第七話「いざ、我が家へ」
服を着替えて部屋を出た後、僕と葵さんはアモス本部を出て、近くの駐車場へと向かった。
そこで葵さんの白色の軽自動車に載せてもらった。
彼女曰く、「白い車は可愛いので好きだ」との事らしい。
そんな何の変哲もない普通の会話をしながら、車は僕の家まで出発した。
車が出発してから数分後、会話もなくなり、二人共無言になっていた。
別にこういう静かな空間が嫌いなわけでも、苦手なわけでもない。
ただ折角ある時間を、無駄に過ごすというのは勿体無い気がする。
特に今の僕の場合は……。
だからこそ、このまま黙って家に着くのを待つぐらいなら、今の間に聞きたい事を聞いてしまおうと思った。
「あの――」
「ねえ、才人?」
「はいっ!?」
「な、何!? 急に大声だして……」
「あ、いや、何でも……ありません」
まさかこのタイミングで、葵さんの方から話しかけてくるとは思わなかったから、驚いただけだ。
「それで、今何言おうとしたんですか?」
「ああそうそう、そういえば家族には記憶喪失の事、説明するのかなあ? って思っただけよ」
「それは……一応隠し通せるなら、隠し通していたいです。あんまり心配は掛けたくないですから」
「それはそれでいいけど、上手く隠し通せる自信、あるの? 漢族なんだし、いえ、家族だからこそ話して、頼ってもいいと思うわ」
「確かに、言う通りかもしれません……」
「だったら――」
「でもそういう訳にも、いかないんです」
「……どういう事?」
葵さんの言いたい事は分かるし、それも正論だと思う。
でもそれはあくまで、普通の家庭ならば、という話だ。
僕の今の家族は、妹一人だけ。
逆に、妹の家族も僕一人だけだ。
そのたった一人しかいない家族が自分の事を忘れたと知ったら、どう思うだろうか?
それは妹が本当の意味で『一人』になると言っても、過言じゃないだろう。
だからこそ僕は妹を『一人』にしない為にも、記憶喪失の事は話してはいけないと思う。
たとえ自分が、記憶のない偽りの『兄』だったとしても。
僕の考えを葵さんに話すと、少し何か言いたげな態度こそ取ったものの、最終的には納得してくれた。
「だけどどうするの? 一緒に暮らすってなれば、隠し通すのは至難の業よ?」
「そう、ですよね……誰か一人ぐらい、協力してくれる人がいればいいんですけど……」
そこが問題だ。
協力してくれる人は、以前の僕とも、妹ともある程度親密な仲の人の方が良いだろう。
でもそんな人が都合よくいるわけがないのは百も承知だ。
「それはどうにかするしかないわね。また今度考えましょう」
そしてまた無言。
今度は何か聞いておこうという気にはなれなかった。
このまま家に着くのを待っていようと、そう思った。
それからまたしばらく時間が経ち、車が止まる。
「着いたわ。ここがあなたの家よ」
窓から覗くと、綺麗な一軒家があった。
妹と二人で住むには大きすぎる気がするし、大体そんな金があるとも思えない。
という事は元々は両親も住んでいたか、それでなければどこかの家庭に居候しているというのが妥当だろう。
「これが、僕の家……」
思わず声が出た。
何故かは分からない。
ただ記憶喪失で右も左も分からない状態で、混乱していた自分に、帰る場所があったという事実に少し泣きたくなったのは確かだ。
情けない話だけど、心のどこかでまだ怯えていたんだろう。
「じゃあ私はまだ用事もあるし、アモスに戻るわ。家にはここに来る前に電話しといたから、あなたが帰ってくる事は知ってるはずよ。かなり嬉しそうにしてたわ。記憶が戻った時に為に言っとくけど、これからはちゃんと家に帰りなさい!」
「何から何まですいません。多分ですけど、これからは記憶取り戻した後も家に帰ると思います。いえ、そうするようにします」
「それならよし! 後、そういう時は『ありがとう』って言うものよ」
ウインクをしながら言う葵さんが、何故だか妙に可笑しくて、自然と笑顔が出てくる。
「はい、ありがとうございます」
車を出て、礼を言う。
葵さんはそれで納得したようで、車を走らせて行ってしまった。
車が見えなくなり、改めて自分の家を見る。
この家に妹がいる。
僕のたった一人の家族。
妹との思い出は全部忘れてしまったから、正直どう接すればいいのか分からない。
それでも出来る限り努力はする、悲しませないと決めたのだから。
「さて、じゃあ入るか」
別に誰かに聞かれたかったわけではない、けれど声に出す。
自分の考えていた事が少しくさいと感じて、これ以上考えないようにしようと思ったからだ。
妹を大切にしようとは思うけど、それを人前で堂々と言える程の勇気はない。
照れ隠しで行った言葉だとしても、嘘ではない。
僕が玄関のドアノブに手を掛ける。
まだ、緊張しているな……。
そんな事を思いながら、僕はドアを開けた。
そして言おう、家族に、たった一人の妹に。
「ただい――ゲフッ!?」
「やっと帰ってきたー!」
激しいタックルを食らった。
しかもみぞおちに、狙い澄ましたかの様に思いきり。
かなり痛い、足の小指をタンスの角にぶつけたぐらいに痛い。
感動の再開になるはずが、タックルを食らうという展開になるなんて、誰も予想していなかっただろう。
こんな脚本を書く奴がいるとすれば、そいつは相当そのキャラの事が嫌いなんだろう。
「おかえり、お兄ちゃん! もう、全然家に帰って来ないから、心配したんだからね!? あんまり心配掛けさせないで、ちゃんと帰って来なさい!!」
僕の事を『お兄ちゃん』と呼ぶ人物はかなりご立腹みたいだ。
しかしいくら怒っていても、帰って来ていきなりタックルはかまさないでほしい。
例え罰にしても、重すぎる。
「あぁ、ごめん、ごめん」
タックルがみぞおちに入った所為で、かなり痛い。
しかも軽い呼吸困難に陥ってしまって、声が出しづらい。
けれどとりあえず相槌は打っておく。
そうでなきゃこのまま追撃が来てもおかしくない。
僕にタックルをかましてくれた人物は、僕と同じ銀髪だ。
髪にはウェーブがかかっており、背中まで伸びている、
歳は十四、だけどその割には低い身長。
目はクルッとしていて、色は瑠璃色。
見る限り彼女はかなり可愛い部類に入るだろう。
それこそアイドルとかやっていてもおかしくないぐらいだ。
病院で葵さんから妹の事を聞いておいた。
彼女は葵さんが言っていた情報と一つも違わず、全く一緒の外見をしている。
という事は彼女が僕の妹で、名前は、
「ただいま――瑠璃」
「おかえり、お兄ちゃん!」
そう、このとても可愛らしい笑顔を見せてくれる彼女の名前は、白銀 瑠璃。
正真正銘僕の妹だ。
元々可愛い外見に、さらに可愛らしい笑顔。
僕の妹にするには勿体無い位の可愛さだ。
……今のは本当に可愛かったから、純粋にそう思っただけで、僕は決してシスコンじゃないぞ? 本当だからな!?
「ん~?」
瑠璃が訝しげに僕を見る。
僕は現在、体が痛いのと、瑠璃と身長差がある理由で俯いている状態だ。
となると瑠璃が僕の顔を見るには下から覗きこんで上目づかいで見る事になる。
その姿がなんとも可愛くて、抱きしめたくなってしまう。
……僕はシスコンじゃない、はず……いや、待て?
もしかしたら僕はシスコンじゃなくてロリコンなのかもしれない。
そうか、僕はロリコンなのか!
……余計駄目じゃないか!!
「お、お兄ちゃん……?」
「え、な、何?」
あまりにも馬鹿げた事を考えていたのが、態度にも出ていたんだろうか。
瑠璃は若干引き気味の様子で僕に呼びかけてきた。
いけない、いけない、あんまり変な態度ばかり取っていたら、流石に怪しまれてしまう。
「え~と、どうかした?」
「お兄ちゃん、雰囲気とか何か前と変わったね、ちょっと別人みたい。向こうで何かあったの?」
「えっ!? キ、キノセイダヨ!!」
「そう?」
「そう! そう!!」
まさか既に疑われていたとは……しかもこんな会ったばかりの時点で。
これは対策を考えておいた方がよさそうだ。
悩んでいる僕を余所に、瑠璃は部屋の奥へと入って行った。
「お姉ちゃ~ん、お兄ちゃん帰って来たよー」
…………はい?
今、瑠璃は確かにお姉ちゃんと言った。
でも、お姉ちゃんって誰だ?
履歴書にも、家族は瑠璃だけと書かれていたはずだし、葵さんにも僕に姉がいるなんて話は聞いていない。
「あれ? いないのかな……お姉ちゃ~ん?」
瑠璃は先程から『お姉ちゃん』とやらを探しているが、僕には誰の事なのか全く心当たりがない。
誰、って聞くわけにもいかないし、どうすれば……。
「っ!?」
突如、どこからか凄まじい気配を感じた。
「気配を感じ取れるのか?」と聞かれれば、答えは「YES」だ。
おそらくだけど、以前の僕は気配を感じ取る事が出来て、それを体が覚えていたんだと思う。
だからと言って、あくまで体が覚えていただけだからか、ハッキリと感じ取る事は出来ない。
どこだ、どこにいる!?」
汗が頬を伝っていくのが分かる。
僕が感じ取った気配は、殺気という感じではなかった。
だが理由が何にせよ、僕は今狙われている。
自分の家だと思って少し気を抜きすぎたのかもしれない。
記憶を失っていつ、どこで気をつけなければいけないのかが分からない以上、常に気を付けておくべきだったかもしれない。
今更後悔しても仕方がない。
まずはこの気配の元がどこからなのか、ハッキリと感じ取るのが最優先だ。
落ち着いて気配を感じ取ろうとすれば、そこまで難しい事じゃないはず。
ゆっくりと目を閉じ、気配の元を感じ取る。
気配の場所は――
「そこだ!」
後ろへ振り向く。
正解だった。
明らかに後ろに誰かいる。
そして僕が後ろへと振りむいた次の瞬間、
「サーーーーく~~~~~~~ん」
「ぶっ!?」
誰かに顔面に何かを押しつけられ、思いきりその何かで締め付けられた。
視界が闇に染まる。
おそらく声からして女性だと思われる。
そしてこれは、多分、抱きしめられているんだと思う。
い、息が……。
女性はこれでもかと言う位に、強く抱きしめてきて、とてもじゃないがまともに呼吸できる状態ではなくなった。
さっきの瑠璃のタックルといい、これといい、どうして続けて呼吸困難に陥らなきゃいけないんだ!!
「寂しかったよ~、サーく~ん。どうして今までお家に帰って来てくれなかったの~? お姉ちゃん寂しかったよ~」
「んー! んーー!!(死ぬ! 死ぬから!!)」
女性は僕の状態に気付いていないんだろう。
僕が何を言っているか聞きもせず、更にきつく抱き、縛り付けてくる。
このままだとやばい。
とにかく抱きついている人物を引き剥がそうと、手で押し返してみると、フニュと何か柔らかい物に僕の手が埋もれる。
「あん。もう、サーくんのエッチ~。そんな事してると、女の子に嫌われちゃうぞ~?」
「■△@〒! ◆※¥●☆!!(意味分かんないって! ってか息が、息が!!)」
最早人語とも言えない声、声にすらならない悲鳴を上げる。
やばい――死ぬ……。
人は死にかけると、走馬灯を見ると言う。
しかし記憶を失くしたからか、僕には別段思い出す思い出はなかった。
過去を振り返らず、今の天国へ一直線の状況を受け入れるしかないというのか、神様の馬鹿野郎。
「お姉ちゃん、何やってるの!? お兄ちゃんが死んじゃうよ!?」
僕の意識が完全に遠のき、なくなりそうになったその直前、瑠璃が慌ててこちらに向かって来ているのが、感じ取れた。
しかしもう間に合って、助かりそうにもなかった。
ごめん、瑠璃。
本当に、本当に短い間だったけど、楽しかった、よ……。
「あれ? サーくんどうしたの~? お顔真っ青だよ~?」
「きゃああああああ! お兄ちゃんがーーーーーーーー!」
その後、瑠璃が必死になりながら窒息死しかけだった僕を助けてくれたのは、言うまでもない。
そして僕を殺しかけてくれた女性は、終始不思議そうに眺めていただけだったらしい……。