Other world
目蓋を開けると幾つもの星がきらめく夜空があった。
もう夜なのか、と寝起きの霞がかった頭でぼんやりと考えながら、未だ半分閉じた目をこする。
……はて、どうして自分はこんなところで眠っていたのか。体を起こしながら思い出そうとするが、まるで《もや》がかかったかのように何も思い出せない。
若年性アルツハイマーだとかそういうレベルではない。ここは何処?私は……滝沢光、おお、名前は覚えているようで。
記憶喪失、口に出せば現実味の無い大問題でも、滝沢はそんな事をいつまでも気にしているような男でもなかった。
----まず何処だここは。
そんな事を考えながら自分が寝ていたベンチから体を起こす。そして周りに目を向けるとやけに高さのある建物、窓の向こうは暗くて分からないが黒板のような物が見える。
----学校?
だが自分が通っていた学校ではない。ワケのわからぬまま、立ち上がって歩き出した。名前を知らない小さな木の植えられた並木道を、歩く。何故歩くのかといえば、いつまでも ここどこ わただれ --私、部分は分かるのだが--なんて言ってられないからだ。
そうして歩いていると何処からか音が聞こえてきた。優しい音色。
ああ、この音は知っている、ギター、そうアコースティックギターの音だ、そしてその音に乗せてとても澄んだ歌声が耳に入ってくる。
誘われる様にフラフラと歩を進めて、道の突き当たり、左右に折れた道を右に曲がった。
枝葉の向こうに、陽が沈んで闇に包まれた空に浮かぶ白い月、先ほどより数が増えた星々、そして……、
「--------」
ドクン、と。
俺は心臓が一度、大きく跳ねた音を聞いた。
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「----おぉ」
「……ん?」
前者、俺。
後者、目の前の、少女。
……口から出たのは声にうまくならなかった、間抜けな声だ。そんな声に反応して少女が歌うのを止めてこちらを向いた。
目が合う。
吸い込まれそうな瞳……
----うわなにこれ。
そして滝沢は絶句した。
まず美人である、紛うことなき美人である。
柔らかく微笑んだ目元と、風になびく、短く切りそろえられた髪。
「こんなに暗くなってきたのに散歩?」
「……まぁそんな所だ」
軽くボケていた彼の頭はようやく覚醒し始めた。脳の回転数が徐々に上がっていく。
「暇だな」
「おう……ところで同じく暇そうな君に聞きたい事があるんだが」
「ん?」と首を傾げる姿に、俺は言葉を続けた。
「此処は何処なんだ?」
「ああ」と何かを納得する姿に、俺は頭にクエッションマークを浮かべた。うーん、まだ回転数が足りないのだろうか、あいにく内蔵エンジンの出力はすでに限界に近いのだが。
「端的に言おう。
ようこそ、死後の世界へ」
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「----は?」
先ほどよりもはっきりしない音が口から漏れた。目の前の女子は嘘を言っているような顔でなければ、頭がイッているような様子でもない。死後の世界? なんだってそんなトコに? ああ、よくある幽霊だとか亡霊の王道パターンか、夢を見ているとき夢だと気づけないように、死んだ奴は自分が死んだ事に気づけないっていうアレ。ちなみにそいつはどうしてかっていうと普段、自分は今寝ていてこれは夢なんじゃ? だとか疑う事がないかららしい、常識的に、そんな事は有り得ないとわかっているから。……でもそうすると逆説的に今疑えている、ということは俺はやっぱり生きているんだろうか。頬を抓ると痛いし少なくとも夢じゃない、……死んだ後痛覚があるんだろうか、いや待て、そもそも夢と同じに考えてしまっている前提事態が間違いかもしれ----
「……死んだ時の事とか覚えてない? ……無理に思い出せとは言わないけどさ」
「いや……全く身に覚えがないんだな、これが」
……考えているうちにもっと訳がわからなくなってきた。現実逃避を止めて、俺は顔をあげる。
「……ここが死後の世界だって、どうして言えるんだ?」
「……生きてた頃の記憶があったから。
ああなっちゃもう、ね……」
一旦言葉を切って自嘲気味な笑いを浮かべる。
「……あたしはすぐ教えてくれた奴がいたから納得出来た。あんたが受け入れられるかどうかはともかく、ここはそういう場所なんだよ」
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----それからしばらく彼女の話を聞いていた。老いる事も死ぬこともない(らしい)、彼女に教えた奴はいつか報われる、と言ったそうだ、生きている間出来なかった事をこの世界でしっかりやれ、と。
……なかなか気の効いた神様がいたもんだな。どうせならハナからマトモな人生遅らせていただきたい。
神様だとか天使だなんてもんは大抵そうだ。生きてる間祈った所で助けてくれる事なんてない、助けてくれるのは悪魔だとかそういう類ばかり(あぁ、それも、無論代償を取られるなんてオチ付きで)。結局、ああいうのが助けてくれるのは死んだ後と相場が決まっている。
「しっかしよ……真面目に言ってるのは伝わってくるんだけど、もう死んでるってのが実感湧かないんだな、これが」
「んー……。死んでみる? すぐ生き返るから」
----選べ……死ぬか、生きるか。
こんな人畜無害そうな女の子から、この、ドラマで悪役が言うような選択肢を与えられるとは思っていなかった----しかも“ちょっとコンビニ行ってポテチ買ってきてー?あ、コンソメね、Wじゃない方のよろしくー”みたいな恐ろしく軽いノリで。
「ホントに死んだらどうする……?」
「だからホントに死んでるって」
そうだった。っていうかそれだと生き返るって表現もアレなわけだが。
……でも、もし違ったら死、なんて問題、人間そこまで簡単に信じられはしない。それに俺とこの女子の関係は所詮その程度でしかないんだ。……可愛い女子でもコレばっかりは駄目。
……しっかしこのままでも堂々めぐりな会話が続くだけだしなぁ……
どうしたものか……、と腕を組んで彼女から視線を外すと近くの建物--校舎、だな--の屋上に人影が見える、暗いのでそこまではっきりとは見えないが2、3人だろうか。こんな時間に何やってんだか、……俺も人に言えんが。
俺が目を凝らしているのを見た彼女も視線を屋上に向けた。
「ああ、あいつらか。
……死なないって証拠、見れるかもよ?」
「どういう……ッ!?」
事だ、と言おうとして屋上から、人が舞ったのを見た。
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舞った、と言うのは違うかもしれない。確かに見えた、誰かに蹴り落とされていた。何で? だとか思っても今はそんな事どうでもいい、蹴った奴はスカートを穿いていて俺の目はしっかりそこから覗く白を見た、暗いのにはっきり見えた。……何で? だとか思ったらやっぱり男の性でしょうか。ってそんな事こそどうでもいい。あそこまで距離はそう遠くない、助けなきゃ。どうやって? そんな事もどうでもいい体はもう走り出している、無駄な思考働かせてる頭と違って足は何をすべきか理解してるらしい。ああ、男は上半身と下半身で考える事が違うってこういう事だったんか、今までずっとエロい意味かと思ってたわー、つうか蹴り飛ばした女の子可愛いんかなぁ、顔見えなかったのが残念だな白は見えたのに、個人的にはさっきまで話してた女の子もめちゃくちゃ可愛いかったなぁ。ってそんな場合じゃねぇ!!
「----ッ……ハァ!」
落ちてくる人--男だ--の動きがやけにゆっくり感じる。
間に合うか……!?ゆっくりに見えるっつっても時間の流れが遅くなってんのは主観的なモンに過ぎない。あの高さ--確か4、5階くらいか!? --、頭から落ちたらほぼ確実に人間は死ぬように出来てる。
助かるかなんて関係ない……ただ我武者羅に、俺は地面を蹴った。
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「こんな感じだったかなー……こっち来た初日は」
「ええー、あなたそんな無駄な事してたの?」
「無駄とはなんだ無駄とは! そもそもゆりっぺ、お前が蹴り落としたのが原因だろうが!」
ゆりが眉をひそめて日向が猛烈に抗議する。まー今考えたら無駄だったかもなぁ……、結局どっちも死んだし。落ちてきた男、日向は言うに及ばず。俺も滑り込んだは良いものの受け止めんのに失敗して頭で受け止めたのがマズかった。屋上から60kgのコンクリ片投げられて頭に直撃食らったようなもんだし死んで当たり前だよなぁ……
「ていうか滝沢君……あなた、見たの?」
「……ノーコメントだ」
というかコメント済みだ。
「なぁ、あたしこんばんはくらい言ったんだけど」
「それはノーコメントだったな」
岩沢は多少ズレたツッコミをしてくる、そんなに重要だろうか。
「重要だ。挨拶の出来ない人扱いするな」
「これは失礼」
「それに滝沢、死んだって言ったときあんたもっと慌ててなかった?」
「お前ねつ造はすんなよ……」
「ドン引きね、しかもそのわりにそんなカッコ良くないし」
「あ゛ーあ゛ー聞こえねー」
ああん……ゆりっぺの容赦ないツッコミに正直もう泣きそうだ。そんな事を思いながら体育座りで床に「の」の字を書いていると、岩沢が肩に手を載せて心配そうに聞いてくる。
「ゆりはちょっと言い過ぎ。
……大丈夫か?」
「岩沢……ああ、俺を心配してくれんのはお前だけだよ」
岩沢の優しさに泣きそうだ。落とされてから優しくされると人は何時もより感動しちゃうんだなぁ……。
「いや、だってこれからドラムとか運んでもらわないといけないし……しょぼくれてられても困る」
逆もまた然り、という事なんだなぁ……はぁ、落とされて上げられてまた落とされるとは……。
……岩沢の厳しさに泣きそうだ。
俺は重い腰を上げながらそう思った。