてイベントに弱い。
色恋に関係するなら尚更である。
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「……関根、あんた今なんて言った?」
岩沢は眉をひそめて関根の言葉を聞き返す。
練習が終るとすぐ滝沢が用事があるといなくなったため、女子メンバーは食堂で新発売のお菓子が美味しいだとか、他愛も無い会話に花を咲かせていた。
「ちょっとぉ~、上の空ですかぁ? ですから、バレンタインどうするんですかって聞いたんですよ」
正確には聞き逃した、のではなく意味が分からなくて聞き返したのだが関根にとっては同じ事だった。
「いや、どうする……って、何の事?」
これには関根とひさ子も流石にうわぁ、と声が出る。入江も引きつった笑みを浮かべていた。
「先輩女の子ですよね……?」
「失礼だな、ひさ子みたいじゃないがちゃんとあるぞ」
「んな事聞いてねえ。
あー、だからさ、誰かにチョコやったりすんの? って」
普段シャキッとして真面目なひさ子だがやはりこの手の話題には少なからず反応している。
「…………?」
(マジかよ)
(マジすか)
(なんだコイツ可愛いなコノヤロウ)
岩沢はどこか眠たそうな顔のまま首を傾げた。それにひさ子と入江は軽く引き、関根は心の中でどこか失礼な賛辞をおくる。
「……岩沢、バレンタインって知ってるか?」
ふるふる、と首を横に振る岩沢を見てひさ子は、というか本人を除いて全員頭を抱える。
「バレンタインってのはだな……まぁ、なんだ。好きな奴だとか日頃世話になってる奴にチョコレートをやるんだよ。それも手作りとかが多いな」
「……どうして?」
「お菓子会社の営業戦略」
岩沢はふむん、と顎に手をやって何やら考え出した。小考した後、
「……チョコレートの作り方知ってるか?」
良い機会かもしれない、彼女はそう判断した。
こうしてガルデモメンバーはチョコレート作りに奮闘することになる。
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4人は材料として板チョコを買ってくるとひさ子の部屋に集まった。理由は比較的片付いているから。
「それで、どういうチョコを作ります?」「?……チョコはチョコだろ?」
「トートロジーじゃないんですよ。いやですからこう、チョコの形だとかですね」
「……よく分からない、どうすればいいんだ?」
岩沢は先生3人に質問をぶつける。
「……まぁ基本は溶かして固めるだけです。
トリュフチョコとかチョコケーキなんかもありますが岩沢さん初めてでしょうし今回はシンプルにいきましょう」
なんだ、それだけなのか。
「……簡単じゃないか」
初めてやる事は何でも難しいと思っていたけど、それだけなら簡単だ。
あたしはよし、と気合いを入れチョコレートを手に取る。
そしてコンロの火をつけるとチョコレートを火に近づけて溶かし始め
「おいィ何やってんだァ!」
た所でひさ子に怒られた。
…………?
関根、入江、お前らなんでそんな目であたしを見るんだ。
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後に関根は
「あの人音楽以外無知にも程がありますって。
チョコ直火で溶かそうとしたり、お湯を使ってって言ったらお湯に直接チョコを投入するし、バニラエッセンスを味見とかいって舐めて、こんなマズいのいれるのか? とかぼやいてたり、あと他にも~~~~~」
等と語った。
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2月14日、バレンタインデー当日。
「日向先輩……私の気持ちです、受け取ってください……」
「……気色悪りィ」
「ありがとう、『あら、似合うわね』って言われた時はどうしようかと思ってたんだ」
「実際似合ってるじゃない。滝沢君だってわかれば気色悪いけど。女子ファンがつくかもしれないわよ?」
「音楽以外目当てでファンになる奴に興味はねぇよ」
「……服のせいで全然決まってないわね」
校長室では何故か女子制服を着た滝沢が日向に板チョコを手渡そうとしている、大変見苦しい光景が広がっている。
日向はなんだか頬を熱いモノが流れ落ちるのを感じた。ゆりには「ハァ? チョコ?」みたいな反応をされ、ダメ元で椎名に聞いたら「……ちょこれぃと?」とか、そもそも論外だったり。一般女子とはあんまり交流がない。
そして唯一貰えたチョコが男からもらった板チョコ一枚、というのはもはや哀れと言える。
「はぁ……女子からチョコ欲しいぜ」
「……」
「誰か可愛い子からさぁ」
「……」
「チョコ貰いたいんだよなぁ」
「……」
「チョコ」
「……」
「聞けよ」
「ん、起きてたのか」
「……」
顔を上げて呟いた日向だったが再び視線を落とした。もう上がる気配すらない。
「まぁ元気出せ……じゃなくて、ゴホン。
日向くぅん、元気出してねぇん」
「死ね」
「地獄に落ちなさい」
「ひでぇ」
とりあえず、すぐ着替えた。
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……でも日向を弄りまわしてた俺もコイツと同じで俺も戦果ゼロなわけで。
うん、来年こそは楽しいバレンタインをおくれるようにしよう。誰かさんの様に普段から不特定多数の女子と交流持とうとしないように、真摯なイメージを定着させ……
そんな事をぼんやり考えていると、不意に扉をノックする音が聞こえた。
誰だろうか、と滝沢が顔を向けると、そこにはよく知った4人が見えた。先頭の彼女がドアを開けると同時に、一歩踏み出して部屋に入る。
「ハッピーバレンタイン」
滝沢の前まで来てそう言うと、口角を上げ手にした包みを差し出した。
「……マジか」
可愛らしいラッピングをされた包みを手に、衝撃に呆然とする滝沢。同時に貰えた喜びと同じくらい「岩沢がバレンタインを知っていたとは……」等と若干失礼な、かつ的を得た事を考えていた。
「普段から世話なってるしね、ひさ子達も用意して……ってひさ子?」
岩沢が振り返る、と、さっきまでガルデモメンバーと一緒だったはずなのに今は誰の姿も見当たらない。
「……あれ」
「岩沢さん、ひさ子さん達なら……」
岩沢が首を傾げると、ジト目でその様子を見ていたゆりが口を開いた。
「岩沢さんが扉開けた瞬間吹っ飛んで行ったわよ」
ハンマートラップで、と穴の開いた壁を指差して言う。すぐ部屋に入った岩沢が無事なあたりなんともザルな警備システムである。
「……まぁいいか」
「いいのかよ……」
岩沢の頭は、ひさ子達の行方<バレンタイン、という結論を出したらしい。
「それより、さ」
「味とか……感想、聞きたいんだけど……初めてだったから不安なんだ」
「い、今食うのか?」
恥ずかしい、恥ずかし過ぎる。滝沢は心臓をバクバク鳴らしながら包みを開けた。
「は、ハート型……」
「それは……、関根がそうするものだって言うから……変なのか?」
「いやいやいや」
関根グッジョブ!滝沢は右手をギュッと握りしめた。
中から出てきたのはハート型に固められたチョコ、シンプルだがその形に頬が緩まずにはいられない。
岩沢がハート型。
岩沢が、ハート型。
「……早く」
「お、おう……」
滝沢は今日食べることはないと思っていたそれを、口に入れた。
「…………」
「あー、どう、かな?」
「…………」
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「……なにこれ美味い」
「よ、良かった……」
普通に美味いんだけど。
(音楽以外不器用な岩沢が不器用なりに頑張ってつくったチョコと言う名のダークマター、みたいなオチかと思ってたぜ……すまん岩沢)
とんでもなく失礼な事を考えていた滝沢がそう言うと、岩沢の顔が明るくなる。
その笑顔を見て、滝沢は思わず岩沢に抱き締める。
2人は互いの心臓の鼓動が高鳴っているのを確かに感じた。
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滝沢の腕の力が少し緩む。
あたしが顔を上げると視線が合って照れくさく感じる。
「ね、ねぇ、岩沢さん……続きは私が出て行ってからに……」
そして、どちらからともなく目を閉じた。
滝沢の顔が近づいてくるのが分かる。
「あぁ、ダメだわコイツら」
頬に手を添えられる。
唇が触れ合った。
「ちょっと日向君何時まで沈んでんの、行くわよ」
味は……甘いような、ほろ苦いような、よく分からなかった。
「ったく、自分で歩きなさいよ……重ッ」
もっと、もっと強く。
そう思い踵を浮かせる。
ガチャ
何度も何度も唇を重ねる。
……ヒゲが少しチクチクする。ちゃんと毎日剃って欲しい。
バタン
でも、初めてとしては満足。
唇を重ねるだけでどうしてこんな気分になるんだろう。
だんだん体に力が入らなくなってきたところで背中に回された手に支えられる。
ブォン ドカッ
……不器用でどうしたらいいか分からないけど、それならこれから勉強して行こう。
時間は無限にある。
生きていた頃に出来なかったことを、全て、もう1人じゃ何も出来ないなんてことはないのだから。
2人なら何でも出来るような気になってくる。
高鳴る鼓動。
ああ。
あたしは、確かに今、いきてる。
鼓動はおさまる気配がない。
……今夜は、眠れるだろうか。
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「なぁ日向、手ぇ痛くないか?」
返答はない。
聞こえているかも分からない。日向は今隣の、日向の部屋にいるのだから。
「毎回ネタだとかオチをいれなくてもいいと思うんだ」
返答はない。
どうしても続ける気らしい。
「ルームメイト……大山が迷惑がってないか?」
返答はない。
先程から応答はあるが。
「綺麗に終わろうぜ、な?」
応答がある。
部屋の壁がまた揺れた。
1人ベッドに横になりながら、
……今夜は、眠れるだろうか。
騒音と、ニヤニヤした顔を隠すように毛布を頭まで被せた。