第二十四話「現実はそんなに甘くない」
一体、何が起こったのか。
一時は死をも覚悟していた。
だと言うのにどれだけ待っても、何故だかそれが訪れない。
「ふぅ、ギリギリセーフ、ってとこかしら……?」
既に耳に焼き付いている、聞き慣れた声がする。
ただその声は本来、今この場で聞けるわけがないのだ。
そのはずなのだが、どうやら聞き間違いというわけでもないらしい。
「中々連絡がつかないから心配になって来てみたけど、正解だったみたいね」
こんな状況でも余裕な様子を見せているのは、葵さんだ。
「なっ――、誰だ、貴様!? 何をした!?」
青年は突然の参入者に、動揺を隠せていなかった。
しかしその中でも後ろに素早く下がり、体勢を整えていた。
一方葵さんは、僕らの反応を予想していたらしく、得意そうな笑みをしているのが目に浮かぶ。
彼女は本当に葵さんか?
もしや偽物だとか、そういう事はあり得ないだろうか。
「ふふっ、悪いけど、あなたなんかに名乗る――」
「葵さん、何っ――ゴフッ!?」
よりにもよって負傷している脇腹を、容赦なく蹴られた。
ただでさえ受けた傷も痛むと言うのに、あまりに酷い。
「あのねぇ、人が折角格好付けようとしてるんだから、それ邪魔するんじゃないわよ!」
間違いない。
このノリはどう考えても葵さんだ。
「携帯に掛けても繋がらないから、もしかしてって思って来たのよ」
確かに携帯電話は、先程青年の手によって破壊されている。
だがあの時から然程、時間は経過していないように思われる。
しかしそれにしては葵さんの対応が、早すぎる気がしないでもない。
もしかして葵さんは、こうなる事を見越していたんじゃないだろうか。
そんな考えすらよぎってしまうのは、あまりにも状況が、出来過ぎているからだろう。
「どこの誰かは知らないが、覚悟は出来ているんだろうな? こいつと一緒に、死んでもらう!」
馬鹿なやり取りをしている間に、青年は再び僕らの元へ近付いていた。
青年も一時は動揺して見せたものの、素早く現状を把握し、直ぐにでも僕たちを殺せる体勢に入っている。
僕や葵さんが行動するよりも確実に速く、仕留める事が出来る状態だろう。
つまり、また絶体絶命の状態に追い込まれたというわけだ。
そのはずなのだが、葵さんは変わらず、
「あら、それ誰に言ってるつもり? まさか私に、って事は、ないわよねぇ?」
と余裕綽々の様子を見せていた。
葵さんの実力は重々承知しているつもりだが、この状況は流石に危険でないのか?
そう危惧せずにはいられない。
「その、まさか、だとしたら?」
「どうもしないわよ。だってあなたに、私達を殺すのは不可能だもの」
「何……?」
突如、耳をつんざかんばかりの轟音が、辺りに響く。
それと共に教室の廊下側の壁が、文字通り崩壊した。
さらにその瓦礫が真っ直ぐ床へと落下するよりも早く、凄まじい暴風が巻き起こり、それによって瓦礫全てが青年の方へと飛んで行く。
「くっ、さっきから何なんだ一体!?」
青年は最早軽いパニックに陥っていた。
当然と言えば当然かもしれない。
僕だって現状を上手く把握出来ていないのだ。
飛んで行った瓦礫の一つ一つの大きさは、それ程大きいわけでもない。
それ故に青年に与えるのは、複数の切り傷程度であり、その効果何てあってないようなものだ。
だが隙を作らせる事は出来る。
たった一瞬だけ出来た隙の間に、葵さんは青年の懐に潜り込んでいた。
間近に居たというのに、僕はそれに気付く事すら出来ず、少し情けなく思う。
「悪いわね、しばらくの間眠ってもらうわ。ちょっと痛むだろうけど、我慢しなさい」
葵さんの拳が青年の体へと衝撃を、確実に与えた。
「がっ――」
相当な衝撃に、青年は呼吸がままならなくなっているようだ。
普段から食らっている僕だからこそ分かる。
葵さんのあれはもう凶器と言っていい。
下手な鈍器よりも、殺傷力があるんじゃないだろうか。
「まだまだ――いくわよ!」
「くっ、くそっ!!」
そのまま追撃しようとした葵さんを振り払い、青年は窓から素早く飛び降りた。
「……って、飛び降りた!?」
ここは三階だ。
いくらなんでも飛び降りて無事で済む筈がない。
負傷している傷口を抑えながら、急いで窓まで鉛のように重い足を引きずる。
窓から下を覗くと、どのようにしたのかは分からないが、青年は傷つく事もなく、無事に着地していた。
そしてそのまま青年は、暗い闇の中へと溶け込むように消えて行く。
「ちっ、逃げられたわね……」
葵さんは言葉に舌打ちを混じらせながら、そう言った。
悔しそうにしている葵さんとは裏腹に、僕は心の底から安堵の息を漏らした。
更にはヘナヘナとその場に腰を崩してしまう始末。
だが先程まで、いつ殺されてもおかしくない状況だったのだ。
それから助かって、気が抜けない方がおかしい。
少しの間沈黙が続き、葵さんは再び口を開いた。
「で、あなた達はいつまでそうしてるつもり?」
あなた達?
葵さんは一体、誰の事を言っているのだろうか。
それを聞くよりも早く、答えは出された。
「いつまでって、お前がいつ敵がそっちに向かうか分からないから待機してろって、そう言ったんだろうが」
「きょ、恭介さん!?」
崩壊した壁の向こう側から、恭介さんが出てきた。
その後ろには何も喋らないが誠さんもいる、つまりそれは……
「もしかして、さっきのって誠さんと恭介さんがやったんですか!?」
さっきのとはつまり、壁の崩壊と、瓦礫の強襲の事だ。
「あぁそうだ。葵に命令されてな。ったく何夜中にいきなり呼びだしたかと思えば、俺のする事これだけかよ……」
恭介さんは何でもない事のように答える。
誠さんが風で瓦礫を飛ばしたのは分かる。
誠さんの魔法ならそういう事が可能だ。
ならば壁を破壊したのは、もしかして恭介さんが素手で行ったのか?
恭介さんの腕力が、壁すら普通に破壊出来る程である事に、僕は思わず身震いした。
性格も性格故に、よく今まで死人が出なかったものだと、不思議に思う。
「ところで才人、あなたの方は大丈夫なの?」
「え……?」
「傷よ、傷。もう大丈夫なの、って聞いてんの」
葵さんに指摘され、僕は再び傷口を抑える。
傷口は未だにヌルリとした感触と、焼けるような熱さが続いている。
ただいい加減感覚が鈍ってきているのか、痛みはあまりしなくなっていた。
「あ~……駄目、みたいです。おまけにちょっと気持ち悪いんですけど……」
おそらく貧血によるものだろう。
これだけ血が体内から抜け出ていたら、貧血になるのも無理はない。
「歩いて病院に行くのは……無理そうね。恭介、誠、一緒にパスティアのところまで運んでやりなさい」
「それは構わないが、お前はどうするつもりだ?」
誠さんがようやく口を開く。
恭介さん同様こんな時間に呼ばれた事に腹を立てていたんだろうか?
「私は調べたい事もあるし、残るわ。それに、これらの後処理もどうにかしないとね……」
教室の酷い有様を見て、葵さんは溜息をついた。
確かにこれらの後処理をするには、少々でないくらい骨が要るだろう。
それに……
「あの、これ明日ニュースとかになったりしません……?」
僕はそこが心配になった。
学園側からすれば、真夜中に何者かによって学園内を破壊されたのだ、通報しない方がおかしい。
そしてもし通報されてしまえば、僕の元まで捜査の手が伸びるのは明白だ。
日本の警察を舐めてはいけない、僕の血痕も、拭きとったとしても気付かれるだろう。
「大丈夫よ、情報の操作や隠蔽は割と得意分野なの。私に任せときなさい!」
「えっと……はい」
確かに葵さんの情報網は凄い。
その点で考えるとそっちの方面は確かに得意なんだろう。
でも、アモスのメンバーが堂々とそんな事宣言していいのか……?
何だ、僕が異常なのか?
おかしいのか?
こういうところを一々気にしちゃいけないのか?
葵さんや、その他の様々な人との出会いは、僕の中の常識を確実に崩壊させている。
何が正しくて、何が正しくないのか。
何が普通で、何が異常なのか。
こういう事を毎日考えさせられる羽目になるのは、僕ぐらいのものじゃないだろうか。
もしかしたら葵さん達が普通なのかもしれない。
記憶喪失によって僕は常識すら忘れたのかもしれない。
いや、忘れたんだろう、忘れたに違いない、忘れたという事であってくれ。
「うっ――」
ただでさえ貧血でまともに思考が働かないところに、無理をさせてしまったみたいだ。
気分が悪くなり、思わず吐きそうになる。
「おいおい、大丈夫かよ……。オラッ、さっさと行くぞ!」
僕のだらしない様子に呆れながらも、恭介さんは肩を貸してくれた。
恭介さんの体にここまで触れたのは初めてかもしれない。
触れて分かった、恭介さんはただ筋肉質なだけじゃない。
贅肉に限らず、筋肉に関しても一切無駄が無い。
その肉体は本当に岩のように硬かった。
ナイフを突き付けても傷一つ付かないんじゃないか、そう思えるほどだった。
「いつまた敵が襲ってくるか分からないからな、一応俺は護衛という形で付いていく事にする」
誠さんはそう言い、僕らの後を付いてくる。
「あぁ、俺も流石にこいつ抱えながら戦うのはキチィしな。頼むぜ」
「んじゃ、さっさと行ってきなさい。私も後で行くわ」
そうして、葵さんの言う通り、パスティアさんの元へ向かった。
「……俺の仕事を増やすなと、前に言っただろう……」
「すいません……」
パスティアさんの元へ運びこまれた僕は、早速治療を受けた。
驚いた事にパスティアさんは医師としての技術は相当なようで、気がついたら治療は終わっていたと言う感じだ。
最初は手を抜いたのかとも思ったが、傷ももう痛まないし、そういう事でもないらしい。
因みに運び込まれたと言うのは間違いではなく、途中で歩けなくなった僕を、恭介さんがその腕力で軽々と持ち上げ、運んでくれたのだ。
その運び方自体はかなりずさんなものだったが……。
「幸い見た目の割に怪我は軽い。日常生活にそれ程支障はないし、一週間もすれば完治するだろうさ」
「はい、ありがとうございました」
「全くこんな夜中に仕事させやがって、高く取らせてもらうからな」
「は、はは……」
本気で言ってそうなところがまた、ある意味で僕の恐怖心を煽った。
因みにシロクロコンビはここに着くなり、直ぐに帰ってしまった。
二人共眠気の所為か、かなり辛そうにしていたが、大丈夫だろうか?
「しかしまぁ何だ。記憶喪失の所為だろうが、こんな簡単に怪我を負って、実力が落ちているとしか思えんな」
「そう、ですね……」
それは紛れもない事実だ。
葵さんやシロクロコンビに比べると、圧倒的なまでに弱い。
この程度でアモスに入れるとは思えないし、やはりパスティアさんの言う通り、実力が落ちていると見て間違いないはずだ。
「やっぱり今のままじゃ、ただの役立たず、ですよね……?」
それどころか葵さん達に迷惑すら掛けているのではないか。
そんな暗い方向へと、思考が進む。
思考が一度ネガティブな方向に走ってしまうと、際限なくそちら側に行ってしまう。
これはどうしようもないのかもしれない。
「そうね、今のままだとただの役立たずよ。だから少しでも使えるように色々して上げてるんじゃない」
「葵さん……」
気がつくと葵さんが僕の背後に立っていた。
いつの間に戻って来たのだろうか。
何にせよ、あまりに落ち込んでいる僕を見かねて、声をかけたに違いない。
「漫画やアニメじゃあるまいし、強い敵に会ったからって、突然強くなったりもしないわ。今のあなたの実力じゃやられて当然よ」
「うっ……」
現実はそんなに甘くない。
それは分かっているが、あまり認めたくないと言うのも事実だ。
もしかしたらいきなり魔法が使えるようになって敵を退けられる、とかそういう幻想をどうしても抱いてしまう。
いや、抱きたくなってしまう。
「でも、何だかんだで助かったわ。おかげで私も潜入できたしね」
「そうなんですか?」
もし本当に少しでも役に立てたのなら、これ程嬉しい事はない。
「ええ、そうよ。本当にありがとう!」
……嬉しいのだが、何故だろう。
先程から葵さんの様子がどこか、
「「……怪しい」」
驚く事に、パスティアさんと同時に同様の感想を口にしていた。
「え、何よ、二人共!? そ、そんな事ないわよ~?」
「いや、どう考えても怪しいだろう。むしろ怪しさしかないぞ」
パスティアさんの言葉に、僕も首を上下に振る。
「あ~もう、気の所為よ、気の所為ね、気の所為に違いないわ! 才人、傷はもう大丈夫なんでしょ!?」
「え!? 大丈夫、です、けど……?」
「だったらさっさと帰りなさい!!!」
図星だったのだろう。
焦る葵さんににべもなく部屋から追い出されてしまった。
仕方がないので、葵さんの言う通り家に帰るとしよう。
姉さん達にも黙って家を出てきたわけだし、気付かれる前に早く帰らなければならない。
「はぁ……今日はもう散々だな……」
もう誰かの肩を借りる等の必要はないが、普段より辛い事には変わりがない。
本当に散々だ。
こんな調子で明日、学校にいけるだろうか?
そんな事を呑気にも考えながら、僕は二人がいるあの家に、帰宅した。
結局黙って外出していた事が二人にバレ、説教を食らったのは言うまでもない。
◆葵
「お前、あいつがああいう目に遭うの、予想してたろ?」
才人を追い出ししばらく経つと、パスティアが私にそう言った。
「あら、どうしてそう思うの?」
「どうにも引っ掛かって、な。わざわざシロクロコンビだけこちらに送って、お前だけ学園に残ったのが何だか腑に落ちん」
「……」
相変わらず勘の良い奴ね。
誠と言い、あの上司と言い、どうしてこうも頭のキレる人間ばかりが私の近くにいるのだろう。
もしかしてアモスには実は頭脳も必要とされていた、何て事はないわよね?
いや、それなら恭介の馬鹿が入れるはずないか。
「ま、お前がどういう考えを持って動いているのか俺には分からんし、あいつに特別な思い入れもない俺としては、好きにしろって感じだがな。ただ一つだけ忠告しておくが、あまり使い過ぎて……壊すなよ?」
「何か、私がいつも人をこき使っているような言い方ね」
「事実だろう?」
「大正解」
そんな事は言われなくても分かっている。
才人を壊す事だけは、絶対しない。
記憶喪失前の才人も今の才人も、何だかんだで気に入っているからだ。
それに、
「あいつがいなくなったら、弄り甲斐のある相手がいなくなっちゃうじゃない」
シロクロコンビの二人は、最近慣れてきたのか、つまらない反応しか見せない。
やはり才人の新鮮な反応の方が私は好きだ。
「あ~……そっちの方向でも、壊すなよ?」
「ふふん、私を誰だと思ってるのよ」
「はぁ、もう何を言っても無駄だな……」
パスティアの言葉は最早私の耳に届いていない。
さて、今度はどういう風に弄ってあげようか。
それを考えるだけで、私は楽しくてしょうがなかった。
(第二十五話へ続く)